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骨喰みの大壺

AIに設定を読み込ませて執筆された、ホラーショートストーリーです。

ホラーショートストーリーAI朗読Youtubeチャンネルもあります。

https://www.youtube.com/@VacuousKaikitan

一、骨董市の隅で


 その壺と目が合った、という言い方は正しくない。壺に目はないのだから。それでもあの朝、神社の境内に並ぶ骨董市の一番奥で、私はたしかに何かに見られていた。


 父が亡くなって四十九日が過ぎたばかりだった。心臓だった。畑の見回りに出たまま、あぜ道で倒れているところを見つけられた。あっけない死に方だったぶん、母は実感のないまま日々を過ごしているように見えた。


 その週末、私は有給を使って実家の片づけに帰っていた。新幹線と在来線を乗り継いで二時間半。スマホの電波が二本に減り、やがて一本になるころ、見慣れた田んぼの景色が窓の外に流れはじめる。高校を出て都会に移ってから、盆と正月にしか帰らない暮らしを、もう十年以上も続けていた。


 片づけのついでに、母を気晴らしに連れ出した。母は若い頃から骨董が好きで、月に一度この神社の境内で開かれる骨董市には、父の運転する軽トラックでよく通っていたらしい。


 日曜の朝のひかりが、ビニールシートの上の古道具を白く照らしていた。錆びた鋏、瀬戸物の徳利、誰のものとも知れない位牌までが投げ売りされている。母はそれらを丁寧に手に取っては、また戻していった。その仕草の一つひとつが、父と来た日の癖をなぞっているように見えた。


 大壺は、テントの陰になった一番奥に据えられていた。


 高さは私の腰ほど。胴の張った、唐津焼だと札にあった。表面の鉄絵は長い年月で釉薬が灰色に沈み、絵はほとんど黒く溶けかかっている。口は広く、中をのぞくと底が見えないほど暗い。市の喧騒も、この一画だけは届かない気がした。


「いい壺でしょう」


 店主は日に焼けた老人だった。私たちが近づくと、待っていたかのように笑った。歯が一本、欠けている。


「古唐津の大壺。こういう大きいのは、昔は穀物を入れたり、味噌を仕込んだり。ものによっては――」


 そこで老人は言葉を切り、口の端だけで笑った。


「ものによっては?」


「いや。とにかく、滅多に出ません。今日はご縁ですから、安くしておきますよ」


 母はその壺の前にしゃがみ込んで、しばらく動かなかった。やがて胴をそっと撫でて、これにする、とひとこと言った。値段も聞かずに。


 私はなんとなく嫌な感じがして止めようとした。だが母の横顔があまりに穏やかだったので、結局何も言えなかった。父の葬式以来、母がそんな顔をするのを初めて見たからだ。


 軽トラはもう手放していたので、私が借りてきたレンタカーのトランクに積むことになった。壺は思いのほか軽かった。空っぽのはずだった。それなのに、トランクへ下ろすとき、内側で何かが乾いた音を立てて転がった。


 からん、と。


 乾いた、骨ばった音だった。


 走り出してしばらく、助手席の母が、その音を思い出すようにかすかに微笑んでいた。前を向いたまま、口元だけで。



二、家鳴りの夜


 壺は実家の仏間に置かれた。父の遺影の真下、仏壇の脇である。母はそこに花を生けると決めたらしく、その日のうちに庭の山茶花を一輪、口に挿した。


 私は週末だけ実家に通う生活を続けていた。母をひとりにするのが心配だったし、片づけもまだ半分も終わっていなかった。


 異変に気づいたのは、壺が来て四日目の夜だった。


 仏間の隣の部屋で寝ていた私は、夜中に妙な音で目を覚ました。家鳴りだ、と最初は思った。古い木造の家はよく鳴る。けれどその音は、柱や梁の軋みとは違っていた。


 もっと低い。喉の奥で何かを噛むような、こり、こり、という音。


 仏間からだった。


 襖を開けると、壺が月明かりに沈んでいた。母が活けた山茶花はうなだれ、花びらが二、三枚、畳に落ちている。つんできたばかりのはずなのに、もう萎れている。音はやんでいた。けれど壺の口から、かすかに饐えた匂いが立ちのぼっていた。土と、それから――骨を削ったときのような、白い粉っぽい匂い。


 仏壇の父の遺影が、月明かりの中でこちらを見ていた。少し困ったような、生前のままの笑い方で。


 翌朝、母にそのことを話すと、母は台所で味噌汁をよそいながら笑った。


「あなたも気づいたの。私もね、夜になると聞こえるのよ。でも怖くないの。誰かがそばにいてくれるみたいで」


 母の声は明るかった。父を亡くしてから抜け殻のようだった母が、その壺が来てから少しずつ生気を取り戻しているのは事実だった。食欲も戻り、頬に赤みが差し、声に張りが出ていた。


 それを聞いて、私は何も言えなくなった。母を支えているものを、私が取り上げる権利はない気がした。古い壺が立てる音くらい、気の持ちようだ。


 その週末から、母の様子が少しずつ変わっていった。最初は微笑ましいことに見えた。朝、二人分しかないはずの食卓に、母は三つ目の茶碗を並べるようになった。父の席だ。湯気の立つご飯を盛り、誰も座らない座布団の前に置く。「冷めないうちにね」と、壺のほうへ声をかけながら。


 ある夜には、仏間から「おかえりなさい」という母の声が聞こえた。誰も帰ってきていない時刻だった。襖を開けると、母は壺の前に座って、胴をやさしく撫でていた。


「肩が、少し丸かったでしょう。お父さん」


 母は壺を見つめたまま、独り言のようにそう言った。私は曖昧にうなずいて、襖を閉めた。


 その日の夕方、片づけを終えて一息ついたあと、私はふと思い立って壺の中をのぞいた。スマホのライトで底を照らす。光の輪が、ざらついた陶肌の底を舐めた。


 底に、白いものがあった。


 最初は花びらかと思った。けれど指を伸ばしてつまみ上げると、それは硬く、小さく、わずかに弧を描いていた。爪の先ほどの、白い欠片。断面だけがざらついている。


 骨のかけらだった。鳥か、何かの。そう思おうとした。


 私はそれを壺に戻し、ライトを消した。なぜ戻したのか、自分でもわからない。捨てるのが怖かったのか、それとも――もっと見たかったのか。指先に、白い粉のような感触がいつまでも残っていた。



三、底のないもの


 骨の欠片は、日に日に増えていった。


 最初は爪ほどの一片。次の週末には、指の節ほどのものが三つ。私は週末ごとに壺の底をのぞき、白いものが少しずつ大きく、多くなっていくのを確かめた。


 数えるようになっていた。気づけば、それが習慣になっていた。月曜に都会のアパートへ戻っても、仕事の合間にふと壺の底を思い出す。今ごろ、また一つ増えているだろうか、と。電車の吊り革を握る自分の指の節を、ぼんやり眺めている自分にぞっとしたこともあった。


 母は壺をますます大切にした。毎朝花を替え、胴を布で磨き、夜には壺の前に座って何かをつぶやいていた。父に話しかけているのだ、と最初は思った。


 そんなある金曜の夜遅く、帰宅した私は、仏間から漏れる母の声を聞いてしまった。襖の隙間から、線香の煙と一緒に、ほそい声が流れてくる。


「もう少しよ。もう少しで、みんな揃うから」


 みんな。


 その言葉が、なぜか背筋を冷たくした。父ひとりではない。みんな、と母は言った。


 翌朝、私は思いきって壺を移動させようとした。せめて庭の物置にでも移そう。母が買い物に出た隙に、両手で口の縁をつかんで持ち上げる。


 持ち上がらなかった。


 最初にトランクに積んだときは、軽かったはずだった。それが今は、根が生えたように動かない。中をのぞくと、底に溜まった白い欠片が――いや、欠片ではなかった。


 それらは、組み上がりかけていた。


 ばらばらの骨片が、底の暗がりで、ひとつの形になろうとしている。指の関節が連なり、掌の輪郭が浮かび、その先に、組み上がりきらない手首が伸びていた。背の上には、まだ朧げに、丸まった肩の線。母の言葉が、ふいに耳の奥でよみがえる。肩が、少し丸かったでしょう、お父さん。


 私はスマホのライトを取り落とした。畳の上で光が回り、壺の影が天井で大きく揺れる。拾い上げてもう一度照らしたとき、気づいた。骨は壺の中で湧いて溜まっているのではない。壺の口に向かって、外へ伸びようとしているのだ。


 からん、と乾いた音がした。あの日トランクで聞いたのと同じ音。


 壺が、中身を吐き出そうとしている。



四、燃えない、沈まない


 その日から、私は壺を処分しようと決めた。母には内緒で。


 最初に考えたのは、割ることだった。陶器なのだから、砕いてしまえば終わる。私は物置から金槌を持ち出し、壺の前に立った。けれど、どうしても振り下ろせなかった。腕を上げたまま、肩から先が石のように固まって動かない。壺の口の暗がりが、じっとこちらを見上げている気がした。


 埋めることも考えた。だが、庭のどこを掘っても、土の中でまた骨が増えていくだけのような気がして、手が止まった。


 残ったのは、火だった。実家には、まだ畑の隅に野焼きのできる一角がある。私は壺を運ぼうと身構えた。さっきは根がはったように動かなかったのに、今度は不思議と、軽々と持ち上がった。まるで壺のほうが、外へ運ばれるのを拒まなくなったみたいに。試させるために、とでも言うように。私はその違和感を振り払い、壺を火床に据え、灯油をかけて火をつけた。


 炎は壺を舐めた。けれど焼けなかった。高温の窯で焼かれた陶器が、たき火程度で割れるはずもない。問題はそこではない。火の中で、壺の口から、白いものがゆっくりとせり上がってきたのだ。骨の手が、炎を掻き分けるように、しなやかに。


 指が、一本ずつ、こちらへ向かって開いていく。


 私は悲鳴を噛み殺し、ホースの水を浴びせて火を消した。湯気の中に、壺だけが何事もなかったように立っていた。胴の鉄絵が、濡れて黒々と光っていた。


 次に試したのは、川だった。実家の裏手を流れる川は、秋の長雨のあとで水量が多い。私は壺を抱えて土手を降り、流れの速いところまで膝まで浸かって、両手を離した。重い壺は、ごぼり、と泡を立てて沈んでいった。底の見えない緑色の水が、それを飲み込む。これで終わった、と思った。私はその夜のうちに都会へ帰った。


 翌週末、戻ってみると、壺は仏間にあった。


 濡れてもいなかった。土も泥もついていない。ただ、山茶花だけが新しいものに替わっていた。母は何も言わなかった。ただ、私を見る目に、薄い膜のようなものがかかっていた。


「無駄なことをしないで」


 母の声は静かだった。怒ってはいない。むしろ憐れむような響きだった。


「あれはね、お父さんを連れて帰ってきてくれたの。骨董市で、お父さんが呼んだのよ。だから揃うの。少しずつ、私たちの分も」


 私たちの分。


 そのとき私は、ようやく理解した。あの店主が言いかけて飲み込んだ言葉、「ものによっては――」。


 父の遺品を整理していたとき、古い郷土史の冊子に目を通したのを思い出す。この地方では火葬の習わしが広まる前、人の骨を大きな壺に納めて土に埋める弔い方があった、と。蔵骨器。唐津の大壺には、まさにそのために焼かれたものがある。


 あれは空ではなかった。最初から、満ちていた。ただ、私たちに見える形で、少しずつ満ちていくだけだったのだ。



五、養われる


 今、私は実家で暮らしている。


 会社は辞めた。母をひとりにできなかった、というのは半分本当で、半分は嘘だ。本当のことを言えば、私はもうこの家から離れられない。離れようと玄関を出ると、体の奥が、こり、こり、と鳴る。あの夜の音が、今は私の中にある。駅へ向かう道の途中で足が止まり、気づくと仏間の前に戻っている。


 壺の中の骨は、もうずいぶん組み上がった。底でうずくまっていた形は、今では膝を立てて座っている。背中の輪郭が、壺の口から見える。誰のものか、私にはわかる。あの困ったような笑い方をしていた人の、肩の線だ。


 わかってしまった。


 夜になると、母と二人で壺の前に座る。母は花を替え、私は骨を数える。けれど数は、もう数えきれない。私たちの指の数だけ足りないのだと、いつからか思うようになった。揃うというのは、そういうことなのだ。


 昨夜、自分の左手を見て、爪が一枚なくなっているのに気づいた。痛みも出血もない。ただ、生えていたはずの場所がなめらかに塞がり、その指先が、少しだけ軽い気がした。関節の奥が、空洞になりかけているような。まず爪から、そうして奥の骨へと、少しずつ削られていくのだ。壺の底をのぞくと、新しい白い欠片が、組み上がった骨のすぐ隣に、そっと寄り添うように落ちていた。見覚えのある弧を描いていた。


 母は何も言わない。私も訊かない。母の右手の指も、いつのまにか何本か短くなっている。お互いに、気づかないふりをしている。


 ただ、夜ごとに音が近づいてくる。こり、こり、と。あれはもう壺の中だけの音ではない。私の体の奥からも聞こえている。


 骨を喰む音だ。


 壺は満ちようとしている。私たちで、満ちようとしている。父が呼び、母が招き、そうして私も――招かれた。三人ぶんの骨が揃えば、この壺は何になるのだろう。


 考えるのをやめて、私はまた、底の白いものを数えはじめる。


 花が、また一輪、うなだれた。


骨喰みの大壺(完)


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