幼少期から高校まで
松永紘明。静岡県藤枝市生まれ。
母親は医者になる夢に破れ、教師。母親の姉は薬剤師で医師と結婚。だからきっと母親は自分の姉に嫉妬心があったと思う。
父親は超進学校(高校)出身。周りはみな、医師や弁護士ばかりで同窓会に行くのが恥ずかしいと漏らしていた。
この二人の馴れ初めは不明。ただ、とにかくよくケンカをしていた。
赤ちゃんの頃、住んでいたアパートが寒くよくしもやけができていた。3-4歳で、旧岡部町に引っ越す。
幼稚園、入園式の写真で母親にベッタリ。
とにかく人見知りで、食べるのが遅かったらしい。好き嫌いも多く、
”ひろくんたべない”
と言って、当時から強情で、最後まで食べさせようとする保母さんに激しく抵抗、なかなか食べ終わらず保母さんを困らせていた。今思えばハンガーストライキだ。
近くの公園で母親とサッカーボールを蹴るのが楽しかった。家から起伏の激しい坂道を通ってお寺まで両親と走った。幼稚園児の僕にとってあの坂道は本当に急だった。
小学1年ごろだろうか、少し年上の子に石を投げつけられ、必死で投げ返していた記憶がある。
自転車に乗ろうと思い立ったのは小学1年生の頃。近所のお寺にあった緩い傾斜を利用し、父親と練習した。
初めての持久走大会は、周りのみんなが速くて10番手ほど。めちゃくちゃきつかった。
小学2年生の時、両親がマイホームを新築し、転校。
小学3年生の時、サッカーがしたくて、両親に懇願し、スポーツ少年団に入部。しかし、両親は忙しくて送迎ができず、他の親に文句を言われ、僕がサッカーをすることに反対していた。
転校した学校での持久走大会は、2~5年生まで毎年2番。最後の6年生では3番。
持久走大会のために、高学年の頃、毎日友だち早朝登校前に練習。この頃から、一人で毎日近くの山を走ることを日課とする。
中学生になり、サッカー部に入部。1年生恒例の、毎日学校周回コースの持久走練習で頑張りすぎたのか、胸に違和感。
”心臓肥大”
との診断でドクターストップ。サッカー部の練習を禁止された。運動が大好きな僕は、そのストレスから、パンチで壁に穴を開けるなど、抑えきれない感情が、よく爆発していた。
ドクターストップを受けながらも、週6日、マイペースで裏山は走り続けた。どうしてもサッカー部の練習がしたくて時折参加していたが、試合ではドクターストップを理由に必ず外された。
運動したいという自己の欲求が、抑圧された辛い中学生活。結局、そのまま3年生で引退。不完全燃焼に終わる。
地域の進学校でサッカー強豪校の藤枝東高校へ進学。同校サッカー部へ入部するも再びドクターストップ。結局、週6、自主練で毎日10㎞、山を走る日々。
高校3年時。仲間は全国大会ベスト4。国立のピッチを踏んだ。羨ましかったが僕にはどうしようもない。劣等感と挫折。
小学生から言われ続けていた、
”勉強しなさい、医者になりなさい”
に洗脳され、自分の夢と思い込んでいた目標のために医学部を受け、玉砕。当然浪人生活が待っていた。




