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吊るし木

AIに設定を読み込ませて執筆された、ホラーショートストーリーです。

ホラーショートストーリーAI朗読Youtubeチャンネルもあります。

https://www.youtube.com/@VacuousKaikitan

一、火の番


 高原のキャンプ場で夏のあいだだけ働くと決めたのは、ただ涼しい場所で過ごしたかったからだ。標高が千を超えると、八月でも夜は薄い上着がいる。私はその年、大学の三年で、就職のことを考えたくない時期にあった。考えなくていい仕事を選んだつもりだった。

 管理棟の裏に、コテージが六棟、ブナの林に沿って並んでいる。木造の、ログハウス風の小さな建物だ。仕事は受付と清掃、それから夜の見回りだった。客が寝静まったあと、懐中電灯を持って炊事場の火の始末を確かめて回る。炭の消し忘れがいちばん怖いから、灰の中に手をかざして、熱が残っていないかを毎晩確かめた。

 夜の林は、思っていたより静かではなかった。風がブナの葉を鳴らす音、遠くで沢が流れる音、名前を知らない鳥の声。星はやたらと多くて、見上げると首が痛くなった。スマートフォンの電波は管理棟の近くでしか入らず、夜の見回りのあいだは、世界から切り離されたような心地がした。懐中電灯のバッテリーが切れかけると、その心細さは倍になった。

 昼間はそれなりに賑やかだった。家族連れがバーベキューをして、子どもの声が林に響き、夕方には誰もが満ち足りた顔で炊事場を片づけていく。私はその合間に、シーツを替え、流しを磨き、灰を捨てた。健康的な、何の含みもない仕事だった。少なくとも、最初のうちは。

 最初の異変、というほどでもないことが起きたのは、働きはじめて三週目のことだった。

 六番のコテージに泊まっていた中年の夫婦が、朝、青い顔で受付に来た。夜中に窓の外で女が立っていた、と奥さんのほうが言った。林のほうを向いて、こちらに背を向けて立っていたという。

「声をかけようとしたら、足が地面についていなかったの」

 旦那さんは隣で、見間違いだろう、と繰り返していた。けれど奥さんは譲らなかった。爪先が、地面から十センチほど浮いていたと言うのだ。風に揺れる洗濯物みたいに、ゆっくり揺れていた、と。

 私はマニュアルどおりに謝って、別の棟へ移ってもらった。チェックアウトのあと、清掃に入った六番の窓を、何の気なしに開けてみた。窓の正面には、林の奥へ続く細い踏み分け道があった。その先に、ひときわ太いブナが一本、立っているのが見えた。

 その日の夜、見回りのことを先輩バイトの三浦さんに話した。彼は薪を割る手を止めて、ああ、と低く言った。

「六番、たまにあるんだよ」

 たまにある。その言い方が、奇妙に耳に残った。たまにある、ということは、初めてではないということだ。私は何も聞かなかったことにして、その晩はいつもどおり火の番を済ませた。林の奥の太いブナだけは、なぜか光を向ける気になれなかった。


二、古老の話


 三浦さんは二年目で、地元の出身だった。彼の祖父がこのあたりの山に詳しいというので、休みの日に会いに連れていってもらった。レンタカーではなく、三浦さんの軽トラックの助手席に乗せてもらった。

 集落は谷の底にあって、午後でも日が翳るのが早かった。家々は古く、軒先に唐辛子や干し柿が吊るされている。祖父――三浦さんは「じいちゃん」と呼んでいた――は縁側で煙草を吸っていて、私たちの用件を聞くと、しばらく黙ってから話しはじめた。

「あの林のな、いちばん奥に、太いブナが一本あるじゃろう」

 あります、と私は答えた。見回りのとき、いつも引き返す目印にしている木だ。幹に苔がびっしり生えて、根元だけ妙にひらけている。下草が生えず、土が剥き出しになっていて、そこだけ誰かが掃き清めたように見える。

「昔な、あすこで首をくくった女がおった」

 戦後すぐの話だという。麓の村から嫁に来た若い女が、子を亡くして、あの木で死んだ。それだけならよくある悲しい話だ。だが、と祖父は続けた。その少しあとに、同じ山で猟師が二人、続けて谷に落ちて死んだ。場所は別々だったが、どちらも、あのブナが見える尾根からの転落だった。

「それからも、ぽつりぽつりと、人が死んどる。山で道に迷うた者、沢で足を滑らせた者。みんな、あの木が見える場所でな」

 じいちゃんは煙を長く吐いた。木が、見とるんよ、と彼は言った。見られた者は、引かれる。少しずつ、山のほうへ。そうして、いずれ自分もあの枝に吊るされる。だから昔の人は、あの木の下を通るとき、決して見上げなかった。見上げて目が合えば、数に入れられてしまう、と。

「数、ですか」

「うむ。あの木はな、吊るした者を数えとる。ひとり、ふたり、と。次が誰になるか、ずっと数えながら、待っとるんじゃ」

 馬鹿げた話だと思おうとした。けれど、谷底の薄暗がりで聞くその声には、笑い飛ばせない重さがあった。じいちゃんは、若い頃に一度だけ、あの木に登った男を知っていると言った。肝試しのつもりだったらしい。その男は、それから半年もしないうちに、雪の積もった尾根で凍えて死んだ。捜索の隊が見つけたとき、男は山のほうを向いて、立ったまま死んでいたという。

「立っとった、というのがな。人は、凍えて死ぬときは、丸まるもんじゃ。それが、まっすぐ立って、上を見上げて死んどった」

 私は、背筋が冷たくなるのを感じた。じいちゃんは最後に、私の顔をのぞき込むようにして訊いてきた。

「あんた、見回りのときに、あの木、見上げたことはあるか」

 私は、たぶんあります、と正直に答えた。窓を開けたときにも、清掃のときにも、たしかにあの木のほうを見た覚えがある。じいちゃんは少しだけ目を細めて、それきり、何も言わなかった。帰りの軽トラックの中で、三浦さんは口数が少なかった。


三、数えていた


 その晩の見回りで、私はあの木の前に立っていた。

 昼に聞いた話のせいで、心臓が早く打っている。懐中電灯の輪の中で、太い幹が白く浮かんで見えた。苔が、光を吸って黒い。根元のひらけた土の上には、落ち葉が一枚もなかった。風で吹き寄せられた葉が、その円の手前で、見えない壁にせき止められたように積もっている。円の内側だけが、きれいに掃かれていた。私は見上げないように気をつけて、足元だけを照らし、引き返そうとした。

 そのとき、頭の上で、ぎい、と音がした。

 縄が、何かの重みで擦れる音だった。

 反射的に、見上げてしまった。光の輪を、上へ向けた。

 枝には、何もなかった。ただ、いちばん太い枝から、苔の剥げた跡が一本、縦に走っていた。何かが繰り返し擦れて、苔をこそげ落とした跡だ。それが、新しい。今日できたばかりのように、湿って光っていた。雨は何日も降っていないのに、その一本の筋だけが、濡れていた。

 私はその場を離れた。早足で管理棟まで戻って、布団に入った。だけど眠れなかった。耳の奥で、ぎい、ぎい、と音が続いている気がする。目を閉じると、あの濡れた縦筋が瞼の裏に浮かんだ。寝返りを打つたびに、布団の中で足の先が冷えていくのを感じた。八月の夜なのに、足だけが、氷を当てられたように冷たかった。

 明け方近く、ようやくうとうとして、夢を見た――いや、夢だったかどうか、今でもわからない。私は誰かの足の裏を、下から見上げていた。素足の、白い爪先が、ゆっくりと揺れている。私はそれを、数えていた。一、二、三、と。何を数えているのか、自分でもわからないまま、ただ数を増やしていった。声に出していたのか、頭の中だけだったのかも、わからない。数えるごとに、揺れている足の数が、ひとつずつ増えていくような気がした。視界の端に、また別の爪先が、また別の爪先が、暗がりからぶら下がってくる。

 目が覚めたとき、口の中で「四」と言いかけていた。

 起き上がると、シャツが冷たい汗で背中に貼りついていた。窓の外はまだ暗く、林のほうから、風に乗って、ぎい、と一度だけ、あの音が聞こえた気がした。気のせいだと思いたかった。けれど、足の裏が、なぜかむずがゆかった。


四、引かれる


 それからの数日、私は自分がおかしくなっていくのを、他人事のように眺めていた。

 高いところに立つと、足の裏がむずがゆくなる。炊事場の太い梁を見上げると、あそこに縄を掛けたら高さがちょうどいい、とぼんやり考えている自分がいた。考えてから、ぞっとした。私はそんなことを考える人間ではなかったはずだ。脚立に上って電球を替えるとき、ふと、もう一段上ったら、と思う。その「ら」のあとが、どうしても続けられなかった。

 食欲もなくなっていた。三浦さんが心配して、食堂のカレーを取り分けてくれても、半分も喉を通らない。鏡を見ると、頬がこけて、目の下が落ちくぼんでいた。たった数日で、別人のようだった。それでも夜になると、足の裏のむずがゆさだけが、はっきりと、私を起こしておく。

 夜の見回りを、私はもうできなくなっていた。林のほうへ足を向けると、膝から下が、自分のものでないように、あの木へ向かおうとする。三浦さんに代わってもらった日、彼は何も訊かずに引き受けてくれた。彼もまた、あの木のほうは見ないようにしているのだと、その横顔でわかった。

 辞めたい、と三浦さんに言った。理由は、うまく説明できなかった。彼は私の顔をしばらく見て、何かを察したのか、車で麓まで送ろうか、と言ってきた。明日の朝まででいい、それまで管理棟から出るな、と。

 帰り支度をしていると、窓の外、林のほうに、女が立っていた。

 六番の客が見たという、あの女だと、すぐにわかった。背を向けて、奥のブナのほうを向いている。爪先が浮いて、ゆっくりと揺れていた。風はないのに、揺れていた。

 私は、声をかけようとした。だめだ、とどこかで思いながら、口が勝手に動いた。喉の奥から、自分の意思とは関係なく、息が漏れた。

 女が、ゆっくりとこちらを向いた。

 顔は、なかった。のっぺりとした皮膚に、ただ口だけがあって、その口が、動いていた。数えていた。

 五、と。

 私が夢の中で言いかけて、言えなかった数だった。女は、私が止まったところから、続きを数えていた。まるで、私の番が来るのを、確かめるみたいに。私は窓から離れられなかった。足が、床に根を張ったように動かない。気づけば、自分の口も、女と同じ形に動いていた。声は出なかった。けれど、舌は確かに、五、のかたちを作っていた。


五、まだ揺れている


 あれから、私はあのキャンプ場を辞めた。三浦さんが約束どおり麓まで送ってくれて、電車を乗り継いで、都会の部屋に帰ってきた。山からは、もう何百キロも離れている。窓を開けても、ブナの葉が鳴る音も、沢の音も聞こえない。

 それなのに、夜になると、足の裏がむずがゆくなる。

 部屋には梁などない。天井はまっ平らで、何も掛けるところはない。それでも私は、ときどき天井を見上げて、高さを測っている自分に気づく。ここなら、と考えている自分に。考えてから、毎回、ぞっとする。けれど次の夜には、また同じことをしている。

 数は、まだ続いている。眠りに落ちる寸前、口の中で、勝手に数が増えていく。六、七、八。何を数えているのかは、もう、わかっている。

 あの木に、これまで吊るされた者の数だ。

 三浦さんのじいちゃんは、見られた者は引かれる、と言った。私は確かに、あの木を見上げて、目を合わせてしまった。だから数に入れられた。だけど、数はまだ私で止まっていない。私の口は、私の番号を飛び越えて、その先を数え続けている。

 病院にも行った。睡眠薬をもらい、心療内科にも通った。医者は、過労とストレスだと言った。山での孤立した環境が、軽い解離を引き起こしたのだろう、と。私は、そうですね、と頷いた。けれど薬を飲んでも、数は止まらなかった。数だけは、誰にも止められなかった。

 つまり、私は、その列の最後ではないということだ。私の後ろに、まだ誰かがいる。私の数えた数を、引き継ぐ誰かが。あのキャンプ場で、今夜もきっと、誰かが何の気なしに、あの木を見上げている。何も知らないまま、目を、合わせている。

 今、私の部屋の窓の外で、何かが、ゆっくりと揺れている。

 爪先が、地面から十センチほど浮いて。

 ここは、八階だというのに。


吊るし木(完)


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