表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
67/69

雨送リ

AIに設定を読み込ませて執筆された、ホラーショートストーリーです。

ホラーショートストーリーAI朗読Youtubeチャンネルもあります。

https://www.youtube.com/@VacuousKaikitan

一、雨雲レーダーの空白


 雨の日の午前二時に、旧火葬場裏のトンネルで傘を借りてはいけない。


 そう言われたのは、配達代行の仕事を始めて三ヶ月目の夜だった。


 私は本業の収入だけでは足りず、深夜だけ荷物を運ぶアプリに登録していた。食品、薬、忘れ物、書類。軽自動車で動ける範囲なら、何でも運ぶ。客と直接話さなくていい気楽さもあって、雨の夜は単価が上がる。


 その晩も、市内全域に大雨警報が出ていた。ワイパーを最速にしても、フロントガラスは水の膜で白く濁る。スマホの雨雲レーダーは真っ赤だったが、郊外の一か所だけ妙に抜けていた。小さな黒い穴のように、雨量表示のない空白。


 そこが、旧小雨坂こさめざか斎場の裏にある小雨坂トンネルだった。


 斎場は十年以上前に移転している。建物も取り壊され、今は市の資材置き場と、使われなくなった駐車場だけが残る。けれどトンネルはまだ地図に載っていて、山側の住宅地へ抜ける近道として、カーナビがたまに案内してくる。


 午前一時四十七分、アプリに依頼が入った。


 受け取り場所は、旧小雨坂こさめざか斎場前バス停。


 届け先は、私のアパートから二本隣の路地にある古い集合住宅。


 荷物名は「傘」。備考には、「濡らさずに届けてください」とだけある。


 変な依頼だと思った。それでも報酬は通常の三倍で、キャンセルすれば評価が下がる。私は車を斎場跡へ向けた。


 最後のコンビニで缶コーヒーを買ったとき、レジの年配の女性が窓の外を見て言った。


「小雨坂の方へ行くのかい」


 私がうなずくと、女性はレシートを渡す手を少し止めた。


「向こうで傘を差している人を見ても、入れてもらっちゃいけないよ。入れてあげてもいけない」


 声は冗談に聞こえなかった。


「雨送リって呼ぶ人もいたんだよ。雨の日に、死んだ人の家を間違えないよう送る役目だって。昔は葬列が山を越えていたからね。けれど、生きている人まで家へ送ろうとすることがある」


 私は笑ってごまかした。民俗の話にしては、発音だけが妙に新しかった。送りではなく、送リ。スマホの通知に出るサービス名みたいに、最後の一文字だけ硬い。


 車へ戻る前、私は店の入口の傘立てを見た。透明傘が何本もある。どれも乾いている。その中に一本だけ、柄に赤いタグのついた傘があったように見えた。瞬きをすると、もう普通の透明傘だけになっている。


 私は車へ戻った。ドアを閉めた瞬間、スマホが震える。依頼アプリの通知だった。


「受取人が待機しています。到着後、相合傘モードを許可してください」


 相合傘モード。


 そんな機能は聞いたことがない。


二、旧道の傘立て


 旧斎場へ続く道に入ると、街灯が急に古くなった。住宅地のLEDの白い光が途切れ、山裾だけが黄ばんだ蛍光灯に変わる。雨は強いのに、道の端の草はほとんど揺れない。水だけが落ちている。風がない。


 斎場跡の駐車場に着くと、アプリは受け取り場所をさらに奥へ修正した。


「小雨坂トンネル坑口こうぐち付近」


 私は舌打ちした。資材置き場のフェンスに沿って車を進める。ライトの先に、コンクリートの暗い口が見えた。小雨坂トンネル。短いはずなのに、入口から向こうの出口が見えない。


 坑口の手前に、見慣れない傘立てがあった。


 駅やショッピングモールにある、スマホ決済式のシェア傘スタンドに似ている。けれど色は灰色で、会社名もロゴもない。傘は一本だけ残っていた。黒いビニール傘。柄の部分に、小さな赤いタグが結ばれている。


 傘立ての側面には、濡れた紙が一枚貼ってあった。料金表でも利用規約でもない。細い筆文字で「返す所までがおくりです」と書かれている。貼り紙の角には、古い焼け焦げのような茶色い染みが広がっていた。


 スマホで写真を撮ろうとしたが、カメラは自動で夜景モードに切り替わるだけでシャッターが切れない。画面には、傘立てではなく、知らない玄関が映っている。古い木の扉。真鍮の丸い取っ手。扉の前には、濡れた草履が一足そろえてあった。


 スマホ画面の地図では、私の現在地がトンネルの中に入っていた。実際にはまだ入口の手前だ。雨粒が画面に当たり、勝手に通知が開く。


「傘を受け取りました」


 私は傘に触れていない。


 車内のドアロックが、かちりと外れた。風もないのに運転席の窓が少しだけ曇り、曇りの内側から細い指でなぞったような線が走る。


 ――おくりましょうか。


 文字ではない。けれど、そう読める線だった。


 私は慌ててワイパーを切り、エンジンをかけ直した。配達アプリは真っ白な画面になり、中央に一つだけボタンを出している。


「同乗を許可する」


 押すつもりはなかった。だが画面を拭いた親指が、濡れたガラスの上で滑る。


 ボタンが青く変わった。


 その直後、配達アプリが配達証明用の写真を勝手に撮影した。フラッシュが光り、保存済みの小さなサムネイルが画面の隅に出る。そこには、運転席に座る私の横顔と、助手席に空いた黒い傘の内側が写っていた。


 助手席には誰もいない。けれど傘の下だけ、雨で濡れた長い髪の束がシートに垂れている。


 傘立ての黒い傘が、音もなく開いた。


三、傘の内側


 助手席の窓の外に、女が立っていた。


 白い着物ではない。透明なレインコートを着た、痩せた若い女だった。黒い髪は頬に貼りつき、手にはさっきの黒いビニール傘。街で見かけても不自然ではない。だから余計に怖かった。


 女は助手席側のガラスを二度叩いた。


「家まで送りましょうか」


 声は、車内のスピーカーから聞こえた。ナビ音声と同じ、丁寧で平たい声。私は返事をしなかった。


「届け先は、ご自宅付近ですね」


 今度は、依頼アプリの合成音声だった。


 私の住所を知っているのはアプリ側だけのはずだ。なのに女は、薄く笑った。人の顔の動きではなく、雨に濡れた紙が少し破れるような笑い方だった。


 急いで発進しようとした。しかしギアを入れても車は動かない。サイドブレーキも解除している。タイヤの下から、ぬたっとした重さが伝わる。水たまりではない。車全体が、深い濡れ布団の上に置かれているようだった。


 女は傘を差したまま、助手席のドアの前へ半歩寄った。


「濡れますよ」


 その一言で、私は自分の右肩が濡れていることに気づいた。


 窓は閉まっている。天井も濡れていない。それでも右肩だけが冷たい。触ると、指に水がつく。水は透明ではなく、灰を溶かしたように薄く濁っていた。


 スマホが震えた。


「ルートを変更しました。小雨坂トンネルを通行してください」


 私は首を振った。誰に向かっているのか分からない。女は穏やかに待っている。傘の内側だけ、雨音がなかった。外では激しく降っているのに、女の周りだけ真空のように静かだ。


 コンビニの女性の言葉を思い出す。


 入れてもらっちゃいけない。


 入れてあげてもいけない。


 私は助手席のロックを手で押さえた。するとドアの外から、女が内側のつまみに触れた。


 ガラス越しではない。


 白い指が、車内のロックにかかっている。


「一人で帰るのは、寂しいでしょう」


 私は反射的に首を振った。


 女の目が、初めてこちらを向く。瞳は黒くなかった。濡れたアスファルトを深く削った穴のように、底が見えない。そこに小さな光がいくつも浮かんでいた。街灯ではない。部屋の窓でもない。焼却炉の覗き窓に残る、弱い橙色の火に似ていた。


「いいえ。一人ではありません」


 女はそう言った。


 助手席の足元で、何かがこつんと鳴る。見下ろすと、濡れた靴が一足あった。私の靴ではない。次に小さな子ども用の長靴、黒い革靴、泥のついた運動靴。瞬きのたびに増えていく。足首から上はない。ただ靴だけが、家に帰る順番を待つように、つま先をトンネルへ向けて並んでいた。


四、雨送り


 私はスマホを助手席へ投げつけた。画面がシートに当たり、通話履歴が開く。登録していない番号から、発信中になっていた。相手先は「自宅」。


 数秒後、スピーカーから着信音が鳴った。


 聞こえるはずのない音だった。私のアパートはここから車で十五分は離れている。なのに、部屋の中で鳴っているはずの固定電話の音が、車内に響いている。私は固定電話を持っていない。


 女が窓に顔を近づけた。


「出てください。家の方がお待ちです」


 家の方。


 その言い方が嫌だった。家族ではない。住人でもない。家という場所そのものに、誰かがいて待っているような言い方だった。


 私は運転席のドアを開け、雨の中へ転がり出た。傘を持たず、車から離れる。足元の水たまりがやけに温かい。雨は冷たいのに、路面だけがぬるい。古い火葬場の排水溝から、まだ熱が漏れているようだった。


 女は追ってこない。


 代わりに、黒い傘だけがこちらへ傾いた。傘の柄を持つ手がまったく見えない。傘は女の体から少し離れ、ゆっくり私の頭上へ来る。


 入れてもらってはいけない。


 私はトンネルと反対側へ走った。車のライトが背中から伸び、影が前に倒れる。その影の中に、もう一つの影が重なった。細い肩、長い髪、傘の丸い縁。私の影より少し遅れて歩いている。


 駐車場のフェンスまで戻ったところで、スマホの音声が背後から流れた。


「目的地に到着しました」


 私は振り向いた。


 トンネルの坑口が、私のアパートの玄関になっていた。


 正確には、そう見えた。いつもの灰色のドア。貼りっぱなしの宅配ボックスのシール。傘立てに入れた透明傘。郵便受けの小さな錆まで同じ。山の中のトンネルの入口に、私の部屋の扉が貼りついている。


 ドアの向こうで、着信音が鳴っている。


 女が私の横に立った。いつ近づいたのか分からない。黒い傘の縁が、私の左肩にかかった。雨音が消える。


 私は、半分だけ傘の内側に入っていた。


五、返却済み


 気がつくと、コンビニの駐車場で倒れていた。


 午前二時三十八分。車は店の端に停められていて、エンジンも切れている。服は全身濡れていたが、左肩だけ乾いていた。傘の陰に入っていた部分だけ、最初から雨を知らないみたいに。


 レジの年配の女性が救急車を呼ぼうとしていた。私は断り、代わりに小雨坂の方を指した。


「あそこに、女の人が」


 女性は、私の左肩を見た。


「少し入ったのかい」


 私は答えられなかった。


「全部入らなかったなら、まだこちらにいるよ。ただね、雨の日は戸締まりをしておきなさい。送るものは、帰り道を覚えるから」


 意味を聞く前に、女性は店の奥へ行った。監視カメラを確認してくれたが、映っていたのは駐車場に入ってくる私の車だけだった。私は一人で降り、一人で店先へ歩き、そこで倒れている。小雨坂へ向かった映像はない。


 ただ、映像の中の私は傘を差していた。何も持っていない右手を頭上に上げ、見えない柄を握る形で歩いている。誰かを雨に入れないよう、自分の左側だけ少し空けていた。


 配達アプリの履歴も残っていた。依頼は完了扱い。受取人のサイン欄には、灰色の指でなぞったような線が一本ある。届け先住所は私の部屋に変わっていて、商品名は「あなた」と表示されていた。


 車の助手席には、黒いビニール傘が置かれていた。


 柄の赤いタグには、白い文字で「返却済み」と印字されている。私は車に備えてあったゴミ袋へ入れた。だが袋の口を縛ると、内側から水滴が鳴った。ぽつり、ぽつり。雨に当たっていないのに、袋の中で降っている。


 その日は夜明けまでコンビニにいた。雨は三時過ぎにやんだ。外へ出ると、小雨坂の方角だけ、まだ道路が黒く濡れている。雨雲レーダーには何も映っていない。


 部屋へ戻ると、玄関の傘立てに透明傘が一本増えていた。


 私のものではない。乾いた透明傘だった。柄に、赤いタグが結ばれている。タグにはやはり「返却済み」。けれど今度は、その裏側に細い字があった。


「次は、お迎えに上がります」


 その夜から、雨が降るたびにインターホンが鳴る。


 画面には誰も映らない。廊下のLEDだけが白く光っている。ドアの下から、雨の匂いが入ってくる。外廊下に屋根はあるし、私の部屋は三階だ。それでも玄関マットは、いつも左半分だけ濡れる。


 アプリは退会した。車も手放した。小雨坂には近づいていない。


 だが、雨雲レーダーを見ると、私のアパートの上だけ表示が抜ける。黒い小さな空白。まるで誰かが、そこに傘を差しているみたいに。


 そして午前二時になると、スマホの画面に通知が出る。


「同乗者が待機しています」


 私はまだ、一度も押していない。


 押していないのに、玄関の向こうから、あの平たい声がする。


「家まで送りましょうか」


 ここが、私の家であるはずなのに。


雨送リ(完)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ