雨席(あませき)
AIに設定を読み込ませて執筆された、ホラーショートストーリーです。
ホラーショートストーリーAI朗読Youtubeチャンネルもあります。
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一、路肩の席
雨の日だけ、山の道は広くなる。
視界が削られるせいか、車線の白線とガードレールだけが近く見える。ほかのものはみんな、灰色の水に沈む。私は副業で即配アプリの配達をしていて、その日も本業の帰りに、山沿いの町へ弁当と日用品を運んでいた。
国道は事故で渋滞していた。カーナビは新しいバイパスを示していたが、地元の軽トラックが何台も旧道へ流れていく。私はそれに続いた。湧谷峠の旧道。地図にはまだ細い灰色の線で残っているが、スマホの電波は途中から弱くなる。
雨はフロントガラスを叩き続けていた。ワイパーが左右に動くたび、黒い杉林が一瞬だけ輪郭を取り戻す。助手席にはコンビニの袋。中身はおにぎり二つ、温かいペットボトルのお茶、子供向けの小さなゼリーだった。
配達先は「湧谷旧道・休憩所前」。
受取人の名前は表示されていない。備考欄には、置き配希望、とだけあった。休憩所などあっただろうか。そう思いながら坂を上ると、道路の右側、ガードレールの切れ目にそれが見えた。
白い折りたたみテーブル。
その両側に、濡れたアウトドア用の椅子が二脚。向かい側には、子供用の黄色い小さな椅子が一脚。背もたれに透明なレインコートが掛けてあり、座面にはウサギのぬいぐるみが置かれていた。
テーブルの上には何もない。
雨の旧道に、そこだけ誰かの昼食の跡みたいな空間がある。民家は見えない。街灯もない。スマホは圏外になりかけ、配達アプリだけが奇妙に滑らかに動いていた。
私は車をガードレールの手前に寄せた。ハザードランプの橙色が、濡れたテーブルに薄く映る。
近づくつもりはなかった。だがアプリには「指定場所に置いてください」と出ている。キャンセルを押しても、読み込み中の輪だけが回った。私は傘を差し、袋を胸に抱えて外へ出た。
足元の泥はやわらかい。自分の靴跡だけが、浅く残る。テーブルの周囲には、椅子の脚の丸い跡が四つずつあるのに、人の足跡は一つもなかった。
袋を置くと、温かいお茶の重みでビニールがわずかに沈んだ。
置き配写真を撮る。画面には、テーブルと袋と三つの椅子が写った。その奥の杉林は黒暗い。私はすぐ車に戻り、ドアを閉めた。
その瞬間、アプリが鳴る。
配達完了。
圏外のはずの画面に、評価欄が開いていた。星は五つ。コメントが一行。
「席を濡らさないでくれて、ありがとうございます」
二、配達完了
翌日は晴れていた。
本業で同じ方面へ行く用事があり、私は昼前に湧谷峠の旧道を通った。前日の場所には、何もなかった。ガードレールの切れ目、杉林へ入る細い踏み跡、崩れかけた石碑。それだけ。
石碑には「雨待」と彫られているように見えた。苔で字の下半分が隠れていて、本当にそう読めるのかは分からない。テーブルも椅子もない。もちろんコンビニの袋もなかった。
私は車内でドラレコの映像を確認した。前日の雨の映像には、確かにテーブルが映っている。黄色い椅子も、ぬいぐるみも、ハザードの光も。その場に置いた袋まで見える。
けれど、私が画面の端に出たはずの瞬間だけ、ノイズで白く滲んでいた。
その夜、配達アプリから通知が来た。
「前回と同じお客様から指名依頼があります」
報酬は通常の三倍だった。配達先は同じ。湧谷旧道・休憩所前。注文内容もほとんど同じだったが、一つだけ増えている。紙皿が四枚。
私は受けなかった。指名依頼は数分で消えた。
それから三日ほど、雨は降らなかった。晴れている間、あの道はただの抜け道だった。なのに雨雲が戻った夕方、仕事帰りに立ち寄ったコンビニで、私は前と同じ注文を見つけた。
おにぎり二つ。温かいお茶。小さなゼリー。紙皿四枚。
レジの女性が商品を袋に入れながら、私のスマホ画面をちらりと見た。五十代くらいの人で、名札には「瀬川」とある。
「ああ、湧谷の上ですか」
私は顔を上げた。
「知ってるんですか」
「雨の日だけ出るんでしょう。あそこ、昔からそうですよ」
軽い口調だった。だが、袋の持ち手を結ぶ指先だけが止まっている。
「座らなければいいんです。写真も、できれば撮らないほうがいい。最近は仕事で撮らされるから、困りますよね」
「何なんですか、あれ」
瀬川さんは答えなかった。レジ横のLED照明が、彼女の頬だけを白く照らしている。
「椅子の数を見ないこと。足りないと思っても、絶対に足さないこと。あとは、呼ばれても振り返らないことです」
「呼ばれるんですか」
「雨音が、人の声に聞こえるときがありますから」
私はその注文をキャンセルした。だが、店を出た直後、スマホが震えた。
配達中の商品があります。
画面には、さっきレジ袋へ入れられた商品一覧が出ている。車へ戻ると、助手席に白いコンビニ袋が置かれていた。袋の持ち手は濡れており、レシートには私の名前が印字されている。
三、座ってはいけない
私は警察に届けることも考えた。
けれど、説明できることが少なすぎる。注文が勝手に入った。袋が車にあった。山の旧道に、雨の日だけ椅子とテーブルが出る。そう話したところで、怪しいのは私のほうだ。
結局、私は湧谷峠へ向かった。
配達を終わらせれば通知は消える。そう思った。自分でも情けない理屈だが、スマホ画面に「未配達」の赤い文字が残り続けることに耐えられなかった。
雨は前より強かった。旧道に入ると、カーナビは道のない斜面を走っているように表示した。スマホは圏外。だが配達アプリの矢印だけが、目的地までの距離を正確に減らしていく。
五百メートル。
三百メートル。
五十メートル。
ガードレールの切れ目に、白いテーブルがあった。
椅子は四脚に増えている。黄色い小さな椅子。大人用の折りたたみ椅子が二脚。そして道路側に向いた、濡れた黒い椅子が一脚。そこだけ新しい。座面に雨が溜まっていない。今まで誰かが座っていたみたいに、布地が深くへこんでいる。
私は車から降りなかった。
窓を少しだけ開け、助手席の袋を掴もうとした。しかし、指は空を掴む。白いテーブルの中央に、さっきまで助手席にあったコンビニ袋が乗っていたからだ。ビニールは雨に濡れているのに、中の紙皿だけが乾いている。温かいお茶のラベルは剥がれ、無地の透明な筒になっていた。
アプリが鳴る。
「商品を指定場所に置いてください」
機械音声ではない。女の声でも男の声でもない。雨粒が小さな口をいくつも作り、その全部で同じ文を言ったような声だった。
私は耳を押さえた。すると助手席の袋が、がさりと動く。
中からレシートが滑り落ちた。
会計一覧の下に、知らない備考が印字されている。
「配達員様もお席へどうぞ」
その文字を見たとき、初めて私は理解した。これは食べ物を届ける注文ではない。椅子を埋めるための注文だ。雨の日にだけ現れる席があり、誰かがそこへ来る。足りない椅子を、道路から一人ずつ拾っている。
私は車を急発進させた。
ハンドルを切ると、タイヤが泥を噛んで滑る。バックミラーには、テーブルが映っていた。白い天板。黄色い椅子。黒い椅子。そして、道路側に向いた空席。
そこに、私の白いコンビニ袋だけが残っている。
いや、違う。
ドラレコの小さな画面には、黒い椅子の背もたれに、私のレインジャケットが掛かっていた。
四、四脚目
家に帰ってから、私は配達アプリを削除した。
削除確認のボタンを押すと、画面が一瞬だけ暗くなる。そこに自分の顔が映った。目の下に雨の線が残っている。車から降りていないのに、髪も肩も濡れていた。
シャワーを浴び、服を洗濯機に入れた。レインジャケットは玄関にない。車の後部座席にもない。湧谷に置いてきたということになる。ドラレコの映像を見直す勇気は出なかった。
その夜、雨は町まで下りてきた。
窓を閉めていても、雨音が近い。私は布団に入ったまま、スマホの電源を切った。切ったはずだった。
午前二時十三分。
枕元で通知音がした。
画面には、削除したはずの配達アプリのアイコンがある。赤い丸の数字は一。私は触らないつもりだった。だが、通知の文面が勝手に開いた。
「忘れ物があります」
配達先は、私の自宅住所だった。
備考欄には、こう書かれている。
「玄関前のテーブルに置いてください」
私は起き上がれなかった。部屋の外、集合住宅の廊下に雨は入らない。屋根がある。床は乾いているはずだ。
それなのに玄関の向こうから、ぽた、ぽた、と水が落ちる音がした。
ドアスコープを覗く。廊下のLED灯が白く点いていた。向かいの部屋のドア、消火器、階段。その真ん中に、白い折りたたみテーブルがある。
テーブルの片側に黄色い小さな椅子。反対側に大人用の椅子が二脚。道路側に向いていた黒い椅子は、こちらを向いていた。背もたれに私のレインジャケットが掛かっている。
座面はへこんでいない。乾いてもいない。
誰かが今、立ち上がったばかりの湿り方だった。
テーブルの上には、コンビニ袋が置かれている。中身は見えない。袋の横に、ウサギのぬいぐるみが座っていた。濡れた耳が、白い天板に貼りついている。
私は110番を押そうとした。スマホは圏外ではない。電波は立っている。だが通話ボタンを押す前に、画面が配達アプリへ戻る。
「置き配写真を撮影してください」
玄関の外から、雨音が言う。
置いてください。
置いてください。
置いてください。
私はドアを開けなかった。朝まで布団の中で耳を塞いだ。音はやまない。廊下で降る雨は、夜明け前に一度だけ弱くなった。そのとき、かすかに椅子を引く音がした。
五、玄関前
管理会社に電話したのは、午前九時を過ぎてからだった。
廊下には何もなかった。白いテーブルも、椅子も、ぬいぐるみも、私のレインジャケットもない。ただ、玄関マットが濡れている。屋内側の床にも、細い水の跡が一本続いていた。
管理会社の担当者は、防犯カメラを確認してくれた。深夜二時前後、私の部屋の前に人は来ていない。ただ一度だけ、廊下のLED灯がちらついたという。
「映像、見ますか」
私は断った。
仕事を休み、車の中を片づけた。助手席の足元に、濡れたレシートが一枚落ちていた。印字はほとんど滲んでいる。読めるのは、注文番号と、商品名の一部だけ。
紙皿四枚。
その下に、手書きのような文字があった。
「次は座って待っていてください」
私はそのレシートを破って捨てた。アプリは消えている。スマホにも履歴はない。湧谷旧道には二度と近づかない。そう決めるだけなら簡単だった。
問題は、雨のほうだ。
それから雨が降るたび、玄関の外で水が落ちる音がする。最初は夜だけだった。今は昼でも聞こえる。宅配の置き配写真に、白い天板の端が写ることがある。フードデリバリーを頼むと、配達員から「玄関前の椅子に置きました」とメッセージが来る。うちの玄関前に椅子はない。
先週、車を売った。買取店の担当者から翌日、電話があった。
「後部座席に忘れ物がありまして」
レインジャケットですか、と私は訊いた。
電話の向こうで、少し間が空いた。
「いえ。折りたたみの椅子です。濡れていたので、外に出して乾かしておきました」
その日は朝から晴れていた。
私は引っ越すことにした。荷物は減らした。必要なものだけを段ボールに詰め、不要なものは処分した。ウサギのぬいぐるみなど、持っていたことはない。黄色い椅子もない。紙皿も買っていない。
それでも昨日、荷造りした段ボールの一つから、水音がした。
開けると、底が濡れていた。中に入れていたタオルや本は乾いている。濡れていたのは段ボールの底だけで、そこに丸い跡が四つ残っていた。椅子の脚の跡に見えた。
今日は朝から雨だ。
引っ越し業者が来る前に、インターホンが鳴った。モニターには誰も映っていない。廊下のLED灯と、濡れて黒くなった床だけが見える。
画面の端に、白いテーブルの角がある。
私は玄関へ行かない。スマホの電源も切ってある。部屋の中央に座り、ただ雨音を聞いている。
けれど、だんだん分かってきた。
あの席は、山から追いかけてきたのではない。私が道を覚えたのだ。雨の日にだけ開く場所を、一度見てしまった。置き配写真に残し、注文番号を受け取り、配達完了を押した。
だから今も、どこへ行っても届いてしまう。
玄関の外で、椅子を引く音がした。
次にインターホンが鳴ったら、私はきっと覗いてしまう。覗けば、椅子の数を数える。数えれば、足りない席が分かる。
雨が強くなる。
廊下の向こうから、袋の持ち手が擦れる音が近づいてくる。
雨席(完)




