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赤い布

AIに設定を読み込ませて執筆された、ホラーショートストーリーです。

ホラーショートストーリーAI朗読Youtubeチャンネルもあります。

https://www.youtube.com/@VacuousKaikitan

一、平らな石


 その集落に着いたのは、八月の夕方だった。

 バスは谷の底で私ひとりを降ろし、エンジンの音を後ろに引きずって去っていった。

 あとには蝉の声と、川の音だけが残った。

 川は谷のずっと下を流れているはずなのに、その音だけが妙に近く、耳のすぐ横で鳴っているように聞こえた。

 最初に覚えたのは、その違和感だった。


 祖母の家は、山の急斜面に張りつくように建っていた。

 石垣を高く積んだ上に細い畑があり、その奥に古い木造の家がある。

 集落の家々は、どれも谷の傾きにあわせて段々に並んでいた。

 いちばん上の家と下の家とでは、屋根の高さが家ひとつ分も違う。

 道はどこも坂で、平らな場所がどこにもなかった。


 私は大学の夏休みを、ここで過ごすつもりだった。

 ひとり暮らしの祖母が腰を痛めたと、母から聞いていた。

 畑の世話と、家の片づけを手伝う。

 それだけのつもりで来た。

 母はこの集落の生まれだが、私が来るのは初めてだった。

 母は集落の話を、ほとんどしなかった。

 私がこの徳島県三好市の祖谷いやへ行くと言ったときも、母は少し黙っていた。

 それから、夜は川に近づかないようにと、それだけ言った。

 なぜ、とは訊かなかった。いま思えば、訊いておくべきだった。


 スマホを取り出すと、画面の上に圏外と出ていた。

 集落のどこに立っても、電波は入らなかった。

 少しだけ心細くなったが、すぐに気にしなくなった。

 ここには、急ぐことが何もなかった。


 祖母は縁側で私を迎えた。

 日に焼けた小さな顔が、皺の奥で笑っていた。

「よう来たねえ。遠かったろう」

 祖母の言葉には、聞き慣れない抑揚があった。

 標準語のようでいて、語尾がやわらかく上へ伸びる。

 母も昔、電話の向こうでこんな話し方をすることがあったと、そのとき思い出した。


 夕飯は囲炉裏のそばで食べた。

 山菜の煮物と、川魚の塩焼きだった。

 魚は骨まで香ばしくて、私は祖母にすすめられるまま、頭からかじった。

 祖母は自分の分にはほとんど箸をつけず、私が食べるのをただ見ていた。

「若いもんが食べてくれると、家が生き返るねえ」

 祖母はそう言って、笑った。

 外はもう暗く、囲炉裏の火だけが部屋を照らしていた。

 電気はあるのに、祖母は最後まで点けようとしなかった。

 火の向こうで、家のなかの暗がりが、ゆっくりと揺れていた。


 夕飯のあと、私は家の裏手を歩いた。

 月が出ていて、畑の輪郭がぼんやりと見えた。

 畑のはずれに、平らな石がいくつも並んでいた。

 苔を生した石は、地面に伏せるように低く据えてある。

 墓石にしては、文字も戒名も何もない。

 ただの庭石にしては、間隔が整いすぎている。

 私は石のひとつに、手を触れてみた。

 石そのものは、夏の夜なのに、ひんやりと冷たかった。

 指先から、その冷たさが腕を上ってくる気がして、私は手を引いた。


「おばあちゃん、あの石は何」

 縁側に戻って訊くと、祖母は湯呑みを置いた。

「ああ、あれはご先祖さまだよ」

 墓だと祖母は言った。

 この集落では、敷地のなかに平たい石を置いて、墓にする。

「目立たんようにね。昔からそうなのよ」

 なぜ目立たないようにするのか、私は訊かなかった。

 訊かれないことを、祖母が望んでいる気がしたからだった。

 囲炉裏の火が、祖母の顔の半分だけを照らしていた。

 もう半分は、暗いままだった。



二、赤い布


 翌朝、私は物置の片づけを始めた。

 物置は家の北側にあり、昼でも薄暗かった。

 祖母が使わなくなった農具や、古い箪笥が詰まっていた。

 埃の匂いと、土の匂いが混じっていた。

 息を吸うたびに、喉の奥がざらついた。

 私は一日かけて、中身を表へ出していった。


 昼を過ぎたころ、いちばん奥の箪笥の、いちばん下の引き出しから桐箱が出てきた。

 箱は他のものより、ずっと丁寧にしまわれていた。

 まわりに新聞紙が詰められ、湿気を避けるように布でくるんであった。

 箱の蓋には、墨で薄く文字が書いてあった。

 褪せていて、もう読めない。

 なぜだろう、開けてはいけない気がした。

 それなのに、私の指は蓋にかかっていた。


 なかには、布が一枚だけ畳まれていた。

 赤い布だった。

 手のひらほどの大きさで、四隅がほつれている。

 布は古いのに、赤の色だけが鮮やかに残っていた。

 血の色というより、もっと深い、底のない赤だった。

 日に当てれば褪せそうなものなのに、暗い箱のなかで、その赤だけが灯っているようだった。

 触れると、ひやりとした。布なのに、石のように冷たかった。


 私は布を持って、畑にいる祖母のところへ行った。

「これ、物置にあったよ」

 祖母は布を見て、しばらく黙っていた。

 鍬を持つ手が、止まっていた。

 それから、土のついた両手で、そっと布を受け取った。

「これはね、旗の切れ端だよ」

 昔この集落に逃げてきた人たちが持っていた旗だと、祖母は言った。

 遠い昔、戦に負けて、山の奥まで逃げてきた一族がいた。

 その人たちの旗が、家々に少しずつ分けて遺されている。

「赤い旗をね、敵に見つからんように、小さく切って隠したのよ」

 切れ端は、逃げてきた家の数だけある。

 布のある家は、その一族の血を引く家だと、祖母は言った。

 ということは、私にもその血が流れているのかと、ぼんやり思った。

 祖母は布を桐箱に戻し、元の場所に置いておきなさいと言った。

 私は言われたとおり、布を物置の奥に戻した。


 その夜、私は疲れからか、夢も見ずに深く眠った。

 ただ、明け方に目が覚めたとき、枕元に赤い布があった。

 物置に戻したはずの布が、畳の上に広げてあった。

 四隅が、きちんと伸ばしてある。

 誰かが、丁寧に広げたように見えた。

 寝ぼけているのだと思った。自分で持ってきたのを忘れたのだと。

 私は布を持って物置へ行き、箱に戻し、もう一度眠った。


 次に目覚めたときも、布は枕元にあった。

 箱の蓋は閉まったままなのに、布だけが外に出ている。

 その朝、布を箱に戻すとき、蓋の墨の文字を、もう一度見た。

 文字はやはり読めなかった。

 ただ、いちばん下に、小さく数字のようなものが書いてある。

 漢数字の七だけが、かろうじて読めた。

 裏の畑に並んだ石も、七つだった。

 偶然だ、と自分に言い聞かせた。

 私は祖母には言わなかった。

 言えば、この家にいられなくなる気がした。



三、おいでなさい


 布が枕元に現れるようになって、三日が過ぎた。

 毎朝、物置に戻しても、翌朝にはまた枕元にある。

 四日目の夜、私は戻すのをやめた。

 布を枕の下に敷いて眠ると、布はおとなしく、そこにあった。

 朝になっても、どこへも行かなかった。

 それで安心したのが、間違いだったと思う。


 布を敷いて眠るようになってから、私は声を聞くようになった。

 眠りの底で、誰かが小さく呼んでいる。

 子どもの声だった。

 言葉ははっきりしないが、こちらへ、と呼んでいる気がした。

 声は遠かった。

 谷の底の、川の向こうから聞こえる気がした。


 ある夜、声がはっきりと聞こえた。

 おいでなさい。

 ひとことだけ、耳のすぐそばで聞こえた。

 私は目を開けた。

 心臓が、喉のあたりで鳴っているようだった。

 部屋は暗く、誰もいなかった。

 障子の向こうで、川の音だけが続いていた。

 なぜか枕の下の布が、湿っていた。

 川の水のような、冷たい湿りかただった。

 布を顔に近づけると、川の匂いがした。

 苔と、濡れた石の匂いだった。

 私は布を握ったまま、朝まで眠れなかった。


 翌日、私は集落の道で、年寄りに会った。

 畑の上の細い道で行きあった老婆が、私の顔をじっと見た。

「あんた、誰の孫かね」

 祖母の名を告げると、老婆はゆっくりとうなずいた。

 それから、私の手元に目をやった。

 私は何も持っていなかった。

 手は空いていた。

 それでも老婆は、確かにそこに何かを見ていた。

 その視線が、私の手のひらに貼りつくようで、思わず握りしめた。

「あの家の布を、出したのかい」

 私は答えられなかった。

 老婆は答えを待たず、谷の奥のほうを見た。

「あれはね、お迎えの布なのよ」

 昔、逃げてきた一族のなかに、幼い子がいたという。

 その子は山の奥で、病で死んだ。

 葬る場所もなく、川のそばに埋めた。

 平らな石を、ひとつ置いただけの墓だった。

 子の魂は、いまも谷をさまよっている。

「赤い布を出した家の子を、連れていこうとするのよ」

 ひとりでは寂しいから、連れていくのだと、老婆は言った。

 布が湿るのは、その子が川を渡ってくるからだった。

「布をね、川に流せばいい。そうすれば、あの子も向こうへ帰る」

 ただし、と老婆は声を落とした。

 流しに行って、流せずに帰ってきた者もいる。

 そういう者は、もう布を手放せなくなる。

 老婆はそう言って、谷の底を指した。

 川は集落のずっと下を、白く光りながら流れていた。

 その白さが、私を呼んでいるように見えた。



四、川へ


 その日の夕方、私は布を持って川へ下りた。

 集落から川までは、急な坂を長く下らなければならなかった。

 道の途中に、苔を生した平らな石が、いくつも転がっていた。

 どれが墓で、どれがただの石なのか、見分けはつかなかった。

 空はまだ明るいのに、谷の底はもう薄暗かった。

 降りるにつれて、川の音が大きくなった。

 岩を打つ音が、谷の壁にこだまして、何重にも重なって聞こえた。

 近づくほど、その音は声に似てきた。

 おいでなさい、と聞こえた気がして、私は足を速めた。


 川のそばの岩に立ち、私は布を流そうとした。

 布を握る指に、力が入らなかった。

 手を開いても、布は手のひらに貼りついて、離れない。

 濡れているわけでもないのに、剥がそうとすると、皮膚が引かれて痛んだ。

 布の縁が、いつのまにか手の甲まで伸びていた。

 ほつれた糸が、指のあいだに食い込んでいた。

 まるで布が、私の手の一部になったようだった。

 爪を立てて剥がそうとしても、自分の皮を剥ぐような気がして、できなかった。


 ふと、川面に目がいった。

 水の面に、子どもが映っていた。

 私のうしろに、小さな影が立っていた。

 私は振り返った。

 うしろには、誰もいない。

 もう一度、水面を見た。

 川面にだけ、その子はいた。

 水のなかから、私を見上げていた。

 子は赤い布を、頭からかぶっていた。

 布の下の顔は、見えなかった。

 見えないのに、笑っているのがわかった。


 私はもう一度、布を流そうとした。

 手を強く振っても、布は離れなかった。

 川面の子が、ゆっくりと水のなかから手を伸ばした。

 そのとき、足首に、冷たいものが触れた。

 見ると、水のなかの手が、私の足首をつかもうとしていた。

 子は水の面に映っているだけで、そこに手などないはずだった。

 ないはずの手が、確かに私の足首にかかっていた。

 ぬるりと、骨に冷たさが伝わってきた。


 私は後ずさった。

 後ずさったつもりなのに、足は一歩ずつ水のほうへ進んでいた。

 戻そうとしても、戻らなかった。

 自分の足なのに、自分のものではなかった。

 布が引くのではなかった。

 布をかぶった子が、川の底から、布を握る私の手ごと引いていた。

 逃げよう、と思った。

 集落へ戻ろう。

 声を上げようとしたのに、喉から音が出なかった。

 布は、もう私の手の一部だった。

 手を捨てなければ、布は捨てられなかった。

 水が、足首まで来ていた。

 冷たさは、もう感じなかった。

 ただ、子の声だけが、足元から聞こえていた。

 おいでなさい。

 すぐそばで、はっきりと聞こえた。



五、おいでなさい


 気づくと、私は祖母の家の縁側に座っていた。

 どうやって坂を上り、家まで戻ったのか、覚えていない。

 濡れたはずの足は、乾いていた。

 私はただ、川のほうを見ていた。

 手のなかに、赤い布があった。

 布はもう、湿っていなかった。

 湿ってはいないが、濡れたように冷たい。

 一晩外に置いた洗濯物のように、芯まで冷えていた。


 祖母が、となりに座った。

 いつからそこにいたのか、わからなかった。

「川へ行ったね」

 私はうなずいた。

 祖母は何も訊かなかった。

 ただ、私の手のなかの布を見ていた。

「流せんかったろう」

 私は、また、うなずいた。

 うなずくことしか、できなかった。


 祖母は谷の奥を見ている。

 昔この家から、子どもがひとり、川へ行ったきり帰らなかった。

 母の、弟だったと祖母は言った。

「あの子も、布を流しに行ったのよ」

 布は流れなかった。

 あの子は帰ってこなかった。

 布だけが、いつのまにか家に戻っていた。

 それから祖母は、布を桐箱に納め、物置の奥に隠した。

「もう誰も触らんように、しまっておいたのにねえ」

 母が集落の話をしなかったのも、夜は川に近づくなと言ったのも、そのためだったのか。

 母は知っていた。

 知っていて、私をここへ寄こした。

 そう気づいても、もう、なんの感情も湧かなかった。

 祖母は私の手を、そっと握った。

 布を握ったままの、私の手だった。

 祖母の手は、布よりも冷たかった。

 その指は、もう人の手の温もりではなかった。


 その夜から、私は枕の下に布を敷いて眠っている。

 眠りの底で、子どもの声がする。

 おいでなさい。

 声は毎晩、少しずつ近くなっている。

 私は朝になると、縁側に座って、川のほうを見る。

 裏の畑の平らな石は、いつのまにか、八つに増えていた。

 あの八つ目が、誰の墓なのか、私はもう知っている。

 枕の下の布は、また、少しずつ湿りはじめている。

 冷たい、川の水の匂いがする。


赤い布(完)


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