07 倒れている兵士
前書き
【現在のステータス】
桜 LV 2(戦士)
E : どうのつるぎ / かわのふく
楓花 LV 2(盗賊)
E : くだものナイフ / ぬののふく
カメリア Lv 2 (魔法使い)
E : カメリアのステッキ / ぬののローブ
ひまわり LV 1 (魔法使い)
E : かしのつえ / ぬののローブ
【現在の場所】クヴェル村の洞窟
森の奥深くにある洞窟――。
ランタンの灯だけを頼りに、四人は再び洞窟の奥へ歩き始めた。
すでに目当ての薬草は手に入れたが、肝心の薬草を採りに行った兵士の姿は見当たらない。
もっとも、兵士がすでに洞窟を抜け出している可能性もないわけではない。
宝箱のあった小部屋をあとにした四人は、再び分かれ道まで戻ってきた。
今度は、もう一方の細い通路へ足を踏み入れる。
さっき物音が聞こえたのは、こちらだっただろうか。
人ひとりがようやく身を通せるほどの狭い通路である。両側の土壁が肩へ迫り、二つのランタンの灯だけが細い光となって闇を押し返していた。
聞こえるのは、自分たちの足音と、遠くで落ちる水滴の音だけだった。
そのときだった。
ばさっ――。
鋭い羽音が、四人の背後から響いた。
最初に反応したのは楓花だった。
小柄な身体が素早く振り返る。
掲げたランタンの灯が細いスクエア型の眼鏡へ映り込み、その奥の琥珀色の瞳が大きく見開かれた。
「後ろです!」
灯が闇を照らした、その瞬間だった。
一羽のコウモリが一直線に飛び込んでくる。
――いや、違う。
「夜翼鬼」
カメリアが小さくつぶやく。
人の半身ほどもある巨大な魔物だった。
大きく裂けた口から鋭い牙がのぞき、そのまま一直線に楓花へ襲いかかる。
爪もまた異様なほど大きかったのだろうが、それを見極める余裕もない。
次の瞬間。
鋭い鉤爪が楓花のランタンを激しく弾き飛ばした。
灯火が宙を舞い、土の上を転がる。
「しまっ――」
楓花の声をかき消すように、魔物が牙をむいて飛び込む。
「楓花っ」
桜の身体が反射的に動いた。
左手にはランタン。床へ置く余裕などない。
右手の銅のつるぎを、そのまま振り抜く。
鈍い音が洞窟へ響き、夜翼鬼は横殴りに弾き飛ばされた。
翼をばたつかせながら土の上を転がり、なおも起き上がろうとする。
熟練の剣士なら、そのまま一刀のもとに斬り伏せていただろう。
だが、桜はまだ剣を握って間もない。
それでも、仲間を守るには十分だった。
「まだ来る!」
桜が叫ぶ。
その横を、カメリアが静かに一歩前へ出た。
青い瞳は、夜翼鬼だけを見つめている。
杖を呼び出すこともなく、短く呪文を紡ぐ。
「――足止めの呪文」
カメリアが選んだのは、初級の束縛魔法だった。
この程度の魔法なら、杖は必要ない。夜翼鬼の動きを止めるには、それで十分だった。
淡い光が地面を走り、そして上昇――夜翼鬼の身体へ絡みつく。
その動きが、ほんの一瞬だけ止まる。
カメリアは振り返る。
視線の先には、ひまわりがいた。
言葉はない。
小さな目配せ、それだけだった。
ひまわりは、その意味をすぐに理解する。
茶色いポニーテールがふわりと揺れた。
さっきまで不安げだった瞳には、もう迷いはない。
右手には木製の杖が握られていた。
その杖の先を夜翼鬼へ向け、小さく息を吸う。
「……今度は、大丈夫や」
その声は、自分自身へ言い聞かせるようでもあった。
「――火の玉の呪文!」
赤い炎が一直線に闇を裂いた。
炎は拘束された夜翼鬼を正面から包み込み、洞窟の中へ甲高い悲鳴が響き渡る。
やがて炎が消えると、魔物は力なく地面へ落ちていた。
翼が二、三度だけ痙攣する。
そして、その身体は砂が崩れるように少しずつ形を失い始めた。
黒い粒子は風もない洞窟の中で静かに舞い上がり、闇へ溶け込むように消えていく。
あとには、何も残らなかった。
四人はしばらく、その場所を見つめていた。
「……消えた」
ひまわりが、小さくつぶやく。
「魔物って、本当にこうなるんやね」
楓花は転がったランタンを拾い上げ、火が消えていないことを確かめると、小さくうなずいた。
「うん。そうみたい」
カメリアも静かに口を開く。
「そうだね。魔力を失うと、形を保てなくなる。だから魔物は、普通の生き物とは少し違うんだ」
緑凝体を倒したときは、液体の身体が崩れただけだった。
だが、目の前で夜翼鬼が砂のように崩れ、黒い粒子となって闇へ消えていく光景は、四人の胸に小さな違和感を残した。
魔物は、人とも動物とも違う存在なのだ。
桜は、不意に思う。
父もまた、こうした魔物たちとも剣を交えてきたのだろうか。
胸の奥に、その問いだけが静かに残った。
四人は再びランタンを掲げ、洞窟のさらに奥へ歩き始めた。
暗く、そして狭い土の通路は、ゆるやかに左へ折れていた。
その先で、不意に視界が開ける。
そこには、人の背丈の三倍はあろうかという高い天井を持つ巨大な空間が広がっていた。
長い年月をかけ、地下水が岩と土を削り続けて生まれたのだろう。自然がつくり出したとは思えないほど広々とした空洞だった。
楓花はランタンを高く掲げ、天井を照らす。
一方、桜は足元へ灯を向けた。
ひまわりとカメリアも、それぞれ静かに周囲へ視線を巡らせる。
洞窟へ入ったころとは違い、四人の目はすっかり闇に慣れていた。
ランタンの灯が届かない場所でも、暗闇の輪郭を少しずつ読み取れるようになっている。
黒々とした岩肌からは、無数の鍾乳石が牙のように垂れ下がり、水滴がぽたり、ぽたりと静寂の中へ落ちていた。
そのときだった。
桜が足元へ向けていたランタンの灯が、不意に何かを照らし出す。
「……あれ?」
土の上に、一人の男が倒れている。
身に着けているのは、宿屋で見かけた護衛と同じ、飾り気のない実用的な鎧だった。
「兵士さん」
桜は思わず駆け寄る。
長い黒髪がふわりと揺れ、ランタンの灯を受けた黒い瞳が、不安そうに兵士を見つめていた。
そっと肩へ手を添える。
「大丈夫ですか?」
返事はない。
楓花も隣へしゃがみ込み、兵士の呼吸や様子を静かに確かめる。
ひまわりは心配そうに顔をのぞき込み、カメリアは少し離れた場所から、その様子を静かに見守っていた。
洞窟には、水滴の落ちる音だけが静かに響いている。
数瞬の沈黙。
やがて、兵士の指先がぴくりと動いた。
「あっ」
桜が小さく声を上げる。
兵士はゆっくりと目を開き、苦しそうに息をつくと、桜が支えようと手を伸ばすより早く、自ら身体を起こした。
そのまま土の上へ座り込むように上体を起こし、大きく息を吸う。
「……大丈夫だ」
低く、かすれた声だった。
それでも、その一言だけで、四人は胸をなで下ろした。
その様子を見ていたカメリアが静かに歩み寄る。
腰まで届く銀色の髪が、ランタンの淡い灯を受けて静かに揺れた。
肩に掛けた布袋を開き、中から採ったばかりの泉癒草を取り出す。
兵士の目が、大きく見開かれた。
「……それは、もしや」
カメリアが手にする薬草を見つめたまま、兵士の目が大きく見開かれる。
その様子を見ていた楓花が、静かに口を開いた。
「探していたものですね。泉癒草です。よく効く薬草だと聞きました」
そして兵士の様子を見つめ、一拍置いて尋ねる。
「傷口に当てて使うのでしょうか?」
薬草のことなら、カメリアが一番詳しい。
楓花は自然と、彼女へ視線を向けた。
兵士は薬草を見つめたまま、小さく首を横へ振る。
「……いや」
乱れた呼吸をゆっくり整える。
「それは……王女さまへ届けてくれ」
カメリアは答えなかった。
ただ、手の中の泉癒草へ静かに目を落とし、それから桜を見る。
「桜は、どう思う?」
桜の黒い瞳が、兵士と薬草のあいだを行き来した。
兵士の表情には焦りがある。
だが、それは自分の命を案じる者の顔ではなかった。
王女のもとへ、一刻も早く薬草を届けたい。
その思いだけが、痛いほど伝わってくる。
桜は小さく息を吸った。
「……渡そう」
兵士の表情を見れば、それで十分だった。
自分たちが宿屋へ運ぶより、この兵士へ託したほうが早い。
そう判断した。
カメリアは静かにうなずく。
「うん。そうだね」
その返事には、最初からその答えを待っていたような穏やかさがあった。
兵士の前へ歩み寄り、泉癒草の入った袋をそっと差し出す。
「お願いします」
兵士は目を見開いた。
震える手で袋を受け取る。
まるで壊れ物でも扱うように、胸へ抱き寄せた。
「ありがとう」
その声には、安堵と焦りが入り混じっていた。
カメリアは今度は腰の革袋を開き、小さなガラス瓶を一本取り出す。
液体の癒し薬だった。
「これも」
兵士は小さくうなずき、礼を言うより早く栓を抜いて一気に飲み干す。
ひまわりが心配そうに身を乗り出した。
「ほんまに大丈夫なん? コウモリお化けにやられたん?」
コウモリお化け――夜翼鬼。
先ほど四人を襲った、コウモリの魔物である。
「コウモリお化け?」
兵士は一瞬だけ記憶をたどるような表情を見せ、小さく首を横へ振った。
「……違う」
そう言って立ち上がる。
「気絶していただけだ。怪我もない」
だが、一歩踏み出した、その瞬間だった。
「……っ、いたっ」
兵士は思わず首筋へ手を当て、わずかに顔をしかめた。
カメリアは静かに言う。
「いま飲んだのは癒し薬です。痛みを和らげることしかできません」
兵士は苦笑し、小さくうなずいた。
「それでも十分だ」
そう言うと、首筋を押さえながらゆっくりと立ち上がる。
胸には、泉癒草の入った袋を大切そうに抱えていた。
一刻も早くクヴェル村へ戻らなければならない。
二階の宿屋で待つ王女のもとへ――。
そのときだった。
新たな足音が、一つ。
いや、二つ、三つと静寂へ重なっていく。
兵士も、桜たち四人も、その場で動きを止めた。
誰かが、こちらへ歩いてくる。
足音は一定の速さで近づき、やがて洞窟の奥から小さな灯が向けられた。
揺れる灯火は、ゆっくりと五人を照らしていく。
それが、歓迎の灯ではないことだけは、誰もが本能的に悟った。




