黒い妖魔
紡の屋敷に到着したアリス達は使用人に眠ったままの花音の看病を任せ、囲炉裏を囲みこれまでの経緯を説明する。最初は驚いていた紡も、ここ最近の異変と重なることが多くあったようで直ぐに納得していた。
「世界の侵食、ばぐずなる者……難儀な事が起きているようだな」
「こちらの世界でもおかしな事が起きているというのは分かります。さっきの狼とのやり取りでなんとなく察しはつきます」
「うむ。一週間ほど前から黒い妖魔が姿を現してな、里の者も銀狼の一族にも多大な被害が出たのだ」
頭を掻きながら紡は異変について話し始めた。人の悪意を察知し襲い喰らう妖魔。本来であれば里を守る結界と妖魔でありながら人間と友好的な関係を築いていた銀狼の一族と共に撃退する事が出来ていたが、黒い瘴気を纏う妖魔が現れたかと思うと結界を破り人間も銀狼も関係無く襲う事態が相次いだという。一部の疑心暗鬼に陥った里の人間が、銀狼に猜疑の目を向け内部でも争いが発生したこともあったらしい。
「里で戦える者はそう多くはない。なればこそ、銀狼との協力は不可欠なのだ。加えて、里長が一週間前から行方が分からなくなっている。万が一のことがなければいいのだが……」
座敷が重い空気に包まれる。その静寂を破るように、先ほど別れた梅が一輪の花を携え縁側から顔を出した。
「紡兄、おもてなしの準備が出来たって!」
「おお、梅。あい分かった、すぐに向かおう」
「あ、お姉ちゃん! さっきはありがとう、これ!」
梅はアリスの元まで駆け寄ると、満面の笑みで手に持っていた花を差し出す。決して裕福ではないであろう梅の、精一杯の礼にアリスは優しく微笑みながら受け取った。
「皆、まだまだ入り用の話があるだろうが、まずは労いをさせていただきたい。豪華絢爛とは言えないが、せめてもの恩返しだ」
「お気遣い痛みいるわあ。アリスはん行くで!」
「龍二殿、後程この里一の絡繰技師を紹介しよう。其方の車の修繕に手を貸してくれるはずだ」
「そいつはありがてえな!」
梅と紡に案内されアリス達は屋敷を後にした。
♢
里の中心部にある一際大きな屋敷に到着したアリス達は、あまりの賑わいと活気に圧倒されていた。里に辿り着いた時の倍以上の人が集まり、たくさんの食べ物や飲み物の屋台が立ち並んでいる。縁日のようなその光景に、龍二とお松はどこか懐かしむような面持ちで足を進めた。
「あのそういえば、紡さん」
「む、どうした?」
「外出される際はその笠を被るのはなにか理由があるんですか?」
屋敷にいた時は深編笠を脱ぎ素顔のままだった紡は、外に出る際慌てた様子で笠を被っているのを見て、アリスは疑問を抱いていた。
「実は、拙僧の顔を見て怖がる幼児が多くてな……梅とは長い付き合いだから平気ではあるが、大抵の者はこの傷跡で萎縮してしまうのだ……」
少しだけ、というよりあからさまに残念そうに紡は答えると、歩き疲れた様子の梅を抱き上げる。乾いた笑みを浮かべるアリスが先導する龍二たちの後をついていこうとした時、背後から陽気な声で少女に話しかけられた。
「あ、貴女! さっきこの里に着いた娘だよね?」
「え? はい、そうですけど……」
振り向いた先には、水色の袴とジャケットを着た少女が団子を頬張りながら立っていた。深い藍色の髪が揺れる端正な顔立ち、着ているジャケットは革製なのか明かりを艶やかに反射している。里の人間とはあまりに違う容姿の彼女を見て、紡は訝しむように首を傾げた。
「見ない顔だな。この里の者ではないようだが、其方は?」
「貴方が紡さんね! いやあ〜実は空腹で行き倒れていたところを心優しい里の人に助けてもらってさあ〜! 少し前からお節介になってるんだ!」
「おお、そうであったか。行き倒れとは大変であっただろう、好きなだけこの里で療養するといい」
「ありがたい幸せ! あ、私ミノリっていうんだ! 貴女は?」
団子を頬張るのを止めることなく話すミノリはアリスの手を取り目を輝かせながら尋ねる。グイグイくるミノリのペースに飲まれそうになりながら口を開く。
「えっと、アリスって言います」
「ああ……アリスね! よろしく!」
握った手を満面の笑みで振り回すミノリに動揺していたのも束の間、突然屋敷の外から激しい鐘の音が聞こえてきた。集まる人々がどよめく中、鉢巻を巻いた男が慌てた様子で屋敷に入ってきたかと思うと大声で叫び出した。
「妖魔が出たぞ! あの黒い妖魔だ!」
屋敷内の空気が一変する。途端に悲鳴が上がり一斉に集まった人だかりが屋敷の外へ逃げ出した。
「どこに現れたのだ?」
「門前だよ! いま男手をかき集めてなんとか食い止めちゃいるが、いつ破られてもおかしくねえ!」
「案ずるな、すぐに向かう」
梅を下ろし家に帰るよう告げた紡は、里の門に向かって駆け出した。すぐさま後を追おうとしたアリスを、ミノリが手を強く握り引き止める。
「ちょっと、どこ行くの?」
「紡さんの手助けに行きます! 行く当てのない私たちを迎えてくれた皆さんの恩を無下には出来ませんから!」
そう言ってアリスはミノリの手を振り解き紡の後を追った。




