青雨信号
AIに設定を読み込ませて執筆された、ホラーショートストーリーです。
ホラーショートストーリーAI朗読Youtubeチャンネルもあります。
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一、雨の迂回路
その夜、私は隣県の結婚式場で撮影した素材を、外付けSSDごと制作会社へ届けに行った。
編集はクラウドで済む時代だが、四時間分の4K映像は重い。回線の細い式場から上げるより、車で持ち込んだほうが早いと判断された。
帰り道、日付は変わりかけていた。高速道路は事故で入口から規制中。スマホの地図アプリは、山沿いの県道へ迂回するよう淡々と案内してきた。
雨はフロントガラスを白く塗りつぶすほど強い。ワイパーを最速にしても、前方のガードレールが途切れ途切れに浮かぶだけだった。
私は昼間の撮影で濡れた靴を助手席の足元に置き、暖房を弱く入れた。濡れた革の匂いと、コンビニで買った缶コーヒーの甘い匂いが車内にこもる。
山道に入ってから、対向車は一台もなかった。スマホの電波は一本になり、やがて圏外表示へ変わる。カーナビだけが古い地図を頼りに、次の交差点を右折です、と乾いた声を出していた。
そこに交差点など見えない。右手には法面、左手には沢へ落ちる暗い斜面。雨音の奥で、水の流れる音だけが太くなっていく。
それでも、ナビ画面の細い青線は続いていた。私は仕事用の車を傷つけたくなくて、速度を落とす。
やがて、道の先に緑がかった青い光が浮かんだ。
片側交互通行の信号だった。幅の狭い古いトンネルの入口に、雨で滲んだ青信号が一つだけ灯っている。
信号の横には白い看板があった。塗装が剥げ、文字はほとんど読めない。ただ、下のほうに黒い字でこう見えた。
雨天時は、青でも一時停止。
変な注意書きだと思った。
青でも止まれというなら、最初から赤にしておけばいい。
私はブレーキを踏んだ。停止線は雨水に沈んで見えない。車が止まった瞬間、カーナビの案内が切れた。
代わりに、スマホが一度だけ震える。
画面には通知が出ていた。
到着しました。
目的地までは、まだ四十分以上あるはずだった。
二、通される青
信号は青のままだった。
対向車は来ない。トンネルの向こう側に車のライトも見えない。雨の線だけが、青い光の中で斜めに流れていた。
私はしばらく待った。三十秒。一分。二分。
青は変わらない。
山道で停まり続けるほうが危ない。そう自分に言い聞かせ、私はゆっくりアクセルを踏んだ。
トンネルの坑口をくぐった瞬間、雨音が消えた。
消えた、というより、車の外側だけが急に遠くなった。ワイパーは動いている。水滴も払っている。けれど、ガラスに打ちつける音が聞こえない。
トンネル内の壁は古いコンクリートで、ところどころ苔が黒く濡れていた。天井から漏れた水が、等間隔に落ちてくる。
ぽつん。
ぽつん。
その音だけが妙に近い。
私は速度を二十キロまで落とす。ヘッドライトの光は奥へ伸びず、数メートル先で灰色に濁った。
狭い。両側の壁が、車幅ぎりぎりまで迫っている。
そのとき、助手席のシートベルト警告音が鳴った。
誰も乗っていない。
私は反射的に助手席を見た。濡れた靴しかない。けれど座面の中央が暗く湿っていた。雨水を含んだ服で誰かが座ったような、丸い染みだった。
警告音は三回鳴って止まる。
また前を向いたとき、バックミラーの中に青い光が映った。
入口の信号が見えているのだと思った。だが、トンネルはわずかに曲がっている。入口など見えるはずがない。
ミラーの奥で、信号は青く灯っていた。
その下に、傘を差していない人影が立っている。
レインコートのフードを深くかぶった、大人とも子供ともつかない背丈の影。雨は降っていないはずなのに、その肩から水が線になって落ちていた。
私は急いで前を向く。ブレーキを踏みかけた足が固まった。
車の正面にも、同じ青信号があった。
トンネルの出口ではない。コンクリートの暗がりの中、宙に吊られた信号機のように、青だけが浮いている。
カーナビが、突然しゃべった。
このまま直進です。
いつもの女性音声ではなかった。濡れた紙を口の中に詰めたような、くぐもった声だった。
私はハンドルを握り直す。
「冗談だろ」
自分の声が、やけに小さく返ってきた。
三、濡れた席
車が青信号の下を通るたび、助手席の湿りが広がった。
最初は座面だけだった。次に背もたれ。足元のマット。ドアの内側。
窓は閉まっている。ドアも半ドアではない。なのに水は増えていく。雨具を着た誰かが、見えないまま助手席で体を揺らしている。そんな濡れ方だった。
私はハザードを点け、車を止めた。
トンネルの中で停車するのは危険だ。そう分かっている。それでも、これ以上進むほうがまずい気がした。
スマホは圏外。緊急通報の表示も出ない。ドライブレコーダーの小さな画面だけが、青白く光っている。
録画中の映像を確認しようとして、私は指を止めた。
画面の中では、助手席に誰かが座っていた。
白い顔ではない。黒い髪でもない。そこに映っていたのは、ただの雨だった。
人の形をした雨。
頭の位置から肩、腕、膝まで、透明な水が輪郭を保ったまま座っている。輪郭の内側を、細い水筋が何本も流れ落ちていた。
それが、ゆっくりとこちらを向いた。
車内には何もいない。
レコーダーの画面にだけ、雨の人影がいる。
私は思わず画面を伏せた。指先が濡れる。レコーダー本体から水がにじんでいた。
そのとき、屋根の上で重い音がした。
どん、と何かが落ちた音。
フロントガラスの上端から、水が滝のように流れた。続いて、右から左へ、何かが這う音がする。指で金属を撫でるような、ぬるい擦過音だった。
私は叫びかけた。声は喉で詰まった。
フロントガラスの内側に、手形が一つ浮かんでいた。
外側ではない。内側だ。
小さくも大きくもない。指の長さだけが妙に揃った手形。掌の中央から、水が下へ垂れている。
また一つ。
また一つ。
助手席側のガラスに、運転席側の窓に、バックミラーの表面に。見えない手が車内の内側から、ぺたり、ぺたりと触れていく。
私はギアをバックに入れた。
後退カメラに、トンネルの入口が映る。そこには青信号があり、人影が立っていた。
前方にも青信号がある。
後方にも青信号がある。
どちらへ行っても、通される。
私はハンドルを握ったまま、しばらく何もできなかった。
すると助手席のスピーカーから、カーナビの声がした。
青です。お進みください。
その声は、私の母の声に似ていた。
十年前に亡くなった母ではない。私がスマホに残している、短い留守電の音質に似ていた。雨の日に傘を持ったか心配してくれた、あの古い録音。
私はそこで、初めて本気で怖くなった。
怪異がいるからではない。
それが、私の中から声を選んだからだ。
四、戻れない出口
私は前へ進んだ。
正しい判断ではなかった。ただ、後ろにいる影を車へ近づけたくなかった。
青信号を一つくぐる。すぐ次の青信号が現れる。距離の感覚が狂い、トンネルの長さが分からなくなる。
車の時計は23時17分で止まっていた。スマホも同じ時刻のまま動かない。
雨の人影は、もうドラレコ画面の中だけではなかった。
助手席の窓に、濡れた肩の輪郭が薄く映る。息をしていないのに、ガラスの内側が白く曇る。
私は見ないようにした。
前方に白い出口が見えたとき、安堵よりも不信感が先に来た。
出口の外は雨だった。山道ではない。市街地の道路だった。
コンビニの看板、ドラッグストアの駐車場、マンションの明かり。見慣れた地元の通りに、いきなり車が出た。
トンネルなど、近所にない。
私は路肩に停め、何度も後ろを振り返った。背後には片側二車線の道路が伸びているだけで、坑口はなかった。
助手席は乾いていた。
靴も、マットも、座面も、濡れた跡はない。
フロントガラスの手形も消えている。
私はしばらく笑ってしまった。疲労と雨と山道で、少しおかしくなっていたのだ。そういう話にしたかった。
だが、ドライブレコーダーのSDカードを抜こうとして、手が止まる。
本体の録画ランプが消えていた。
電源を入れ直すと、直近のファイルは破損していると表示された。時刻は23時17分。その前後だけがない。
代わりに、一つだけ見覚えのないファイルが増えていた。
ファイル名は、日付でも連番でもなかった。
green_rain_home.mp4
私は車内で再生した。
映っていたのは、トンネルではなかった。
私の住むマンションの廊下だった。深夜の共用廊下。天井のLEDが冷たく光り、私の部屋のドアが真正面にある。
廊下は雨で濡れていた。
屋外ではない。屋根も壁もある内廊下なのに、床一面に水が流れている。
画面の奥、私の部屋の前に、青信号が吊られていた。
道路用の信号機ではない。小さく、玩具のように見える。けれど青だけが異様に明るい。
ドアの前には、レインコートの影が立っている。
影はインターホンを押した。
車のスピーカーから、部屋のチャイム音が鳴った。
私は反射的に動画を止めた。
その瞬間、スマホに通知が来る。電波は戻っていた。
自宅のスマートロックアプリからだった。
玄関が解錠されました。
23:17
私は車を飛ばして帰った。
家まで五分もかからない距離で、信号は全部青だった。
五、部屋の青
マンションの廊下は乾いていた。
私の部屋の前にも、青信号などない。スマートロックの履歴だけが、23時17分の解錠を記録している。念のため管理会社へ問い合わせたが、共用部のカメラに異常はないと言われた。
その夜、部屋の中で変わったものは見つからなかった。
あとで管理会社から送られてきた静止画には、廊下の床も私のドアも普通に映っていた。けれど一枚だけ、ドアノブの高さに水滴のような白い点がある。拡大すると、それは小さな掌の形に見えた。私はその画像を保存しなかった。
玄関の靴も、キッチンの水道も、洗濯機のホースも、どれも普段どおり。濡れていたのは、私の車のキーだけだった。
翌日、私はドラレコのSDカードをフォーマットした。車内を掃除し、念のためディーラーで点検も受けた。
異常なし。
整備士はそう言って、フロントガラスの内側を拭いてくれた。
「雨の日、内側が曇りやすい車もありますから」
彼は気を遣って笑った。
私は何も言わなかった。
一週間後、また雨が降った。
夜、部屋で編集をしていると、モニターの右下にスマホの通知が出た。
地図アプリだった。
経路を再開します。
私は触っていない。そもそも、その日は車を使っていない。
通知を消そうとした瞬間、部屋のLED照明が一度だけ青く瞬いた。
青ではなく、信号の色だった。
濡れた青。
玄関のほうから、水滴の落ちる音がした。
ぽつん。
ぽつん。
私は椅子から立てなかった。音は、外の廊下ではない。玄関の内側、靴を脱ぐ三和土から聞こえる。
スマートロックが短く鳴った。
解錠ではない。施錠でもない。あのアプリが、ハンズフリーで鍵を認識したときの音。
画面にはまた通知が出ていた。
青です。
私は、雨の日に車へ乗らなくなった。
それでも、青信号は避けられない。
横断歩道の信号。コンビニの誘導灯。宅配ロッカーの受け取りランプ。パソコンの電源LED。どれも雨の日だけ、少し濡れた色に見える。
最近は、自分の部屋のインターホンも見ることができない。
先週、録画一覧に新しい動画が残っていた。
映っていたのは、私の玄関ではなかった。暗いトンネルの出口だった。
出口の向こうに、私の部屋が見える。
机、モニター、カーテン、椅子。その椅子に、私が座っている。背中を丸め、動画の再生画面を見つめている。
カメラはゆっくり近づいた。
部屋の中の私は、振り向かない。
ただ、フロントガラス越しのように、画面全体へ雨粒が流れていた。
最後に、濡れた手がこちら側へと伸びてくる。
それは画面を拭くように、ゆっくりと内側を撫でた。
そして、私の部屋の照明が青に変わる。
その動画の長さは、まだ増えている。
再生していない間も、少しずつ。
今朝見たときは、あと十七分あった。
たぶん、次の雨で最後まで届く。
だから私は、窓の外の信号を見ないようにしている。
けれど音だけは聞こえる。
雨の中で、誰かがずっと待っている。
青に変わるまで。
青雨信号(完)




