第5話 司令官の旗はどれですか?
私たちは、カズキの駆る『馬のいない馬車』――スイフトを追い、自分たちの馬車で『エイチキュー』へ向かっていた。
「この国は戦争でもしているのかい?」
出発前、エイチキューが「ヘッドクォーター」の略だと教えられた途端、お兄様が大真面目に尋ねた言葉だ。
カズキは腹を抱えて笑い出したけれど、私には何がおかしいのか分からなかった。
ヘッドクォーターって、司令部のことよね?
だったら、司令官がいるはずだ。
疑問を胸にしまい、客車の窓へ目を向ける。
相変わらず鬱蒼とした森ばかりだ。
敷き詰められた砂利のせいで、乗り心地は最悪。お兄様が轍をかわそうとするたびに、客車が細かく左右へ振られる。
やがて、御者台から不満そうな声が飛んできた。
「カズキのあれ、なんであんなに速いんだ」
……すっかり対抗心に火がついている。
確かに、前を走るスイフトは悪路の轍などものともせず、私たちの馬車よりずっと速く進んでいた。
「お兄ちゃん、道が悪いから、これ以上速く走ったら車輪が壊れるよ!」
「分かっている!」
返事だけは早い。
私は早々に説得を諦め、座席の隅へ身を沈めて衝撃に備えた。
ガタガタと揺さぶられ続け、脳みそまでおかしくなりそうになった頃、お兄様が叫んだ。
「レミーシャ、森から抜けるよ!」
「わっ!」
ガタンッ、とひときわ大きな音が響く。
ところが、そのあとは嘘のように揺れが収まった。
車体を軋ませていた振動が消え、規則正しい蹄と、車輪の低い音だけが小気味よく続いていく。
森の先は、一面の田園地帯だった。
前方の小窓を覗き、お兄様の肩越しに進行方向を確かめる。馬車の行く手には、灰色でどこまでも平坦な道が延びていた。
「石畳じゃないのね」
「素材は何なんだろう? 継ぎ目もまったくないし」
「見て、お兄ちゃん。等間隔に大きな棒が立ってて、そこから線がぶら下がってるよ」
「……異世界って、不思議なところだね」
私たちは二人して目を丸くした。
「これなら、あれに追いつけそう。レミーシャ、しっかりつかまっててね!」
「え? お兄ちゃん、待って!」
「砂利道で思うように走れなくて、鬱憤が溜まってるんだ。待たない!」
ああ、やはりこうなった。
点のように小さくなったスイフトを追い、お兄様が手綱を操る。鋭い声で指示を飛ばされ、馬たちは勢いよく駆け出した。
私は慌てて手すりにしがみつく。
道が平らなおかげで身体はさほど揺さぶられない。けれど、馬車が速度を上げるにつれ、車輪の軋みは今にも壊れそうなほど大きくなっていった。
猛追は長く続かなかった。
御者台から舌打ちが聞こえ、手綱が緩められる。馬車はみるみる減速していった。
……お兄ちゃん、本気であれに勝つつもりだったの?
「ああっ。馬が疲れてきたみたい」
「ちゃんと気づいてたんだ」
「僕が鍛えた大事な馬たちだからね。無理はさせないよ」
「その良識、最初から出してよ」
馬たちは軽く息を切らしている。
お兄様の馬車にしては珍しく、私たちの乗り物は本来の優雅な馬車の速さへ戻った。
「すごいな。あれは疲れないんだ」
「お兄ちゃん、操ってみたくてウズウズしてるでしょ」
「あんなに速く走れるんだ。操ってみたいよ」
「もう一度、頼んでみれば?」
「そうしてみる」
ようやくカズキに追いついた――と思ったら、彼はすでにスイフトを道の端へ停め、外で待っていた。
お兄様が馬車を止めると、カズキが小走りで近寄ってくる。
「馬車って思ったより速度出ないんだな。悪りぃ、加減が分からなくて、かなり離れちまった」
「いえ、馬たちが少し疲れていて……こちらこそ、すみません」
「街中の馬車もそんなスピード出してんの見たことねぇし、仕方ねぇって」
私は窓から身を乗り出し、カズキに尋ねた。
「街中に馬車が走っているの?」
「観光馬車だよ。馬一頭で引いてる」
「観光なんだ」
観光、と口の中で繰り返していると、カズキが左側の馬へ近づいた。
「ま、あとちょっとだから。頑張れ、馬」
そう言って、首筋を優しく撫でる。
ぶるるるっ。
馬は気持ちよさそうに鼻を鳴らし、目を細めた。
信じられない光景に、私は思わず身を乗り出す。
「あの子が、初対面の人に撫でられてる……」
「僕も驚いているよ。いつもは人見知りするのに」
カズキって、いったい何者なの?
「じゃ、行くぞ。今度はゆっくり走るから」
スイフトが先導を再開し、私たちもあとに続いた。
しばらく進むと、辺りの景色が変わり始める。
平たい屋根、三角の屋根、小さな小屋。見たことのない造りの建物が、道の両側に並んでいる。すれ違うのも、やはり鉄の塊ばかり。形も大きさも、一つ一つ違っていた。
私は窓に張りつき、忙しく視線を巡らせる。
ふと気づけば、道行く人々が足を止め、揃ってこちらを眺めていた。
「私たち、もしかして目立ってる?」
「みたいだね。あ、到着したみたいだよ」
「ここがヘッドクォーター?」
「それらしい天幕だらけで、よく分からないけどね」
周囲には、赤や黄色、青や黒といった色鮮やかな幕が所狭しと張られていた。大勢の人が慌ただしく行き交い、巨大な銀色の箱や、さまざまな鉄の塊が並んでいる。
「確かに、どれがヘッドクォーターか分からないわね」
「司令官の旗って、どれだろう」
本陣には、司令官の旗が掲げられるものだ。
ところが、それらしい旗はどこにもない。お兄様は不思議そうに辺りを見回している。
そこへ、スイフトから降りたカズキがやってきた。後ろには、黒髪の美しい女性が続いている。
……悔しいけど、私より美人だ。
「楓、こっちこっち」
「うるさいわね。こんな目立つ馬車、言われなくても分かるわよ」
女性はそう返しながら顔を上げ、御者台のお兄様へ視線を向けた。
私は客車の窓から様子を窺っていたが、こちらはちらりとも見られない。完全に眼中にないらしい。
「はじめまして。私は結城楓と言います。競技長がお話を聞きたいそうなので、一緒に来ていただいてもよろしいでしょうか」
「競技長?」
聞き慣れない言葉に、私は思わず聞き返した。
「はい。この大会の責任者です」
「……司令官ではないの?」
「違います」
「では、司令官は別にいらっしゃるのですね?」
「いません!」
きっぱり否定され、私はお兄様と顔を見合わせた。
隣でカズキが肩を震わせている。
「……和希、笑ってる場合じゃないでしょ」
「いや、だって司令官って……」
この国の人たちは、どうして司令官の話をすると笑うのだろう。
「では、競技長さんのところへ行けばいいのですね?」
「そうです。ご案内します」
「よろしくお願いします。レミーシャ」
「分かってる」
促されるまでもなく自分でドアを開け、令嬢仕込みの所作で降り立った。
お兄様はヒッチングウェイトを下ろして馬たちを繋ぐと、それぞれの首筋を優しく撫で始めた。
その様子を眺めていると、ユウキカエデがカズキの肩口へ顔を寄せるのが視界の端に映った。
「……あんたの言ってたとおりね」
「嘘だと思ってたのかよ」
ひそひそと言葉を交わすカズキとユウキカエデの前で、撫で終えたお兄様が私の隣に並ぶ。二人そろって、姿勢を正した。
「僕はエラリオ・フレンディです」
「妹のレミーシャ・フレンディですわ」
「……まだやるのかい」
「……それもそうね」
私はさっさと令嬢口調を捨てた。
ユウキカエデが、不思議そうに首を傾げている。
「ユウキカエデさん、案内をお願いします」
そう頼むと、彼女はわずかに眉を寄せた。
「なんでフルネームなの? 楓でいいわよ」
「あ、はい。カエデさん」
「では、ついてきてください。和希ッ! あんたも来るの!」
「俺、怒られるだけだろ。嫌だ」
「うるさいっ、来いっ!」
カエデはカズキの首根っこを容赦なく掴み、引きずるように歩き出した。
「……お兄ちゃん」
「なんだい?」
「この国で一番偉いのは、カエデさんかもしれないね」
「僕もそんな気がしてきたよ」
「聞こえてるわよ!」
私たちは顔を見合わせた。
司令官の旗は見つからなかったけれど、逆らってはいけない人だけは分かった気がする。




