ワールドシリーズプロデュース
粟ケ岳。僕がお気に入りのこの山。標高1300m弱にもかかわらず、森林限界が低く、1000m弱から視界が開ける。急峻で登りごたえがあり、海外レース、特にUTMBのトレーニングに使っていた。
2015年頃は、週に1度、4往復。最大6往復していた。
世界を見回してもこの山はその魅力はあると、地元住民に説明をしてMT.AWA VERTICAL KILOMETREをスタートさせた。その当時から、なんとしてもこの山にふさわしい舞台を。MT.AWAを世界へ発信することを目標にかかげ、
”最終的に世界選手権を誘致する”
と地元集落には説明していた。ただ、世界選手権は1度きり。毎年のワールドシリーズを誘致しようと方向転換。MT.AWAでできる世界戦はないかと考えていたとき、
”VERTICAL KILOMETRE WORLD CIRCUIT”
を知り、これならいけるのではないかと、主催者であるスカイマンと直接交渉をスタート。誘致のためには雪上で行い、雪国新潟の魅力をより深く発信しようと開催時期を9月から4月下旬とした。
そして実績作りとして、日本選手権を誘致開催。動画や写真を撮影して、スカイマンとの交渉を進めた。
そんなタイミングで運よくレースでスカイマン本部があるスイスに行くことになる。これはチャンスと、1通のメールを入れた。
”スイスに行くので空港で会って欲しい”
こうして、日本人で初めてスカイマンと直接会って話をする。ここで驚きの提案を受ける。
”VERTICAL、わずか5キロのレースの為に選手を日本に連れていくのは正直難しい。スカイレースはできないか?”
スカイマン曰く、スカイレースができれば、選手を派遣でき、来年にでもワールドシリーズに加盟可能という。数年前から中国でワールドシリーズを始めていた。アジア市場を活性化させるために日本は必須だったのだろう。きわめて好意的な提案だった。
チューリッヒ空港でのミーティングを終えそのまま帰国。翌日、実行委員会に出席するために会場、粟ケ岳の麓、いい湯らていに行くと、運命のいたずらか、普段そこにいるはずもない三条市長が休憩していた部屋に通される。そこで2日前のスカイマンとの交渉内容を明し、
”市長、スカイレースをやりましょう!”
と提案。しかしながら、肝心なコースがない。ないなら作ればいい。廃道を切り拓く。
できる理由、やれる方法をひたすら探す。それが人生を切り拓く、唯一の方法。
反対勢力、関係機関すべてを説得し、スカイマンとの契約。
2019年MT.AWA SKYRACEが誕生した。
こうして僕は、当初、地元に掲げた目標を有言実行。世界を粟ケ岳に誘致。愛する粟ケ岳にふさわしい舞台を実現することとなった。
多くの方々の協力のおかげでワールドシリーズをプロデュースすることとなった。




