08 仮面の男
【現在のステータス】
桜 LV 2(戦士)
E : どうのつるぎ / かわのふく
楓花 LV 2(盗賊)
E : くだものナイフ / ぬののふく
カメリア Lv 2(魔法使い)
E : カメリアのステッキ / ぬののローブ
ひまわり LV 2(魔法使い)
E : かしのつえ / ぬののローブ
【現在の場所】クヴェル村の洞窟
自然が長い年月をかけてつくり上げた洞窟の大空洞には、水滴の落ちる音だけが静かに響いていた。
その静寂を破るように、奥から揺れるランタンの灯火がゆっくりと近づいてくる。
それを認めた瞬間、兵士の表情が変わり、首筋の痛みをこらえながらも桜たちをかばうように一歩前へ出た。
その姿勢に迷いはない。だが、まともに剣を振るえる状態ではないことは、四人にもすぐに分かった。
「……あなたたちは下がって」
低く押し殺した声だった。
「気を付けてください。……こいつは、強い」
その一言だけで十分だった。
桜と楓花は互いに顔を見合わせ、小さくうなずくと、それぞれ手にしていたランタンを静かに床へ置く。
いつでも剣や道具へ手を伸ばせるようにするためだった。
やがて灯火が闇を押し分け、その向こうから二つの人影が姿を現した。
その一人へ、嫌が応にも視線が引き寄せられる。
――仮面の男。
全身を黒い外套で包み、その素顔は一枚の白い仮面に覆われていた。
半歩後ろには、ひとりの男が付き従うように歩き、肩から提げた革袋を無造作に揺らしている。
桜は思わず息をのんだ。
長い黒髪がかすかに揺れ、黒い瞳は目の前の男から離れない。
その姿から放たれる異様な威圧感だけで、胸の鼓動が早まるのを感じていた。
楓花は違った。
小柄な身体をわずかに強張らせながらも、細いスクエア型の眼鏡の奥にある琥珀色の瞳は、男の仮面だけを見据えている。
表面には、細かな文様が幾何学模様のように刻まれていた。少なくとも楓花がこれまで見聞きしてきた、どの地方の意匠とも一致しない。
鉄なのか、銀なのか、それとも白金なのか。
ランタンの灯だけでは材質までは判別できず、ただ冷たい光だけが仮面の表面を静かに滑っていた。
ひまわりは茶色いポニーテールを小さく揺らしながら、固く唇を結んで桜の背中を見つめていた。
どう動けばいいのか分からない。
それでも、この四人がそろっているかぎり、きっと何とかなる――そんな理由のない確信だけが、彼女をその場へ立たせていた。
一方、腰まで届く銀色の髪を揺らすカメリアだけは、仮面の男だけを見てはいなかった。
その半歩後ろに立つ、付き人のような男。
人懐っこい笑みを浮かべながらも、その笑みとは裏腹に底知れないものを感じさせる男からも、決して目を離そうとはしなかった。
仮面の男は桜たちへ視線を向けようとはしない。
しかし、その場にいる全員の気配を完全に把握していることだけは、不思議なほど伝わってきた。
油断も隙もない。
その眼差しは、最初から兵士ただ一人だけへ向けられていた。
「王宮の兵士が、なにやら洞窟の辺りをうろうろしていたかと思えば……ただの薬草探しか」
兵士は答えない。
仮面の男も、それを咎めようとはしなかった。
「手加減して泳がせた甲斐があった」
その静かな口調に、兵士の顔色がわずかに変わる。
桜たちとの会話を聞かれていた。
それだけではない。薬草の意味も、その届け先も、すでに仮面の男は理解している。
「それにしても、一国の王女がこのような辺境の村にいるとは」
仮面の奥から、わずかに考え込むような間が落ちる。
「療養か。それとも……」
兵士はなおも口を閉ざしたままだった。
仮面の男はその沈黙さえも意に介さず、兵士のわずかな表情の変化だけを静かに見つめている。
「はじまりの神殿に関係するのか」
その瞬間だった。
兵士の瞳が、ほんのわずかに揺れる。
それだけで十分だった。
仮面の男は小さくうなずく。
「……なるほど」
そして、独り言のように続けた。
「知らされているのは、任務だけか」
半歩後ろに控えていた付き人のような男が、その空気を遮るように口を開いた。
「旦那、この連中はどうします?」
その言葉で初めて、仮面の男はゆっくりと桜たちへ視線を向けた。
いや、正確には、向けたように見えただけだった。
洞窟へ姿を現した時点で、四人の存在に気づいていなかったはずがない。ただ、それまで兵士以外は眼中になかっただけである。
――否。
兵士自体にも眼中になかった。
彼が知りたかったのは、兵士ではなく、その背後にある事情だった。
だが、一介の兵士では肝心なことまでは知らされていない。
そう判断した瞬間、その男への関心は、すでに失われていた。
桜は、仮面の男の視線を真正面から受け止め、胸の鼓動が早まるのを感じながらも、兵士の前へそっと一歩踏み出した。
勇気なのか、使命感なのか、
それとも目の前の人を守りたいという、ごく自然な思いだったのか。
桜自身にも、その理由は分からない。
「……この兵士に、何の用があるのですか」
仮面の男は、静かに桜を見つめ返した。
その視線には驚きも怒りもない。
ただ、一人の少女が自分へ問いを投げかけたという事実だけを、静かに受け止めているようだった。
十五歳ほどの少女。
巡礼の旅の途中なのだろう。
その少女が、目の前の圧倒的な威圧感にもひるむことなく、一歩前へ出て問いかけてきたのである。
仮面の奥で、男が何を思ったのかは分からない。
たとえ素顔がさらされていたとしても、その表情から心中を読み取ることは、おそらく誰にもできなかっただろう。
「もう彼には興味はない」
短く答え、わずかな間を置く。
それでも桜は、一歩も引かなかった。
兵士をかばうその姿は、兵士だけでなく、全員を守ろうとしているようにさえ見える。
仮面の男は、その小さな変化だけは見逃さなかった。
「――用はない、と言っている」
その言葉が洞窟の静寂へ溶けるより早く、半歩後ろに控えていた付き人のような男が肩をすくめるようにして口を開いた。
「旦那、口封じをしておいた方がよろしいのでは?」
その一言で、空気が変わった。
桜は思わず銅の剣の柄へ手を添え、兵士もまた反射的に腰の剣へ手を伸ばす。
楓花は小さく息をのみ、ひまわりは身体を強張らせたまま桜の背中から目を離せない。
カメリアだけは微動だにせず、仮面の男と付き人のような男の動きを静かに見つめ続けていた。
だが、誰一人として武器を抜こうとはしなかった。
目の前の仮面の男から漂う静かな威圧感が、それを許さなかったのである。
「必要ない」
仮面の男は、付き人のような男の言葉を即座に退けた。
「ですが――」
「……ん?」
仮面の男は振り返ることなく、わずかに声だけで応じる。
たったそれだけだった。
それだけで、付き人のような男は続きを飲み込み、小さく肩をすくめると、苦笑ともため息ともつかない笑みを浮かべた。
「……相変わらず、お優しい」
「そう見えるか」
仮面の男の返答は、それだけだった。
優しいとも、違うとも言わない。
ただ事実を述べるような口調であった。
仮面の男は改めて五人へ視線を巡らせる。
それは威嚇でもなければ、敵意を向ける眼差しでもない。
その場にいる者たちを一度確認するような視線だった。
「ただ――」
洞窟の静寂が、さらに深く沈む。
「次に会うようなことがあれば、どうなるかは分からない」
脅しではない。
警告でもない。
未来に起こり得る事実を、淡々と告げただけのような声音だった。
「立ち去るがいい」
それだけ言い残すと、仮面の男は何の未練も見せず、ゆっくりと背を向けた。
付き人のような男も軽く帽子へ手を添えるような仕草をしてから、そのあとへ続く。
二人の足音は一定の速さで洞窟の奥へ遠ざかり、揺れていたランタンの灯もまた、闇の中へ吸い込まれるように次第に小さくなっていく。
誰一人、その背中を呼び止めることはできなかった。
やがて灯火は完全に闇へ溶け、足音さえ聞こえなくなる。
あとに残ったのは、洞窟の天井から滴る水滴が、ぽたり、ぽたりと岩肌を打つ音だけだった。
兵士は、闇へ消えた二人を見つめたまま、小さくつぶやいた。
「……助かった」
その一言には、命を拾った者だけが漏らすことのできる重みがあった。
張りつめていた空気が、少しだけゆるむ。
桜は胸の奥に溜め込んでいた息を静かに吐き出した。
「早く、薬草を持って行ってあげて。王女さまが待っているんでしょう」
兵士は力強くうなずく。
「ありがとう。恩に着る」
病に伏した王女は、クヴェル村の二階建ての宿屋で、この泉癒草を待っている。
一刻も早く届けなければならない。
兵士は転がっていたランタンを拾い上げ、ふたたび灯をともすと、それを高く掲げた。
もう一方の手は痛む首筋を押さえている。
足取りは決して軽くなかった。
液体の癒し薬が効きはじめ、痛みはいくらか和らいでいたが、あの一撃の衝撃と疲労までは消せるはずもなかった。
「蛍草を塗った布切れを目印に置いてあります。もし迷ったら、ランタンで照らしてください」
楓花が告げる。
兵士は振り返り、小さく頭を下げた。
「ありがとう」
そう言って歩き出しかけた足が、不意に止まる。
何かを思い出したように振り返り、四人を見つめた。
「これ以上、奥へは行かないでください。危険です」
一拍置く。
「あなたたちも、早く入口まで戻った方がいい」
諭すような口調だった。
命令ではない。
四人の身を案じる、一人の兵士としての忠告だった。
桜たちは黙ってうなずく。
兵士もまた、小さくうなずき返すと、ランタンの灯を入口の方角へ向け、痛む首を押さえながら歩き出した。
その灯はゆっくりと遠ざかり、やがて狭い通路の向こうへ吸い込まれるように見えなくなった。




