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婚約破棄された予知夢令嬢、お兄ちゃんと異世界でラリーを始める  作者: 久野 龍
第1部 婚約破棄令嬢、兄と異世界へ行く
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第2話 お兄ちゃんの馬車は速すぎる

「……まだ王城だよ。猫をかぶっておきなさい」

「え、しんどい」


 横目で窘めてくるお兄様に、私は眉を寄せて本音をこぼした。


 だいたい、幼い頃から屋敷を抜け出しては、街の人々に紛れて遊び歩いていたのだ。令嬢らしい言葉遣いなんて、必要に迫られて身につけただけの仮面にすぎない。


 完璧な令嬢を演じ続けるのは、神経をすり減らす。


 コルセットに締めつけられたまま背筋をぴんと伸ばし、優雅な作り笑いを貼りつけておくのも、もう限界だった。


 背後では、広間がまだ騒がしい。


 お兄様は肩をすくめると、門の方角を指した。


「馬車を用意してある。帰ろうか」

「そうね、お兄ちゃん。こんなところ、一分だっていたくないし」


 これ見よがしに飾られた美術品も、等間隔に立っている警備の騎士たちも、今の私には鬱陶しいだけだ。


 早く王城から出たい。


 自然と足も速くなる。とはいえ、さすがにドレスの裾をたくし上げて走るわけにはいかない。あくまで優雅に見える範囲で、できるだけ速く歩く。


 これがまた、なかなか難しかった。


「ところで、念願どおり婚約破棄になったわけだけれど、肝心の異世界へ行く方法は夢で見たのかい?」


 お兄様に尋ねられ、私は小さく息を吐いた。


「それが、行き方だけはまったく夢に出てこないの。どうすれば行けるのか分からなくて」

「困ったね。準備のしようがない」


 歩きながら腕を組み、エラリオお兄様は難しい顔で考え込む。


「今晩にでも見るかもしれないけどね」


 なんの根拠もなく、都合のいいことを口にしてみる。


 すると、お兄様はどこか面白がっているような声で尋ねてきた。


「しかし、どうして僕までなのかな?」


 心当たりなら、ある。


 私が屋敷を抜け出すたびに捜し出し、両親への言い訳まで考えてくれたのは、いつだってお兄様だった。


 大好きなたった一人の兄と離れるなんて、昔から考えたこともない。きっと未来の私も、お兄様を置いていくつもりなどなかったのだ。


 それを本人へ素直に話すのは、なんだかものすごく負けた気がする。


「……さあ?」


 私はすっと視線を逸らし、わざとらしく小首を傾げてみせた。


 王城の正門を抜けると、夜の冷たい風が火照った頬を撫でていく。


 その先では、我が家の紋章を掲げた馬車が待っていた。私たちに気づいた御者が、慌てて姿勢を正す。


「お待ちしておりました、エラリオ様、レミーシャ様」

「ありがとう。帰りは僕が操るよ」

「やはり、そうおっしゃいますか……」


 御者は止めようともせず、溜息を吐いた。


 どうやら、お兄様が自分で操ると言い出すことなど、最初から分かっていたらしい。


 お兄様は車輪と馬具の状態を一通り確かめると、当然のように御者台へ上がった。御者も慣れた様子で場所を空け、手綱を渡す。


「お兄ちゃん、また自分で操るつもりなの?」


 今さら聞くまでもないとは思いつつ、呆れ半分に声をかける。


 エラリオお兄様は手綱の張りを確かめながら、事もなげに笑った。


「来るときはともかく、帰りまで他人が操る馬車になんて乗りたくないよ。道の様子を見て、石があれば避けるか乗り越えるか、曲がり角へどう入るかを考えるの、楽しいじゃないか」


 この人は本当に、道筋や速さを頭の中で組み立てることばかり好む。


「……相変わらず変な趣味」

「レミーシャには言われたくないなぁ」


 楽しげに言い返され、私は心外だとばかりに胸を張った。


「何よ。私は普通よ」

「普通の子は、あんな手の込んだ裏工作をしないよ」


 図星を突かれ、ぐっと言葉に詰まる。


「……むぅ」


 反論できないまま、不満げに唇を尖らせて客車へ乗り込んだ。


 座席へ腰を下ろすと、頭上から軽快な声が降ってくる。


「さあ、出すよ。しっかりつかまっていてね」

「つかまっていなきゃいけない馬車なんて、お兄ちゃんが操るものくらいだよ」


 文句を言いながらも、私は大人しく車内の手すりをきつく握り締めた。


 ぱしん、と鞭の音が夜気を裂く。


 二頭の馬が弾かれたように駆け出し、馬車は誰かに蹴り飛ばされたような勢いで前へ跳ねた。


 石畳を叩く蹄の音が、みるみる速くなる。車輪が継ぎ目を越えるたび、客車が細かく震えた。


 大通りへ出る手前の石畳には、深く抉れた箇所がある。この速さで車輪が落ちれば、客車が大きく跳ねるどころでは済まない。


 それでも、お兄様は速度を緩めなかった。


 穴へ差しかかる少し手前で、お兄様が手綱を巧みに操る。二頭の馬がわずかに進路を変え、それに引かれる馬車も緩やかに向きを変えた。


「わっ!」


 身体が横へ振られ、座席から投げ出されそうになった。


 車輪は抉れた石畳の縁ぎりぎりをかすめ、そのまま速度を落とすことなく大通りへ飛び出していく。


「さすがでございます。あれを踏んでいれば、かなり速度を落とされるところでした」


 御者台から、感心しきった声が聞こえてきた。


「そこ! 感心するところが違う!」

「そうでしょうか」

「大回りしたら遅くなるだろう?」

「乗り心地の心配をしてよ!」


 返ってきたのは、お兄様と御者の楽しそうな笑い声だった。


 この似た者同士め。


 その笑い声を聞いた途端、ふと予知夢の光景が重なった。


 夢の中で奇妙な乗り物を操っていたお兄様も、今と同じように楽しそうに笑っていた。


 なぜ、あの乗り物を操っていたのがお兄様なのか。


 今さらながら、その理由が少しだけ分かった気がした。

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