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呼ばう木(よばうき)

AIに設定を読み込ませて執筆された、ホラーショートストーリーです。

ホラーショートストーリーAI朗読Youtubeチャンネルもあります。

https://www.youtube.com/@VacuousKaikitan

一、しめ縄の欅


 盆休みに祖母の家へ顔を出すのは、もう五年ぶりだった。

 俺は東京で働き始めてから、ずっと足が向かないでいた。

 別段、嫌っているわけではない。

 ただ、なんとなく、用事のひとつもつくれずに過ぎてきた。

 父は早くに亡くなっていて、母も再婚して別の県にいる。

 祖母には、もうこの世で俺しか縁者がいない。

 それを思い出して、ようやく重い腰を上げたのが、この夏だった。


 樫森かしもり村は山あいに沈んでいた。

 峠を越えたあたりからスマホの電波は消え、レンタカーのカーナビは集落の入口で諦めた顔をした。

 道沿いの田んぼには、稲がもう穂を垂らしかけていた。

 家の数は、子供の頃の記憶よりさらに減っているように見えた。

 廃屋のいくつかは、屋根が崩れて、内側から夏草が茂っていた。

 祖母の家は集落のいちばん奥、鎮守ちんじゅの森に背を預けるように建っていた。


 祖母は俺の顔を見て、嬉しいよ、とだけ言った。

 それから、夕飯の支度をしに台所へ消えた。

 家の中の匂いも、畳のたるみも、五年前と何ひとつ変わっていなかった。

 仏間には父の遺影が並んでいて、その横に祖父の写真もあった。

 祖父はもう、俺が物心ついたときにはいなかった。

 祖父は山で行方がわからなくなったのだと、いつだったか誰かに聞いた覚えがあった。


 裏木戸を抜けると、すぐ鎮守の森だった。

 古い木造の小さなやしろがあり、その脇に大きなけやきの木が立っていた。

 幹回りは大人三人で抱えても足りそうになかった。

 根元から二メートルほどの高さに、何重ものしめ縄が巻かれている。

 縄の太さは、俺の腕ほどもあった。

 紙垂しでは色褪せて、風もないのにわずかに揺れていた。


 ああ、あの木か、と思った。


 子供の頃、この村に来るたびに祖母から言われていた。

「あの木にだけは、絶対にさわっちゃいけないよ」

 理由は教えてもらえなかった。

 子供の俺はそれを、お化けが出るぞ程度の脅し文句だと受け取っていた。

 都会へ出てからは、思い出すこともなかった。


 いまは、誰も見ていない。

 俺は、木にゆっくりと近づいた。

 樹皮は黒ずんで、所々に苔が生えていた。

 しめ縄の下、ちょうど胸の高さに手のひらを当てた。


 冷たい。

 それだけだった。


 それだけ、のはずだった。


 スマホを取り出して、二、三枚、写真を撮った。

 画面のなかの欅は、ただの古い木にしか見えなかった。

 俺は満足して、家に戻った。

 祖母はまだ台所にいて、こちらに気づいていないようだった。



二、灯の下の熱


 その夜、祖母の家の畳の間に布団を敷いた。

 寝つく前から、額にうっすらと熱があった。

 体温計を借りて測ると、三十七度四分だった。

 旅の疲れだろうと思った。

 祖母には黙って、鞄に入れていた解熱剤を飲んで床に就いた。


 枕元の電球を消すと、室内は深い闇に沈んだ。

 東京の夜とは、闇の濃さが違っていた。

 家の周りには街灯ひとつなく、月のない夜は、こうも黒暗いものなのかと思った。

 山の方から、虫の声が絶え間なく届いていた。

 布団のなかで何度か寝返りを打って、ようやく眠気が降りてきた。


 浅い眠りのなかで、誰かが俺の名を呼んでいた。


 たくみ、と。


 囁くような、息だけの声だった。

 枕の上で目を開けると、室内はまだ闇のままだった。

 窓は閉まっていた。

 ふすまの向こうの祖母の部屋からは、規則正しい寝息が漏れていた。


 声は止んでいた。

 だが、止んだあとも、自分の耳のなかで余韻が転がっていた。

 息を吸う音にすら、その余韻が混ざっているような気がした。

 俺は布団のなかで目を開けたまま、夜明けを待った。

 身体が熱かった。

 解熱剤は、たぶん効いていなかった。


 朝になって、台所で味噌汁を温めている祖母の背中に向かって、俺は何気なく訊いた。

「ばあちゃん、ゆうべ、俺のこと呼んだ?」

 祖母の手が止まった。

 味噌汁をかき混ぜていたお玉が、鍋のふちで小さな音を立てた。

 祖母は俺の方を振り向いて、しばらく黙っていた。

「あの木に、さわったのかい」

 低い声だった。


 俺は何も答えられなかった。

 答えなくても、祖母の目を見れば、もう祖母には伝わっているようだった。

 やがて祖母はため息をついて、味噌汁の火を弱めた。

 台所の蛇口から、ぽつぽつと水が滴る音だけが、しばらく続いた。


「呼ばれた者はね、しばらく呼ばれっぱなしになるんだよ」

 俺はその意味がわからなかった。

 誰が呼ぶのか、と訊いた。

 祖母は俺の顔を見ないで答えた。


「この村で死んだ者みんなだ」


 味噌汁の鍋から、湯気が立ち上っていた。

 俺はそれをぼんやりと見ていた。

 祖母はもう何も言わずに、椀に汁をよそった。


 その日のうちに、俺は東京へ戻った。

 祖母は玄関先まで送りに出て、何かを言いかけて、結局何も言わなかった。

 俺は来た道を、ただレンタカーで戻っただけだった。

 峠を越えてスマホの電波が戻ったとき、ようやく息ができた気がした。



三、聞こえる名


 東京に戻っても、熱は引かなかった。

 平熱から、ほんの一目盛りだけ高い熱が、二週間続いた。

 近所の病院でひと通りの検査を受けた。

 血液検査も、レントゲンも、目立った異常はなかった。

 医者は首をかしげて、しばらく様子を見ましょう、と言った。

 解熱剤を二種類、出されただけだった。


 仕事に支障が出るほどではなかった。

 昼間は、いつもどおりに会社へ行って、いつもどおりに資料を作っていた。

 たまに、デスクで頭が重くなって、額に手を当てる。

 指先に伝わる熱は、平熱に少し色を足した程度の、おとなしい熱だった。

 だが、夜になると、声が増えた。


 最初は一つだった声が、いまは三つも四つもあった。

 それぞれが違う名前を呼んでいた。

 うめ、と呼ぶ女の声。

 みつ、と呼ぶ年寄りの声。

 ふみ、と呼ぶ若い男の声もあった。

 名前の主は、たぶんもう、どこにもいない人たちだった。

 古い名前だった。


 声は、いつも夜の同じ時刻に始まった。

 午前一時を回るあたり、部屋のLEDの照明を消して、目を閉じた頃合いだった。

 耳のなかで起きるのか、頭のなかで起きるのか、区別がつかなかった。

 ただ確かに、それは外から届いてくる声だった。

 枕に頭を埋めて、毛布を頭からかぶってみたこともある。

 だが、声は布越しでも変わらなかった。

 むしろ、毛布の中の闇で、輪郭がはっきりするようだった。


 ある夜、声のなかに、祖母の声が混じった。


 たくみ、と。


 俺はスマホを掴んで、祖母に電話をかけた。

 夜中の一時を回っていた。

 コール音が長く続いて、祖母はようやく出た。

 寝ぼけた声だった。


「ばあちゃん、いま、俺のこと呼んでた?」

 俺の名前を呼んでなかったか、と訊いた。

 電話の向こうで、祖母が黙った。

 祖母の沈黙は、肯定でも否定でもない、もっと別の沈黙だった。


「あんた、その声、聞こえるのかい」

 低い声で、祖母は訊き返した。

 俺は、聞こえると答えた。

 祖母はもう一度ため息をついた。


「あの木はね、村で死んだ者の声が溜まる木なんだよ」

「触れた者の体に、声の通り道が開いてしまうんだ」

「いつかは、私の声もあそこへ行く」

「そうしたら、あんたの耳のなかで、私もあんたを呼ぶようになる」


 電話の向こうで祖母が何か言いかけて、また飲み込んだ。

 俺は何を言えばよいかわからなかった。

 ただ、スマホを耳に押し付けたまま、祖母の息の音を聞いていた。



四、外せぬしめ縄


 次の週末、俺はもう一度、樫森村に戻った。


 レンタカーで峠を越えた。

 スマホの電波は、前と同じ場所で消えた。

 集落に入っても、祖母の家には寄らなかった。

 寄れば、引き止められそうな気がした。

 俺はそのまま、鎮守の森の社へ車を停めた。


 社には、宮司ぐうじが住んでいた。

 七十をいくつか過ぎたと思しき、痩せた男だった。

 俺の用件を聞いて、宮司は驚きもしなかった。

 ただ、湯呑みに茶を注ぎながら、低い声で言った。


「あれはね、外から入らないように張ったしめ縄じゃないんだよ」

「中から、出ないように張ったものだ」


 しめ縄の下に押し込められているのは、木そのものではなかった。

 木に溜まった、村で死んだ者たちの声だった。

 だが、触れた者の体を通せば、声は外に出る道を見つけてしまう。

 一度開いた道は、塞がらない。

 宮司の説明は、淡々としていた。

 何度も、同じ話を、誰かにしたことがあるような口ぶりだった。


 御祓おはらいはどうするのか、と俺は訊いた。

 宮司はうつむいた。


「代々、誰もしておらん」

「やろうとした者がいなかったわけじゃない」

「だが、皆、声に呼ばれて山に入って、それきりだ」

「木をろうとした者も同じだ」

「鎌で縄を切ろうとした者もいた。何度もな。だが、夜の間にまた縄が締まっておる」

「いまの縄は、誰が掛け直したかも、もうわからん」


 俺は、祖父も山に入ったのか、と訊いた。

 宮司は俺の顔をしばらく見て、それから、頷いた。

「お前の祖父さんも、若い時分にあの木にさわった、と聞いておる」

「呼ぶ声に応えて、山に入った」

「お前のばあさんは、それを見送ってから五十年、暮らしてきた」


 俺は湯呑みを両手で握った。

 茶はすっかり冷めていた。

 何か方法はないのか、と俺は訊いた。

 宮司は俺をまっすぐに見て、首を横に振った。


「どうにもならんよ。慣れるしかない」

「呼ぶ声に、慣れるしかない」

「山に入りたくなる日が来ても、ただ我慢して、暮らすしかない」


 社を出ると、もう日は傾いていた。

 俺は欅の根元に立った。

 しめ縄の下で、色褪せた紙垂が、風もなく揺れていた。

 夕暮れの光のなかで、樹皮の黒ずみが、いっそう深く見えた。


 俺は両手で樹皮を押さえて、額をその上に当てた。

 冷たかった、あの時と同じように。

 俺は、声を絞り出して言った。


 もう呼ばないでくれ、と。


 木は答えなかった。

 俺の声を、樹皮が静かに吸い込んだだけだった。

 だが、吸い込まれた俺の声と入れ替わるように、喉の奥で何か別のものが起き上がる気配がした。


 それは、俺の声ではない、誰かの呼ぶ声だった。



五、呼ばう


 東京に戻って、俺は仕事を続けた。

 熱はまだ少しある。

 ただ、もう体温計は使わなくなった。

 測ったところで、何かが変わるわけでもなかった。


 昼の打ち合わせの最中だった。

 俺は同僚の説明に頷きながら、何の脈絡もなく、口のなかで小さく呟いた。


 うめ、と。


 向かいに座っていた同僚が、書類から顔を上げて、不思議そうに俺を見た。

 何か言ったか、と訊かれた。

 俺は、いや何でもないと答えた。

 同僚は怪訝な顔のまま、説明の続きに戻った。

 俺は紙の隅に、いま漏れた名前を書き留めた。

 書きながら、自分の指が震えていることに気づいた。


 夜が深くなるほど、声は俺の喉を通りやすくなっていった。

 うめ、と呼んでいた声は、いつの間にか、自分の声になっていた。

 みつ、と呼んでいた年寄りの声も、同じだった。

 俺はもう、聞いている側ではなかった。

 俺が、呼んでいた。


 毎晩、深夜に、知らない名前が舌の上に並んだ。

 口を閉じていても、唇の隙間から、息と一緒に名前がほどけていく。

 俺は枕に顔を押しつけて、声を殺した。

 それでも、布団の中で、自分の喉が震えるのを止められなかった。


 ある朝、通勤電車のなかでスマホを開いた。

 ニュースのアプリに、ひとつの見出しが流れていた。


 ──〇〇県の山中で、男性が行方不明。


 地名は、樫森村のある県だった。

 記事の本文には、行方不明者の名前があった。

 俺は何度かそれを読み返した。

 ゆうべ、俺が喉の奥で呼んでいた名前と、同じだった。


 俺はスマホをそっと膝の上に置いた。

 車内は混んでいた。

 誰も俺の方を見ていなかった。


 喉の奥で、また別の名前が、ゆっくりと形を取り始めた。

 まだ聞いたことのない、知らない誰かの名前だった。

 俺はそれを口に出すまいと、奥歯を噛んだ。

 だが、息を吐くたびに、その名前は少しずつ、舌の上にせり上がってきた。


 その時、ふと、別の声が混じった。


 祖母の声だった。

 俺の名を呼んでいた。


 たくみ、と。


 声はもう、村にいない者の側からだった。


 電車が次の駅に着いて、ドアが開いた。

 人が乗り降りした。

 誰一人、俺の方を見ていなかった。

 俺は座席に腰かけたまま、ゆっくりと、息を吸った。

 そして、唇の隙間から、その知らない名前を呼んだ。

 誰かに届くまで、何度でも呼ぶつもりだった。

 俺の意思ではなく、喉が、自分でそう決めていた。


呼ばう木(完)


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