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神との対立宣言

 翌朝、ルークから呼び出しがあった。


 場所は学院の図書館ではなく、王宮だった。週末を利用して、父王に会ってきたらしかった。私室に通されると、ルークはすでに机の前に座っており、広げられた文書が何枚もあった。ファイも来ていた。


「座ってくれ」


 ルークの声が、いつもと少し違った。軽さがなかった。


「父上に全て話した。使徒のこと、神殿の動き、サクラへの干渉。全部だ」


「王はどう言った?」


「動く、と言った」


 ルークは文書の一枚をこちらに向けた。細かい文字が並んでいる。


「王家として、神殿との関係を一時的に凍結する。表向きは儀礼上の理由だが、実質的には神殿の動きを牽制するためだ。それと同時に、王家の魔術師たちにサクラの周辺の監視を命じた」


「神殿が黙っているか?」


「黙らないと思う。だからこそ、早く動く必要がある」


 ファイが口を開いた。


「セルディア家も動く。父に話した。アルティナ家とセルディア家が連携して、神殿の情報収集を阻止する。具体的には、神殿が接触しようとしている商家や情報屋に先手を打つ」


「サクラは?」


「まだ知らない」


 ルークが答えた。


「今日、アルティナ公爵に話す。サクラにも、全てを伝える必要があると思っている」


 テーブルの上で、手を組んだ。


「サクラ自身の力のことも含めて、か」


「そうだ」


 ルークはこちらを見た。


「サクラの力が目覚め始めている。神の干渉が強まっているのも、それが理由だ。力の目覚めを遅らせることはできるかもしれないが、止めることはできない。ならば、目覚めた力をどう使うか。サクラ自身が決める必要がある」


「神殺しの力を、使うかどうか、ということか」


「そういうことだ」


 沈黙が落ちた。



***



 その日の午後、四人で公爵の書斎に集まった。


 アルティナ公爵は机の前に座り、全ての話を聞いた。ルークが神殿の動きを話し、ファイがセルディア家の対応を話した。こちらが使徒としての過去を話すときだけ、ルークとファイは口を閉じた。


 話し終えた。


 書斎が、静かになった。


 公爵は長い間、何も言わなかった。


 その沈黙が何を意味するのか、読めなかった。ただ、その沈黙には重さがあった。軽くあしらわれている沈黙ではなかった。何かを、深く考えている人間の沈黙だった。


 サクラは隣で黙っていた。既に知っていることも、初めて聞くことも、同じ表情で受け取っていた。その手が膝の上で静かに握られているのが、視界の端に見えた。


 公爵がゆっくりと口を開いた。


「レン」


「はい」


「一つだけ聞く」


 公爵の薄紅の瞳が、まっすぐにこちらを見た。サクラと同じ色の目だった。しかし今は、サクラのものより深く、重かった。


「お前が命令を断ったとき、その瞬間に何を感じた? 理屈ではなく」


「守りたい、と思いました」


「それだけか?」


「それだけです」


 公爵はしばらくこちらを見ていた。その目が何かを確かめているのがわかった。


 やがて、公爵は小さく息をついた。


「……そうか」


 立ち上がり、窓の外を見た。庭園に夕暮れが迫り始めていた。


「俺も若い頃、サクラの母親を守ると決めた瞬間があった。理由なんてなかった。ただそう思った。それだけだった」


 独り言のような声だった。こちらに向けた言葉ではなく、自分の中の何かに向けた言葉のような。


「お前の選択を、俺は信じる」


 その言葉を聞いた瞬間、手のひらがじんわりと熱くなった。剣を呼んだわけではなかった。しかし熱があった。この熱が何を意味するのか、今はわかる。守りたいという気持ちが、形を持とうとしているときの熱だ。


「娘を守ってくれた。それは事実だ。過去がどうであれ、今ここにいるお前が娘を守ろうとしているなら、俺にはそれで十分だ」


 公爵はルークとファイを見た。


「王家とセルディア家が動くなら、アルティナ家も動く。神殿との対立を恐れるつもりはない」


 それから、サクラを見た。


「サクラ」


「はい、父様」


「お前の力のことは、ずっと気になっていた。しかしお前が知る前に動くことはできなかった。今、全てを話した。お前がどうするかは、お前が決めることだ」


 サクラはしばらく黙っていた。


「……少し、考えさせてください」


「ああ」


 公爵は静かに頷いた。それから、もう一度だけこちらを見た。言葉はなかった。ただ、頷いた。


 それだけで、十分だった。



***



 夕暮れになると、サクラが庭園に出た。


 少し間を置いてから、後を追った。いつものベンチに座っているサクラの隣に、腰を下ろした。


 しばらく二人とも黙っていた。夕暮れの光が庭園を橙色に染め、魔術灯が一つひとつ点り始めていた。


「レン」


「何だ」


「聞いていい?」


「ああ」


 サクラはこちらを見た。


「あなたは、私に力を使ってほしいと思う?」


「思わない」


「なぜ?」


「お前が傷つくのは、嫌だ。それだけだ」


 サクラは静かに息をついた。


「でも、使わなければ神の干渉は続く。周囲の人間が危険に晒される」


「それもわかっている」


「なら」


「それでも」


 サクラの方を見た。


「嫌なものは、嫌だ」


 サクラはしばらく黙っていた。それから、小さく笑った。力が抜けたような、しかしどこか温かい笑い方だった。


「……馬鹿ね」


「そうかもしれない」


「でも」


 サクラは前を向いた。夕暮れの空を、まっすぐに見ていた。


「私は逃げない。自分の運命から目を背けない、と言ったわ。それは今も変わらない」


 その横顔を、見ていた。


「力を使うかどうかは、まだわからない。でも」


 サクラはこちらを見た。その目には、迷いがなかった。


「戦うことは、決めた」


 その言葉を受け取った瞬間、手のひらに熱が集まった。剣を呼んだわけではなかった。しかし、守りたいという気持ちが、静かに強くなるのがわかった。



***



 三日後、神殿が動いた。


 学院への使者が来たという話は、ルークから聞いた。神殿の上級祭司を名乗る人物が学院長に面会を求め、学院長は王家からの圧力を受けてそれを拒否した、という経緯だった。


「予想通りだ」


 ルークが言った。三人は演習場の隅に集まっていた。


「神殿は正面から来るつもりはない。じわじわと、別のルートを探してくる」


「サクラへの直接干渉はどうなっている?」


「ここ数日は止まっている。神殿が表立って動き始めたことで、神側も慎重になっているのかもしれない。あるいは、次の大きな干渉のために力を溜めている」


 ファイが口を開いた。


「一つ、提案がある」


「何だ?」


「サクラの力を、少しだけ引き出す訓練をしてみてはどうか。神の干渉はサクラの力が目覚めることを恐れているから来る。逆に言えば、サクラ自身が力をある程度制御できるようになれば、干渉に対して受け身ではなくなる。力が目覚めるのを待つのではなく、サクラ自身が主導権を持つということだ」


 沈黙が落ちた。


「サクラが同意するかどうかだが」


「聞いてみる価値はある」


 ルークは少し考えた。


「やるとすれば、学院の中では難しい。人目のない場所が必要だ」


「王宮の演習場が使える。父上に話をする」


「頼む」



***



 翌週末、王宮の演習場に四人が集まった。


 広い石造りの空間だった。学院の演習場より天井が高く、壁に術式の紋様が刻まれていた。魔術の暴走を抑制するための仕掛けらしかった。


 サクラは演習場の中央に立ち、自分の手のひらを見ていた。


「どうすればいい?」


「力を呼ぼうとする必要はない」


 ファイが言った。


「ただ、自分の中にあるものを感じてみてくれ。探すのではなく、感じる。それだけでいい」


 サクラは一度こちらを見た。何かを確かめるような目だった。頷くと、サクラは目を閉じた。


 しばらく何も起きなかった。


 演習場は静かだった。石畳の上に四人の気配だけがあった。ルークは腕を組み、微動だにせず中央を見ていた。ファイは息を潜めていた。こちらも、体の力を抜いて、ただ待った。


 最初に変化を感じたのは、皮膚だった。


 空気の密度が、わずかに上がった。魔術師が力を収束させるときとも違う。もっと根本的な何かだった。この世界の層が一枚めくれるような、あるいは普段は見えていない何かが、うっすらと表に出てくるような感覚だった。


 サクラの手のひらが、光り始めた。


 白でも金でもない光だった。しかし確かに、そこにあった。光というより、サクラという存在そのものが滲み出しているような、そういう光だった。


 ルークの息が、わずかに止まった。


 ファイが半歩、前に出た。


 こちらは、動けなかった。


 廊下で見た金色の目を思い出した。あの存在が、使徒だった自分を作った神が、今サクラの中から出てきているものを恐れている。それが今、目に見える形でそこにあった。


 光は数秒で消えた。


 サクラが目を開けた。


 その瞬間、三人が同時に息を吐いたのがわかった。誰も意識していなかったが、全員が息を止めていた。


「……感じた」


 静かな声だった。しかしその中に、何かが決まったような音があった。


「何を感じた?」


「大きい、と思った。自分の中にあるものが。海みたいに」


「怖かったか?」


 サクラは少し考えた。


「怖くない。前から怖くなかったけれど、今は……もっとはっきりと、怖くないとわかった」


 サクラがこちらを見た。


「あなたは?」


「何が?」


「私のあれを見て、どう思った?」


「守れる、と思った」


 サクラが目を瞬かせた。


「その力があるなら、お前は自分で自分を守れる」


 サクラはしばらくこちらを見ていた。それから、視線を自分の手のひらに落とした。


「……そうかもしれない」


 小さな声だった。しかしその声に、今まで聞いたことのない何かが混じっていた。



***



 その夜、演習場に一人残った。


 ルークとファイは先に戻っていた。サクラも公爵邸に戻っていた。


 静かな石造りの空間の中に、一人で立っていた。


 サクラの手のひらから滲み出た光を、まだ目の奥に感じていた。


 手のひらに意識を向けた。


 剣が現れた。淡い光を帯びた、細身の剣。守りたいという誓いが生み出す力。今日のサクラの光とは、質が違った。こちらは人間の感情から来る力だ。しかしあちらは、もっと根本的な何かから来ていた。


 覚悟が強いほど、力が増す。


 ならば今、どれほどの覚悟があるか。


 剣の光が、一瞬だけ強くなった。いつもより、ずっと強く。演習場の壁に刻まれた術式紋様が、その光を受けて薄く輝いた。


 それはすぐに戻った。しかし確かに、あった。


 剣を消した。


 窓の外に、夜空があった。星が多かった。


 遠くで、何かが動いた。


 神の気配だった。


 以前は遠ざかっていた。しかし今夜は、動かなかった。ただ、こちらを見ていた。


 こちらも、見た。


 退かなかった。目を逸らさなかった。ただ、その気配を見つめ返した。


 どれくらいそうしていたかわからない。


 やがて、神の気配が引いた。消えたわけではなかった。ただ、少し遠くなった。


 しかし今夜の気配には、以前と違う何かがあった。


 様子を見ている、という気配だった。


 何かが始まろうとしている。その予感が、空気の中にあった。


 目を閉じた。


 夜風が演習場の窓を抜けた。


 手のひらの熱が、静かに残っていた。

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