『放課後の出来事』
「お呼びですか、深樹様」
静かな声。
少女は慣れた動作で一礼する。
「久しぶりだな、ルナ」
「はい」
ルナ。
深樹が契約する召喚存在の一人。
闇魔法を扱う特殊個体。
だが本人は至って穏やかで、人間とほとんど変わらない。
「学園生活には慣れましたか?」
「慣れたくなかった」
「ふふっ」
ルナが小さく笑う。
「ですが、以前より楽しそうです」
「気のせいだろ」
「そうでしょうか?」
見透かしたような目だった。
紅音とは別方向で鋭い。
「それで、今日は何を?」
「帰り道に手伝って欲しい事がある」
「尾行の気配ですね?」
「気づいてたか」
「もちろんです」
ルナが静かに頷く。
「かなり未熟ですが」
「同感」
深樹は席を立つ。
ルナも自然に後ろへ続いた。
まるで最初からそこにいたかのように。
「目立つなよ」
「善処します」
「その返答、不安なんだよな……」
小さくため息を吐きながら、深樹は教室を後にした。
夕陽が街を赤く染めていた。
中央探索学園から少し離れた帰り道。
住宅街を抜けた先にある細い路地。
人通りは少ない。
深樹はポケットへ手を入れたまま歩いていた。
その少し後ろを、ルナが静かについてくる。
「……まだついてきてるな」
深樹が小さく呟く。
「はい。尾行というにはかなり雑ですが」
ルナが淡々と返した。
「敵意は無さそうですね」
「だろうな」
だから放置していた。
もし敵意があるなら、とっくに撒いている。
だが。
そろそろ面倒だった。
「この辺でいいか」
人気のない細道へ入る。
古い街灯。
夕方の静かな空気。
そこで深樹は足を止めた。
ルナも自然に立ち止まる。
数秒後。
「……で?」
深樹が振り返る。
「いつまでコソコソしてるつもりだ?」
一瞬、沈黙。
次の瞬間。
「うわ、やっぱバレてた!?」
電柱の陰から、銀髪の少女が勢いよく飛び出してきた。
短い銀髪。
赤い瞳。
少し着崩した制服。
そしてやたらテンションが高い。
「いやー、結構自信あったんだけどなぁ!」
「全然隠れられてなかったぞ」
「マジで?」
「マジで」
「ショック……」
言いながらも全然落ち込んでいない。
むしろ楽しそうだった。
「えっと、確か……」
「霧島雪那!」
ビシッと自分を指差す。
「同じクラス! 忘れたとは言わせないからね!」
「いや、覚えてる」
「今ちょっと怪しかった!」
勘が鋭い。
クラスでも目立つタイプだから印象は強い。
休み時間も常に誰かと話しているようなやつだ。
「で?」
深樹がため息混じりに言う。
「なんで尾行してた」
「いやぁ、気になって」
「何が」
「全部!」
即答だった。
雪那がぐいっと距離を詰めてくる。
「模擬戦の時から思ってたけどさ、絶対変でしょあんた!」
「失礼だな」
「だって落ちこぼれっぽくないもん!」
「っぽくってなんだ」
「なんていうか……余裕ある?」
雪那が首を傾げる。
「みんなオーガで焦ってたのに、深樹だけ冷静すぎたし」
「気のせいだ」
「それみんなに言ってるでしょ」
鋭い。
「しかも今日の授業!」
雪那がさらにテンションを上げる。
「あの授業の回答、めちゃくちゃ実戦的だったじゃん!」
「普通だろ」
「普通じゃないって!」
やたら食いついてくる。
ルナが静かに深樹へ視線を向けて耳打ちした。
「深樹様、随分賑やかな方ですね」
「俺も今そう思ってる」
「え、誰その美人!?」
ようやくルナへ気づいたらしい。
遅い。
「ルナです」
ルナがスカートの裾を軽く摘み、一礼する。
「深樹様に仕えております」
「え、メイドさん!?」
雪那の目が一気に輝いた。
「なんで!? なんで学校帰りにメイドいるの!?」
「色々あるんだよ」
「絶対その“色々”で済むやつじゃないよね!?」
正論だった。
だが説明する気はない。
「いやでもさ!」
雪那がニヤッと笑う。
「ちょっと安心したかも」
「何が」
「ちゃんと秘密あるタイプだった」
「嬉しそうに言うな」
「そりゃ楽しいし!」
本当に遠慮がない。
だが、不思議と嫌な感じはしなかった。
「で、結局なにがしたいんだ」
「んー?」
雪那が少し考える。
そして。
「深樹の“本気”、見てみたい」
真っ直ぐな目だった。
「絶対、まだ隠してるでしょ?」
夕陽が銀髪を赤く照らす。
騒がしい。
距離も近い。
だが、その目だけは妙に真剣だった。
深樹は小さく息を吐く。
「……買い被りだ」
「またそれ言った!」
雪那が即座にツッコむ。
「もうその台詞聞き飽きたんだけど!」
「便利だからな」
「認めた!?」
雪那が大げさに肩を落とす。
本当に感情表現が忙しい。
深樹は小さくため息を吐いた。
「で、満足したなら帰れ」
「えー、まだ全然足りないんだけど」
「俺は足りてる」
「冷たっ!」
雪那が不満そうに頬を膨らませる。
だが、その視線はやはり鋭かった。
「でもさぁ」
雪那が少しだけ声のトーンを落とす。
「深樹って、“戦う人の目”してるよね」
一瞬だけ空気が止まった。
ルナの視線が細くなる。
だが雪那は気づかず続けた。
「うまく言えないけど、普通の学生とは違う感じ」
「考えすぎだ」
「そうかなぁ?」
雪那は納得していない顔だった。
このままでは面倒になる。
深樹は小さく息を吐き、ちらりとルナを見る。
ルナは静かに頷いた。
「ルナ」
「はい」
次の瞬間。
ルナの足元から、黒い魔力が静かに広がった。
夕暮れの影へ溶け込むような闇。
雪那が目を瞬かせる。
「……え?」
空気が揺れる。
視界の端がぼやける。
ルナが静かな声で呟いた。
「《シャドウ・ミスト》」
ふわり、と薄い黒霧が舞う。
視界を遮るほどではない。
だが――認識へ干渉する闇魔法。
「ちょ、なにこれ……?」
雪那が眉をひそめる。
その瞬間。
ルナの紫色の瞳が淡く輝いた。
「《メモリー・フェード》」
静かな詠唱。
黒霧が雪那の周囲を優しく包む。
「……ぁ……」
雪那の意識がわずかに揺れる。
“ここへ来た理由”。
“誰を追っていたか”。
“何を話していたか”。
その輪郭だけが、ゆっくり薄れていく。
強引な記憶改竄ではない。
ただ、“気のせいだった”程度に認識をぼかすだけ。
数秒後。
霧が静かに晴れる。
そこには誰もいなかった。
「…………あれ?」
雪那が小さく瞬きをする。
気づけば、自分は人気のない路地に立っていた。
「なんでこんな所いるんだっけ……」
少し考える。
だが答えは出ない。
「……まあいっか」
深く気にする性格ではなかった。
雪那は軽く伸びをすると、そのまま帰り道へ歩き出す。
夕陽が銀髪を赤く照らしていた。
一方その頃。
少し離れた建物の屋上。
深樹はフェンスへ軽く寄りかかりながら、街を見下ろしていた。
その隣にはルナが静かに立っている。
遠く。
小さくなっていく雪那の姿が見えた。
「……ほんとに気にしてないみたいですね」
深樹が呟く。
「表面上は、ですが」
ルナが静かに答える。
「完全には消しておりませんので。違和感くらいは残るかと」
「十分だろ」
深樹は小さく息を吐いた。
雪那は途中で何かを思い出しかけたように足を止め――だが結局、首を傾げながら再び歩き出す。
その姿を見て、ルナが小さく微笑んだ。
「面白い方ですね」
「騒がしいだけだ」
「ですが、深樹様は嫌っていないように見えます」
「……気のせいだ」
「そうでしょうか?」
またそれだ。
見透かしたような目。
深樹は誤魔化すように空を見上げる。
夕焼けが少しずつ夜へ変わり始めていた。
「また接触してくると思います」
「面倒だな……」
そう言いながらも。
深樹の表情は、どこか少しだけ柔らかかった。
夕焼けが、ゆっくり夜へ変わっていく。
街の灯りが一つずつ点き始めていた。
「帰るか」
深樹がフェンスから背を離す。
「はい」
ルナも静かに頷いた。
二人は屋上から降り、人通りの少ない裏道を歩いていく。
夜風が少し冷たい。
ルナのロングスカートが静かに揺れていた。
「しかし」
ルナが隣を歩きながら口を開く。
「あの霧島雪那という方。かなり積極的ですね」
「距離感がおかしいだけだろ」
「深樹様が警戒を完全に解いていない相手へ、あそこまで近づくのは珍しいかと」
「……別に許した覚えはない」
「ですが、排除もしませんでした」
深樹は少しだけ眉をひそめる。
言い返せない。
「面倒事になりそうだ」
「楽しそうでしたよ」
「どこが」
「先程の深樹様です」
ルナが小さく笑う。
深樹はため息を吐いた。
「お前、最近よく笑うようになったな」
「深樹様の影響かもしれません」
「嫌な予感しかしない」
「ふふっ」
本当に笑った。
昔なら考えられない。
そんなことを思いながら、深樹は夜道を歩く。
やがて住宅街へ入る。
周囲には落ち着いた家々が並び、窓から暖かな灯りが漏れていた。
その一角。
少し大きめの二階建て住宅の前で、深樹は足を止める。
「着いた」
「本日もお疲れ様でした」
ルナが静かに頭を下げる。
深樹は玄関扉へ手をかけ――そこで止まった。
「ルナ」
「はい」
「今日はそのままいていい」
ほんの少しだけ、ルナの目が丸くなる。
「珍しいですね」
「たまには紅音にも合わせてやらないとな」
「お優しいこと」
「うるさい」
すると。
ガチャッ。
突然、玄関扉が開いた。
「お兄ちゃん遅――」
視線は深樹の隣へ。
そして。
そこまで言って、紅音の目が大きく開く。
「……あ!」
次の瞬間。
「ルナ!!」
ぱぁっと表情が明るくなる。
紅音はそのまま勢いよく駆け寄った。
「久しぶり! いつぶり!?」
「お久しぶりです、紅音様」
ルナが柔らかく微笑む。
「最後にお会いしたのは半年前ほどでしょうか」
「そんなに経ってた!?」
紅音は嬉しそうに目を輝かせる。
「相変わらず綺麗……メイド服も似合ってるし……」
「ありがとうございます」
深樹はその様子を見ながら小さく息を吐いた。
「馴染むの早いな」
「だってルナだもん」
当然のように言う紅音。
「今日は泊まるの?」
「その予定です」
「やった!」
完全に歓迎ムードだった。
深樹は少しだけ肩の力を抜く。
さっきまでの面倒な空気とは違う。
この空気は、嫌いじゃなかった。




