第7話 幻術のあとは水溜り
魔法を見せると答えた途端、アイカの瞳がこれ以上ないほど輝いた。
「私が一番得意な魔法でいいですか?」
「うん! それで!」
食い気味に頷くアイカ。私はふふっと得意げに微笑み、すっと右手を前に出した。
この世界へ来てからというもの、驚かされてばかりだったのだ。ここらで一発、私たちの世界の凄さというものを見せつけてやろう。
「レミーシャ、待って」
私が指先に意識を集中させようとしたその瞬間、隣にいたお兄様がさっと顔色を変えた。
「大丈夫よ、お兄ちゃん。威力は抑えるから」
「ここでは駄目だよ。周りの紙や、その魔道具みたいな箱を駄目にしたら困るだろう?」
普段はどれほど無茶に馬車を走らせても涼しい顔をしているお兄様が、珍しく慌てた様子で私の腕を押さえてくる。
「……え、そんなのなの?」
私たちのやり取りを聞いていたアイカの顔から、さーっと血の気が引いていく。期待に満ちていたはずの目が、みるみる怯えの色に変わった。
「そうね。……アイカ、外に出ましょう」
「え、待って。もうちょっと物騒じゃないやつないの!?」
すっかり怯えきったアイカの悲鳴を聞き流しながら、私は足取りも軽く外へと出た。
建物の裏手には、撤収作業を続ける人々から少し離れた、開けた空き地があった。
見上げれば、陽はすでに傾き、空は綺麗な茜色に染まり始めている。
見たことのない建物ばかりの場所だけれど、夕焼けの美しさは私たちの世界と何も変わらない。その見慣れた景色に、私は少しだけほっと息をついた。
深呼吸をしてから、恐る恐るついてきたアイカへ向き直る。彼女はぎゅっと目を瞑り、身構えていた。
「さ、やりますよ!」
「……よろしく、お願いします」
「アイカさん、そんなに緊張しないで」
震える彼女に兄が苦笑いした直後、私は指先をすっと真上へ振り上げた。
「だって……え、ええええ? ちょ!」
私が一番得意とする魔法。それは『幻術』だ。
掲げた指先へ白い霧が集まる。その指をアイカへ向けると、霧は彼女の身体へ巻きつき、全身を包み込んだ。
「……え、あたし山の中にいたはずなのに」
呆然とした声が聞こえてくる。
何を見ているのかしら。
幻術は得意だけれど、術をかけた相手が何を見るのかまでは分からないのよね。
アイカの口がぽかんと開いているのを見届け、私は指先を下げた。
すると、彼女の周りにあった霧が離れていく。
ばしゃり。
「……あ」
アイカを包んでいた霧が水へと変わり、地面へ落ちた。
アイカの服は濡れていないのに、足元には大きな水溜まりが広がっている。
うん、まあ、いつものことなんだけど。
そうなんだけど。
「ああ、やっぱり」
そんなお兄様の呆れた声を聞きながら、私は思わず苦笑する。
「……何、これ」
ぱちくりと何が起こったのか理解できていないアイカが、自分の周囲に広がる大きな水溜まりに目を丸くしている。
そこへ、箱を抱えたカズキがのんきな声をかけてきた。
「すげぇな。なにそれ。ドライアイス?」
「え? 乾いた氷……?」
またしても聞き慣れない単語に、私は首を傾げる。
「あー……演劇とかで使われるヤツでさ――」
「馬鹿あとキー! 魔法だよ! ま・ほ・う! あたし今、海にいたんだから!」
私の代わりに、アイカが吠えた。
「あ? 海? 山だろここ」
「だから魔法!」
「魔法ねぇ……」
カズキは頭を掻きながら、まじまじと私とお兄様を見比べる。
「ホントに異世界から来たって感じだな」
「まだ信じていただけてなかったんですか?」
「いや、雨も降ってねぇのに、こんな霧とか水溜まりとか見たら、信じるしかねぇし」
どうやら、魔法を見せたことで、少なくともカズキには私たちが異世界から来たと信じてもらえたらしい。アイカが身をもって証明してくれたおかげだ。
「和希! サボるな!!」
離れた場所からカエデの怒鳴り声がする。
「うるせーな、もう終わるだろ」
カズキはぼやきながら、再び機材の撤収へと戻っていく。
そんな彼を見送ると、アイカが興奮の残る顔で私へ向き直った。
「ありがとう、レミーシャちゃん。海が見えた。幻を見せる魔法なんだね」
「はい。私の幻術は、その人が見たい景色を見せるものなんです。ただ、術が解けると周りに水溜まりができちゃうんですけど……」
「あ、それでこれ」
「すみません……」
「いいよいいよー」
アイカは笑いながら水溜まりを飛び越え、私のそばまでやってくる。
「今年、海に行ってなくてさ。行きたかったから、嬉しかった。幻の中だけど、ちょっと泳げて楽しかったよ!」
「よかった……あの、もしよければ、この世界のことを教えてもらってもいいですか?」
私が改めて頼み込むと、アイカは満面の笑みを浮かべた。
「もちろんだよ! じゃあまず、ここがどこなのかからだね」
「お願いします」
「ここは日本。その中の、北海道っていう場所だよ」
「ニホン。ホッカイドウ」
……と、この土地の名前を聞いたものの。
悲しいことに、さっぱり分からない。見当もつかない。
私の顔に堂々と「?」が浮かんでいたのだろう。アイカは少し困ったように頬を掻き、さらに言葉を付け足した。
「あー……地球?」
「ニホン。ホッカイドウ。チキュウ」
横に立つお兄様が、初めて聞く単語の響きを口に馴染ませるように、一つ一つ区切って復唱している。
「なんて言えばいいの、これ。おかしいな、漫画ではスッと納得してくれる場面だと思うんだけど」
頭を抱えてしまったアイカに、私はすまない気持ちでいっぱいになった。
「ごめんなさい、アイカ。私たちの理解が追いつかなくて」
「違う違う! レミーシャちゃんが悪いわけじゃないし! そうだなぁ……」
どうにか私たちに伝えようと、アイカが腕を組んで唸り声を上げた、その時だった。
「あ、まえキー! いいところに!!」
アイカがぱっと顔を上げ、遠くを歩いていた人影に向かって大きく両手を振った。
釣られて視線を向けると、一人の男性がこちらへ顔を向けるところだった。黒髪で、どこか優しげな空気をまとった青年が、小走りで近づいてくる。
「なに、藍華」
「ちょっと相談」
「え?」
目を瞬かせる青年の腕を引き寄せ、アイカは私たちへ彼を引き合わせた。
「あ、この人、あたしの兄貴で稀昭っていうの。こっちはレミーシャちゃんに、お兄さんのエラリオさん」
紹介を受け、私とお兄様は揃って軽く会釈をした。アイカのお兄さんなのだから、失礼があってはいけない。
「どうも。……で、相談ってなに?」
キショウと紹介された青年は、私たちの見慣れない出で立ちに少しだけ戸惑いながらも、アイカへ問い直した。
「異世界人にここのこと説明する方法、教えて」
「は?」
ぽかん、と。
キショウの口が半開きになる。
「あたしじゃ、上手く伝えられなくってさー」
唐突すぎる無茶振りをされたアイカのお兄さんは、目を丸くして完全に固まっていた。
「いせ、かい……え?」
「うん。異世界」
「待って。ここ、さっきまでラリーしてた会場だよね? 僕が異世界に来たんじゃないよね?」
「なんの確認してんの、まえキー」
「混乱するでしょ、普通」
突拍子もないアイカの言葉に、キショウは額を押さえて必死に思考を整理しようとしている。
このままでは彼が可哀想だと思い、私は口を挟んだ。
「あの、すみません。私たちが、その異世界から来たんです」
「……え」
「私たちがいた世界は『ウィンテリヌス』というところで、その中の『ヴァロ王国』から来ました」
私が丁寧に自分たちの素性を明かすと、キショウは瞬きを数回繰り返したあと、ストンと腑に落ちたような顔をした。
「ああ、そういうこと」
「え、納得したの!?」
アイカが素っ頓狂な声を上げる。
「僕、そういう異常現象には寛容だから」
「そういう問題!?」
ツッコミを入れるアイカをよそに、キショウはすっかり落ち着きを取り戻し、私たちへ向き直った。
「ごめんなさい。えっと、レミーシャさん。説明しますね」
「はい」
「レミーシャさんの説明に当てはめると、ここは『地球』という世界で、その中の『日本』という国にある、『北海道』という地域です」
「なるほど」
横で聞いていたお兄様が、ポンと手を打って深く頷いた。ウィンテリヌスのヴァロ王国。地球の日本、北海道。自分の世界に当てはめて説明されたことで、ようやく構造を理解したらしい。
どこか似たような空気の二人を眺めながら、私は半ば呆れて呟いた。
「……うちのお兄ちゃんも、微妙に納得が早いよね」
「そうかい?」
にっこりと笑うお兄様に呆れながら、私はアイカとキショウへ、思い切って不躾なお願いをしてみることにした。
「あの、私たち、この世界に知り合いもいないですし……この先、衣食住に困る予定なんですけど」
「予定って……」
「お兄ちゃんは黙ってて。せめて今日だけでも、どこか休める場所はないでしょうか」
私が両手を合わせて頼み込むと、キショウはさらりと信じられないことを口にした。
「泊まる場所? 家に来る?」
「え」
「え!?」
「え?」
私とお兄様、そしてアイカの三人の声が綺麗にハモった。
「ちょっとまえキー! ばーちゃんとねーちゃんに連絡もなしに!?」
「大丈夫だよ。僕も聞きたいし、異世界のこと」
「あたしより興味津々じゃん!」
食ってかかるアイカをよそに、キショウは涼しい顔をしている。
「あの、馬が二頭いるんですが……」
お兄様が申し訳なさそうに切り出すと、キショウはうん、と頷いた。
「ああ、それなら山根さんの親戚が競走馬の牧場をやってるから、聞いてみようか」
「馬を預かってくれるとは限らないでしょ!」
「だから、聞いてみるんだよ」
「そもそも、なんでそんな繋がり知ってんの!」
「先日、納車しに行ったから」
「……あ、ああ、そう。そういう繋がり」
アイカは何かを悟ったように遠い目をしたが、私たちにとってはまさに渡りに船だ。
「キショウさん、甘えさせてください!!」
「ありがとうございます、キショウさん!」
私とお兄様は、深々と頭を下げた。
「困ったときはお互い様だよ」
キショウは柔らかな笑顔でそう言ってくれた。
「……まえキー」
「何?」
「なんでもない」
アイカが明後日の方向を見た理由は分からなかったが、このときばかりは、キショウが神様のように思えた。
「とりあえず、僕も片付けに戻らないと。終わるまであと少しだと思うから、ここで待っててくれるかな」
「はい!」
私が元気よく返事をすると、キショウはひらひらと手を振り、撤収作業の輪の中へと戻っていった。
これで今夜の宿は確保できた。今日一日、張り詰めていた気持ちがようやく緩んだ。
私が心底ほっと息をついた、そのときだった。
「……たぶん、うちの工場の掃除してって言われると思うから、覚悟しておいた方がいいよ」
隣に立つアイカが、ぼそりと不吉な予言を口にした。
「え?」
「まえキーのあの顔、絶対に『タダで使える労働力ゲット』って思ってる顔だから」
神様のような微笑みの裏に、そんな世知辛い打算が隠されていたというのだろうか。
私が目をぱちくりさせていると、お兄様が持ち前の爽やかな笑顔で応じた。
「タダでお世話になるんだ。掃除くらい、喜んで手伝わせてもらうよ」
「……ま、がんばって」
「?」
「?」
満面の笑みを浮かべるお兄様と、なぜか深く同情するように目を伏せるアイカ。
私とお兄様が不思議に思って揃って首を傾げると、アイカはたっぷりと重い溜息を吐き、がっくりと肩を落としたのだった。




