終い祭
AIに設定を読み込ませて執筆された、ホラーショートストーリーです。
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一、無人の塔
在来線を乗り継ぐだけの一人旅も、三日目になると目的を失ってくる。大学三年の夏。秋からは就職活動が始まる。その前に、誰にも行き先を告げない旅がしてみたかった。理由といえばそれだけで、私は山陰本線の鈍行に揺られていた。
車窓に海が見えては隠れ、また見える。昼下がりの車内に乗客はまばらで、冷房の風だけが規則正しく首筋を撫でていた。次の停車駅を告げる放送が流れたとき、なぜその駅で降りようと思ったのか、今でもうまく説明できない。強いて言えば、ホームの先に白い塔が見えたからだ。海辺の町に一本だけ立つ、灯台とも煙突ともつかない塔。
改札は無人だった。駅前の通りにも人影がない。日陰で猫が一匹、伸びている。商店はどれもシャッターを下ろしていて、そのうちの一枚に手書きの貼り紙がしてあった。
「終い祭につき、本日休業」
しまいまつりと読むのだろうか。聞いたことのない祭りの名前。けれど旅先で土地の祭りに行き合うのは、悪い偶然ではない。むしろ少し、得をした気分だった。アブラゼミの声がアーケードの天井に反響している。潮の匂いと、アスファルトの焼ける匂い。自販機で買った水は、半分ぬるくなっていた。
通りを抜ける途中、山へ上る細い道の入口に、注連縄が渡してあるのを見た。白い紙垂を下げた縄が、道幅いっぱいに張ってある。古いものではない。紙垂は真新しく、縄の切り口も青かった。今日のために張られたのだと、ひと目で分かる。縄の柱には、商店のものと同じ筆跡の貼り紙が結んであった。
「終い祭のあいだ、山に入らず。山を見ず」
入らずのほうは分かる。祭りの邪魔になるからだろう。けれど、見るなとはどういうことだろうか。立ち止まりかけて、暑さが勝った。額の汗を拭いながら、私は白い塔へ向かって歩いた。
近づくほどに、塔は古びて見えた。錆の浮いた案内板には、展望塔とある。外壁の白は塗装の白ではなく、潮風に灼かれて色の抜けた白だった。入口のガラス戸は開いている。なのに受付に人はいなかった。カウンターには料金箱だけが置いてあり、「展望室 三〇〇円」と書いてある。百円玉を三枚落とすと、硬貨の音が薄暗いロビーに長く響いた。
エレベーターは動いた。八階、展望室。扉が開くと、ガラス越しの日射しと、こもった熱気が顔を押してくる。展望室にも誰もいない。自分の靴音だけが、円い部屋を一周する。
海が見えた。それから振り返ると、町を抱くように連なる山が見えた。
二、百円の眺め
展望室の窓際に、据え付けの双眼鏡が一台あった。百円玉で三分間だけ覗ける、観光地によくあるあれだ。せっかくだからと硬貨を入れ、まずは海へ向けた。
港が見えた。係留された漁船が、岸壁にきれいに並んでいる。一艘も出ていない。海水浴場らしき浜にも、人影がひとつもなかった。夏の盛りの、晴れた海辺の町。なのに浜にパラソルの一本も立っていないのは、考えてみれば妙だった。祭りの日だからだろうと、そのときは思った。
海に飽きかけたところで、ガシャンと音がしてシャッターが下りた。三分。あっけないものだ。少し迷ってから、私は二枚目の硬貨を入れ、レンズを山側へ回した。
山腹に、開けた場所がある。木々が切れて、社の屋根らしい反りが見えた。神社だろう。その境内から斜面に沿って、紅白の幕が幾重にも張ってあった。幕は社の前から始まり、参道とも違う方向へ、山を下るように長く続いている。下りた先は、たぶん海だ。
幕と幕のあいだには、白い布の道が敷いてあった。境内には人がいる。白装束の男たちが円になって座っている。太鼓を打つ者がいて、笛を構える者がいる。腕の動きでそれと分かるだけで、音はここまで届かない。聞こえるのは、塔の周りで鳴き続けるアブラゼミの声だけ。なのに不思議と、蝉の声の波と太鼓を打つ腕の上下が、合っているように思えた。
祭りだ。貼り紙にあった、終い祭。
布の道の上を、何かが歩いていた。
白かった。人の形をしていた。けれど、大きさがおかしい。道の両脇に立つ男たちの背丈と比べると、三倍ではきかない。手足は異様に細長く、それに比べて頭が小さすぎる。張りぼてだろうと最初は思った。祭りの造り物。中に人が入って、竹の骨組みを揺らしながら歩いているのだと。それにしては、歩き方が滑らかすぎた。長い脚が布の道を踏むたび、関節のない生き物のように、全身がゆるくしなる。
それは布の道を、海へ向かってゆっくり下っていた。両脇の男たちが白い縄のようなものを掲げ、導くというより、囲うようにして付き添っている。送るのだと、なんとなく分かった。レンズを布の道の先へ滑らせると、果てに浜があり、波打ち際に白木の小舟が一艘据えてあった。あれに乗せて、沖へ流すのだろう。夏の終わりに、何かを海へ返す祭り。土地にはそういう行事がよくあると、何かで読んだ覚えがある。
ガシャンと音がして、視界が黒く閉じた。三分。私は迷わず次の硬貨を入れた。
三、線の目
視界が開いた瞬間、何かが変わっていた。
行列が、止まっている。白い縄は地面に落ちていた。両脇にいたはずの男たちの姿が、まばらにしかない。残った数人も、遠目に分かるほど後ずさっている。境内の円は崩れ、太鼓がひとつ、斜面を転がり落ちていくところだった。
逃げているのだと理解するまで、数秒かかった。百円を入れているあいだに、いったい何があった。風で何かが倒れたのか。誰かが熱中症で倒れて、騒ぎになったのか。理屈は次々に浮かんで、次々に役に立たなくなった。倒れた者を助け起こす者が、ひとりもいない。全員が、同じ一点から遠ざかる方向にだけ動いている。
白いものだけが、布の道の途中に立っていた。直立したまま動かない。やがて小さな頭がゆっくりと回った。肩は動かさずに、頭だけが。
顔が見えた。
目と鼻にあたる線が、あった。子供が描き殴ったような、乱暴な線。口の位置だけが黒く開いていて、その黒が、輪郭を保たないまま蠢いているようだった。見てはいけないと首の後ろが粟立つ。なのに、目が離せない。
線で描かれた目が、こちらを向いた。
山と町を隔てる数キロの距離を、レンズの筒をまっすぐ遡って、それは私を見た。偶然だとは思えなかった。あれは、見られていることを知っている。どこから見られているのかも、誰が見ているのかも。
ガシャン。シャッターが落ち、視界が閉じた。
私は双眼鏡から飛び退いた。次の硬貨を入れる気は起きなかった。財布の中には、まだ百円玉が残っていた。けれど確信に近い予感があった。もう一度レンズが開けば、あの顔は、さっきよりずっと近くにある。
荒い息のまま顔を上げて、気づく。展望室の窓いっぱいに射す光が、来たときよりずっと低い。床に伸びる双眼鏡の影が、長い。
四、終わらんかった
エレベーターを待つ時間が耐えられず、非常階段を駆け下りた。踊り場を回るたびに小窓の外へ山が見える。見ないようにして下りた。それでも背中のあたりに、視線に似た重さがずっと貼り付いていた。
塔を出たところに、老人が立っていた。この町に来て、初めて会う人間だった。麦藁帽の下から、老人は私の顔ではなく、私が出てきた塔を見上げて言った。
「上から、見とったかね」
声が出なかった。それが答えになった。老人は山の方へ目をやって、独り言のように続けた。
「終い祭が、終わらんかった」
「……すみません。私が、見ていたから」
「いいや」老人は首を振った。「よその目があると終われんちゅう話は、確かにある。じゃけぇ町の者は、今日は誰も外に出ん。船も出さん。じゃが、あんたは知らんかった。知らんもんを責めても仕方なかろう」
山道の入口の、あの貼り紙が頭をよぎった。山に入らず、山を見ず。入るなという禁は分かっても、見るなという禁の意味を、私は考えもしなかった。考えていれば。そう思いかけて、やめた。考えていても、たぶん覗いた。あの暑さの中で、それ以外にすることがなかったのだから。
なら、誰のせいなのか。あれはこれから、どうなるのか。訊くより先に、老人は背を向けて歩き出していた。その背中から、もうひとつだけ声が落ちた。
「終わらんかった夏は、見とった者に付いていくそうな」
駅まで走った。ホームの時計を見て、息が止まる。塔にいたのは二十分ほどのはずだった。針は、二時間近く先を指している。双眼鏡を覗いていたのは、百円玉三枚ぶん。たったの九分。残りの時間は、どこへ消えたのだろう。
次の上り列車まで四十分あった。私は待合室の隅で、山に背を向けて座り続けた。誰も来ない。猫さえ通らない。アブラゼミの声だけが、波のように寄せては引いた。
列車が来ると海側の席を選び、山側の窓の日除けを全部下ろした。発車してしばらくして、気がつく。冷房の効いた車内に、蝉の声がしている。窓は閉まっている。走行音に混ざって、確かにしている。隣の車両に移っても、その声は同じ近さで付いてきた。
その日のうちに県境を越え、深夜に自宅へ帰り着いた。後になって地図を何度も辿ったのに、あの駅の名前が思い出せない。乗っていた路線の駅名を端から読み上げても、どれひとつ引っかからない。スマホの写真も確かめた。展望室から海を撮った覚えが、確かにある。なのにその日の昼から夕方まで、写真は一枚も残っていなかった。覚えているのは、貼り紙の三文字だけだ。終い祭。それ以外のすべてに、霧がかかっている。
五、蝉時雨
九月が終わり、十月が過ぎた。街路樹は色づいて散り、行き交う人はコートを着込んでいる。暦の上でも、肌の上でも、とっくに秋だ。
けれど私の耳の奥では、まだ蝉が鳴いている。
最初は耳鳴りだと思った。疲れか、夏の名残か。病院で検査も受けたが、異常はないと言われた。ただ、認めたくない事実がひとつある。あの声は、アブラゼミだ。ジジ、ジジと油の爆ぜるような、あの町の声。それが朝も昼も夜も、遠くで絶えない。近くはならない。けれど、絶対に遠ざからない。講義の最中も、友人と笑っている最中も、声は同じ距離で鳴き続けている。誰に話しても伝わらないだろうから、誰にも話していない。
スマホの写真にも、気づいてしまった。
旅から帰って撮った写真は、どれも何でもない風景だ。大学の銀杏並木。友人と入った店の前。駅まで歩く道の夕空。その全部の、いちばん遠い山の稜線あたりに、写っているものがある。拡大すると、紅白の縞がひとすじ。幕だ。あの斜面に張ってあった、紅白の幕。
そして幕のそばに、白く細い、縦のもの。
新しい写真ほど、それは少しだけ大きく写っている。先月の写真では、いちばん遠い稜線にいた。最後に撮った写真では、ひとつ手前の尾根を越えていた。近づいているのだと思う。布の道を下りきれなかったあれが、終わらなかった祭りごと、ゆっくりとこちらへ歩いてくるのだろう。送り届けられるはずだった海を離れて、代わりの行き先へ。
私はもう写真を撮らない。けれど先週、友人が撮った集合写真に私が写っていた。背景には、遠い山並みがあった。拡大して確かめる勇気は、まだ出ない。それでも夜、消したスマホの黒い画面に部屋の明かりと自分の顔が映るとき、その肩越しの暗がりを見ないでいるのは難しい。
老人の言葉を、何度も思い返す。終わらんかった夏は、見とった者に付いていく。
だから蝉が鳴いているのか。皆の夏はとうに終わり、私の夏だけが、まだ終われずにいるのか。あの祭りはまだ続いていて、最後まで見届ける役が、たぶん私に残されている。
考えまいとしても、考えてしまうことがある。あれが布の道を下りきっていれば、祭りは海で終わったはずだった。けれど道は途切れ、行き先は変わった。だとすれば、あれが私のところへ辿り着いたとき、終い祭はようやく終わるのではないか。私の長すぎる夏も、そこで一緒に。それがどういう終わり方なのか、想像だけはしないように、毎晩努めている。
窓の外には今朝、初雪の予報が出た。耳の奥では、今も蝉が鳴いている。
終い祭(完)




