縫い目の少女
AIに設定を読み込ませて執筆された、ホラーショートストーリーです。
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一、譲り受け
伯母から送られてきた段ボール箱には、新聞紙にくるまれた一体の人形が入っていた。
「もう私の家には置いておけないの」と、添えられた手紙には書かれていた。「あなたが小さい頃、欲しがっていた子よ。覚えているかしら」
私は覚えていなかった。
新聞紙を開いていくと、まず赤い毛糸が出てきた。鮮やかではない、煤けたような赤だった。次に黒いボタンの目が出てきて、それから、縞模様の脚が出てきた。最後にあらわれた白いエプロンには、何度も洗ったような皺が寄っていた。海外の絵本に出てくるような、布の人形だった。伯母が若い頃に外国で暮らしていたことは、母から聞いたことがある。きっと向こうで買ったものなのだろう、とぼんやり思った。
膝の上に乗せて、汚れの目立たない頬をそっと撫でた。古い布の匂いがした。日に焼けた、押し入れの匂いだった。布は、想像していたよりもずっと、軽かった。中に何が詰まっているのか、わからない。綿、というには、かたすぎる気がした。
看護学校の課題に追われる日々のなかで、ひとり暮らしの部屋はいつも静かすぎた。三月の夜は、まだ少し寒い。台所の換気扇の音だけが、隣の部屋の話し声よりずっと近くに聞こえる。実習で見てきた病室の、消毒液の匂いと、点滴のしずくが落ちる音とが、夜になっても耳の奥にまだ残っていて、それを薄めるためだけに、私はテレビをつけたまま眠るようになっていた。そんな部屋に、急に色のあるものが座っているのが、悪くない気がしたのだ。
ベッドの枕元に、その人形を座らせた。窓のほうへ向けて、足を投げ出させた。エプロンの皺を、指で伸ばす。座らせた瞬間、首の角度が、ほんの少しだけ、自分のほうへ傾いた。布の重みが、自然にそうさせたのだろうと思った。
しばらく、ぼんやりと、その人形の顔を見ていた。黒いボタンの目には光がない。けれど、見ていると、見られているような気がする目だった。子供の頃、近所の祖母の家に飾られていた市松人形の目に、似た感覚を覚えていた。あの目を見続けると、ふっと、別の人格に見られている錯覚があった。あれと、似ている。けれど、ここにあるのは、紛れもなく、外国の布の人形だ。
伯母の手紙には、人形の名前は書かれていなかった。
その夜——
うとうとと眠りに落ちる直前、布のこすれるような音を、たしかに聞いた気がした。
寝返りを打ったときに、人形のエプロンが、自分の腕にかかったのかもしれない。そう思って、目を閉じる。
朝になって目を覚ますと、人形は枕の反対側に、私のほうを向いて座っていた。
——寝相が悪かったのかしら。
そう、自分に言い聞かせた。テレビの天気予報は、今日も雨だと言っていた。
人形の足の裏に、私の枕の生地の、繊維のあとが、薄くついていた。
二、文字
それから、奇妙な変化がはじまった。
机の上に置きっぱなしにしていたメモ帳の隅に、薄い鉛筆の文字が書かれていることに気づいたのは、人形を譲り受けてから三日目のことだった。
「ありがとう」
書き慣れていない、子供の字だった。
私は、しばらくその文字を眺めた。それから、「どういたしまして」と小さく口に出して言った。誰に対してかは、自分でもよく分からなかった。鉛筆を握ったまま、メモ帳を閉じた。閉じてから、なぜ閉じたのだろう、と思った。
その日から、私は人形に名前をつけた。アンナ、と呼ぶことにした。なんとなく、それが似合うような気がした。声に出して呼ぶと、部屋の空気が、ほんの少しだけ、ふくらむような気がした。
メモ帳の文字は、少しずつ増えていった。
「ねむい」「あめだね」「すきなおと」
書かれた言葉は、どれも他愛のない、幼い独り言のようなものだった。私は、ひとりの夜が少しだけやわらかくなった気がして、メモ帳のそばにいつも鉛筆を置くようになった。鉛筆の芯は、毎朝ほんの少しだけ短くなっていた。削っていないのに、短くなっていた。
ときどき、私もメモ帳に書いた。「いってきます」「おやすみ」。書きながら、自分の指が、誰かに見られていることを、知っていた。書かれているところを見ているのに、書いている人の姿が見えない、という感覚を、そのころの私は気持ちのいいものだと思っていた。
伯母に電話をかけて、お礼を言った。
「あの人形、すごく可愛いね」と私が言うと、伯母はしばらく黙ってから、「そう」とだけ答えた。
「捨てたかったら、いつでも捨てていいのよ」
伯母の声は、不自然なほど穏やかだった。
「持っていてくれて、ありがとうね」
そう続けて、伯母は電話を切った。私は、しばらく受話器を耳に当てたままでいた。「ありがとう」と言われる理由が、最初はわからなかった。
私は、アンナのほうを見た。アンナは、いつもどおり、こちらを向いて座っていた。黒いボタンの目は、笑っているようにも、泣いているようにも見えた。
夜中に、ふと、ベッドのふちに体重がかかったような気配で目を覚ますことが、何度かあった。
毛布の上を、たどってくる、小さな手のような重み。
——アンナ。そこにいるの?
そう声に出して訊くのを、やめられなくなっていた。
訊けば、毛布の重みは、すうっと退いた。退いたというより、その質感が、ただの布のたるみに戻った。
それで、いいような気がしていた。安心した、というのではなかった。安心してはいけない場所で、安心している自分を、確かめていたのだ。
三、知らない名
メモ帳に、ある日、見覚えのある文字が現れた。
「たかひろ」
呼吸が、止まった。
——付き合いはじめたばかりの彼の、下の名前。
その名前を、私はこの部屋で、まだ一度も口にしていなかった。電話で話すときも、私は彼を「ねえ」とか「あのさ」としか呼んでいない。SNSのメッセージは画面の中で、声にはなっていない。手紙のやりとりも、ない。
部屋のなかで発音されたことのない、その三文字。
それが、メモ帳の上に、子供の字で並んでいた。
寝言で、呼んだのかもしれない、と思った。一瞬、すがるように、そう思った。けれど、寝言を聞いて文字に書ける誰かが部屋のなかにいる、という前提のほうが、もう、おかしいのだった。
私は、人形のほうを、見た。
アンナは、いつもの場所に、いつものように座っていた。布の頬には、古い染みが、ひとつ。それは前からあったはずのものだ。
——でも。
その染みの位置が、少しだけ、ずれている気がした。
口元の、ちょうど耳のあたりまで。
笑った、後のように。
四、収まらない
私は、アンナを箱に詰めた。
最初に行ったのは、近所の神社だった。境内の隅に、人形供養の札が立てかけてあるのを、以前見たことがあった。
社務所の窓口で、紙袋に入れたアンナを差し出した。神主は、袋の口を少し開けて、なかを覗き込み、それから——あからさまに、表情を変えた。
「これは、お預かりできません」
低い声だった。
「うちには、これを納めるためのお社がありません」
別のところに行ってください、という意味なのだろう、と私は思った。けれど、神主は別の場所を教えてはくれなかった。代わりに、こう言った。
「ご自分で、決めてください。連れて帰って、ご自分で」
紙袋を返されるとき、神主の手は、袋の口を持ったまま少し迷っているように見えた。けれど、結局はこちらに渡された。受け取った瞬間、紙袋は、来たときよりも少しだけ重くなっていた。
私は、紙袋を抱えて、神社の石段を降りた。
実家に持っていって、庭で焚き上げてもらおうと考えた。父には、ずっと使っていない縫いぐるみを処分したいのだと、それだけ言った。父は何も訊かなかった。落ち葉を燃やしているところに、アンナを、そっと、置いた。
火は、たしかに人形の足にふれた。
布が焦げる匂いが、ふっと立った——気がした。
けれど、煙が引いて、灰のなかをのぞいたとき、アンナはまったく焦げていなかった。エプロンの白さに、ほんのわずかな、煤の汚れさえついていなかった。
代わりに、私の手の甲に、小さな火傷の痕が残っていた。火に近づいた覚えのない、ちょうど人形の足の高さに。
その夜、彼から連絡が来た。
「自転車で転んだんだ。たいしたことはない、けど——」
声が、少し、震えていた。
「左の頬に、傷が」
私は、息を吸った。
部屋のすみで、アンナがこちらを見ていた。
布の頬の、笑ったような染みが、左側に、ある。
私はもう、それが前からあった染みなのか、いつのまにか増えたものなのか、分からなくなっていた。古い写真を探したが、譲り受けた最初の日に、アンナを撮った写真は、一枚もなかった。撮ろうと思って、結局、撮らなかったのだ——その理由が、いまになって、はっきりしない。
伯母に電話をかけた。捨てた、と言うつもりだった。けれど呼び出し音は鳴り続けて、誰も出なかった。
何度かけ直しても、出なかった。
母に訊くと、伯母は最近、誰の電話にも出ないのだそうだった。
「元気にしてるみたいだけどね」と、母は不思議そうに言った。「ただ、家のなかが、片付きすぎていて、気味が悪いのよ。何にもなくなっちゃって。あの人、若いころに、いっぱい買い集めてた洋物の人形、あったでしょう。あれも、ぜんぶ、いつのまにか、なくなってるの」
私は、受話器を握ったまま、机の隅のアンナを見ていた。
ぜんぶ、というのは、つまり、ぜんぶがどこかに行った、ということだ。
行き先は、おそらく、ひとつではない。
五、預ける
桐の箱を買った。
人形供養の札のあった神社で、別の日に、お祓いの済んだ箱だ、と店の人が言った。それを買って帰り、アンナを、そっと納めた。
蓋を閉めるとき、布の襟元が、ほんの少しだけ蓋にひっかかった。
「ごめんね」
そう、声に出して言った。
「ごめんなさい」
くりかえした。
机の隅に、桐の箱を置いた。
夜、寝る前に、箱の蓋の上に、小さなものを置くようになった。喉飴を一粒。五円玉を一枚。彼から借りていた、まだ返していないハンカチ。母から「実家に来なさい」と書かれた葉書を、二つに折って。実家には、しばらく行かないつもりだった。庭で、燃えなかった人形を見たのは、私と父だけだ。それで、いいと思った。
朝になると、それらは、ちゃんとそこにある。
ただ、五円玉の向きが、変わっていることがある。喉飴の包みが、開かれずに、舐められたような艶を帯びていることがある。ハンカチの皺が、誰かの手で、ていねいに伸ばされていることがある。葉書だけは、二つに折ったところが、ぴったりと重なって戻されていた。手で押さえて整えたような、跡がある。
たまに、蓋の隙間から、ごくちいさな、布のこすれるような音がする。
私は、もう、それを「アンナ」とは呼ばない。
呼んでいない。
呼ばないことにしている。
呼べば、それが、自分の名前だと、覚えてしまうから。覚えさせてはいけない、と直感している。名前は、こちらが与えるのではなく、向こうが選ぶものになりつつある——そう思うようになってから、私は鉛筆を、机に出さなくなった。文字にされてしまえば、いずれ、誰かのものになる。
伯母の家からは、いまも電話に出る人がいない。けれど、母の話によると、家のなかは前にも増して整然としているのだそうだ。塵ひとつ、落ちていない。テーブルの上に、桐の箱がひとつ、置かれている。それだけは、ずっと変わらず、そこにあるらしい。
母には、伯母の家を訪ねないでね、とだけ言っておいた。理由は、訊かれなかった。
彼が、最近、私の部屋に来るのをためらうようになった。「なんだか、空気が変わったみたいでさ」と、口ごもりながら言う。私は、そうかな、と笑う。笑いながら、机の隅の桐の箱が、自分の後ろにあることを、強く意識する。
長くは、いさせない。
それだけは、決めている。
蓋の向こうから、布が、こちらを見ているのを、私はもう、知っているから。
メモ帳は、捨てた。
けれど、新しく買ったメモ帳の最初のページにも、薄い鉛筆の字で、ひとことだけ書かれていた。
「またね」
子供の字、ではなかった。
少しだけ、私の字に、似ていた。
縫い目の少女(完)




