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藪は見返す

AIに設定を読み込ませて執筆された、ホラーショートストーリーです。

一、囁く藪

 市川の駅前から少し歩いた住宅街の一角に、その藪はあった。

 十八メートル四方ほどの、ちっぽけな竹林である。四方を黒い鉄柵で囲まれていて、中には何年も人が立ち入った形跡がない。柵の脇には古い石碑が立っていて、「不知八幡森」と刻まれている。

 晴香がこの町に越してきて、一月が経っていた。大学への通学路に、その藪はいつもあった。

 はじめのうちは、ただの古ぼけた空き地だとしか思わなかった。けれど、地元の人々がその前を通るとき、決まって一度だけ視線を落として、足早に通り過ぎていくのを見て、晴香はようやく気づいたのだった。

 ――ここは、触れてはいけない場所なのだと。

 入居を手伝ってくれた不動産屋の老人の言葉を、晴香はふと思い出す。

「あそこだけはね、嬢ちゃん、見ちゃいけないよ。江戸のころから、入った者は誰も帰ってきやしないんだ」

 冗談だろうと、あのときは笑った。藪は見るからに浅く、向こう側の家の屋根すら見えるほどだった。迷いようもない、ただの街の隙間だ。

 その日は、秋の夕暮れだった。講義が長引いて、帰りが遅くなった。

 いつもの角を曲がったとき、晴香の足は止まった。

 柵の向こう、暗い竹の陰に、赤い着物の子どもが立っていた。

 五歳ほどだろうか。表情は影に沈んで見えない。ただ、こちらを、じっと見ていた。

 晴香はまばたきをした。その一瞬で、子どもは消えていた。

 竹の葉がさらりと鳴った。風もないのに。


二、鈴音の客

 その夜から、鈴の音が聞こえるようになった。

 はじめは錯覚かと思った。窓を閉めているのに、風のない夜に、チリン、チリン、と細い音が遠くから響いてくる。

 飼っている黒猫のココが、決まってその音のする方を見つめて、低く唸るのだった。ココは窓辺から動かず、毛を逆立てたまま、瞳孔を針のように細めている。

「どうしたの、ココ」

 声をかけても、猫は振り向かない。

 三日目の夜、晴香は思い切って窓を開けた。冷えた秋の空気と一緒に、はっきりと鈴の音が入ってきた。音は、藪の方角から来ていた。

 翌朝、ゴミ出しで顔を合わせた隣室の老婆に、晴香はそれとなく尋ねてみた。

「あの藪、夜になると音がするんですけど、何かあるんでしょうか」

 老婆はしばらく黙っていた。それから、晴香の顔をまっすぐに見て言った。

「嬢ちゃん、あの藪をね、じっと見ちゃいけないよ」

「どうしてですか」

「藪はね、見返してくるんだ」

 老婆はそれだけ言うと、くしゃりと皺を深くして笑い、自分の部屋に戻っていった。

 その日から、晴香は藪の前を通るとき、顔を伏せるようになった。けれど、どうしても視界の端に、赤いものがちらつく気がしてならなかった。

 気のせいだと、何度も自分に言い聞かせた。

 ココは夜になるたび、窓の外を睨み続けていた。


三、赤い子

 雨の降る夕方だった。

 晴香は傘を差して、駅からの帰り道を歩いていた。いつもの角を曲がり、いつものように顔を伏せて藪の前を通り過ぎようとしたとき――ふと、気づいた。

 いつも閉まっているはずの錆びた鉄柵の扉が、わずかに開いている。

 そして、その隙間の向こうに、あの赤い着物の子が、ぽつんと立っていた。

 雨に打たれながら、濡れた髪を顔に貼りつかせて、うつむいている。

「君、どうしたの。こんな所で」

 声が、自然と出ていた。子どもはゆっくりと顔を上げた。顔の下半分は濡れた前髪に隠れて見えない。けれど、瞳だけが、暗い水のように光っていた。

 子どもは、くるりと背を向けて、竹林の奥へと走り込んでいった。

「あっ、ちょっと、待って!」

 晴香はためらわなかった。ためらう前に、足が動いていた。

 柵の内側に一歩踏み入れた瞬間、雨の音が消えた。

 傘を差しているのに、雨粒の感触がない。見上げると、灰色の空がどこまでも続いていて、さっきまで見えていた隣の家の屋根が、どこにもない。

 竹林は、どこまでも奥へ続いていた。

 振り返る。柵がない。入ってきたはずの扉がない。道路もない。

 ただ、竹、竹、竹。

 遠くで、チリン、と鈴が鳴った。

 その音は、なぜか耳のすぐ後ろから聞こえた気がした。


四、顔なき者

 どれほど歩いたか、わからない。

 時計は止まっていた。スマートフォンは圏外のまま、バッテリーの残量だけがじわじわと減っていく。

 晴香は歩き続けた。歩いていないと、何かに追いつかれる気がした。

 やがて、竹の合間に、赤いものが見えた。リボン。細い赤いリボンが、あちらこちらの竹に結びつけられている。数は、数えきれなかった。

 リボンの向こうに、何かがあった。

 大きな楠の根元に、顔が、あった。

 人の顔が、木の肌に半分埋もれるようにして、浮かんでいる。

 目は閉じている。口は、何かを言おうとするように、わずかに動いている。

 一つではなかった。楠の幹にも、根にも、地面にも。老婆の顔、子どもの顔、男の顔、女の顔――無数の顔が、音もなく口を動かしていた。

 声は聞こえない。けれど、唇の形を、晴香は読み取ってしまった。

 それらは皆、同じ言葉を繰り返していた。

 ――は、る、か。

 ――は、る、か。

 晴香は後ずさった。喉の奥が凍りついて、声が出なかった。

 そのとき、一番手前の、ちょうど晴香の目の高さにある顔が、ゆっくりと瞼を開いた。

 それは、晴香自身の顔だった。

 鏡のように自分と同じ顔が、まっすぐに晴香を見つめて、にっこりと、笑った。

 鈴の音が、すぐ背後で鳴った。

 晴香は、走った。


五、藪は見返す

 気がつくと、晴香は柵の前に立っていた。

 雨は上がっていた。空は夕焼けに染まり、街灯がぽつぽつと灯り始めている。

 柵の扉は、いつものように固く閉ざされている。

 夢だったのだろうか。――いや、違う。靴は濡れ、服にも竹の葉がついている。スマートフォンの時計を見ると、家を出てからたった五分しか経っていなかった。

 晴香はふらつきながらアパートに戻った。ドアを開け、いつものように「ただいま」と呟いて、ココを呼んだ。

 ココは、玄関に座っていた。

 黒い猫は、晴香を見るなり、全身の毛を逆立てて、シャアッと牙をむいた。

「ココ、どうしたの、私よ」

 晴香が近づこうとすると、ココは飛び退いて、寝室の奥へ走り込んでしまった。

 洗面所の鏡の前に立つ。

 鏡の中の自分は、ちゃんと晴香の顔をしている。よかった、と胸をなでおろしたその瞬間、晴香は気づいた。

 ――鏡の中の自分が、まばたきをする。ほんの、コンマ数秒、遅れて。

 その晩、晴香は駅に向かった。実家に帰ろうと思った。どうしてもこの町から、離れたかった。

 電車は動いていた。席に座り、目を閉じた。

 揺れに身を任せていると、車掌のアナウンスが聞こえた。

「次は、本八幡、本八幡――」

 晴香は顔を上げた。窓の外には、見慣れたあの藪が流れていく。

 次の駅でも、その次の駅でも、窓の外には藪があった。

 電車はどこへ行っても、晴香を、あの町へ連れ戻した。

 諦めて、アパートへ戻る道すがら、晴香はふと、自分の部屋の窓を見上げた。

 二階の自分の部屋に、電気がついていた。

 カーテンの隙間から、誰かがこちらを見下ろしていた。

 晴香の服を着た、晴香の髪型をした、誰か。

 晴香は、ゆっくりと、藪の方を振り返る。

 鉄柵の向こう、竹の陰に、女が一人立っていた。

 濡れた髪の、晴香によく似た女が、泣きそうな顔で、ぽつりと口を動かした。

 ――は、や、く、か、わ、っ、て。

 鈴の音が、どこかで、チリン、と鳴った。

 晴香の足は、藪に向かって、一歩、踏み出した。

 もう、どちらが晴香なのか、晴香自身にも、わからなかった。

 夕闇の中、藪だけが、静かに見返していた。


(完)

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