過保護な風使いお姉さん
高層ビルの屋上。
夜風が静かに吹き抜ける。
深樹はフェンスへ軽く寄りかかりながら、夜景を眺めていた。
その隣で。
リゼがじーっとこちらを見ている。
「……なんだ」
「いや」
「絶対なんかある顔だろ」
「深樹、肉付きが良くなった?」
「会って最初にも似たようなこと言ってただろ」
「だって気になるし」
リゼは真面目な顔で近づいてくる。
そして。
勝手に深樹の頬を軽く掴んだ。
「ちょっ、やめろ」
「動かない」
「なんなんだ本当に」
「顔色確認」
完全に保護者だった。
リゼはじっと深樹の顔を見る。
「……んー」
「医者みたいな反応するな」
「前よりマシ。なんか平和ボケしてる顔」
「顔で判断するな」
「する」
即答。
深樹は呆れたように息を吐く。
リゼは離れる気配もなく、そのまま深樹を見ていた。
「ホントちゃんと寝てる?」
「寝てる」
「昨日は何時に寝たの?」
「……覚えてない」
「はいアウト」
「そういう時もある」
「ダメ」
即否定だった。
「寝ないとと集中力落ちるし、健康にも悪い――」
「母親か」
「昔から深樹放っておくと危ないんだもん」
リゼは少しむっとした顔をする。
「任務中も、“平気”とか言いながら普通に怪我隠すし」
「軽傷だった」
「肋骨折れてたでしょあの時」
「……覚えてたのか」
「忘れるわけない」
リゼはじとっと睨む。
「しかも隠したまま戦い続けるし」
「動けてたから問題ない」
「問題しかない」
正論だった。
深樹は小さく視線を逸らす。
すると。
リゼがまたため息を吐いた。
「ほんと昔から無茶ばっかり」
「悪かったな」
「でも」
リゼの声が少し柔らかくなる。
「今は前よりちゃんと帰ってきてくれるから安心してる」
夜風が吹く。
翠色の髪が揺れた。
「昔の深樹、“次が最後でもいい”みたいな戦い方してたし」
「……」
「だから怖かった」
静かな声だった。
深樹は何も返さない。
代わりに、夜景へ視線を向ける。
リゼはそんな深樹を見ながら、小さく笑った。
「でも今は違う」
「そうか?」
「うん」
リゼは嬉しそうに言う。
「ちゃんと“帰る場所”大事にしてる顔してる」
深樹は少しだけ困ったように眉を寄せた。
「そんなに顔に出てるのか」
「かなり」
「マジか……」
「紅音ちゃんのこと大事にしてるのも分かるし」
「……まぁ、妹だからな」
「ルナのことも信頼してる」
「長い付き合いだしな」
「あと、学園生活ちょっと楽しんでるでしょ」
「それは……まぁ」
否定しきれず、深樹は視線を逸らした。
すると。
リゼが少し楽しそうに笑う。
「よかった」
「何が」
「ちゃんと普通の学生っぽい時間過ごせてて」
その言葉に。
深樹は少しだけ目を細めた。
普通。
昔の自分には無縁だった言葉。
だが今は。
少しだけ、その意味が分かる気がしていた。
リゼはフェンスへ背中を預けながら空を見上げる。
「ねぇ深樹」
「なんだ」
「今日はちゃんと寝なよ?」
「急に締めみたいに言うな」
「大事なことだから」
リゼは真面目な顔で続ける。
「あと朝ご飯食べる」
「……善処する」
「それ信用できない返事」
「厳しいな」
「過保護なので」
リゼは少し得意げに笑った。
深樹は呆れながらも、小さく笑う。
こういうやり取りも。
昔は戦場の合間に少しだけ交わす程度だった。
だからこそ。
今みたいな時間が、どこか新鮮だった。
夜風が静かに吹き抜ける。
そして。
「さて」
リゼが身体を起こした。
「そろそろ帰ろっか」
「ああ」
「紅音ちゃん待ってるでしょ」
「確かに遅いと騒ぎそうだな」
「絶対騒ぐ」
リゼは楽しそうに笑う。
そして再び。
足元へ緑色の魔法陣が広がった。
風が優しく渦を巻く。
「落ちないでよ?」
「だから子供扱いするな」
「信用が無いので」
「酷いな……」
そんな軽口を交わしながら。
二人は静かな夜空へ飛び立った。
眼下には街の灯りが広がっている。
「そういえば」
リゼがふと思い出したように口を開く。
「ルナ、今どこいるの?」
「家」
「……は?」
風が一瞬だけ揺れた。
「おい危ない」
「いや待って?」
リゼが深樹を見る。
「家って、深樹の?」
「ああ」
「今?」
「今」
数秒の沈黙。
そして。
「……なんで?」
声がちょっと低かった。
「成り行きだ」
「絶対雑に説明した」
「紅音と一緒に飯食って、そのまま風呂入って、今は家でテレビ見てるはずだ」
「待って情報量多い」
リゼが真顔になる。
「風呂?」
「ああ」
「一緒に?」
「紅音が誘ってた」
リゼはしばらく固まっていた。
そして。
じわじわと頬を膨らませる。
「……へぇ」
「なんだその反応」
「別に」
「絶対別にじゃないだろ」
リゼは視線を逸らした。
「私、一回も家行ったことないんだけど」
「昔はそんな余裕なかっただろ」
「それはそうだけど!」
珍しく少し声が大きい。
「ルナだけ先に普通に馴染んでるのズルくない?」
「ズルいってなんだ」
「だってメイドポジション強いじゃん」
「そこ競うところなのか……?」
リゼは不満そうにむすっとする。
「しかも紅音ちゃんとも仲良くなってるし」
「普通に馴染んでたな」
「うぅ……」
本気で悔しそうだった。
深樹は思わず小さく笑う。
「なんでお前がそんな反応なんだよ」
「するでしょ普通」
「いや分からん」
「分かってないの深樹だけだからね?」
リゼはじとっと睨む。
だが。
どこか拗ねたようなその表情は、戦闘時の鋭い雰囲気とは全然違っていた。
「私だって」
リゼが小さく呟く。
「普通に家でのんびりしたりしたかったし……」
「……」
「ご飯食べたり、テレビ見たり、そういうの」
少しだけ寂しそうな声だった。
深樹は静かに前を見る。
確かに。
昔はそんな時間なんてなかった。
召喚存在たちと過ごす時間は、基本的に戦場か任務中。
だからこそ。
今みたいな“普通”は新鮮だった。
「……じゃあ来るか?」
「へ?」
リゼがきょとんとする。
「今から」
「……え?」
「どうせ家戻るし」
深樹は当たり前みたいに言った。
「お前も来ればいいだろ」
その瞬間。
リゼの動きが止まる。
「……いいの?」
「なんでそんな驚くんだ」
「いやだって深樹、自分の家に他人入れるタイプじゃなかったし……」
「お前らは他人じゃないだろ」
自然に出た言葉だった。
リゼが目を丸くする。
そして。
数秒後。
「行く」
即答だった。
「めちゃくちゃ行く」
「食い気味だな」
「当たり前でしょ!」
リゼの顔が一気に明るくなる。
「え、待って、どうしよ」
「どうもしなくていいだろ」
「いや準備いる!」
「家行くだけだぞ?」
「深樹の家だよ!?」
なぜか重大イベント扱いだった。
リゼは落ち着かない様子で髪を整え始める。
「変じゃない?」
「何が」
「服とか」
「普通だろ」
「ほんと?」
「なんでそんな緊張してるんだ……」
深樹が呆れたように言う。
だが。
リゼ本人はかなり真剣だった。
「だって初めてだし……」
「別にそんな構えなくていい」
「うぅ……」
それでも嬉しさは隠しきれていなかった。
風魔法の流れまで少し軽くなっている気がする。
「紅音ちゃんいるよね」
「いる」
「ルナもいる」
「ああ」
「……負けない」
「何と戦う気だお前」
深樹は思わず笑う。
リゼは少しむっとした顔をした後。
すぐに嬉しそうに笑った。
「じゃあ急ご!」
次の瞬間。
緑色の魔法陣が強く輝く。
風が一気に加速した。
「おい速――」
「早く帰りたい!」
リゼは完全にテンションが上がっていた。
夜空を駆け抜けながら。
その表情は、昔の戦場では見せなかったくらい楽しそうだった。




