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婚約破棄された予知夢令嬢、お兄ちゃんと異世界でラリーを始める  作者: 久野 龍
第1部 婚約破棄令嬢、兄と異世界へ行く
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第6話 現実確認とは足を踏むこと

 カエデのあとについて入った先は、巨大な箱を思わせる建物の一室だった。


 白く平坦な壁や天井。壁際や机の上には、見慣れない機材や道具が整然と並んでいる。何もかもが物珍しく、私とお兄様は揃って室内を見回してしまった。


 建物そのものが、巨大な魔道具であるかのようだ。


 奇妙な乗り物を見たときとはまた違う形で、異世界へ来たのだという実感がじわじわと湧いてくる。


「山根《やまね》さん」


 カエデが声をかけると、奥の長机に腰掛けていた大男が振り返った。日に焼けた精悍な顔つきで、どっしりとした威圧感がある。


 思わず背筋を伸ばす。こういう相手と話すときだけは、身体に染みついた令嬢の振る舞いも役に立つ。


「おお、結城。その二人がそうか?」

「はい。こちら、競技長の山根清一《やまねせいいち》さんです」


 紹介を受け、兄が一歩前に出た。


「エラリオ・フレンディです」

「妹のレミーシャです」


 ヤマネは腕を組み、私たちの姿を上から下まで眺めた。


「ふむ……それにしても見事なドレスだな。コスプレか?」

「それ、カズキも言ってましたけど、なんなんですか?」


 また、それだ。


 意味は分からないが、この赤いドレス姿が奇妙に見えることだけは伝わってくる。褒められている気がまったくしないので、聞くたびに少し腹が立つ。


「なんなの、と言われてもなあ。……ああ、ちょうどよかった。藍華《あいか》、お前はこういうのに詳しいだろ」


 ヤマネが部屋の隅へ声を飛ばすと、茶色い箱を抱えた小柄な少女が眉をつり上げた。


「はあ!? 今、片付けしてんだけど! あとキーでも説明できるじゃん。あとキーに振ってよ!」

「ざけんな! 俺だって詳しくねえよ!」


 カエデの背後で縮こまっていたカズキが、即座に反論する。少女――アイカは、そんな彼へあからさまに軽蔑の眼差しを向けた。


「……そだった。車バカは車のことしか話せないんだったわ」

「何気にディスるのやめろ!」

「藍華ちゃん、頼める?」


 カエデがにこりと笑いかけると、アイカは途端に表情を緩めた。


「楓さんに言われたら断れないじゃん? ……で、山根のおっさん。手短にコスプレを解説すればいいの?」

「頼む」

「あの、その前に」


 二人のやり取りを遮るように、私は手を挙げた。


「聞きたいことがあるのですが」

「ん?」

「ここは、どこですか?」

「へ?」


 拍子抜けした顔をするアイカへ、私は間髪を入れずに言葉を重ねた。


「私たち、異世界から来ました」

「レミーシャ、そんなに素直に明かして、信じてもらえるのかい?」


 兄が横から小声で問いかけてくる。私も声を潜めて答えた。


「一か八かよ。信じてもらえなかったら、そのときに別の手を考えるわ」


 本当なら、もっと慎重に相手の出方を窺うべきなのかもしれない。


 けれど、言葉だけは通じるようになったのだ。ここがどこなのかも分からないまま、いつまでも怪しい侵入者として扱われる方が困る。


 正面へ向き直ると、アイカが怪訝そうにこちらを窺っていた。


「異世界?」


 確かめるように繰り返したあと、彼女はカズキへ助けを求めるような目を向けた。カズキは両手を上げ、一歩後ずさった。


「俺を見るな」

「ごめん、藍華ちゃん。私にもさっぱり理解不能よ」


 カエデも困り果てたように肩をすくめる。


 やっぱり駄目だったか。


 早くも別の手を考え始めた私だったが、アイカだけは違った。


 じっと私の顔を確かめたあと、その目がみるみる輝き始める。


「……もしかして、異世界転移ってやつ?」

「信じてくださるの?」

「え、マジで? そんなことってあんの!? ……ちょっと、あとキー。これ現実?」


 アイカはそう言うなり、カズキに寄ると右足を思い切り踏みつけた。


「いででででで! おい、なんで俺の足を踏むんだよ!」

「痛がった。うん、現実」

「確認するなら自分の足でやれ!」


 アイカは何事もなかったように足を退けた。


「えー、本当にあんの、そんなこと!?」

「藍華ちゃん……?」

「楓さん、漫画とかアニメで『異世界転生』とか『異世界転移』ってジャンルがあるじゃん? あれが目の前で起きてるってこと! やばくない!? 超すげーんだけど!」

「まったく要領を得ないのだけれど。ちょっと和希」

「あ?」


 カエデも、カズキに寄っていく。


 そして思い切り左足を踏みつけた。


「ぎゃあああああっ!! おい、楓! なんでお前まで俺の足を踏むんだよ!!」

「藍華ちゃんだけでは、確認として不十分かと思って」

「二人で確認する必要ねえだろ!」

「うん、喧しいから、現実ね」

「お前ら!!」


 足を立て続けに踏まれ、涙目で跳びはねるカズキ。


 信じてもらえそうだと一瞬喜んだのに、それ以上に恐ろしい風習を目撃してしまった気がする。


 その凄惨な現実確認を前に、私はお兄様の袖をそっと引いた。


「お兄ちゃん。この世界では、現実かどうか確かめるとき、人の足を踏むの?」

「たぶん、あの二人だけだと思うよ」


 お兄様の答えを聞いて、少しだけ安心した。


 この世界の人間が全員、他人の足で現実を確かめるのなら、今後は鉄板入りの靴でも用意しなければならないところだった。


 若干引き気味になりながら、私は恐る恐る尋ねた。


「あの……何か前例でもあったのですか?」

「うーん、前例っていうか、創作物なんだけどね。でも、あたしは信じるよ。だって、競技が始まる前に、あの林道は端から端まで確認してるんだよ? 入口だって全部封鎖してた。馬車が外から入り込める場所なんて、どこにもないじゃん」


 信じる。


 この世界へ来てから初めて、私たちの話を受け入れてくれる人が現れた。胸の奥に張りついていた不安が、ほんの少しだけ薄れていく。


 ヤマネは顎に手を添え、低く唸った。


「まあ……物理的にはそうだな」

「それに、あんな格好で馬車に乗って、誰にも見つからず山へ入れると思う?」


 アイカに畳みかけられ、ヤマネは渋々と頷いた。


「……少なくとも、普通に入ってきたとは考えにくいな」

「でしょ? ねえ、異世界の話をもっと聞かせてよ!」

「待て待て。それはあとだ」


 身を乗り出すアイカを太い腕で押し留め、ヤマネは鋭い視線をお兄様へ向けた。


「お前たちは、ラリーの競技妨害をしに来た侵入者ではない……という認識でいいんだな?」

「えっと、偶然……?」


 異世界まで来て、また身に覚えのない罪を着せられるなんて冗談ではない。今度こそ、妙な疑いを残さずに話を終わらせなければ。


「ええ。妹の言う通り、まったくの偶然です」


 私の曖昧な返答を引き継ぎ、兄が落ち着き払った声で応じた。


「僕たちがあそこへ出てしまったのは、完全に不測の事態でした。お話を伺う限り、競技妨害を疑われているようですが、僕たちにそのような意図はありません」


 私はお兄様の隣で、ヤマネをまっすぐに見上げた。


「私たちも、どうしてあそこへ出たのか分からないんです。帰る道も……分かりません」


 口にして、喉が詰まった。


 お兄様が一緒だから、どうにかなると思っていた。けれど、二人とも知らないことは、いくら二人で考えても答えが出ない。


「ですから、この世界のことを教えていただけませんか。何も知らずに、またご迷惑をかけたくありません」


 疑いを晴らすため、私は令嬢としての姿勢を崩さず、丁寧に頭を下げた。今は、助けてもらわなければどうにもならない。


 ヤマネはしばらく黙り込み、私とお兄様を交互に見た。


「……なるほど。嘘をついているようには見えないな」


 深く息を吐き、困ったように頭を掻く。


「こんな超常現象、にわかには信じ難いが……少なくとも、故意の競技妨害として責任を問うわけにはいかないか」


 どうやら、捕らえられたり罰を受けたりする心配はなくなったらしい。


 ヤマネの判断を受け、カエデがすぐさま次の確認に移った。


「山根さん、選手たちにはなんと説明します?」

「変わらず、『一般車両のコース内侵入による安全確保のため、競技中断』だ。最終SSは全車キャンセル。SS5終了時点のリザルトを、公式結果として採用する」


 カエデは迷いなく頷いた。


「分かりました」


 ようやく胸を撫で下ろしたものの、今のやり取りは分からないことだらけだった。


 エスエス。リザルト。


 またしても、言葉は分かるのに意味の分からない単語だ。


 あの魔法薬、本当にきちんと効いているのだろうか。


「ちっ。和希を怒鳴りつけるチャンスが消えちまったな」

「消えていいんだよ、そんなチャンスは!」


 声を荒らげるカズキに、ヤマネは豪快な笑い声を返した。


「はははは、冗談だ。藍華、片付けは免除してやる。その二人の相手をしていろ」

「よっしゃ、任せて!」

「聞くだけじゃなくて、こっちのことも教えてやれよ」

「分かってるって!」

「和希と結城は、残りの機材を撤収してくれ」

「へいへい……」

「じゃあ、またあとでね」


 カエデが先に立ち、カズキも踏まれた足を引きずりながら部屋を出ていく。二人を見送ったお兄様が、どこか拍子抜けしたように呟いた。


「信じて……もらえたのかな?」

「どうだろうね」


 少なくとも、罪人として捕らえる気はないらしい。それに、この世界のことを教えてほしいという願いも聞き入れてもらえた。それだけでも、今は十分だった。


 私たちが首を傾げていると、アイカが快活な笑顔を浮かべた。


「レミーシャ……ちゃんで合ってる? そっちのイケメンさんは?」

「エラリオです」


 兄が品よく微笑むと、アイカは気さくな笑顔を返した。


「エラリオさんね! あたしは上山藍華《うえやまあいか》。藍華って呼んでよ!」

「はい、アイカ」


 私が呼びかけると、アイカは両手をぱんと打ち鳴らした。


「よし! 山根のおっさんからも許可が出たし――さあ、異世界の話、たっぷり聞かせてよね!」


 お兄様と顔を見合わせ、私はアイカへ向き直った。


「ええ。何から話しましょうか」

「決まってるじゃん!」


 アイカは身を乗り出し、期待に満ちた目で私を見つめた。


「魔法! 本当に使えるなら、今ここで見せてよ!」


 魔法? そんなものでいいの?


 不思議に思ったが、この世界へ来てから、驚かされてばかりだった。


 馬のいない馬車。

 箱から聞こえてくる人の声。

 どこまでも継ぎ目なく続く、平坦な道。


 どれも、彼女たちにとっては当たり前のものなのだろう。


 私が魔法を使えることと、きっと同じように。


 ……それなら、私にも驚かせてあげられることがありそうだ。

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