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イギリス一周自転車旅

大学4年の夏。


日本一周を終え、今度は思い切って海外へ。日本と同じぐらいのサイズであれば行けるだろうと、イギリス1周をすることにした。と言っても、英語は中学単語を片言で繋げるレベル。前回の海外は、あの自転車を僕に教えてくれた友人と一緒にアメリカレンタカーの旅。彼が英語を話せたので僕は、ついていっただけ。でも今回は違う。たった一人で行くことにしていた。頼る人はなく、自分で切り開くしかない。だから、英語も話せなかったら困ると思い、英会話の本を買って少し勉強を試みた。そして、英会話スクールにも通い始めた。しかし、全くと言っていいほど、なぜか頭に入らなかった。結局、事前に覚えていった英文はこれだけ。


”Do you have a room for tonight?”(今晩泊まれますか?)


目的地が海外になっても相変わらず予定は未定。いつどこに行くなどは全て無計画。決まっていたのは帰りの飛行機の日時だけ。


それでも、飛行機に自転車を載せる方法だけは事前に調べた。今まで旅ではすべて自力。自転車を漕いで移動していたから、電車など公共交通機関を使ったことがなかった僕が、初めて、輪行袋の存在を知った。長岡のバイクショップFin'sで購入。現地について自転車が壊れているとまずいと思ったがやり方は結局よくわからなかった。


ともかく、実家の静岡から東京までは自転車で出発。前年愛知から兵庫まで一緒に走った友人が住む、東京都町田にお世話になった。いよいよ1か月に及ぶ旅がスタート。日本を周っていた前年とは比べ物にならないほど、多くの経験ができそう。人は何のために生きるのか。それは人生を楽しむため。


”この旅は何のため?”


もちろん人生を楽しむため。


彼から輪行袋の入れ方を教えてもらい衝撃吸収のための段ボールを自転車のいたるところにあてた。町田駅からはリムジンバスで成田空港へ。輪行袋を空港のチェックインカウンターで預けた後、空港内の本屋さんで、


”やっと”


地球の歩き方イギリスを購入。イギリスに向かう飛行機の中でその旅行ガイドブックの巻末にある大きな地図(小学生が日本地図で県名を覚えるような大まかなもの)を見ながら、なんとなく反時計回りにすることにした。理由はない。本当になんとなく。


ヒースロー空港に到着して、まさに右も左も分からない。しかし、荷物は最小限にするのが僕のスタイル。重たいガイドブックは巻末の大きな地図以外はゴミ箱へ捨てた。持っていた地図は日本でいう県庁所在地だけが載っていたものだけ。その超おおまかな地図を頼りに、いや、むしろ頼りにならないこの地図上にある地名を緑の道路看板で探しながら進む。空港からロンドンまで10㎞程度の道のりを迷いに迷い2時間ほど掛けて進む。


ロンドンの中心街、ピカデリーサーカス。両脇に、映画の世界に迷い込んだような、歴史的な建造物。そしてその前を勢いよくエンジンを唸らせて、赤いダブルデッカー(2階立バス)が僕の横を抜けていく。


初日、まず目指すはケンブリッジ。ここでガイドブックに書いてあったように今晩の宿を予約するためにピカデリーサーカスのインフォメーションセンターへ。しかし、僕の英語力がなく伝わらなかったからか結局宿は取れず。ここにいても時間ばかり過ぎていく。既に昼12:00。暗くなる前に現地につこうと、思い切って出発。最初の2時間は日本と変わらず、ずっと町だったが、そこを抜けると北海道のように丘だらけ。地平線も見えた。かなり不安だったけど仕方がない。頼れるのは自分の身だけ。やるしかない。


一般道を走っていたつもりだが、気が付いたらどうやら高速道路を走っていたようだ。気が付けば機内食以来何も食べていない。あまりにおなかがすき、道路沿いにある駐車場で移動販売車がいたので、初めての食事、フィッシュアンドチップス。あまりに多いポテトに驚いたがおなかはすいていたのですぐ完食し、再び漕ぎ出す。


午後5時頃にケンブリッジへ到着すると早速宿探し。B&Bと呼ばれる宿の看板を頼りに、飛び込みで泊まれるかどうかを尋ね、空き部屋をみつけ、宿泊。初めての夜はなんとかベッドで迎えることができた。


次の日も同じような場所。レスターまで進む。今まで日本に慣れ過ぎていた。町があるのが当たり前。しかしイギリスは違う。道中何もないことがきつい。でももしここで投げだしたらすごく後悔するし、とにかく全力でぶつかるしかない。行き交うトラックや車はみな、窓越しに僕を励ましてくれた。行けるところ、もちろん最後までやり抜く。この日は自分で電話をして宿をとることができ少しずつ成長。とにかく前進あるのみ。


レスターの宿はザ・ヨーロッパという雰囲気主人は陽気で朝からずっと鼻歌で日々を楽しんでいるよう。イングランドの人たちは土曜日の午後は仕事をせずにサッカーがた楽しみで仕方ないという雰囲気がどこの町もしていた。


実は、この旅の目的の一つは、留学候補先の大学教授に会いに行くことだった。長岡技術科学大学4年だった僕は将来をどうするか、真剣に悩んでいた。


当時所属していた研究室の先生に相談したところ、イギリスのシェフィールド大学を留学先として紹介してくれた。夏休み、イギリスに行くなら、実際に会いに行ってみるといいと言ってくれた。そこで、シェフィールド大学へも立ち寄ることしていたのだ。


手元にあった大雑把な地図にもシェフィールドの町は乗っていた。道端の人に聞きながら、そして道路看板を頼りになんとかシェフィールドへ到着。大学を訪ね、教授にも会うことができた。教授は親身に、自転車、ウェストバッグ、サンダル姿の僕に、研究室や、大学構内を案内してくれた。


研究内容はテニスラケットにボールを当て、高速解析可能なカメラでその様子を調べるもの、テニスボールの表面をきれいにしたときの風洞実験、自動車のボディラインなど変化のひずみを図る装置、LPガスのバイク制作などをしていた。とにかく研究費が沢山あるという印象。確かにあんな所で研究してみたという気持ちがわくほどの施設。学生は僕と違ってみな実に研究熱心。言葉はなんとかなるとしても、研究をしたいのか、留学をしたいのかは即答えは出なかった。午後5時、シェフィールド大学を出発。セルビー(Selby)へは午後10時に到着。自転車を漕ぐのは午後9時が限界と感じた。なんとかなるもんです、人生は。むしろ、なんとかするもんです、人生は。


旅は続く。自転車を漕ぎながら、先日の大学について、留学について、そして将来について考える。


”イギリスとか海外に留学すべきかどうか?”


守ることはいつでもできる。攻めるのは若いときだけかな。やらずに後悔はしたくない。僕は運がいいからきっとなんとかなるはず。やっぱり今が絶好のチャンスかな。そんなことを考えながらいつものように丘陵地帯を進んでいると運よくB&Bの看板。飛び込みでたずねると泊まらせてくれ、しかも、B&Bなのに(ベッド&ブレックファーストの略で通常夕食はない)食べきれないほどの夕食をくれた。しかも、僕の姿を見るや、洗濯までしてくれ、翌朝の朝食も信じられないほど豪華。レインウェアのない僕に、代用品としてゴミ袋をくれた。


ダーリングトン(Darlington)を出発し、Bellinghamのユースホステルへ。ここでこの旅でここまでで一番の出会い。僕のつたない英語ではあったが、一緒にカードゲームをしたりビリヤードをしたり。翌朝は一緒に朝食を食べに行った。イギリス流の別れは人を送らないのか、彼との別れ際、文化の違いを感じた。


道中、トラックの運転手さんと話をして、この先の情報を教えた貰い、スコットランドとイングランドの国境では、伝統衣装をきながらバグパイプを演奏するおじさんとも話をした。おじさんのオススメはスカイ島。


エディンバラへ風を切って勢いよくくだっていると通りがかりの軍人の人が、自転車ごと僕を載せてくれて、エディンバラの町を抜けたグレンデボン(Glendevon)まで送ってくれた。


翌日はピトロクリー(Pitlochry)のユースホステルを目指す。そうそう16時頃には到着し、余裕のはずだったが、満室。次の宿を探すために町を出発。途中に宿があったら泊まろうと思ったが町が一向に現れない。砂漠のような明かり一つない場所。


”止まったら死ぬ”


本気でそう思い、


”俺は生きて帰る!”


と叫びながら全力で立ち漕ぎ。文字通り必死だった。何時間立ち漕ぎを続けたか。何か大きなものに守られているかのようでなんとか生還。夜中、原野の真ん中に明かりが一つ。念願の宿。助かったと戸をたたくが、あいにく満室。万事休すかと思ったが正直ここを出たら死ぬと思い、引き下がる。


”玄関でいいから寝させてくれ”


と。僕の必死の願いが通じたのか、


”分かった、分かった”


と、なんとオーナーの娘さんの部屋に泊まらせてくれることになった。深夜、そしてB&Bと呼ばれる朝食付きの宿にもかかわらず食事を用意してくれた。命の恩人だと本気で思った。


翌日は、スコットランド人のロナルドに出会う。彼は当時50歳代中盤。スコットランドからフェリーでベルギーに渡り、出発。約1か月の旅を終えて、残り2,3日で自宅にゴールするという。僕と似ているのかな。将来の自分の姿かな。そんなことを考えながら一緒に進んだ。


アビモア(Aviemore)のユースホステルでロナルドと一緒に泊まり、翌日も一緒に進む。この旅始めて一人ではないツーリング。とにかく楽しかった。道中、300年前に作られたという石橋に到着。ここのカフェで一緒に休憩。途中、バナナを貰い、おかしを食べながらゆっくりインバネス(Inverness)を目指す。途中、日本でいう野イチゴを教えてもらい食べる。ロナルドは、ユースホステルを案内してくれ、しかも僕の翌日の宿まで予約してくれた。感謝の言葉が見当たらない。荷物を置いて今度は市内を一周案内してくれた。運河を見に行ったり、川へ行ったり、最後は一緒に夕食。何から何までお世話になりっぱなし。ロナルドの口癖は


”Oh, yeah! I see”


そして


”Don't say sorry”


と何度も言われた。ついにお別れ。見えなくなるまで見送った。途中一度振り返った。また次の日からは一人。すごく寂しい。不安も一杯。でも自分の置かれた状況を楽しむのが一番だと思う。なぜなら2度とこのような日々は続かないかもしれないから。


気が付いたら高速道路を走っていることが2-3度あった。誰かが通報したのか、警察がやってきて、なんか言ってくる。どうやらここから出ていけということらしい。自転車を担いで壁を登り退去させられる。出た先は、辺り一面見渡す限りの畑。こんなところから脱出できるわけがないと、警察が行ったのを見計らい再び高速を使って次のインターチェンジまで走った。


地図があまりに大まかな為、町と町の距離がよくわからない。


別の日は、朝からひたすら雨。バッシャバシャ大雨の中、自転車を漕いだ。雨のせいかペースが遅く、夕方になっても目標の町が一向に現れない。必死で漕いでいると、目の前に突然車が止まり僕に手招きをする。なんと次の町まで乗せてってくれるという。ここでも命拾い。結局、宿の前まで送ってくれた。


そんな経験を重ね、


”死にもの狂いで努力をしていれば必ず誰かが助けてくれる”


また、


”諦めどころが踏ん張りどころ、その最後のもう少しが道を開く”


そんなことを学んだ。


この旅では毎晩ユースホステルという旅人の宿を利用。毎晩、多くの出会いがあった。どこから来たのか、次はどこへ行くのか、なんで旅をしているのか、仕事について、人生について。中学英語の片言な会話でコミュニケーションをとる。毎晩少しずつ英会話が上達しているのが分かった。自分が言いたいことが少しずつ言えるようになり、相手が言っていることが少しずつ分かるようになった。


結局、ロンドン to ロンドン。北はスカイ島まで行き、反時計回りでウェールズを経由して1周を終えた。最終日、LONDONの看板を目にした時、涙で前が見えなかった。感動だけでなく、生き抜く力を手に入れた気がした。大きな自信となる旅になった。


そして、大きな目標ができた。次回海外に行く時までに英語で


”もっとみんなに自分のことを伝えたい、もっとみんなが何を言っているか分かるようになりたい”


そして最終目標は


”海外の友人同士が話ている中でも会話に入れるようになる”


帰国の飛行機の中で、そう心に決めた。

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