05 初戦
【現在のステータス】
桜 LV 1 (戦士)
E : どうのつるぎ / かわのふく
楓花 LV 1 (盗賊)
E : くだものナイフ / ぬののふく
カメリア Lv 1 (魔法使い)
E : カメリアのステッキ / ぬののローブ
ひまわり LV 1 (魔法使い)
E : かしのつえ / ぬののローブ
【現在の場所】クヴェルの村
クヴェル村郊外の森の奥、崖の裂け目のように口を開けた洞窟は、昼なお暗く、絶え間なく冷たい空気を吐き出していた。
薬草を探しに来た兵士は、この奥へ入ったきり戻っていないという。
四人は思わず洞窟の奥へ目を向けた。
闇は、先ほどよりも深く、冷たく感じられた。
桜は小さく息を整える。
「……行こう」
誰に言うでもなくつぶやき、腰のランタンを取り出した。
火打石を打ち合わせる乾いた音が湿った土壁へ小さく反響し、やがて灯った炎が四人の足元を淡く照らし始める。
揺れる灯火に合わせ、四人の影は洞窟の奥へ細長く伸びていった。
楓花も自分のランタンを取り出した。
火打石を軽く打つと、一度で火は移り、炎は最初から安定して燃えていた。
「ずいぶん明るいね」
ひまわりが感心する。
「フエゴ製だから。火が安定する」
楓花は淡々と答えた。
それだけの説明だったが、桜には十分だった。
火を扱う技術で知られるフエゴの国の品なら、この明るさも不思議ではない。
父から譲り受けたランタンも決して粗末なものではないが、道具にも土地ごとの気質というものがあるらしい。
ひまわりとカメリアはランタンを持っていない。
二人は自然と、桜と楓花の灯の間へ並んだ。
一歩、洞窟へ足を踏み入れる。
それだけで、外とはまるで別の世界だった。
昼間だというのに陽の光は届かず、湿った土の匂いと冷たい空気が肌へまとわりつく。
鳥の声も風の音も、いつの間にか背後へ遠ざかっていた。
学校では、洞窟での心得をひととおり学んだ。
けれど、知識は人を安心させても、恐怖までは消してくれない。
湿った土壁には水滴が伝い、その雫がどこかで弾ける音だけが静かに響いている。
道幅は思ったより広く、天井も高い。
しかし、その先はゆるやかに闇へ溶け込み、どこまで続いているのか見当もつかなかった。
先頭は桜、その後ろにカメリアとひまわり、最後尾を楓花が歩く。
桜は洞窟の入口までは何度か来たことがある。だが、その先へ足を踏み入れるのは桜も初めてだった。
父のディートリヒが「ここから先へは行くな」と言った理由を、今になって少しだけ理解できる気がした。
楓花は後方からランタンを掲げ、皆の足元を照らしていた。
「暗いなぁ……」
ひまわりの声には、いつもの明るさが少しだけなかった。
その声さえ、洞窟の奥へ吸い込まれるように消えていった。
「滑るから、気をつけて」
桜は肩越しに声をかける。
湿った土壁には苔が張りつき、ところどころ岩盤がのぞいている。足元には小さな水たまりもできていた。
そのとき、カメリアが歩みを緩める。
壁を伝う細い水の流れや苔を、一つひとつ確かめるように見つめていた。
「どうしたの? 何か探してるの?」
「水脈」
それだけ答える。
カメリアは壁を伝う水の流れを追うように歩き始めた。
桜には理由は分からなかったが、その足取りには迷いがない。
やがて洞窟はゆるやかに左へ折れ、森とは違う冷たい空気が流れてきた。
聞こえるのは、自分たちの足音と、水滴が土や岩を打つ音だけだった。
その静寂を破ったのは、不意に響いた小さな物音だった。
ぴちゃん。
いや、水滴ではない。
どろり、と粘り気を帯びた何かが動いたような音だった。
四人は思わず足を止める。
桜と楓花はほとんど同時にランタンを少し高く掲げた。
揺れる灯が岩陰を照らす。
何もいない。
「気のせい……かな」
桜がそう言いかけた、その瞬間だった。
岩陰から、緑色をした柔らかな塊が、ぷるり、と姿を現した。
続いてもう一匹。
さらにもう一匹。
ゼリーのような体を震わせながら、三匹の魔物がゆっくり近づいてくる。
ひまわりが思わず息をのんだ。
「……なに、あれ」
桜は反射的に銅のつるぎへ手を伸ばした。
武器屋のギュンターから譲り受けたばかりの剣が、ランタンの灯を受けて鈍く光る。
――護身用だ。
そう言って剣を渡してくれたギュンターの顔が、ふと脳裏によみがえった。
まさか、その日のうちに抜くことになるとは思ってもみなかった。
ブルーメンの町の学校では、魔物に襲われたときに備え、武器の扱いと身の守り方を教えられる。
本物の剣も握ったことがある。
だが、それを魔物へ向けるのは今日が初めてだった。
柄を握る手には、思っていた以上に力が入る。
「……スライム?」
桜の声は、わずかにうわずっていた。
ひまわりは無理に笑顔を作る。
「なんか、床に落とした、巨大なゼリーみたいやな」
だが、その足は半歩だけ後ろへ下がっていた。
楓花も身構えたまま魔物を見つめていた。
逃げなかったのは勇気だけではない。学校で繰り返し教えられたことを覚えていたからだ。
背中を見せれば、魔物は容赦なく襲ってくる。
そんな中で、カメリアだけは静かだった。
緑色の魔物を見つめ、小さく口を開く。
「……緑凝体」
三人が振り向く。
「知ってるの?」
桜が尋ねる。
「うん。スライムの近縁種」
少し間を置いて、静かに続けた。
「物理攻撃も、魔法攻撃も有効です」
その一言が、四人にとって何よりも心強かった。
緑凝体とよばれる三匹の緑色の魔物は、互いの間合いを測るように、ぷるり、と身体を震わせていた。
やがて、そのうちの一匹が、不意に地を滑るように跳ねる。
「来る――!」
桜は思わず声をあげた。
二人は反射的にランタンを足元へ置いた。
二つの灯火だけが、四人の周囲を淡く照らす。
その先は、墨を流したような闇だった。
桜は銅のつるぎを構える。
学校では幾度となく教わった構えである。
剣を握り、教官の号令に合わせて振り下ろすことなら、身体が覚えているはずだった。
いま目の前にいるのは、生きた魔物――。
剣は思っていた以上に重く、柄を握る手には知らず力が入りすぎていた。足もまた、自分のものではないように固い。
一歩、踏み出すだけのことが、こんなにも難しいとは思わなかった。
ランタンの灯が揺れる。
そのたびに緑凝体の影が土壁へ大きく映り、実際よりもはるかに大きな魔物のように見えた。
緑凝体は、そのまま桜へ飛びかかる。
「桜っ」
楓花の声が飛ぶ。
小柄な身体が素早く横へ回り込んだ。
彼女の手にあるのは、小さな果物ナイフだった。あまりにも頼りない武器である。
だが、楓花が見つめていたのは魔物そのものではない。
その動きだった。
緑凝体は跳ねる。
着地した、その一瞬だけ身体の動きが鈍る。
楓花は、その瞬間を待っていた。
果物ナイフが横から鋭く突き出される。
刃は柔らかな身体を浅く裂いただけだった。
しかし、それで十分だった。
魔物の身体が大きく揺らぐ。
「今っ」
楓花の短い声に、桜の迷いは消えた。
銅のつるぎを握り直し、全身の力を込めて振り下ろす。
刃は緑凝体の身体へ深く食い込み、緑色の体液が飛び散った。
魔物は小さく震え、そのまま崩れるように動きを止め、そして消えていた。
初めて、自分の剣で魔物を倒した。
その実感が胸をよぎるより早く、残る二匹が一斉に身体を震わせた。
ランタンの炎が、ふっと揺らぐ。
光の輪の外では、闇がじりじりと四人へ迫ってくるようだった。
「ひまわり!」
桜の声が洞窟へ響く。
ひまわりは大きく息を吸い込み、右手を前へ突き出した。
次の瞬間、小さな光が手の中へ集まり、先端へ赤い魔石を埋め込んだ木製の杖が音もなく姿を現した。
他の科目では教師を何度も困らせたが、魔法だけは違った。
専門課程では誰もが認める優等生だった。
――少なくとも、教室の中では。
ひまわりは杖の先を魔物へ向け、息を止めるように狙いを定めた。
「――火の玉の呪文!」
声だけが洞窟へ反響した。
炎は生まれない。
「あ……」
ひまわりの表情から血の気が引く。
もう一度、大きく息を吸う。
「――火の玉の呪文!」
やはり何も起こらなかった。
「なんで……」
目の前に魔物がいる。
それだけで、身体が覚えていたはずの感覚がどこかへ消えてしまっていた。
二匹の緑凝体は、その隙を見逃さない。
ゆっくりと距離を詰めてくる。
そのときだった。
カメリアが静かに一歩前へ出た。
腰から抜いたのは、細身の短剣である。
桜は思わず目を見開いた。
「短剣……?」
魔法の才に恵まれた彼女が、真っ先に武器を抜くとは思っていなかった。
だが、カメリアは何も答えない。
近づいてくる緑凝体を静かに見据え、半歩だけ身体を開く。
魔物が跳ねた。
その瞬間だった。
短剣が、一筋の光となって走る。
ほとんど目にも留まらぬ速さだった。
緑色の身体は二つに裂け、魔物は声もなく崩れ落ちる。
あまりにも無駄のない一撃だった。
桜も、楓花も、ひまわりも、思わず息をのむ。
「カメリア……」
本人は何事もなかったかのように短剣を軽く払うと、残る一匹へ静かに視線を向けた。
仲間を失った緑凝体は、その場で小さく身体を震わせた。
それが怒りだったのか、それとも怯えだったのかは分からない。
次の瞬間、闇の奥へ身を翻す。
ランタンの灯は、すぐにその姿を見失った。
あとには、水滴の音だけが静かに洞窟へ戻ってきた。
「助かった……」
ひまわりが、その場へへたり込みそうになりながら大きく息を吐く。
桜もまた、知らず詰めていた息をゆっくりと吐き出した。
握り締めていた銅のつるぎは、汗で柄が滑りそうになっている。
四人は顔を見合わせる。
誰も笑わなかった。
けれど、その表情には、生まれて初めて魔物と戦い、生き残った者だけが知る安堵が静かに浮かんでいた。




