第六章 継承 攻城の果て(11)
殿主の廊下はまったく光が入り込まない造りで、距離を隔てて焚かれた小さな灯りによる微かに周りが見える程の明るさとなっていた。吉法師たちはその廊下を筑後守の後に付いて殿主の奥へと向かっていた。
そこでは暗がりから視界に現れる不気味な木像や、壁や天井の恐怖の表情を見せる能面が再び皆の恐怖心を煽っていた。暗闇の中で右に左にと進むうちに入口に戻る方向も分からなくなっている。すると無言で先頭を歩く閻魔大王の姿をした筑後守がこれから地獄に導くかの様に思えて来る様になっていた。
この状況に三左と又十郎は再び恐怖を感じ始める様になっていた。
「この真っ暗な廊下はまだ続くのか?」
「まったく悪趣味じゃ!」
およそ歓迎とは程遠いこの状況はこの先筑後守が何か企んでいるのではないかとも思う。先程まで怒りを見せることで収まっていた恐怖心が暗闇の中で浮かび上がって来る。
その時であった。
ダーン!
突如近くの廊下の壁を激しく叩きつける音が響いた。
「ひえっ!」
「うわっ!」
「何じゃ!」
皆が驚きながら咄嗟に吉法師の周りに集まる。それを見た筑後守は不敵な笑いを浮かべた。
「ふぉっふぉっふぉっ、今日は外の風が強い、外の庭に置かれていた桶でもぶつかったのだろう」
その説明に皆は一応の安心感を見せるが何か筑後守の態度には釈然としない。確かにこの城に来る時の風は普段より強く吹いていると思った。しかし本当にあの大きな壁を叩く音は風のせいであろうか、もしやこの筑後守はこの殿主に我らを誘い入れた後、何か企んでいるのではないか、皆が暗闇の廊下の中で筑後守への疑念を持つ様になっていた。
そしてその警戒心が高まった時であった。
「うわっ!」
三左が突如また大きな驚きの声を上げた。再び皆が驚きながらも咄嗟に吉法師を中心とした塊を作る。しかし同様に周囲の異常は感じられない。
「び、びっくりしたぁ!」
「何だ三左、いい加減にせよ!」
「またてんとう虫ですか?」
「もう驚かされぬぞ!」
再びの三左の脅かしに憤りを見せる皆に対して、三左は左方を指差しながら真剣な面持ちで答える。
「いや、そこの木像が何かこっちを向いた様な気がした」
その言い分に皆が呆れた顔を見せる。
「その様な訳は無かろう」
「気のせいじゃないですか」
「恐がっておるからそう見える」
「まったく三左もいい加減にして欲しいな」
皆が一笑に伏した次の瞬間であった。
うおー!
うあぁー!
ぐぉー!
ぬぉー!
突如廊下に並び立っていた木像が一斉に動き恐怖の声を上げながら皆の方に向かって来た。同時に壁や天井の能面もゆらゆらと浮かび上がり行く手を遮る。
「うわー、でたー」
「まじ、まじ」
「くるなー」
「なんまんだぶなんまんだぶ」
突然の恐怖の来襲に吉法師一行の皆は混乱に陥った。
吉法師はこの状況下で一人表情を変えず筑後守を一点に見つめていた。もしこの恐襲がこの男の謀反によるものだとすれば、ここで即座に自分たちから離れ、後の対応を配下の者たちに任せると思う。しかし今のこの男にその様な素振りは見られない。
その後吉法師と目を合わせた筑後守はひとつ笑みを浮かべると誰にともなく声を上げた。
「もう良いぞー!」
するとその指示に合わせて殿主の廊下の壁が一斉に解放され、外の光が射し込まれると同時に周囲が見渡せる様になった。人が成りきっていた木像たちが一礼の後、ひと仕事終えた感を醸し出しながらその場を立ち去って行く。他の皆が放心状態となっている中で筑後守が問い掛ける。
「如何であった、弾正忠の息子!」
それは舞か何かの余興を披露した後の感想を伺っている様であった。同時に見せている笑みに謀反の様子は無く、本当に余興の仕掛けであったのかと思う。筑後守の問い掛けに三左と又十郎が先立って反応する。
「如何も何も無かろう!」
「ひどい歓迎の仕方じゃ!」
二人がその肝試しの様な余興に不満を見せる中で吉法師は笑顔を見せた。
「いや、この様な城の催しはこれまで受けたことが無い、おもしろかったぞ!」
その返答を聞いた皆は冗談であろうと苦笑しながら吉法師の方を振り向いたが、その表情にその様子は感じられない。吉法師は本気でそう思っているのだと思った。
「いやいや、気に入って頂き恐悦至極!」
筑後守もそう言ってまた笑顔を見せた。しかしその時、筑後守は内心吉法師に畏敬の念を抱く様になっていた。
城の仕掛けは筑後守の趣向ではあるが、今回吉法師の度量を計るために用いられていた。今尾張を統率している弾正忠の息子は恐怖の環境に置かれた時にどの様な反応を見せるだろうか、強い関心を抱いていた。しかしこの子供は動じないどころか、この仕掛けの真意は何かという様な問い掛けの目を自分に向けて来る。
(まだ子供だろうが……)
筑後守は内面の驚きを覆い隠す様に大袈裟な笑いを見せていた。
その後吉法師は筑後守の案内で木像の裏に隠された入口を通り殿主の上階へと上がった。そこには八畳くらいの部屋に神仏を祀る祭壇が施されていた。しかし窓際に並べられた木像が体の一部分しか無いなど景観としては良いものではない。
「これが外から見えた木像か」
「あれなどは腕しかないですね」
「何ですか、これ」
「先ず趣味悪いな」
散々に批評する皆に対して筑後守は笑みを見せる。
「景観のためでは無いかならな」
その言葉に改めて木像に着目すると時折何かその場で動きを見せている。吉法師と三位は木像に近寄りその仕掛けを探った。
「これはおもしろいな」
「うむ、侮れぬ仕掛けなり」
木像は外から時折吹き付ける風を受けて人の動きを見せる仕掛けが施されていた。複数の木像が連動しながら異なる動きを見せる。それは城の外から見た時、多くの人間が城を護っている様に見えるであろう。これに実際の人が加われば実際以上の戦力がある様に見せることができ、攻め手側を混乱させることができる。
「この城は小さい、だからこそ随所に簡単には落されぬ工夫が必要なのじゃ」
その筑後守の言葉に皆が頷いた。
「なるほどそれで城門や城壁には呪詛の言葉が張り巡らされていたのか」
「城に入ってからの進路も殿主の廊下も敵の心理を突いたものなのですね」
「城の見た目より防衛に対してここまで全振りするとは」
「その辺はやっぱり変わり者という事で良い」
皆が納得しながら筑後守に笑顔を見せた。周囲に変わり者と知られた筑後守であるが、小さな領主が懸命に工夫を凝らして領地を治めているという実情に対しては何か共感するものがあった。
吉法師も筑後守に一層の興味を抱いていた。
「この城には他にも何か仕掛けはあるのか?」
その吉法師の問い掛けに筑後守は笑みを見せた。自分の城に興味を持って問い掛けてくる吉法師に敢えてその答えではなく問いで返す。
「弾正忠のむすこ、ぬしは戦になった時最初に行うべきは何であると思う?」
それは再び吉法師を試している様であった。その問い掛けに対して吉法師は横目で三位を窺った後、自信を持って答えた。
「知ること、であろう」
それは孫氏の兵法に綴られた『彼を知り己を知れば百戦危うからず』という言葉を示すものであった。戦の方針を判断する状況においては関連する全ての情報を如何に早く得られるかが重要となる。吉法師はこれを以前三位から教わっており、既に自身が他国との情報戦の中にいることを認識していた。今の自身のうつけに見せる格好はそのためでもある。
筑後守は当たり前の事という感じで平然と答える吉法師にまた複雑な笑顔を見せた。この子供は自身の将来に対して心構えだけでなく戦術についても身に付けている。
(これが弾正忠の息子……、おもしろい……)
筑後守は見た目の姿に合わない吉法師の内面性に驚きを見せながら城の説明を続けた。
「そう知ることだ、先ず何にしても戦略の第一歩は知ることから始まる。そのために城の監視の目もより遠くに向けねばならぬ!」
そう言うと筑後守は部屋の奥の壁に置かれた大きな亀の置物に乗っかってみせた。
ガコッ
すると何か施錠が外れた音がして天井に設けられた窓が開いた。そして次の瞬間その窓から上へと昇る梯子が降りて来た。
「さぁ行きましょうか」
吉法師たちが筑後守に付いて天井の屋根裏へと上がって行くと、その屋根裏には更に上に向かう場所が設けられていた。
「おい、この上って?」
「まだ何かあったのか?」
疑問に思った皆が筑後守に付いて行った場所は今までに光が届く場所になっていた。
「おぉこれは……」
「何とも良い眺めじゃ!」
そこには見張り台が設けられ、西を正面に北の美濃から南へと広がる濃尾平野の眺望が広がっていた。
「あそこが羽黒の城で、その奥が犬山だな」
「向こうが宮後の城か」
「これなら遠くから敵の侵攻の速さや規模が見定められる」
「うむ、城で対応を準備する時間も稼げるというものだ」
見張り台が直結した城、この造りであれば監視の結果を即座に城の防衛判断に活かすことができる。皆が楽田の城の高い監視能力に伴う眺望の良さに見入っていた。
その時であった。
ビューッ!
「うわっ!」
「危ない!」
皆のいる監視台を突如強風が吹き抜けた。咄嗟に皆が転落の危険を感じて身を屈める。城門でも時折感じていた強風だが、殿主の屋根の上ともなるとその勢いは凄まじいものがあった。
「戻りますぞ!」
その筑後守の声で一時強風が収まると同時に皆は前の二階の部屋に戻った。その時の皆の筑後守の印象はすっかり改められていた。変わり者という世間の印象はしっかりとした危機意識の中で考え抜かれ、実行された中でのものなのである。
「筑後守様の城の防備策には恐れ入ります」
「うむ、何だかんだ言って的は得ておる」
「変わり者という評判は真意と合っておらぬ様ですね」
「三位様と同じで変わり者は見た目だけ、ということじゃ」
「ははは、尾張の兵法で知られた三位殿と同じというのは何とも恐れ多い」
思いも寄らず皆の称賛を受けた筑後守は笑いながら祭壇に向かうと二本の木札を持ち出し三位の頭に掲げた。皆がその様子を見て大笑いする。
「筑後守、最高じゃ」
「見た目の同じ感、ましましじゃ」
「記録に残しておきたいのぉ」
「絵師、絵師!」
三位のもじゃもじゃ頭に掲げた二本の木札は角の様で、その姿はまさに鬼に例えるものであった。背後に閻魔大王を模した筑後守の顔との並びが何とも笑いを誘う。
「筑後守様はまったく冗談がお好きな方じゃ」
「木札をその様な使い方されるとは」
「受け狙いの手段とされておるからの」
「そこはやっぱり変わり者じゃな」
皆が暫しその二人の並び立ちを笑いあった。最初は困惑していた三位も徐々に楽しくなってきたのか、自ら木札を持つと二人で顔芸を披露している。
吉法師は暫し皆と一緒に笑い合っていたが、部屋の奥の窓際に先程の亀とは別の置物があるのを見つけると徐に駆け寄って行った。それは大きな鶴の置物であった。
「筑後守、これも何か城の仕掛けか?」
吉法師はそう問い掛けながら先程の筑後守を真似て鶴の背に乗り掛かろうとした。その様子を目にした筑後守は笑顔から一転驚きの表情を見せた。
「あー、そいつはいかん!」
ボコッ
筑後守の制止を他所に先程と同じ施錠が外れる鈍い音が部屋に響く。すると次の瞬間、吉法師の周りの窓枠が吹き飛び、鶴の置物は吉法師を背に乗せたまま窓の外へと飛び出していった。
「う、うわー!」
「き、吉法師さまー!」
思いも寄らぬ状況に皆は慌てて窓の方に駆け寄った。吉法師様が二階から転落する、そう思って皆は地面を見下ろす。しかしその後の皆の視線は空に向かって上げていった。
「何じゃ、あれは?」
「どうなっておるのじゃ?」
その時吉法師は城の裏の丘の上から伸びた縄につながれた鶴凧に乗って上空を漂っていた。部屋の中では畳まれていた鶴の羽が大きく広がり、時折不安定な状況に陥りながらも風を捉えている。
「おぉー、成功じゃ、行けるじゃないか!」
それを見た筑後守が歓喜の声を上げる。その一方で他の皆は気が気でならない。
「まずい、落ちて来た、吉法師様、上、上!」
「はぁ、ようやく上がった」
「うわっ、また落ちてきているぞ」
「あぶない、回る回っている、吉法師さまー!」
吉法師を乗せた凧は時折ぐるぐると回転しながら、急上昇と急降下を繰り返している。あの高さから落ちたらただでは済まない。皆が吉法師の状況を困惑しながら追求する。
「これは城が攻められていよいよやばいぞ、となった時の緊急脱出装置でな、これまで一度も試したことは無かったのだが、うむ、行けるな」
「初回試験を吉法師様でするのはまずいでしょう」
その満足気な筑後守の笑みに憤慨しながらも対応は急を要している。落下したらただでは済まず、またつながれている縄が切れたら凧は何処に飛んで行ってしまうか分からない。
「おい、早く吉法師様をおろそう」
「どうすれば良いのじゃ?」
残された皆が訊ねると筑後守は裏手の丘を指差して答えた。
「つながれた縄は丘の向こうにある木につながっておる。そこで巻いていけば降りることができる」
それを聞いて皆は即座に行動に起こした。
「よし行くぞ!」
「この風だ、早くしないとまずい」
「失速して墜落したら大変じゃ」
「縄も何時切れてもおかしくない」
皆は階下へと慌てて駆け下りて行った。
ビューッ!
その時上空の吉法師の周りには強風が吹き荒れていた。
最初は止まらぬ回転や急降下、急上昇に苦心の対応を試みていた吉法師であったが、空中での姿勢安定の保ち方を会得すると、次第に周囲を見渡す余裕が生まれていた。
「まったくあゆちの風にも困ったものじゃ」
思えば今日の様な風が吹き付ける日で無かったらこの様な所を漂うことは無かったであろう。吉法師は悪戯を仕掛けて来るかの様な風に困惑しながらも周囲に広がる景色を見渡した。
先程の殿主の屋根よりも高い位置まで上がった凧からは遠方の美濃の山々など更に遠くまで見渡すことができる。
「あそこが国境の木曽川か」
最初に目に入ったのは増水で流れが早くなっている木曽川であった。するとその時また吉乃の所在が気になり思いを込めた。
「今あそこを渡るのは至難なはず、吉乃……、まだこっちにいるよな?」
「……」
思い浮かべた吉乃に問い掛けるが返事は無い。
(きっと見つける!)
そう強い決意を込めた時、吉乃は少しだけ笑みを見せた様な気がした。
そしてその思い描く姿が消え去った時、木曽川の奥の山裾に軍勢の一団が土埃を上げながら西へと移動している様子が目に入った。
「東美濃の軍勢か、大柿に向かっているのか」
先に宮後の城で美濃の城の位置関係を確認している。それを考慮すると少し向かっている方向が違う気がするが、それは意表を突いた方向からの攻撃を考えているのかも知れないと思う。何れにしても移動している軍勢の勢いから戦に向けた気力の高さが窺える。
「稲葉山の動きは?」
吉法師は稲葉山にいる敵の大将斎藤道三の動きを確認すべく、稲葉山の方向を探った。しかし宮後で見えていた稲葉山はその視界を手前の山に遮られていた。
「ここからは見えぬか」
吉法師は視界の角度から稲葉山がもっと確認できそうな場所を探った。もう少し角度を変えて見れば、稲葉山を含めた敵の動きが見えるかも知れない。吉法師は視線を左に移す。すると少し離れた場所に独立峰がそびえているのを目にした。
「あそこからなら分かるかも知れぬ、ん?」
美濃側に対峙する様にそびえる山、その山からであればもう少し美濃側を知ることが出来るかもしれない。そう思った時、吉法師はその山頂付近に柵に囲われて建物が点在しているのを目にした。
「砦か、あの山に城があるというのは聞いておらぬ、まさか?」
吉法師は咄嗟にそれは盗賊団の拠点ではないかと考えた。見るほどに地上からは存在が確認できない様な造りになっている様に思える。一宮からも美濃へも想定される妥当な距離感にある。
(確認の必要がありそうだ!)
山を見つめながら今後の方針としてそう思い立った時であった。
くわぁー!
一羽の鷹が現れ吉法師の横を一度通り過ぎた後、周囲を旋回し始めた。
「よお、飛竜、ぬしの高さに来てみたぞ」
それは三位の鷹の飛龍であった。
「くわっくわー!」
飛龍は自分と一緒の高さを飛んでいる吉法師に喜びを見せている様であった。真下の地上では皆が何やら慌ただしく動いている様子が見えるが、何かその姿と共に小さな出来事の様に思える。
「爽快だなー!」
その後地上で皆が凧の降ろし方に難儀する中、吉法師は飛龍との游飛行を楽しんでいた。




