ホームルーム①
深樹は教室の前で足を止めた。
扉の向こうからは賑やかな声が聞こえてくる。
誰かが笑い。
誰かが机を囲んで話している。
朝の教室独特の空気だった。
深樹は小さく息を吐く。
そして扉を開けた。
「おっ」
「おはよー」
「おはよう」
何人かのクラスメイトが挨拶してくる。
深樹も軽く返し、自分の席へ向かった。
窓際。
朝日が差し込む席。
椅子に腰掛ける。
「……ふぅ」
少しだけ落ち着く。
すると。
ガラッ。
教室の空気が一瞬止まった。
誰かが入ってきた。
「はい、おはよー」
気の抜けた声だった。
教卓の前に立ったのは、一人の女性。
長い黒髪を後ろでまとめ、ラフに白衣を羽織っている。
見た目は若い。
だが空気はどこか違った。
適当に立っているように見えるのに。
なぜか目が離せない。
「……誰?」
「知らねぇ」
教室がざわつく。
女性は気にした様子もなく黒板へ名前を書く。
――神崎 千夏
そしてチョークを置いた。
「今日から君達のクラス担任になる」
一拍置いて。
「主に座学・魔力理論・戦術基礎担当をする、神崎千夏」
「……よろしく」
静かだった。
数秒。
教室が固まる。
「短っ!?」
クラスメイトの1人が思わず叫んだ。
その瞬間。
教室が笑いに包まれた。
神崎は少しだけ目を細める。
「長い方がよかった?」
「いや……そういう問題じゃ……」
「あと補足」
神崎は気の抜けた声で続ける。
「実技は専門外」
「現場経験はあるけど、基本は頭使う方担当」
「だから寝るならバレないように寝てね」
一瞬。
「いや怒ってくださいよ!」
教室から総ツッコミが飛ぶ。
神崎は少しだけ首を傾げる。
「寝るなら上手く寝ないと」
「そういう問題じゃありません」
声を上げたのは、一人の女子生徒だった。
黒髪。
肩まで揃えた真っ直ぐな髪。
姿勢も綺麗。
机の上も綺麗。
いかにも真面目そうだった。
「……神崎教官」
立ち上がっていた。
口調も姿勢も真面目そのもの。
「教官としてその発言は適切ではないと思います」
一瞬静かになる。
だが神崎は少し目を丸くしただけだった。
「……おお、真面目だね」
「感心してる場合ではありません」
即答だった。
教室のあちこちから笑い声が漏れる。
神崎はその女子生徒を見る。
「学級委員っぽい」
「……クラス委員長の白鳥優奈です」
立ったまま綺麗に頭を下げる。
かなり真面目だった。
「やっぱり、そうか」
神崎が頷く。
「じゃ委員長」
「はい」
すると神崎はチョークを指先で回しながら言う。
「代わりに一個だけ」
教室が少し静かになる。
「委員長や君達、自分の能力をどこまで理解してる?」
空気が少し変わった。
「魔力が高ければ強い?」
「珍しい能力なら勝てる?」
「才能があれば問題ない?」
神崎は黒板へ適当に書いていく。
そして振り返る。
「違う」
一言だった。
「能力なんて使う人間次第」
さっきまでの気の抜けた雰囲気が少し消える。
「強い力を持ってても負けるやつは負ける」
「逆もある」
静かだった。
そして。
「じゃ」
「どう思う?」
優奈は少し考える。
そして真っ直ぐ前を見た。
「私は……能力も才能も大事だと思います」
教室が少し静かになる。
「ですが、それ以上に努力と自己理解が必要だと考えます」
「能力だけでは勝てません」
「自分を理解し、磨くことが大切です」
真面目な答えだった。
数秒。
沈黙。
そして。
「……うん」
神崎は頷いた。
「百点」
一瞬。
教室が少しざわつく。
しかし神崎はそのまま続けた。
「今の答え、座学ならかなり重要」
チョークを持ち、黒板へ大きく二つ書く。
――能力
――理解
「例えば魔力量が多い人間がいたとする」
「でも出力制御が下手なら?」
教室が静かになる。
「威力だけ高い魔法は扱いづらい」
「隙も大きい」
「味方を巻き込む可能性もある」
神崎は振り返る。
「逆に魔力量が少なくても、自分の能力範囲を理解してる人間は強い」
「戦術理論っていうのは、その差を埋めるためにある」
さっきまでの気の抜けた雰囲気が少しだけ消えていた。
「敵との距離」
「地形」
「魔力消費」
「味方との連携」
「戦いって案外、力押しじゃない」
教室は静かだった。
誰も茶化さない。
神崎は優奈を見た。
「だから委員長の答えは正解」
「能力を理解すること」
「それ、強くなる第一歩だから」
一瞬。
優奈が少しだけ目を丸くした。
「……ありがとうございます」
さっきより少しだけ声が柔らかかった。
そして神崎はまた、いつもの気の抜けた顔に戻る。
「よし」
「今日の授業終わり」
一瞬。
「まだホームルームです!」
優奈が即座にツッコむ。
教室が笑いに包まれた。
深樹は窓際からその光景を見ながら、小さく息を吐く。
(……変な人だけど)
(ちゃんと教官なんだな)
そんなことを思った、その時だった。
「……あ」
神崎が何かを思い出したように声を出した。
「委員長」
「はい」
「案内よろしく」
「……何のですか」
「転入生」
数秒。
優奈が止まる。
「……はい?」
一瞬。
教室全体が静かになった。
「転入生?」
「今!?」
ざわっ――。
空気が一気に変わる。
優奈はゆっくり神崎へ向き直る。
「……神崎教官」
「ん?」
「その話は初耳です」
「誰からも聞いてなかったのか?」
「聞いておりません」
真顔だった。
でも少しだけ額を押さえていた。
そして神崎は何事もないように教室の扉へ視線を向ける。
「じゃ、入っていいよ」
ガラッ――
扉がゆっくり開いた――。




