朱色の侍
茂みの中から現れたのは、朱色の着物を纏う侍だった。腰には一本の刀を携えており、深編笠を被り表情は読めないが聞こえた低い声からして男性だと分かる。怒り狂う銀狼と対峙する侍に雅な雰囲気を感じたのも束の間、深編笠の奥から発する殺気を感じたアリスは咄嗟に少女とお松の元まで距離を取り侍を睨み付けた。
「それ以上近づかないでください!」
「…………」
敵意を剥き出しにするアリスと横たわる少女を見つめ、侍は何も言わずに銀狼へ視線をやると静かに口を開いた。
「銀狼の一族よ。そなたらに害のない童を襲うなど誇りを捨てたのか?」
野を行く獣に人の言葉が通じるはずも無い筈だが、侍は当然の様に銀狼に向かって語りかけた。配下の銀狼は侍が言葉を発した途端狂ったように吠え怒りを露わにする。
「我らは共に暮らしてきた友人であり垣根を越えた家族であったはず。此度の騒動で気が立っているのも分かる。だが、我らはまだ話し合うことが出来るはずだ」
侍の言葉を聞いたリーダーは憎悪に支配され血走る目で睨み続け、怒りで震える身体を必死に抑えようと爪で地面を抉りながら大きく口を開いた。
「裏切り者め」
「え?」
「なんやあの狼、人の言葉で喋ったで!?」
驚くアリスとお松とは違い、侍はどこか淋しさを感じる様相で俯く。そんな侍をよそにリーダーは怒りに任せさらに捲し立てた。
「お前たちを守ってきた我らを迫害し、恩を仇で返したのはお前たちだ! 我が同胞の血が流れた事を忘れたとは言わせんぞ!」
「それは誤解だ。少なくとも、拙僧の里にはお前たちの恩を忘れた者など一人としておらぬ。それにお前も分かっているだろう? 此度の騒動の原因はあの黒い妖魔によるものだと……」
「黙れ!」
侍の言葉を遮る様に怒声を浴びせると、リーダーの合図で配下の銀狼達は森の中へと姿を消していった。
「我らは裏切りを決して許さん。必ずやその憎らしい頭蓋を噛み砕き、喉笛を引き裂きに行くぞ!」
そう吐き捨てるとリーダーは侍を一瞥して森の中へと消えていった。辺りを元の静寂が包む。いつの間にか侍からはさっきは消え、銀狼が消えていった茂みを静かに見つめていた。
「上手く事は進まんな……」
「……あの」
「む? おお、まだ礼を言っていなかったな」
アリスの呼びかけに侍は慌てながら地に両膝をついて頭を下げる。先ほどの冷酷な雰囲気はすっかり鳴りをひそめた変わりように、アリスは少しだけ警戒を解いた。
「異邦の者よ、助太刀感謝致す。其方らが駆けつけてくれなければ、今頃梅は彼奴等の餌食となっていただろう」
梅というのはアリスの後ろで横たわっている少女のことだろう。深々と頭を下げる姿を見たお松とアリスは互いに顔を見合わせこちらこそ、と同じ様に姿勢を正し頭を下げる。
「あいにく今すぐ礼を尽くせるような持ち合わせが無い。其方らが良ければ拙僧の里でもてなしたいのだが、どうか?」
「有難い提案やけどウチらは余所者やで? そない簡単に信用してええんか? なんやのっぴきならない事情もあるようやし」
「其方らは身を挺して梅を救ってくれた。その事実だけで、信用するに十分値する」
義を通さんという振る舞いの侍の姿に、お松はどこか通じるものがあったのか再度姿勢を正し同じように深く頭を下げ答える。
「それじゃあ、お言葉に甘えさせていただきます。お松と申します、どうぞよしなに」
「ありがたい、早速山を降りるとしよう。ここ最近妙な妖魔が姿を現す。日が暮れる前には里に着くだろう」
侍は頭を上げると深編笠を脱ぎ素顔を露わにする。真っ赤な髪を後ろで束ね、右目に大きな深い傷跡が残っていた。燃えるように赤い瞳を逸らす事なく侍は二人を見据える。
「姓は桔梗、名を紡と申す。里までの安全、拙僧が保証しよう」




