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絵姿懸想(えすがたけそう)

AIに設定を読み込ませて執筆された、ホラーショートストーリーです。

ホラーショートストーリーAI朗読Youtubeチャンネルもあります。

https://www.youtube.com/@VacuousKaikitan

一、骨董屋の少女


 桐生きりゅうが骨董屋の戸を引いたのは、依頼主との打ち合わせが流れた帰り道のことだった。


 依頼は雑誌の挿絵だった。

 前任者の手を離れて回ってきた仕事で、納期はとうに過ぎている。

 今日は最後の修正稿を持っていくはずだった。

 けれど先方の編集者は、急な予定で席を外していた。

 受付の女性は何度も頭を下げて、また連絡しますと言った。


 桐生は黙って外に出た。


 日は傾きかけていた。

 商店街の裏路地に伸びる影は、ずいぶんと長い。

 古びた看板には「ことぶき堂」と書かれていた。

 これまで何度もこの道は通っている。

 けれど、こんな店があった覚えはない。


 戸を引くと、紙と漆と古い木の匂いが、内側から押し寄せてきた。

 奥の帳場には老主人が一人座っている。

 桐生の顔を見ると軽く頭を下げ、それ以上は何も言わない。


 並ぶ品々は雑多だった。

 欠けた茶碗、銀の煙管きせる、絵葉書の束。

 桐生の足が止まったのは、壁にかけられた一枚の肖像画の前だった。


 油絵だった。

 額縁は厚く、金箔はところどころ剥げている。

 内側の闇から、少女が一人、こちらに眼差しを向けていた。

 年の頃は十五か六。

 古い銘仙めいせんの着物を着て、髪は揺らさず結われていた。


 少女の肌は白磁に近い。

 眉は細く、唇には淡い紅が乗せられている。

 けれど何より、その眼差し。

 黒目がちで、瞼の縁にうっすらと青が差されている。

 長く見ていると、瞼が瞬く錯覚さえ起きた。


 絵の中の少女の隣には、不自然な余白があった。

 背景は淡く塗られている。

 それなのに、その一画だけ、塗りがどこか粗く、何かを削り取ったような跡が残っていた。


「これは」

 桐生が声をかけると、老主人はしばらく黙っていた。


「先年、あるお宅から引き取りました。

 長く置いておきたくない、と仰って」


 老主人はそこで一度言葉を切り、湯呑みの茶を一口含んだ。


「もしお持ち帰りになるなら、長く向き合いすぎないように、と。

 それだけ申し上げます」


 桐生は意味がよくわからなかった。

 けれどその時の老主人の眼差しは、絵の少女のそれと、どこか似ているように見えた。


 値段を訊くと、老主人は言い淀んだ末、ごく安い額を口にした。

 桐生は財布を出した気もする。

 出さなかった気もする。

 気がつくと、紙に包まれた額縁を抱えて、店の外に立っていた。


 振り返ると、ことぶき堂の看板は夕闇に溶けて、もうどこにあったのかわからない。

 すぐ後ろに戸があったはずの場所には、別の店の暖簾が下がっていた。


 それでも、腕に抱えた絵は、たしかに重かった。



二、画室の隣人


 桐生のアパートは、画材で埋まった六畳一間だ。

 壁の一面が画架と絵具の戸棚、もう一面の窓には黒いカーテン。

 蛍光灯の下で油絵を描き続けるのが、ここしばらくの暮らしだった。


 少女の絵を、窓と向き合う壁にかけた。

 画架に向かう自分の正面に、少女の眼差しが届く位置だ。


 絵をかけた瞬間、画室の空気が変わった気がした。

 湿気のような、それとも香のような、淡い気配。

 換気扇を回しても消えはしない。

 けれど不快ではなかった。

 むしろ、これまでずっと欠けていた何かが、ようやく満ちたような心地よさだった。


 その夜は静かだった。

 桐生は紅茶を淹れて、絵の前に腰を下ろした。

 部屋の明かりを消し、机の上の作業灯ひとつだけを残すと、絵の少女は影と光の縁にゆらゆらと浮かんで見える。

「君を描いた人は、誰だったんだろうね」

 答えはない。

 けれど、答えを返してきている気がした。

 答えは、言葉ではなく、視線の中にあった。


 翌朝、桐生は絵を写し始めた。

 練習として、構図と陰影をなぞるつもりだった。

 けれど、半日を費やして仕上げた模写は、少女の表情を捉えていなかった。

 眼差しの深さが、移らないのだ。


 翌日も写した。

 翌々日も写した。

 筆致を変えた。

 絵具を変えた。

 光の当て方を変えた。


 どれも駄目だった。

 模写の中の少女は、ただの絵に過ぎない。

 原画の少女だけが、桐生を見ていた。


 桐生は次第に、少女を模写するよりも、少女の目を見つめている時間が長くなった。

 原画の前に椅子を置いて、ただ眺める。


 依頼主からの電話が鳴った。

 桐生は出なかった。

 催促のメールも、未払いの請求書も、画室の隅に積まれて崩れていった。


 担当編集者からの留守電も、何度かは聞いた。

 次第に、聞かなくなった。

 スマホは、いつしか画材の山の下に埋もれて、それきり姿を見せていない。


 桐生は再び描き続けた。

 少女の眼差しだけを、いくつも、いくつも。

 食事は減り、水だけが増えた。

 鏡を見るたびに頬骨が浮き上がっている。

 それでも、気にならなかった。


 朝と夜の境目もわからない。

 明かりを消した画室の中で、作業灯の光だけが、絵の少女と桐生をひとつの円のなかに閉じ込めている。

 桐生はその円のなかに、ずっといたかった。


 ある夜、桐生はふと気づいた。

 絵の中の少女の隣の、あの余白。

 あれは、誰かが座るためにあるのではないか。


 桐生は息を呑んだ。

 胸の奥が、温かくなった。

 それは、恐怖ではなかった。



三、隣の余白


 何日が経ったのか、桐生にはもうわからない。


 朝、画架の前に座って、ふと顔を上げた。

 絵の中の少女が、こちらをじっと見ている。

 それはいつものことだ。

 いつものことのはずだった。


 けれどその日、少女の右手が、ほんのわずかに持ち上がっているように見えた。

 膝の上に置かれていたはずの手が、掌を斜めに、外側へと向けている。


 昨日までは、確かに膝の上に置かれていた手だ。

 何度も模写したから、桐生はその形をよく覚えていた。


 桐生は立ち上がって、絵に近づいた。

 目を凝らす。

 やはり手は、何かを差し出すように、あるいは何かを招くように空を切っていた。


 その先には、あの余白があった。


 桐生はようやく理解した。

 そこには、本来、誰かがいたのだ。

 そして、その誰かは、もういない。

 少女は、隣を欠いたまま、ずっと待っていたのだ。


 骨董屋で老主人が言葉を選んでいた理由が、ようやくわかった気がした。

 長く向き合いすぎないように、と。

 すでに、桐生は手遅れだった。

 手遅れであることに、不思議と落胆はなかった。


 桐生は唇を噛んだ。

 鼓動が速くなり、目の奥が熱くなった。


 それは恐怖でも、嫌悪でもなかった。

 喜びに似た何かだった。

 自分が、ようやく招かれたのだ、と思った。


「俺で、いいのか」

 声に出して、少女に問うた。

 けれど自分でも、それが問いの形をした告白だとわかっていた。

 返事はない。

 しかし少女の眼差しは、答えを返してきている気がした。


 桐生は、その隣に行きたかった。



四、合わぬ絵具


 桐生は画架を絵の前に据え直した。

 自分の手で、自分自身を絵の中に描き加えると決めた。


 新しい筆を出した。

 普段使う油絵具を、入念に練った。

 少女の隣に、自分が座る姿を描くのだ。


 下書きの段階では、すべて順調だった。

 鉛筆の線は、絵の中の余白に確かに乗った。

 少女の傍らに座る男の輪郭が、画面の中に納まっている。

 桐生は息を整えて、筆に油絵具を含ませた。


 そっと、輪郭の上に色を置く。

 茶色く落ち着いた肌の色。

 藍に近い着物の色。

 一筆ごとに、桐生は祈るような気持ちで筆を動かした。


 その夜は、満足して眠った。


 翌朝、画架に近づいた桐生の顔から、血の気が引いた。


 少女の隣の余白は、もとに戻っていた。

 あれほど確かに置いたはずの自分の輪郭が、消えている。

 何の痕跡もない。

 指で触れても、絵具のざらつきさえ残っていなかった。


 桐生は試みを繰り返した。

 油彩の配合を変えた。

 亜麻仁油あまにゆの量を増やし、また減らした。

 下地剤を変えた。

 墨を試した。

 胡粉ごふんを試した。

 日本画用の顔料を取り寄せて、にかわで溶いた。

 水彩を試した。

 アクリルを試した。

 漆さえ試した。


 どれも、一晩のうちに、絵から拭われていた。


 何度の試行を重ねたのか、桐生にはもうわからない。

 日が昇れば余白に向き合い、日が落ちれば新しい絵具を練った。

 食事は完全に忘れていた。

 水を飲むことすら、忘れることが増えた。

 指は震え、絵筆を握る力も次第に弱まっていく。


 それでも、絵の中の少女は、変わらず桐生を見ていた。

 少女の右手は、変わらず空を切っていた。

 差し出された掌の先には、変わらず、あの余白があった。


 桐生は気づくのに、何日もかかった。


 気づくきっかけは、絵の縁の小さな擦り傷だった。

 引っかき痕のような、わずかな剥がれ。

 そこに指先を当てて、桐生は息を呑んだ。


 剥がれた箇所からは、上塗りの油絵具の下に、別の色が覗いていた。


 絵の少女と、その奥の闇。

 それはただの絵具で描かれたものではない。

 画面の縁、塗りが薄れて下地が覗いている箇所がある。

 あ


 桐生は、その色に見覚えがあった。


 何年か前、初めて木彫りの模型を作ろうとして、刃物で指先を切ったことがある。

 しばらく血が止まらず、皿の中に垂れていた。

 最初は鮮やかな赤だった。

 けれど一晩置いて見ると、それは深い赤茶色に変わっていた。


 人の肌の下では赤く、空気に触れて時間が経つと、暗く赤茶色に変わるもの。


 少女を描いた者は、それを使ったのだ。

 そしておそらく、隣に座っていた者もまた、それで描かれていたのだ。


 桐生の指先は震えた。

 けれどそれは、恐怖の震えではなかった。



五、あけを描く


 その夜、桐生はことのほか身ぎれいにした。

 身体を洗い、髪を整えた。

 剃刀も丁寧に当てた。

 少女の隣に行くのに、汚れた身では失礼だと思った。


 台所から、刺身包丁を持ってきた。

 研いだばかりのもので、刃先は鋭い。


 画架の前に正座した。

 少女は微笑んでいるように見えた。

 少なくとも、桐生にはそう見えた。


 シャツを脱いで、腹を露わにした。

 鏡で確かめると、肋骨が浮いている。

 腹は痩せて窪んでいた。

 それでも、ここから流れ出るものは足りるはずだと、桐生には根拠もなく確信があった。


 新しい大きな皿を、膝の前に置いた。

 筆も三本、白い布の上に並べた。

 息を吸って、吐いた。


 包丁の刃を、へその少し下に当てた。


 冷たい刃が皮膚を割って、温かいものが内側から溢れ出した。

 痛みはあった。

 けれどそれは遠く、自分のものではない気がした。


 桐生は皿に手をやって、流れる赤を受けた。

 すぐに皿は満ちた。


 筆を浸して、絵に向かった。

 少女の隣の余白に、最初の一筆を置いた。


 絵具は、すべるように画面に乗った。

 これまでのどんな絵具とも違って、それは絵に拒まれなかった。

 馴染んだのだ。


 画面の中の余白が、ゆっくりと埋まっていく。

 最初は淡く、二度三度と筆を重ねるごとに、色は深く、形は確かになっていった。

 少女の隣に、ようやく座る相手が現れる。

 それが嬉しくて、桐生は思わず声をあげそうになった。


 桐生は描いた。

 少女の隣に座る、自分の姿を。

 輪郭、衣の重なり、組まれた手。

 一筆ずつ、丁寧に乗せていった。

 皿の赤が減ると、傷口にもう一度手を当てて、新たな赤を受けた。


 不思議と、筆を動かす手は震えなかった。

 長年の習慣が、生命の薄れる体にもまだ残っている。

 むしろ、これまで描いたどんな絵よりも、迷いがなかった。


 顔を描いた。

 少女に向ける、微笑んだ自分の顔を。

 これまで一度も、満足のいく自画像が描けたことはなかった。

 けれど今、絵の中の自分は、確かに桐生のものだった。

 それ以上に、少女と並んで、ふさわしい顔をしていた。


 最後に、少女の手のすぐ脇に、自分の手を添えた。

 指先が、彼女の指先に、ほとんど触れていた。


 桐生は筆を置いた。


 絵は、もう完成していた。

 少女と、その隣に座る男。

 二人の指先が触れ合うほどに近づいて、これからずっと、そのままでいる。


 視界が、絵の縁から滲んでいく。

 皿の赤は、もう、わずかしか溜まらない。

 体が傾ぐのを感じたが、抗わなかった。


 部屋の明かりは消してある。

 作業灯の光だけが、絵の少女と、絵の中の桐生を照らしている。

 床に倒れた桐生の体は、その光の輪のすぐ外にあった。


 絵の少女が、こちらにゆっくりと顔を向けてくる気がした。

 隣の桐生もまた、こちらに微笑みかけてくる気がした。


 桐生は床に倒れたまま、絵を見上げていた。

 口元に笑みが浮かんでいるのが、自分でもわかった。


 絵の中の自分は、もう、彼女の手を握っていた。



絵姿懸想(完)


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