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迎え燈

AIに設定を読み込ませて執筆された、ホラーショートストーリーです。

ホラーショートストーリーAI朗読Youtubeチャンネルもあります。

https://www.youtube.com/@VacuousKaikitan

一、フリマアプリの桐箱


 梅雨の入り際、私はフリマアプリで日本人形を買った。

 値段は送料込みで千二百円。出品写真には桐箱に収まった市松人形が一体、手書きの説明文の画像と一緒に並んでいた。「祖母の遺品です。供養できず申し訳ありません。大切にしてくださる方へ」。私は古いものが好きで、机の上に季節ごとに置き替える小物を探していた。深夜の通勤電車の中、スマホの画面を親指で滑らせていて、ふと指が止まった。それくらいの、軽い気持ちだった。

 届いた箱を開けると、薄い樟脳しょうのうの匂いが立った。人形は思っていたより小さく、丈は三十センチほどしかない。臙脂えんじの振袖を着て、黒髪をきっちりと結い、白い面に切れ長の目をしている。胡粉ごふんの肌には罅一つない。傷みはほとんどなかった。

 ただ、左のたもとが一センチほど、糸の色の違う布で繕われていた。器用な繕いではなかった。誰かが急いで、手元にあった布で塞いだような、ささくれた縫い目だった。元の振袖は深い臙脂なのに、繕いの布だけが色褪せた藍だった。指でなぞると、そこだけ妙に硬い。中に何か、芯のようなものが入っている感触があった。私は深く考えなかった。古い人形の繕いなど、珍しくもない。

 私はそれを本棚の上、観葉植物の鉢の隣に置いた。スマホで何枚か写真を撮り、SNSに上げた。「掘り出し物」と一言添えて。いいねは六つ付いた。一人暮らしのワンルームに、新しい同居人が一つ増えた。そんな気分だった。

 その日は、いつもと変わらない一日だった。仕事から帰り、コンビニの弁当を温め、テレビをつけたまま食べた。シャワーを浴び、スマホの充電ケーブルを枕元に挿す。本棚の上の人形が、ふと目に入った。スタンドの灯りを受けて、白い面が、部屋の隅でぼんやりと浮かんで見えた。きれいだな、と思った。それだけだった。エアコンの除湿が低く唸り、私はその晩、いつものように布団に潜った。

 夢を見た。

 暗い部屋の真ん中に、女が立っている。輪郭はぼやけているのに、女の周りだけが薄く光っていた。蛍光灯でも蝋燭でもない、皮膚の内側から滲み出るような白い光。女はこちらを覗き込んでいる。背は高く、髪を結っているが、光に溶けて柄まではわからない。口元だけが、はっきりと動いていた。声は聞こえない。けれど唇の形が、何か同じ言葉を、繰り返し繰り返し、刻んでいるのだけはわかった。

 目が覚めると、午前三時十二分だった。喉がひどく渇いていた。枕元のスマホを掴むと、画面の冷たい光が、暗い天井をぼんやりと照らした。何でもない、ただの夢だ。私はそう思って、もう一度目を閉じた。


二、繰り返される言葉


 夢は、それから毎晩続いた。

 女はいつも同じだった。同じ場所に立ち、同じ光を纏い、同じ口の動きを繰り返す。私は夢の中で、その唇を読もうとした。最初の音は、たぶん「か」。次が「え」。何度見ても、そこから先が読み取れない。途中で必ず、あの白い光が強くなり、視界が滲んで、目が覚めてしまう。決まって午前三時過ぎだった。

 一つだけ、妙なことがあった。同じ言葉を繰り返す女が、最後にいつも、ほんの一音だけ、別の形に唇を動かすのだ。その一音だけが、なぜか「か」とも「え」とも違っていた。気のせいだと思った。そこまで読めるほど、夢は鮮明ではないはずだった。

 昼間、私はそのことを面白がってさえいた。買った人形のせいだと、半ば本気で、半ば冗談で思っていた。職場で隣の席の同僚に話すと、彼女は笑って「それ、呪われてるやつじゃないの」と言った。私も笑った。怖い話は、明るいLEDの下で、コーヒーを片手に話すぶんには、ただの娯楽だ。帰りの電車で人形供養の相場を検索してみたりもしたが、それも半分は遊びだった。まだ、その程度の話だと思っていた。

 変化に気づいたのは、四日目の朝だった。

 人形の顔が、わずかに濡れているように見えたのだ。白い面の、目の下のあたり。朝の光に、そこだけ鈍く反射していた。指で触れると、確かに湿っている。樟脳の匂いに、別の匂いが混じっていた。錆びた水のような、湿った土のような匂い。梅雨どきだから、窓の結露が伝ったのだろう。私は無理にそう結論づけて、ティッシュで拭った。拭いた跡が、薄く茶色く残った。ティッシュにも、同じ色が滲んでいた。

 冷静に考えれば、おかしかった。本棚の上は窓から離れている。結露が届くはずがない。それに、濡れていたのは面の目の下だけで、振袖にも髪にも、一滴の水気もなかった。頬を伝う、という言葉が頭をよぎって、私はあわててその考えを振り払った。人形が泣くわけがない。

 けれどその日の夜、夢の女は、これまでより一歩、近くに立っていた。光は強くなり、唇の動きは、はっきりと二音節になっていた。

 「かえ」。

 女は「かえ」と繰り返していた。

 返せ、なのか。帰れ、なのか。あるいは、別の誰かの名なのか。私には判じられなかった。ただ、その口の動きが、責めているようには見えなかった。もっと弱い、もっと縋るような動きだった。それが、かえって怖かった。


三、繕いの跡


 五日目、私は出品者にメッセージを送った。

 「人形について、もう少し伺えますか。お祖母様は、どこでこれを手に入れたのでしょう」。

 返信は、その日の深夜に来た。短い文面だった。「祖母は三重の関宿せきじゅくの出です。東海道の古い宿場町で、骨董を扱う家でした。この人形は蔵にあったものですが、祖母は生前、決して人に渡すなと言っていました。私が、約束を破ってしまいました。本当に、申し訳ありません」。

 私は関宿を調べた。三重県亀山市。東海道五十三次の宿場の一つ。今も江戸の頃の町並みが、一キロ以上にわたって残されているという。骨董。蔵。決して人に渡すな──私は背筋に冷たいものが伝うのを感じながら、それでもまだ、どこかで物語を楽しんでいた。怪談の主人公になったような、安全な高揚があった。明日になれば、また同僚に話す小話が一つ増える。そう思っていた。

 その夜、私は人形を本棚から下ろし、机の上に置いた。スタンドの灯りの下で、左の袂の繕いを改めて見た。やはり、中に何か入っている。指でつまむと、薄い、紙のような感触がした。

 糸を解いてみようと思った。何が縫い込まれているのか、確かめたかった。好奇心が、かろうじて恐れを上回っていた。

 古い糸は、爪を立てるとあっけなくほどけた。袂の中から、幾重にも折り畳まれた紙片が出てきた。和紙だった。茶色く変色し、端がぼろぼろに崩れている。息を詰めて広げると、墨で一行だけ書かれていた。

 筆跡は、ひどく震えていた。子どもの字のようにも、年老いた手のようにも見えた。だがその一行だけは、はっきりと読めた。

 「かえりたい」。

 帰りたい、と書いてあった。

 その瞬間、机の上の人形が、ことり、と音を立てて傾いた。エアコンは切っていた。風はなかった。窓は閉まっていた。人形はゆっくりと、私のほうへ面を向けて、傾いだまま静止した。切れ長の目が、まっすぐに私を見ていた。

 私はようやく、自分が何を買ったのかを理解した。供養できなかったのではない。この人形は、供養を拒んでいたのだ。神社にも、寺にも、火にも渡されず、ただ一つの場所へ帰ることだけを、震える字で、ずっと願っていた。


四、戻る箱


 私は紙片を袂に縫い戻し、人形を元の桐箱に納めた。針を持つ手が震えて、何度も糸を通し損ねた。翌朝、休みを取って、最寄りの神社に持って行った。

 社務所で事情を話すと、年配の宮司は箱の蓋に手を掛けただけで、開けもせずに、静かに首を横に振った。「これは、うちではお受けできません」。少し間を置いて、宮司は低く付け加えた。「帰る先が、もう決まっているものです。私どもが手を出していいものではない」。それ以上は語らなかった。代わりに、人形を持って帰るよう、丁寧に、しかし有無を言わせぬ調子で告げた。その目が、私ではなく、桐箱の一点をじっと見ていたのを、私は覚えている。

 私は別の神社を当たった。同じだった。社務所の窓口で、巫女が箱に視線を落とし、奥へ引っ込んで、戻ってこなかった。三軒目の寺では、応対に出た住職が、まだ蓋も開けていない箱を一目見ただけで、言葉を切って、奥へ引っ込んでしまった。しばらくして出てきた若い僧が、青い顔で「お引き取りください」とだけ言った。私が何か尋ねる前に、引き戸は閉められた。

 燃やそうとも思った。だが、人形供養も済ませていないものを、自分の手で勝手に焼くことに、手が止まった。ベランダに七輪を出し、着火剤に火を点けるところまではやった。桐箱を傍らに置いたまま、私はしばらく動けなかった。正直に言えば、怖かった。あの「かえりたい」の紙片を焼いてしまったら、女は本当に、帰る場所を失ってしまう気がした。焼かれて消えるのではなく、行き場をなくして、ずっと私の傍に留まる。そんな確信が、理屈もなく、胸の底に居座っていた。私は火を消し、箱を部屋に戻した。

 私は出品者にもう一度連絡した。返品したい、住所を教えてほしい、と。

 返信はなかった。アカウントは、その翌日に消えていた。プロフィール画像も、これまでのやり取りも、根こそぎ消えていた。それだけなら、ただ逃げたのだと思えた。けれど、おかしかった。私の端末に残っていたはずの送信済みのメッセージまで、一通残らず消えている。スクリーンショットを撮ってあったフォルダを開くと、その画像だけが、どれも真っ黒に塗り潰されていた。最初から、誰ともやり取りなどしていなかったかのように。

 夢の女は、毎晩立ち続けた。光は部屋を満たすほどになり、唇は「かえりたい」と、今は五つの音すべてを、ゆっくりと動かしていた。私はもう、それが人形の声なのか、人形に閉じ込められた誰かの声なのか、区別がつかなくなっていた。袂に縫い戻したはずの紙片の墨が、日に日に濃く、太くなっていることにも、私は気づかないふりを続けていた。

 夜を越えるたびに、考えは一つに削ぎ落とされていった。逃げたい、ではなかった。この人形を、帰さなければならない。その思いだけが、頭の中で重くなっていった。気づけば私は、関宿、と検索窓に打ち込んでいた。部屋に置いておくことのほうが、もう、ずっと怖かった。


五、関宿の方角


 今、私は人形を抱えて、夜行バスに乗っている。

 関宿へ向かっている。出品者の言った、三重の古い宿場町。東海道の、骨董を扱う家。蔵。そこへ返せば、女は帰れるはずだと思った。出品者が破った約束を、私が代わりに守ろうと思った。それが、この一週間で私の出した、ただ一つの答えだった。

 昼間のうちに、関宿の古い町並みの写真を、何枚も見た。格子戸の家が並ぶ通り。瓦屋根の連なり。骨董を扱う家など、地図を何度たどっても見つからなかった。蔵を持つ古い家は、もう取り壊されたのかもしれない。それでも、行けばわかる気がした。あの女が、導いてくれる気がした。そう思い込まなければ、私はこのバスに乗れなかった。

 夕方、職場には「しばらく休む」とだけメッセージを送った。スマホの電源は、さっき切った。理由はうまく言えない。ただ、あの白い光に、画面の光を見られたくなかった。

 だが、さっきから、妙なのだ。

 膝の上の桐箱が、布越しに、ほのかに温かい。人肌より少し低い、けれど確かな温もりだった。蓋の隙間から、人形の面の、目の下のあたりが湿っているのが、見なくてもわかる。錆びた水の匂いが、暗い車内に薄く満ちている。通路を挟んだ隣の席の乗客が、さっきから何度も、こちらを気にして身じろぎしている。匂いに気づいているのか。それとも、別の何かに。

 窓の外は真っ暗だ。高速道路の灯りが、規則正しく流れては消えていく。けれど、ガラスにうっすらと、私の顔が映っている。その私の後ろに、もう一つ、光る輪郭が立っている。座席に座っているのではない。立っているのだ。走るバスの揺れの中で、ただ一つ、まっすぐに。唇が動いている。

 もう「かえりたい」とは言っていない。

 今は、私の名を呼んでいる。聞いたこともない、けれど確かに私のものだとわかる名を、家族を呼ぶような、ずっと一緒に暮らしてきた者を呼ぶような、優しい声で。

 そこでようやく、気づいてしまった。あの女は一度も、自分が帰ると言ってはいなかった。「かえりたい」――あれは女の願いではなかったのかもしれない。あれは「帰ってきて」と、私を呼ぶ言葉だったのかもしれない。帰りたかったのは女ではない。迎えられる側になるのは、私のほうだったのだ。

 バスはまだ、関宿に着かない。本当に関宿へ向かっているのかどうかも、私にはもうわからない。膝の上の桐箱が、少しずつ、少しずつ、温かく、重くなっていく。あの白い光が、布越しに滲み出して、私の手を、ぼんやりと照らしはじめている。


迎え燈(完)

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