表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
63/69

点呼

AIに設定を読み込ませて執筆された、ホラーショートストーリーです。

ホラーショートストーリーAI朗読Youtubeチャンネルもあります。

https://www.youtube.com/@VacuousKaikitan

一、人数のあわない夜


 Kダムの湖畔キャンプ場に着いたのは、夕方の四時を回った頃だった。

 予約サイトの写真では満々と水をたたえていた人造湖が、その日はずいぶん水位を落としていて、対岸の山肌に、かつての水際の跡が幾重もの横縞になって残っている。渇水だと、受付の小屋にいた管理人が言っていた。今年は雪が少なかったんで、と。湖というより、水の抜けた巨大な器の底に、わずかな水が残っているように見えた。

 区画は十二、そのうち埋まっているのは僕の一つきりだった。平日のうえ、こんな山奥まで来る物好きもいない。完ソロ、という言葉が頭をよぎる。誰かの話し声も、隣のランタンの光もない、ただ自分の呼吸だけが大きく聞こえる夜だった。

 仕事を辞めて、次の職場に移るまでの一週間。誰にも会いたくなくて、ただ静かなところで火を見ていたかった。逃げ場としてのソロキャンプ。あとから思えば、人に会いたくないという願いを、いちばんよくない場所で口にしてしまったのかもしれない。

 設営を終える頃には、対岸の山が影絵になっていた。地面は湿って、踏むと泥が靴底に貼りつく。首筋に当たる風に、泥と藻の匂いが混じっている。水の引いた岸辺の匂いだ、と思った。

 日が落ちると、対岸の輪郭も溶けて、湖は墨を流したように黒くなった。スマホの電波は、画面の隅で一本だけ心細く立っている。それも時々消える。

 焚き火の前で缶のハイボールを二本空け、カップ麺をすすった。火を見ていると時間の感覚が曖昧になる。薪が崩れて、火の粉が湖のほうへ流れていく。その向こうに、白い棒が一本、水際に立っているのが見えた。

 慰霊碑だ、と気づくのに少しかかる。

 昼間、設営のときには気づかなかった。膝ほどの高さの、角の取れた石柱。スマホのライトを向けると、表面に名前らしきものが彫られている。風化して、もう半分は読めない。下のほうに「殉職者」という三文字だけが、かろうじて残っていた。

 戦前のダムの碑か、と思った。昼のうちは水の底に沈んでいて、渇水で水が引いたから姿を現したのかもしれない。台座の根元には、まだ濡れた泥がこびりついていた。彫られた名前は、どれも二文字か三文字で、苗字だけのものもあった。本名すら記録されなかった者が、ここには含まれているのだろう。ふと、何人ぶんあるのだろうと数えかけて、やめた。数えるという行為が、なぜかその場にそぐわない気がした。手を合わせるでもなく、僕はライトを消してテントに戻った。

 寝袋にもぐったのは十一時前。酔いのおかげで、すぐ眠れた。



二、点呼


 目が覚めたのは、足音のせいだった。

 スマホを引き寄せ、画面を点ける。午前二時四分。誰かが歩いている。一人ではない。じゃり、じゃり、と砂利を踏む音が、何人分も重なって、テントの脇を通り過ぎていく。

 最初に思ったのは、登山者の早立ちだった。この近くにヒュッテがあると管理人が言っていた。寝ぼけた頭で、ずいぶん早いな、と思っただけだった。

 けれど、音がおかしい。

 登山靴のコツコツという硬い音ではなかった。もっと柔らかい、編んだ草を引きずるような音。じゃり、じゃり、ではなく、しゃり、しゃり、と濡れた藁を引きずる音だった。何人分も、湖のほうから上がってきて、区画のあいだを縫って、また湖へ降りていく。砂利を踏むというより、滑らせるような、平たい足取り。

 数えるともなく数えていた。七人、いや、八人。一定の間隔で、規則正しく、隊列を組んでいるような足取り。バラバラの登山者の群れではない。号令ひとつで動く、ひとつのまとまりだった。

 テントの薄い布一枚を隔てて、それが通り過ぎる。布の表面を、衣擦れのようなものがかすめた。僕は息を殺した。怖いというより、見てはいけないものだという直感が、体を寝袋に縫いつけていた。ファスナーを開けて外を見る、という選択肢が、なぜか頭から消えていた。

 足音が、テントのすぐ前で止まった。

 しばらく、何も聞こえない。湖の水が、岸を舐める音だけがする。風がやみ、焚き火の燃え残りが、ぱち、と小さく爆ぜた。

 それから、声がした。低い、湿った男の声が、ひとつ、ふたつ、と数を読み上げていく。点呼だ、と思った。工事現場の、朝の点呼。名前を呼ぶのではなく、ただ頭数を数えていく、抑揚のない、帳簿をつけるような声。

 ……七。八。

 そこで、声が止まった。

 数が、合わないのだ。八で終わってはいけない、というふうに、声に納得のいかない響きがあった。

 もう一度、最初から数え直す気配がした。今度はゆっくりと、確かめるように。布の向こうで、足が、じり、と動いた。

 ……七。八。

 そして、間があって。

 ……九。

 最後の九を数えたとき、テントの布が、外から、そっと指でなぞられた。爪の先が、布を裏から押すように、つう、と下へ滑る。すぐ顔の横、十センチもないところを。

 八で足りなかった数が、九になった。足りない一を、埋めたのだ。



三、員数


 朝、目が覚めると、何事もなく晴れていた。

 夢だと思いたかった。けれど、テントの前の砂利に、足跡が残っていた。靴の跡ではない。藁を編んだ履物の、平たい網目の跡が、いくつも、湖のほうから上がってきて、僕のテントを取り囲むように円を描き、また湖へ降りていた。網目は細かく、湿って、くっきりと泥に刻まれていた。

 その円のなかに、僕のサンダルの跡が、ひとつだけ混ざっていた。藁の列に、まったく違う形の跡が、新しく加わっている。昨夜、僕はテントから一歩も出ていないのに。まるで、僕の足が一人ぶん、勝手に列に並ばされたように。

 管理人の小屋へ行った。ゆうべの足音のことを話すと、初老の管理人は、湯呑みを置いて、ああ、と低く言った。驚いた様子はない。

 「ここじゃ、たまにあることでね」

 戦前、このダムを造るときに、ずいぶん人が死んだのだという。落盤、土砂崩れ、足場からの転落。記録に残っているだけでも数十人、残っていない者を入れれば、もっと。遺体の上がらなかった者も多い。湖の底には、まだ眠ったままの者がいる、と管理人は言った。

 昔はね、と管理人は続けた。客がもっと入れ替わり立ち替わりで、一人きりで眠る客なんて、めったにいなかった。連中も、数を合わせる隙がなかったんだ、と。近頃は、あんたみたいに、平日に一人で泊まる客が増えた。静かな夜が、増えた。

 「あの人たちはね、今でも仕事が終わったと思ってないんですよ。だから夜になると、揃って引き上げてくる。員数を確かめてね」

 員数、とは頭数のことだ。

 「昔の現場は、人を物みたいに数えた。朝出した員数と、夜戻った員数が合わなけりゃ、誰か落ちて死んだってことだ。だから連中は、今でも数える。きっちり数が合うまで、帰れないんだ」

 でもね、と管理人は声を落とした。あの連中の数は、もう永久に揃わない、と。

 最後の事故で、一人、流された。湖の底をいくら浚っても、その一人だけは、とうとう上がらなかった。骨も出ない、名前も残らない。数えるべき頭が、ひとつ足りない。だから連中は、毎晩同じところで止まる。一足りない、一足りない、と。

 名前なんか、はなから付いてない、と管理人は続けた。生きてるあいだから、ただの番号だったんだ、と。番号で呼ばれた者は、死んでも番号でしか自分を確かめられない。だから数える。それだけが、まだ列のうちにいる証なのだ、と。

 僕は、ゆうべの声を思い出した。八で止まって、それから、九と。あの声には、確かに、名前を呼ぶ響きはなかった。

 「足りない一つは……どうするんですか」

 管理人は、僕の顔をしばらく見ていた。湯呑みの茶は、もう湯気を立てていない。

 「足りない分は、生きてる者から、補うのさ。数に入っちまった者は、もう連中の頭数の一つだ。一度揃った数は、二度と欠けちゃならん。だから連中は、補った後も、ずっと見張る。抜けるにはね、代わりにもう一人、数に引き込むしかない」



四、補充


 その日のうちに発つつもりだった。

 昼前から雲が出て、山のほうから雨が降りてきた。林道は谷沿いの一本道で、増水すると流される箇所がある、と管理人が言っていた。午後には川が濁って、轍を呑むほどに水嵩が増していた。今日はやめておけ、明日の朝には引くから、と。

 帰り際、小屋を出る僕の背に、管理人は低く付け加えた。忠告はしたからな、と。それ以上は何も言わない。言えない、というふうにも見えた。あの人も、ここから動けない何かに縛られているのかもしれない。

 僕は車に戻り、ドアをロックして、夜を待った。スマホの電波は、車のなかでも立ったり消えたりを繰り返す。誰かに連絡したかったが、メッセージは送信中のまま固まって、いつまでも届かなかった。

 雨は夜半まで降り続いた。やんだのは、ちょうど二時の少し前だった。

 しゃり、しゃり、と、また音が始まった。

 湖の水位は、昨日よりさらに下がっていた。雨が降ったのに、おかしな話だ。湖底が、昨夜よりずっと広く露出している。連中が底から上がってくる夜は、水が引くのだ──そう気づいて、背筋が冷えた。露わになった泥のうえに、対岸からこちらへ向かって、無数の網目の跡が点々と続いている。点呼の列が、湖の底から上がってくる。ヘッドライトの光のなかに、その跡だけが浮かんで、足跡をつけている本体は、どこにも見えなかった。

 車のなかで膝を抱えて、窓の外を見ないようにしていた。けれど、音は確かに近づいてくる。テントの区画ではなく、まっすぐ、車のほうへ。砂利を滑る平たい足音が、ドアのすぐ外で止まった。

 数える声が、すぐ外でした。

 ……七。八。九。

 昨日は、八で一度つまずいて、それから九になった。今日は、つまずかない。最初から、九まで、すらすらと。

 ……九。

 声が、もう一度繰り返す。確かめるように。九、と。そして、しばらく黙る。納得した、というふうに。

 数は、合っている。九人。八十年、足りなかった一つが、昨夜埋まったのだ。僕で。

 なら、もう用はないはずだった。連中は、帰れるはずだった。

 けれど、列は去らない。フロントガラスの向こう、雨に濡れた泥の上に、藁の履物を履いた足が、何十と並んでいた。膝から上は、夜に溶けて見えない。爪先が、みな、車のほうを向いている。

 数が合った、ということの意味が、そこでわかった。

 僕は、欠けていた一つに、はめ込まれたのだ。八十年ぶりに揃った九人の、その九番目が、僕だった。揃った数は、もう崩してはならない。だから毎晩、確かめにくる。九が、九のままであることを。

 管理人の声が、耳の奥でよみがえった。抜けるには、代わりにもう一人、数に引き込むしかない。

 爪先の群れは、車のほうを向いたまま、動かなかった。



五、明朝


 朝が来た。

 雨は上がり、林道の水も引いていた。管理人の言ったとおりだった。

 車を出すとき、小屋を見たが、管理人の姿はなかった。窓には内側からカーテンが引かれ、人のいる気配がない。あの人は、すべて知っていて、それでも僕を一晩、ここに泊めたのだ。

 僕は山を降りた。途中、何度もバックミラーを見たけれど、後ろには誰もいない。家に着いて、何事もなかったように日常が戻ってきた。仕事に行き、飯を食い、夜は眠る。湖のことは、なるべく思い出さないようにした。

 ただ、眠りが浅い。

 二時を少し過ぎたあたりで、必ず目が覚める。誰もいないはずの部屋で、しゃり、しゃり、と藁を擦る音がする。最初は気のせいだと思った。今は、もう思わない。

 数える声が、聞こえるのだ。低い、湿った声が、僕の部屋のドアの外で、ひとつ、ふたつ、と。

 あの夜、僕は欠けていた一つに、はめ込まれた。湖を離れても、それは変わらない。連中は、もう僕を九番目として数えている。毎晩、確かめにくる。九が、九のままか。お前はまだ、そこにいるか、と。

 ネットで、あのダムのことを調べてみた。戦前の工事で何人が死んだのか、正確な数は、どこにも残っていない。会社の出した数と、地元に伝わる数は、二倍も違う。最後に流された一人のことは、名前も番号も、どこにも書かれていない。八十年、ただ一つだけ足りないまま、彼らは数え続けてきた。その空席に、僕がはまった。

 数が、九で揃っているうちは、何も起こらない。

 抜ける方法を、僕は知っている。代わりにもう一人、数に引き込めばいい。誰かをあの湖畔へ連れていって、夜の二時に、一人にしてやればいい。そうすれば、九番目は、その誰かに移る。

 その方法を知っている、ということが、いちばん怖い。

 今夜も、声がする。

 ……七。八。九。

 僕は、布団のなかで息を殺し、その数が九で止まることを祈っている。誰かを誘い出したい、という考えが、頭の隅をよぎらないことを。

 数えているのは、僕を九に留めておく声なのか。

 それとも、僕がいつか誰かを連れ出すのを、ただ待っている声なのか。

 ドアの外で、声が、ひとつ、ふたつ、と数え直す。今夜も、僕は、まだ九番目のままでいる。



点呼(完)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ