ナースコール
AIに設定を読み込ませて執筆された、ホラーショートストーリーです。
ホラーショートストーリーAI朗読Youtubeチャンネルもあります。
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一、誰もいない病院
廃病院の動画は、伸びる。
それだけの理由で、俺は深夜の県道を走っていた。
新潟の海沿いに、潰れた個人病院があるという。三十年近く前に建って、十数年前に閉じた、四階建ての建物。経営難で破産して、入院患者は別の病院へ移されたきり、ずっと放置されている。最近になってSNSで「最恐」と呼ばれはじめ、無断で入って撮る連中の動画が無数に上がっていた。
その大半は、嘘くさかった。暗がりに白い影、急に途切れる音声、わざとらしい悲鳴。後から足した編集の匂いが、画面の隅々から漂ってくる。俺はそういうのを見飽きていた。本物の廃墟を、ただ淡々と歩いて撮る。光と、埃と、崩れた天井。それだけで充分に怖いはずだった。それで再生数が出ないなら、もう辞めるつもりでいた。チャンネルを始めて二年、登録者は四桁の手前で止まったきり動かない。
仕事が終わってから、二時間かけて車を走らせた。海が近いせいか、窓を少し開けると、潮の匂いに混じって、雨の前のような湿った土の匂いがした。対向車は、ほとんどなかった。すれ違う街灯の間隔が、市街を抜けるごとに広がっていく。最寄りの無人駅に車を停めて、徒歩で向かう。改札も、券売機も、人の気配が抜け落ちていた。駅の時計だけが、律儀に時を刻んでいる。午前一時を、少し過ぎていた。
雑草に埋もれたアスファルトの先に、それはあった。
窓ガラスはほとんど割れて、四角い穴がいくつも夜空に開いている。正面の自動ドアは、外れて斜めに傾いていた。敷地を囲っていたはずのフェンスは、誰かが捲り上げた跡があって、人ひとり通れるだけの隙間ができている。
スマホのライトを点けて、その隙間をくぐった。
踏み込んだ瞬間、足の裏に、じゃり、とガラスの砕ける感触が伝わった。
ロビーは、思っていたより広かった。
受付のカウンターが残っていて、待合の長椅子も、半分ほどそのままだった。床には砕けたガラスと、誰かが残していった空き缶やペットボトルが散らばっている。湿った段ボールの匂い。黴の匂い。落書きが、壁という壁を埋めていた。スプレーで描かれた名前、意味のない記号、丸で囲まれた日付。誰かが、ここに来た証を残したがっていた。
俺は喋りながら撮るのが苦手で、ほとんど無言で歩いた。
ライトの輪が、剥がれた天井を舐める。配線が垂れ下がって、揺れていた。ナースステーションの裏に回ると、古いカルテのラックが倒れていた。紙の束が、湿気で固まって、床と一体になりかけている。読めない名前と、読めない病名が、染みの下に沈んでいた。
その時、ぴ、と音がした。
電子音だった。短く、一回だけ。
俺は足を止めた。
空調も電気も、とうに止まっているはずだった。ブレーカーも引き込み線も、十年以上前に切られている。耳を澄ます。しんとした闇の奥で、もう一度、ぴ、と鳴った。少し間を置いて、また、ぴ。
ナースコールの呼び出し音に、似ていた。
二、二階の灯
音は、上から降ってくる気がしていた。
俺は階段を探した。
非常階段の扉は錆びついて開かなかったので、ロビー脇の階段を使った。手すりは冷たく、ところどころ崩れている。コンクリートの段に、雨水の流れた黒い筋が残っていた。一段ずつ、ライトで足元を確かめながら昇る。靴の下で、剥がれた塗装の破片が鳴った。
二階の廊下に入って、俺は妙なことに気づいた。
廊下の突き当たり、ナースステーションのあたりだけ、ほのかに明るい。
最初は、外の街灯が窓から差しているのだと思った。けれど、その明かりは白くて、平たくて、蛍光灯の色をしていた。外の光なら、あんなふうに一点だけを照らしたりしない。近づくにつれて、ぴ、ぴ、という音が間隔を狭めていく。歩くたびに、足音が、思ったよりずっと大きく廊下に響いた。両側に並んだ病室のドアが、半分開いたまま、こちらを見ている気がした。
ステーションのカウンターに、ランプの列があった。
病室番号の書かれた、古い呼び出し表示盤。ずらりと並んだ番号のうちのいくつかが、点いていた。201、203、206。じじ、と微かに音を立てて、緑がかった光を放っている。表示盤の表面には埃が厚く積もっていて、その埃の下で、ランプだけが生きていた。
俺は撮影を続けながら、自分の手元を見た。
スマホの画面の隅で、電波のアンテナが消えていた。圏外。電池は、まだ八割残っている。視線を表示盤のランプに戻す。この表示盤は、どこからの電気で点いているのか。電気の通っていない建物で、灯りだけがある。その矛盾を、頭がうまく飲み込めなかった。
俺は思わず、表示盤に手を伸ばした。
指先がランプに触れる寸前で、止めた。なぜか、触れてはいけない気がした。触れたら、こちらが「いる」と気づかれる気がした。
ぴ、と一際大きく鳴って、新しいランプが点いた。
207。
そこだけ、廊下のずっと奥にある病室だった。番号の表示が、他のどれよりも強く光っている。俺は迷った。引き返すべきだと、頭の片隅で誰かが言っている。荒い場所だ、足元が崩れるかもしれない、それらしい理由はいくらでも浮かんだ。けれど足は、すでに廊下を進みはじめていた。再生数のことを考えていた。これは、編集で足した嘘じゃない。本物だった。本物が、すぐ目の前で光っている。
三、呼ばれている
207号室の前に立つ。
ドアの磨りガラスの向こうが、薄く光っていた。
俺はスマホを構えたまま、ノブに手をかけた。冷たい金属が、汗ばんだ掌に張りついてくる。引き戸ではなく、押し開ける式のドアだった。ゆっくり力を込めると、蝶番が長く軋んで、内側へ開いていった。軋みの音が、廊下のずっと奥まで響いて、消えた。
部屋は、空だった。
ベッドの骨組みだけが残っていて、マットレスはない。窓は割れて、夜気が吹き込んでいる。海鳴りが、遠くから途切れ途切れに届いた。壁際に点滴のスタンドが倒れて、錆びていた。床には、薬の包装の切れ端や、変色した綿のようなものが落ちている。天井のシミが、人の形にも見えた。誰もいない。当たり前だった。
それでも俺は、しばらく入口に立ったまま動けなかった。
空気が、他の部屋と違っていた。割れた窓から風が入っているのに、部屋の中だけ、生暖かく淀んでいる。人がさっきまで寝ていた布団の中のような、体温の残りかすのような温もり。割れた窓のそばなのに、寒くなかった。それが、いちばんおかしかった。
ただ、枕元の壁に、ナースコールのボタンがあった。
丸い、押しボタン式の呼び出しスイッチ。コードが壁から垂れて、先のボタンが、ベッドの骨組みの上にぽつんと落ちている。半透明のプラスチックが、内側から灯っていた。
そのボタンが、淡く光っていた。
押されている、と思った。
誰も、いないのに。
ボタンは赤く灯ったまま、じじ、と鳴り続けている。何かが今この瞬間、看護師を呼んでいる。指がボタンを押し込んだまま、放さずにいる。三十年前か、二十年前か、その時刻のまま、ずっと呼び続けている。誰かの返事を、待っている。
背筋を、冷たいものが這い上がった。
俺は理解した。点いていたランプは、201も203も206も、全部そうだった。この病院の、空っぽの病室すべてで、誰かが呼んでいる。痛い、苦しい、寂しい、と。応える者のいない、呼び出し。看護師はもういない。医師もいない。それでも呼び出しだけが、何十年も鳴りやまずに、この建物に溜まり続けていた。
俺は、その溜まった場所に、足を踏み入れていた。
撮りに来たつもりが、迷い込んだ患者と、同じだった。
四、応答
スマホを下ろして、廊下へ戻ろうとした。
その時、表示盤のほうから、別の音が聞こえた。
足音だった。
廊下を、ゆっくり、こちらへ近づいてくる。スリッパが床を擦るような、柔らかい音。一定の間隔で、迷いなく進んでくる。ぺた、ぺた、と濡れた布のような音が、闇の中で規則正しく続いていた。
応答だ、と直感した。
呼び出しに、誰かが応えている。何十年も呼ばれ続けた末に、ようやく来た看護師の、足音だった。
俺はライトを消した。
闇の中で、息を殺す。心臓の音が、自分の耳の中で鳴っている。足音は、迷う様子もなく近づき、207号室の前で、ぴたりと止まった。磨りガラスに、影が映っていた。白い、人の形。けれど輪郭が、ゆらゆらと縦に伸び縮みしている。蝋燭の炎を引き伸ばしたように、頭の位置が、天井近くまで揺れていた。とても、人とは思えなかった。
ドアが、軋んだ。
内側へ、ゆっくり開いていく。俺はベッドの陰にしゃがんで、震える指でスマホだけをドアのほうへ向けた。録画は、続いている。画面の中で、開いたドアの隙間が、白くにじんでいた。輪郭が、像を結ばない。ピントが合わないのではなく、そこにあるものが、形を持っていなかった。
声がした。
ひどく優しい、間延びした女の声だった。
「お呼びになりましたか」
俺は呼んでいない。
そう言おうとして、口が動かなかった。喉の奥が、貼りついて声にならない。代わりに、枕元のほうで、じじ、と音がした。ベッドの骨組みの上のボタンが、まだ赤く灯っている。誰かが、ずっと押している。放さずに、押し続けている。俺の、すぐ隣で。
声は、返事を待っていた。
「お呼びになりましたか」と、もう一度。さっきと寸分違わない、優しい抑揚で。応えなければ、いつまでも繰り返される気がした。けれど応えれば、それは俺の声を、呼んだ者の声として聞いてしまう。どちらに転んでも、終わりはなかった。俺は掌で口を覆って、漏れそうになる息を、必死に押し殺した。
呼んでいるのが自分ではないと、どうやって証明できるだろう。
ここに来て、しゃがんで、息を殺しているのは、俺だった。呼ばれて応えに来た「それ」から見れば、この部屋で待っているのは、俺以外にいなかった。
五、点いたまま
俺がどうやって病院を出たのか、はっきりとは憶えていない。
気づいたら車の中にいて、夜が明けかけていた。フロントガラスの向こうが、灰色に白んでいる。手の中で、スマホがまだ録画を続けていた。指が、停止ボタンを押すのを忘れていた。
録画データは、残っていた。
再生してみると、二階の廊下までは普通に映っている。表示盤のランプも、はっきり光って映っていた。けれど207号室に入ったあたりから、映像は白い砂嵐に呑まれて、音だけが続いていた。ぴ、ぴ、という呼び出し音と、俺の浅い呼吸。最後に、あの優しい声が一言。それきり、ぶつりと切れていた。何度見返しても、同じところで切れた。
動画は上げなかった。
あれだけ欲しかった「本物」だったのに、公開ボタンを押す気には、どうしてもなれなかった。代わりに、俺はそのことを誰にも話さず、日常に戻ったつもりでいた。仕事に行き、飯を食い、夜には眠る。元の生活が、そのまま続いていく、はずだった。
けれど、家の呼び鈴が、時々鳴る。
誰もいないのに、ぴ、と一回。インターホンの画面を覗いても、玄関には誰もいない。最初は故障だと思った。けれど呼んだ業者は、配線に異常はないと言った。新しいものに交換しても、それは変わらず、夜中に一度だけ鳴った。
夜中、スマホがふいに光ることがある。
着信でも通知でもない。ただ画面が灯って、アンテナの表示が、すっと消える。圏外。家の中なのに。そういう時、俺は布団の中で耳を澄ます。遠くで、じじ、と微かな音がしている気がする。あの表示盤の鳴る音に、よく似ていた。最初は週に一度だったのが、近頃は、ほとんど毎晩になっている。
俺は、応えていない。
応えてはいけないと、知っているからだった。あの病室のボタンと同じだった。誰かが呼んでいて、応える者がいない。その応えのない呼び出しが、今度は俺の家に、少しずつ溜まりはじめている。壁の中に、配線の奥に。いつか溜まりきって、間延びした足音が廊下を近づいてくる日まで、それは鳴りやまない。ぺた、ぺた、と。
今も、どこかでランプが点いている。
点いたまま、誰かが俺を呼んでいる。
ナースコール(完)




