送り残し
AIに設定を読み込ませて執筆された、ホラーショートストーリーです。
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一、提灯がひとつ多い
最初に数えたのは、ただの癖だった。
駅前のロータリーから祖母の家までの道に、提灯が並んでいる。白い紙に朱で「送」と一文字。等間隔に、電柱を一本おきに。私はスマホの地図を頼りに歩きながら、なんとなくその数を目で追っていた。子どもの頃から、退屈な道は数で紛らわせてきた。電柱、ガードレールの継ぎ目、横断歩道の白い線。数えているあいだは、考えなくて済む。
二年ぶりの町は、夕方の熱がまだ路面に残っていた。サンダルの底から、アスファルトの温度がじわりと上がってくる。バッテリーが残り少ないのを気にしながら、私は画面の青い矢印と、頭上の提灯を交互に見ていた。
祖母から電話が来たのは先週だ。今年の盆は帰っておいで、と。父が仕事で帰省できないから、代わりに線香だけでもあげてほしいという話だった。新盆――去年の冬に亡くなった祖父の、初めての盆だった。
路地を曲がると、急に音が増えた。盆踊りの櫓が、小さな広場に組まれている。太鼓と、間延びした音頭。録音された声なのか、生の声なのか、判別のつかない、くぐもった節回しだった。同じ一節が、終わってはまた頭から始まる。終わりのない輪唱のように。屋台の灯りが、青い夕闇に黄色くにじんでいた。射的、金魚すくい、焼きそば。香ばしいソースの匂いと、線香に似た煙が、混ざって流れてくる。子どもの姿はないのに、笑い声だけがどこかで弾けている。屋台の奥に、子どもの下駄が一足、揃えて置かれていた。履き手は、見当たらなかった。
私は提灯の数を数え終えていた。家までに二十三個。
その晩、迎え火を焚いた。盆の入りの夕方だ。火を点けたあと、供物のろうそくが足りないことに気づいて、もう一度だけ表の道へ出た。コンビニは、駅のほうまで戻らないとない。歩きながら、私はなんとなく、また数えていた。さっきの数を覚えていたから、確かめたくなっただけだ。
二十四個あった。
一個、増えていた。
見間違いだろう、と思った。来るときは地図に気を取られていたし、疲れてもいた。提灯の一つや二つ、数え落とすことくらいある。そう自分に言い聞かせながら、それでも指は無意識に、増えた一個を探していた。それは祖母の家の門のすぐ手前、ブロック塀の角に、ぽつりと吊られていた。ほかのどれより新しく、紙が白かった。朱の「送」の字だけが、まだ濡れているように見えた。風もないのに、その一個だけが、ほんのわずかに揺れていた。
二、踊りの輪に祖父がいる
着いた晩、迎え火の煙が細く立つのを、祖母は縁側から見ていた。
焙烙の上で、オガラがぱちぱちと爆ぜる。麻の茎を折って積み、火を点ける。その煙に乗って、死者が家へ帰ってくるのだという。祖母は煙が外から内へ流れるように、手のひらでそっと風をつくっていた。
「ようきたねえ」と祖母は言った。「じいさんも喜んどるよ」
仏間には祭壇が組まれていた。白い提灯、真菰のゴザ、きゅうりの馬となすの牛。祖父の遺影が、まだ新しい黒いリボンをかけられて、線香の煙の向こうにあった。写真の祖父は、私が最後に会ったときよりずっと若く笑っていた。
「お祭り、毎年こんなに賑やかなの」と私は訊いた。
「中の盆はね、特別なの」と祖母は言った。「この町は、送りが長いから」
送りが長い、という言い方を、私はうまく飲み込めなかった。けれど祖母はそれ以上説明せず、ただ提灯の灯りを見ていた。その横顔は、煙の向こうの遺影とは違って、笑っていなかった。
その晩、私は広場へ出た。することもなかったし、踊りの音が窓から離れなかったからだ。網戸を閉めても、布団をかぶっても、太鼓の拍子だけが床を伝って体に届いた。
輪はゆっくり回っていた。浴衣の人々が、同じ振りで手を上げ、下ろし、回る。顔は櫓の影に隠れて、よく見えない。手の振りだけが、奇妙なほど揃っていた。私は焼きそばを買って、輪の外から眺めていた。誰も私に話しかけてこなかった。屋台の店主も、釣り銭を渡すとき、一度も目を合わせなかった。
ふと、見覚えのある背中があった。
ベージュの作業帽。少し曲がった背筋。右手を上げるときの、肘の角度。祖父が畑仕事のあと、縁側で伸びをするときの角度だった。
祖父だった。
心臓が一度、大きく鳴った。すぐに打ち消した。似た背格好の老人なんて、いくらでもいる。盆だ、年配の人が多いのも当たり前だ。祖父は去年の冬に亡くなった。遺影は仏間にある。さっき線香をあげたばかりだ。煙の匂いが、まだ指に残っている。
それでも足は輪へ近づいていた。回る背中を追って、私は人の隙間を縫った。浴衣の肩と肩のあいだは、思ったより冷たかった。夏の夜なのに、そこだけ井戸の底のような温度だった。すれ違う浴衣の柄が、どれも同じだと気づいたのは、そのときだった。紺地に、白い朝顔。男も女も、年寄りも、みんな同じ柄を着ている。盆踊りに揃いの浴衣は珍しくない。そう思おうとした。けれど、その朝顔は、よく見ると花が下を向いていた。咲いているのではなく、しおれて、うつむいていた。あと数歩、というところで、太鼓が一段高く鳴った。輪が回った。
背中は、もうどこにもなかった。
代わりに、誰かが私の耳元で、囃子に合わせて言った気がした。
「まだ、帰っとらんよ」
息が、はっきりと耳にかかった。生あたたかい、人の息だった。だが振り返っても、すぐ後ろには誰も立っていなかった。輪はただ、何事もなかったように回り続けている。
三、送り火が消えない
盆の終わり、十六日の夕方。送り火を焚く日だった。
町じゅうの家の門先で、焙烙の上のオガラに火が点された。迎え火と同じ場所で、同じように。煙が、夕空へまっすぐ上っていく。送り火だ。帰ってきた死者を、煙の道に乗せて、また向こうへ送るための火。内から外へまたぐと、送ったことになるのだと、祖母は言った。
祖母の家でも、私が火を点けた。マッチを擦り、オガラの端に近づける。麻の茎はぱちぱちと音を立て、白い煙を上げ――そして、消えなかった。
最初は、まだ燃えているだけだと思った。けれど五分経っても、十分経っても、炎は同じ高さで揺れ続けた。オガラはとっくに灰になっているのに、火だけが、何もない焙烙の上で立っていた。手をかざしても、熱はなかった。煙にも匂いがなかった。迎え火のときに指へ移った、あの麻の焦げる匂いさえ、しない。ただ、火の形をしたものが、そこにあった。私は焙烙の縁に触れた。素焼きの器は、ひんやりと冷たかった。火が立っているのに、器は冷えている。
近所の門先を見て、私は息を呑んだ。どの家の送り火も、消えていなかった。町じゅうの門口で、燃やすものを失った炎が、ただ揺れていた。煙だけが、いつまでも、同じ太さで空へ上り続けていた。風に流されもせず、垂直に。何本も、何本も、町の上に細い柱を立てるように。煙は途中で、夜空の一点で、ぷつりと途切れていた。そこから先へは、上っていかなかった。届くべきどこかへ、届かずに、見えない天井に当たって散っていた。
通りには、送り火を焚き終えた家の者たちの影もあった。だが誰一人、消えない炎を見上げていなかった。当たり前のものを見るように、火をまたいで、家のなかへ戻っていく。異常を異常と思う者が、この町にはいなかった。
送り火の煙は、あの世とこの世をつなぐ道だと、祖母は言っていた。来るときは馬で早く、帰るときは牛でゆっくりと。だがその道は、途中で断たれている。帰る道が、塞がれている。
思えば、祖母は一度も広場へ行かなかった。踊りの音があれほど鳴っていたのに、縁側から動こうとしなかった。送られないまま、輪に呑まれもしないまま、ただ家にとどまる人。
そのとき、私はやっと気づいた。提灯が一個増えていた理由に。踊りの輪に祖父がいた理由に。
この火は、送る火ではない。
送れない火だ。
煙に乗って向こうへ帰るはずの死者が、帰れずにいる。煙の道が、どこかで断ち切れている。だから町は、毎年送り火を焚き直す。焚いても道はつながらず、死者は留まり、提灯が一個ずつ増えていく。残された者の数だけ、毎年一個ずつ。
「中の盆は、送りが長いから」
祖母の言葉が、別の意味を持って胸に落ちた。長いのではない。終わらないのだ。この町の送りは、ずっと前から、一度も終わったことがない。迎えるだけ迎えて、送れないまま、毎年、夏が来るたびに、帰ってきた者を上塗りしている。
四、提灯を数えてはいけない
私はスマホを取り出した。父に電話しようとした。
本当なら、ここに来るのは父のはずだった。新盆に帰るのは、息子の役目だ。けれど父は仕事を理由に帰らず、私に線香を託した。父は何か知っていたのか、ただ帰りたくなかっただけなのか、今となっては確かめようがない。
電波の表示は、画面の隅で圏外になっていた。駅に着いたときは、三本立っていた。家に向かう道でも、地図はちゃんと動いていた。なのに、今は一本もない。圏外の二文字だけが、消えない火と同じように、画面の隅で動かなかった。
家に戻ろうとして、門の手前で足が止まった。
ブロック塀の角の提灯――新しい、紙の白い一個。あれを見たとき、私はそれを「増えた」と数えた。数えてしまった。初めに数えた二十三個と、点けたあとの二十四個。その差の一個を、私はこの目で探し当てて、確かめた。
数えた者は、数に入る。
なぜそう思ったのか、自分でもわからない。けれど確信だけが、皮膚の内側から這い上がってきた。私はこの町の送りを、外から眺める客のつもりでいた。線香をあげに来ただけの、よそ者のつもりでいた。違った。提灯の数を数え、増えた一個を見つけた瞬間、私はもう、この送りの内側にいた。輪の外にいるつもりで、とっくに輪のうちにいた。
仏間へ駆け込んだ。線香の煙が、まだ細く立っている。祖父の遺影に、黒いリボンがかかっている。その隣に――いつの間にか、もう一枚、額が立てかけられていた。同じ大きさの、同じ黒い縁の額。祖父のものと寸分違わない。誰かが、そこに並べたのだ。私が火を点けに門へ出ている、わずかなあいだに。
リボンは、かかっていない。まだ。
写真は空白で、白いままだった。ガラスの表面に、線香の煙だけが映り込んで、ゆっくり流れていた。私は近づいて、覗き込んだ。白い紙のなかに、薄く、ごく薄く、輪郭のようなものが浮き始めている気がした。目鼻のない、ただの楕円。それでも、見ようとすると消える。瞬きをすると、また白紙に戻る。
祖母が、いつの間にか、縁側からこちらを見ていた。手には数珠を持ったまま、動かずに。
「あんたも、数えたんかい」
その声は、悲しそうでも、驚いてもいなかった。長く知っていたことを、ようやく口に出して確かめるような響きだった。
「数えた者だけが、足りん数に気づくの」
祖母は、遺影のほうを見たまま続けた。
「気づいた者は、もう足りん一個に数えられとる」
「うちもね、昔、数えたの」
うち「も」。一文字が、耳の奥で重く沈んだ。祖母も、いつか、客としてこの町に来て、提灯を数えた一人だったのだ。差の一個を見つけて、確かめてしまった一人だったのだ。そして今も、ここにいる。送られないまま、送る側にも回れないまま、毎年、新しく数えてしまう誰かを、縁側から待っている。
仏間の灯りが、祖母の足元に届いている。畳の目に沿って、私の影は伸びていた。祖母の足元には、影がなかった。
五、送り残し
外はすっかり暗い。けれど町は、明るかった。
門という門に送り火が灯り、消えない炎が揺れている。電柱ごとに提灯が下がり、朱の「送」が、闇のなかに点々と浮かんでいる。広場の櫓では、まだ踊りが回っている。太鼓は止まない。誰も帰らない、終わらない盆の夜だ。
私はスマホを握っている。圏外の表示は、もう動かない。バッテリーの残量だけが、ゆっくり減っていく。さっき残量が何パーセントだったか、思い出せない。八十だった気もするし、四十だった気もする。数字を、覚えていられなくなっている。
踊りの音頭が、窓のすぐ外で鳴っている。さっきより、近い。
輪に、入りたくなっている自分がいる。
あれは入ってはいけない輪だと、頭ではわかっている。あの輪に祖父がいた。あの輪は、送れなかった者たちが回り続ける輪だ。けれど足の先が、もう拍子を取り始めている。意志ではなく、足が。畳の上で、つま先だけが、太鼓に合わせて、とん、とん、と。
仏間の白い額を、もう一度見にいく気にはなれなかった。あの空白が、今夜のうちに誰かの顔で埋まることを、私はもう知っている気がしている。リボンが、かけられるのを待っている。
提灯は、今、いくつあるのだろう。
数えてはいけない。数えてはいけない。
そう思いながら、私の目は、もう窓の外の、一個めを追い始めている。
ひとつ。ふたつ。みっつ。
みっつめのところで、灯りが、ひとつ、増えた。
送り残し(完)




