ルナと3人での食事
「いただきます」
三人で手を合わせる。
テーブルには既に夕食が並んでいた。
白米。
味噌汁。
焼き魚。
肉じゃが。
どこにでもある普通の家庭料理。
だけど、その光景はどこか懐かしかった。
「こうして三人で食べるの久しぶりだね」
紅音が少し嬉しそうに笑う。
「ああ」
深樹は短く返す。
ルナも静かに席へ座っていた。
「以前はよくお呼びいただいておりましたので」
「昔は全然帰ってこなかったから、ルナと2人で食べる事が多かったもんね~」
「……まぁな」
昔を思い出すように、深樹は味噌汁へ視線を落とした。
学園へ入る前。
深樹はほとんど家にいなかった。
ダンジョン。
討伐任務。
危険区域。
表には出ない依頼ばかりを繰り返していた。
数日帰らないことも珍しくない。
紅音が寝た後に帰り、起きる前にまた出る。
そんな生活だった。
「当時の深樹様は、今以上に無茶をされていましたから」
ルナが静かに言う。
「私が止めても聞かなかったもん」
「はい。全く」
「そこは否定してほしかった」
紅音が少し困ったように笑う。
「でもほんと心配だったんだよ?」
「……悪かった」
深樹が珍しく素直に返す。
紅音が少し目を丸くした。
「珍しく謝った?」
「なんだその反応」
「いや、お兄ちゃん素直になることあるんだなって」
「失礼だな」
ルナが小さく微笑む。
「ですが、学園へ入ってからはかなり変わられたと思います」
「そうか?」
「はい」
ルナは静かに頷く。
「以前は“生き残ること”しか考えておられませんでしたので」
その言葉に、少しだけ空気が静かになった。
深樹は箸を止める。
否定はしなかった。
昔は本当にそうだった。
次の日を迎えられる保証なんてどこにもなくて。
だから必要以上のものを持たなかった。
人付き合いも。
感情も。
全部、生き残るために切り捨てていた。
「でも今は違うよ」
紅音が優しく言う。
「ちゃんと学校行ってるし、前よりちゃんと笑うようになったもん」
「そうか?」
「うん」
紅音は迷いなく頷いた。
「昔のお兄ちゃん、もっと怖かった」
「おい」
「今は普通に話してくれるし」
「それ普通か?」
「普通だよ」
紅音が笑う。
ルナも静かに頷いていた。
「今の深樹様の方が、私は好きです」
「さらっと酷いこと言うな……」
「本音ですので」
即答だった。
深樹は小さくため息を吐く。
だが、不思議と嫌な気分ではなかった。
騒がしくて。
落ち着かなくて。
昔の自分なら避けていた空気。
それでも。
こういう時間も悪くないと思い始めている。
そんな自分が少しだけ可笑しかった。
静かな時間が流れる。
食事も終わりに近づき、紅音は湯呑みを両手で持ちながら小さく息を吐いた。
「なんか落ち着くね、この感じ」
「そうですね」
ルナも静かに頷く。
深樹は椅子へ軽く背を預けていた。
こうして何気ない時間を過ごすこと自体、昔はほとんど無かった。
すると。
ルナがふと視線を深樹へ向ける。
「そういえば」
「なんだ」
「最近は他の皆様をお呼びにならないのですね」
紅音が反応する。
「あ」
懐かしそうな声だった。
「確かに最近見てないかも」
「学園入ってから一回も呼んでないな」
深樹が淡々と言う。
ルナは小さく首を傾げた。
「そうですよね。以前は任務の度に召喚されていたので」
「必要だったからな」
昔の深樹は、ほぼ常に召喚存在と共に戦っていた。
ルナだけじゃない。
前衛特化。
索敵型。
防御特化。
長距離殲滅型。
危険区域へ潜るため、役割ごとに契約召喚を使い分けていた。
「そういえばいたねぇ……」
紅音が少し懐かしそうに笑う。
「大剣使ってた人とか」
「ガルドですね」
「あーそれ!」
ルナが静かに補足する。
「近接制圧型の召喚存在です。深樹様が単独任務を行う際、前衛を担当しておりました」
「担当っていうか、ほぼ突撃役だったけどな」
「戦い方が豪快でしたよね」
「家の壁壊しかけたこともあった」
「あったあった!」
紅音が吹き出す。
「お兄ちゃんめちゃくちゃ怒ってたよね」
「任務報酬が修理代で消えたからな……」
思い出したのか、深樹が小さく眉をひそめる。
ルナが小さく笑った。
「ですが、皆様かなり個性的でした」
「確かに」
紅音が頷く。
「静かな人もいたよね?」
「エルフィですね」
「いつも本読んでた!」
「あいつは戦闘より研究の方が好きだったからな」
魔導解析型召喚存在――エルフィ。
戦闘能力自体は高いが、本人は魔法研究ばかりしていた。
危険区域の構造解析や術式解読を担当していた存在だ。
「懐かしいですね」
ルナが優しく呟く。
「昔は皆様でよく行動しておりました」
その言葉に、深樹は少しだけ目を伏せた。
危険区域。
高難度討伐。
生還率の低い任務。
普通なら単独では不可能な場所。
だからこそ、召喚存在たちと共に戦っていた。
「……まぁ、あの頃は必要だった」
静かな声だった。
紅音が少しだけ表情を和らげる。
「でも今は違うんでしょ?」
「少なくとも、昔ほど殺伐とはしてないな」
「良い変化かと」
ルナが言う。
「今の深樹様には、“帰る場所”がありますので」
その言葉に、深樹は少し黙った。
昔はなかった。
帰る場所を意識する余裕なんて。
生き延びることだけで精一杯だったから。
「……重い話になってきたな」
深樹が空気を変えるように言う。
「お兄ちゃんが珍しく真面目だからだよ」
「失礼だな」
「事実です」
ルナまで乗ってきた。
紅音が小さく笑う。
その笑い声を聞きながら。
深樹はふと、昔よりずっと静かな時間を生きていることを実感していた。
紅音が湯呑みを両手で持ちながら笑う。
「でも、みんな元気なの?」
「はい」
ルナが静かに頷いた。
「変わらず騒がしい方もおりますが」
「ガルドだろ」
「正解です」
即答だった。
深樹は小さくため息を吐く。
容易に想像できる。
「“最近呼ばれねぇ!”と毎日のように騒いでおります」
「うるさそう……」
紅音が苦笑する。
「実際うるさい」
「この前など、“俺を学園へ行かせろ”と」
「絶対ダメだろ」
深樹が即答した。
「あいつ来たら問題しか起きない」
「本人は“学生生活を満喫する”と言っておりました」
「その時点で不安しかない」
紅音が吹き出した。
ルナも小さく笑っている。
「エルフィ様も気にされていました」
「あいつもか」
「はい。“学園の蔵書に興味がある”と」
「そっちも別方向で危険だな……」
魔法研究に没頭すると周囲が見えなくなるタイプだ。
学園の研究設備など見せたら何をするか分からない。
「あとリゼ様も」
その名前が出た瞬間。
深樹が少し嫌そうな顔をした。
「……あいつ絶対面倒だろ」
「“深樹が他人と学校生活?”と驚いておられました」
「想像できる」
リゼ。
高速戦闘特化の召喚存在。
実力は高く、とにかく面倒見が良すぎる。
昔から必要以上に深樹へ干渉してくるタイプだった。
「“友達は出来たのか”とも」
「放っとけ」
「あと、“ちゃんとご飯食べてるのか”とも」
「保護者かあいつは」
紅音が楽しそうに笑う。
「なんかみんな、お兄ちゃんのこと気にしてるんだね」
「昔が昔ですので」
ルナが静かに言う。
「深樹様、放っておくと危険区域へ単独突入されますから」
「今はやってないだろ」
「最近は、です」
つまり前はやっていた。
紅音がじとっとした目を向ける。
「やっぱり危ないことしてたんじゃん」
「必要だった」
「その“必要だった”が怖いんだって……」
深樹は軽く視線を逸らす。
否定はできない。
昔の自分は、本当に無茶ばかりしていた。
「皆様、安心されているのだと思います」
ルナが静かに続けた。
「今の深樹様は、以前よりずっと穏やかですので」
「……そうか?」
「はい」
ルナは迷いなく頷いた。
「以前は、“自分が壊れること”に無頓着でした」
静かな言葉だった。
紅音も少し表情を落ち着かせる。
深樹は何も言わなかった。
言い返せなかった。
昔の自分なら。
本当に、そうだったから。
すると。
ルナが少しだけ柔らかく微笑む。
「ですので皆様、“今度は普通に会いたい”と仰っております」
「普通に?」
「はい。任務ではなく」
その言葉に、深樹は少しだけ目を細めた。
戦場じゃなく。
命懸けでもなく。
ただ会うためだけに呼ぶ。
昔なら考えなかった発想だった。
「……考えとく」
短い返事。
だけど。
ルナは少し嬉しそうに微笑んでいた。
そのまま、穏やかな空気が流れる。
紅音は食器を片付けながら、小さく笑った。
「でもちょっと見てみたいかも」
「何をだ?」
「お兄ちゃんが昔みたいに召喚して戦ってるところ」
その言葉に。
一瞬だけ、空気が静かになる。
深樹は少し視線を落とした。
ルナも何も言わない。
紅音もすぐに、その理由へ気づいたらしい。
「あ……ごめん」
「別に謝ることじゃない」
深樹は静かに言う。
だが。
その声は少しだけ低かった。
最後に召喚存在たちと共に任務へ出た日。
それは――学園へ入る直前の任務だった。
危険区域指定。
高位魔獣討伐。
本来なら複数の探索者部隊で対応するはずだった案件。
けれど。
結果として、深樹たちだけが最後まで残った。
黒く崩れた大地。
焼けた空気。
血の匂い。
そして。
召喚存在たちが、深樹へ向けた最後の言葉。
『――今度は、ちゃんと全員で生きて帰れ』
不意に、昔の声が脳裏を過った。
深樹は小さく目を閉じる。
あの任務以来。
自分はほとんど誰も呼ばなくなった。
「……お兄ちゃん?」
紅音の声で、意識が戻る。
深樹は小さく息を吐いた。
「なんでもない」
そう言って、椅子から立ち上がる。
窓の外には静かな夜景が広がっていた。
平和な街。
穏やかな時間。
昔の自分なら、きっと手に入らなかったもの。
その景色を見ながら。
深樹は静かに思う。
――あの日の続きを、いつか話す時が来るのかもしれない。
そんな予感だけを残して。




