表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
49/69

綱を解いた跡

AIに設定を読み込ませて執筆された、ホラーショートストーリーです。

ホラーショートストーリーAI朗読Youtubeチャンネルもあります。

https://www.youtube.com/@VacuousKaikitan

一、平らな場所


 その谷あいの空き地を見つけたのは、地図にも載っていない林道を一時間以上も走った後だった。


 ソロキャンプを始めて半年、私は人のいない場所ばかりを探すようになっていた。混み合った有料サイトの喧騒も、隣のテントから漏れる笑い声も、もう面倒に感じる。誰の目も届かない場所で、自分の淹れた珈琲を飲みながら火を眺める。それが、平日の疲れを抜く唯一の時間だった。だから車載のナビが「この先、経路情報なし」と表示を諦めたとき、引き返すどころか、むしろ胸が高鳴った。


 未舗装の道が、轍も消えかけたまま細くなり、やがて途切れた。その先に、その場所はあった。


 不思議なほど平らだった。両側を低い杉林に挟まれ、奥には涸れかけた沢が一本流れている。山の斜面の途中だというのに、そこだけ誰かが鏝でならしたように水平で、下生えも妙に短く刈り揃えられたようだった。テントを張るのに、これ以上ない地面だった。整いすぎている、と頭の隅で思いはしたが、その日の私は、平らな地面という幸運のほうにしか目が向かなかった。


 車を降りると、土の匂いがした。湿った腐葉土の、底のほうから立ちのぼるような深い匂い。風はなく、鳥の声も遠い。日差しはあるのに、その空き地の空気だけが、ひんやりと淀んでいる気がした。


 地面を均そうとしてしゃがんだとき、靴の先が何かに触れた。


 杉の根元に、藁の束が落ちていた。長く編まれた縄で、太さは私の腕ほど。ところどころ朽ちて黒ずみ、藁屑がぼろぼろと地面にこぼれている。とぐろを巻いた蛇の形に見えなくもなかったが、もう原形をとどめていない。ずいぶん古いものらしく、片端は地面に半ば埋もれていた。


「祭りの飾りか何かか」


 そう独りごちて、私はそれを脇へ寄せた。空き地のちょうど真ん中、二本の杉のあいだを結ぶように渡してあったから、テントの邪魔になる。両手で持ち上げると、見た目より重い。藁の内側がまだ湿っていて、握った指に、井戸水のような冷たさが残った。私はそれを五メートルほど離れた茂みの際まで運び、放り出した。


 日が傾く前に、私は手早く設営を終えた。インナーテントを張り、コットを組み立て、その上に寝袋を広げる。沢の水を汲んで湯を沸かし、レトルトの飯と、缶詰の魚で簡単な夕食をとった。


 火を見ながら、私は満ち足りていた。誰の目もない、自分だけの平らな場所。脇へ寄せた藁の束のことは、火が爆ぜる音とともに、もう忘れていた。


 ただ一度だけ、薪を足そうと立ち上がったとき、二本の杉のあいだを見た。昼間、縄が渡してあったあたり。何もない暗がりが、なぜか、まっすぐ一本の道のように見えた。気のせいだと思い、私は薪をくべ直した。火の粉が、その暗がりのほうへ、ふわりと流れていった。


二、夜のあいだに


 最初に気づいたのは、音だった。


 火を落とし、寝袋に潜り込んだのが二十二時頃。沢の流れと、葉擦れの音だけが残っていた。眠りに落ちかけたとき、テントの外を、何かが通り過ぎた。


 ざ、ざ、と下生えを踏む音。獣だろうか。私は息を詰めて耳を澄ました。足音は一定の速さで、テントの脇を、沢のほうから林道のほうへと抜けていった。鹿か、狸か。山ではよくあることだと、自分に言い聞かせる。


 だが、足音は一度では終わらなかった。


 しばらくして、また聞こえた。今度は逆向き、林道のほうから沢のほうへ。同じ速さ、同じ間隔で、ざ、ざ、と。獣が餌場と寝床を往復しているにしては、間隔が正確すぎた。まるで決まった一本の道を、行ったり来たりしているように。


 奇妙だったのは、その足音が必ずテントの真横を通ることだった。空き地はテント三つ分ほど広いのに、どの音も、私の寝ているすぐ脇の、同じ一本の線をなぞっていく。コットの真下、昼間あの藁の束が渡してあった、あの線を。


 私は懐中電灯を点けようと、枕元に手を伸ばした。指がスイッチに触れた瞬間、足音がぴたりとやんだ。鹿か狸なら、光を当てれば逃げる。そう思った。だが、指はスイッチを押さなかった。光を点ければ、外にいる何かと、布越しに、目の高さが合ってしまう。そんな気がして、私は手を止めた。電灯を点けないまま、闇の中で、次の足音を待った。待つあいだ、沢の音だけが、やけに大きく聞こえた。


 やがて、足音はまた始まった。さっきより、テントに近い。


 三度目の足音のあと、私の体は動かなくなった。


 金縛り、というものを、私は初めて経験した。指一本動かせず、声も出ない。ただ目だけが開いていて、テントの天井の闇を見ている。布一枚を隔てた向こうを、何かが通っていく気配だけが、はっきりとあった。冷たい空気が、寝袋の口から首筋へ、ゆっくり流れ込んでくる。


 足音が、テントの真横で、止まった。


 それまで一定だった足取りが、私の頭のすぐ脇で、ふつりと途切れたのだ。沢へも、林道へも抜けない。止まったまま、動かない。布越しのすぐそこに、何かが立っている。私はそれを見ようとしたが、首は動かなかった。動いたのは、息だけだった。


 左肩のあたりに、ふいに重みが乗った。


 何かが、上から覆いかぶさるように、そっと置かれた。掌ほどの大きさの、冷たい重み。それは肩を掴むでも押すでもなく、ただ乗っていた。乗ったまま、指の一本一本が、皮膚の上を確かめるように、わずかに沈んでくる。私はそれを振り払いたかった。だが腕は鉛のように沈んだまま、寝袋の中で爪だけが内側を掻いた。


 朝まで、私は一睡もできなかった。空が白むにつれて足音は間遠になり、最後の一つが沢のほうへ消えたのを確かめてから、ようやく体が自由になった。


三、戻った束


 汗びっしょりの寝袋から這い出し、私はテントのファスナーを開けた。


 外は、いつもの朝だった。鳥が鳴き、沢が流れ、杉の梢が朝日に光っている。何事もない。ゆうべのことは、慣れない場所での緊張が見せた、たちの悪い夢だったのかもしれない。私は前夜のうちに沸かして冷えた珈琲を一口飲んで、そう思おうとした。


 それでも、テントの周りの地面を、つい確かめてしまう。下生えの短い土の上に、足跡はなかった。獣のものも、人のものも。ざ、ざ、とあれだけ通ったのに、踏まれた痕がどこにもない。落ち葉が蹴られて寄った跡も、夜露を吸った土が跳ねた痕もない。獣が通れば必ず残るはずのものが、ひとつもなかった。むしろそのことのほうが、私の喉を細くした。


 撤収のため、テントの外へ出て、ペグを抜こうとしゃがんだとき、ふと茂みの際に目をやった。


 藁の束が、ない。


 ゆうべ放り出した、あの五メートル先の茂みに、束の影もなかった。藁屑の一本すら落ちていない。代わりに、それはあった。


 空き地のちょうど真ん中。テントを張る前に、二本の杉のあいだを結んで渡してあった、まさにあの位置に。半ば土に埋もれた片端の向きまで、寄せる前とそっくり同じだった。


 誰が戻したのか。私のほかに、誰もいないこの場所で。


 私はゆっくりとテントを振り返った。インナーの真下を、その藁の縄が貫いている。ゆうべ足音が止まり、肩に重みが乗った、ちょうどあの一本の線の上に、テントは建っていた。私はゆうべ、束が渡してあった道の、その真上で、一晩じゅうすごしていたのだ。


 縄を、もう一度どけようと、手を伸ばしかけた。指先が藁に触れる寸前で、私はその手を引っ込めた。脇へ寄せたから、こうなった。もう一度動かせば、何がどうなるのか。考えるより先に、体が拒んでいた。


四、手の形


 撤収の手が、震えて進まなかった。それでもどうにかテントを畳み、私は最後にシャツを着替えようと、上を脱いだ。


 そのとき、左肩に違和感を覚えた。ひりつくような、痣を指で押したときのあの感覚。


 鏡など持ってきていない。私はスマホのインカメラを起動し、肩越しに画面を覗き込んだ。


 そこに、痣があった。


 赤紫色の、はっきりとした痣。前日、設営のあとに着替えたときには、何もなかった場所だ。日に焼けた肩に、その一点だけが、内出血したように深く沈んでいる。


 形が、おかしかった。


 楕円の輪郭から、四本の細い筋が、肩の前へ向かって放射状に伸びている。そのうちの一本は、少し離れて、内側へ。私は画面を凝視したまま、指を一本ずつ数えた。四本と、親指。それは、人の手の形をしていた。掌で、肩を、後ろから上から掴んだ跡。


 ゆうべ感じた、あの冷たい重み。掌ほどの大きさの、指の一本一本が沈んでくる、あの感触。


 撫でた指の腹に、痣の縁の段差が、はっきり触れた。錯覚ではない。本当に、皮膚が一段、内側へ沈んでいる。掌で押さえつけられた肉が、そのまま形を覚えてしまったように。私はスマホを取り落としそうになりながら、もう一度、空き地の真ん中の藁の縄を見た。


 朽ちた藁が、朝日の中で黒く湿っている。あれの上を、ゆうべ何かが通った。何度も、行きつ戻りつ。そして一度だけ、テントの真横で立ち止まり、布の内側へ手を伸ばした。私の肩に、掌を、置いた。


 なぜ左肩だったのか。寝袋の中で、沢のほうへ頭を向け、私は右を下にして眠っていた。テントの真下を貫く縄に対して、私の右肩は、ちょうどその線の真上にあった。道の上に、肩を差し出して寝ていたようなものだった。


 吐き気がこみ上げた。私はその場にしゃがみ込み、口を押さえた。胃の中のものは出てこなかったが、代わりに、ひとつの確信だけが、せり上がってきた。あの縄は、私を通すまいとして張られていたのではない。あれは、私の側を通る何かを、止めるための縄だったのだ。


 私は荷物を半分も車に積まないまま、テントもポールも放り出したまま、運転席に転がり込んだ。エンジンをかける手が、震えて鍵を二度すべらせた。


五、通してしまった


 帰りの林道を、私は無我夢中で車を走らせた。


 麓の集落に出たのは昼前だった。古い商店の軒先で、湯呑みを手に座っていた老人に、私はあの空き地のことを尋ねた。地図にもない、平らな場所。朽ちた藁の束が落ちていた場所。


 老人は湯呑みを置いてから、ゆっくりと私を見た。


「あそこに泊まったのかい」


 そうだと答えると、老人は短く息を吐いた。昔、あの谷には道切りの綱が張ってあったのだという。村の者が藁で大蛇を編み、二本の杉に渡して、悪いものが谷を通らんように、縄で道を切る。代々、決まった日に編み直してきた。


「谷の奥は、昔から行き来のある道でな。人のじゃない。あれが通らんように、綱で切っとったのよ」


 けれど、と老人は続けた。村に若い者がいなくなって、もう何年も誰も編んでいない。綱は朽ちて、地面に落ちたまま。


「けどな、落ちとるだけなら、まだ道の形は残っとる。地べたに在るうちは、それでも境よ。跨ぐもんがおっても、辛うじて、止めとった」


 老人は湯呑みの底を、指でひとつ撫でた。


「落ちた綱は、もう道を切っとらん。それでも、そこに在りさえすれば、まだ堰にはなる。切れ目のなくなった道を、いまは何が行き来しとるか――それを、どうにか堰いとった綱を、どけてしもうたら」


 老人はそこで言葉を切った。それから、私の顔をじっと見て、低く言った。


「綱を、動かしたな。あれを、脇へ」


 私は答えられなかった。動かした、どころではない。私はその綱があった場所の上に、テントを張って眠ったのだ。境を脇へ退け、堰の切れた道の、その真ん中で。


 老人は湯呑みの茶を飲み干し、それきり、私のほうを見なかった。


 家に帰って、一週間が経つ。


 左肩の痣は、薄れるどころか、日に日にくっきりしてきている。四本の指と、親指。掌の輪郭まで、いまでは皮膚の下に、別の手が嵌まっているように浮かんで見える。仕事中、ふとした拍子に肩が重くなる。会議の最中、隣の席の同僚が、私の左肩のあたりをちらりと見て、すぐに目を逸らしたことがあった。何か、見えたのかもしれない。私は聞かなかった。


 夜になると、廊下を、ざ、ざ、と何かが通る。沢のほうから林道のほうへ、と思いかけて、私はその言い方を改める。この家に沢はない。林道もない。それでも足音は、あの谷でそうしていたのと同じ速さ、同じ間隔で、玄関のほうから奥へ、奥から玄関のほうへと、廊下を行き来している。あの一本の道が、家の中にまっすぐ通ってしまったのだ。


 それは、あの谷から私について来たのだと、もう疑っていない。藁の束を脇へ寄せ、その真上で眠ったあの夜、私は知らずに、切れていた道を、もう一度つないでしまった。一度つながった道は、止める縄を持たない。


 廊下の足音は、夜ごと寝室に近づいている。最初の晩は玄関の近くで折り返していたのが、昨夜は寝室の扉の前で、はっきりと、止まった。


 今夜も、足音は廊下を行き来している。さっき、扉の前で止まった。


 左肩の重みが、また、増したような気がする。


綱を解いた跡(完)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ