12 模擬戦
【現在のステータス】
桜 LV 7(戦士)
E : 兵士の剣/ 風紋の胸あて/うろこの盾
楓花 LV 6(盗賊)
E : ルミナスナイフ / 旅人の服
ハンナ LV 10(神官)
E : 鉄のメイス / 神官のローブ
【現在の場所】ルフトブルクの王城
兵士訓練場――。
桜たちの前に、二人の兵士が立った。
どちらも三十歳くらいだろう。一人は肩幅が広く、鍛え上げられた身体つきをしている。もう一人はすらりとした長身で、二人とも素朴な造りの鎧を身につけていた。
それに比べると、桜たちの装備はずいぶん軽い。桜は風紋の胸当てを着けているだけで、楓花にいたっては鎧を勧められても、「大丈夫です。動きにくくなるので」と断り、手にした木製の短剣を確かめていた。
「楓花、それで戦うの?」
「これくらいのほうが扱いやすいので」
「ふーん。まあ、楓花らしいか」
桜が笑う。その肩で、長い髪がさらりと揺れた。
向かいの兵士たちは、そんな二人を少し意外そうに眺めていた。
十五歳の少女が二人。
対する自分たちは、日頃から武器を扱い、身体を鍛えている王城の兵士である。これで負けるわけにはいかない――そんな余裕が、彼らの表情にはまだ残っていた。
もっとも、桜については別の興味もある。
兵士長ディードリヒの娘が、どれほどの腕を持っているのか。一度くらい手合わせしてみたいと思っていた者は少なくなかった。
模擬戦の開始を告げる声が響くと、周囲の兵士たちがわずかに後ろへ下がった。
四人が石床の中央へ進み出ると、それまでの雑談も自然と途切れ、訓練場の空気が静かに引き締まった。
最初に動いたのは、屈強な兵士だった。
大きな身体からは想像できないほど素早く踏み込み、木剣を振り下ろす。
桜は正面から受け止めず、半歩だけ身体を引いて、その勢いを横へ逃がした。
木剣が肩先をかすめ、石床を打つ。
重い。鋭い。
学校で受けてきた模擬戦とは、明らかに違っていた。
向こうでは、楓花も長身の兵士と向き合っている。
長い手足を生かして間合いを広く取る相手に対し、楓花は眼鏡の奥の目を冷静に動かしながら、わずかに身体をずらして攻撃をかわしていた。
「思ったより、あのお嬢ちゃんたち、ちゃんと動くな」
誰かが感心したように呟く。
それでも、体格も経験も兵士たちのほうが上だった。桜たちは攻撃をかわすことはできても、まだ相手を崩すところまでは届かない。
だが、二人の動きには妙な落ち着きがあった。
桜が動けば楓花がその邪魔にならない位置へ移り、楓花が相手の注意を引けば、桜が反対側へ回る。
兵士たちは知る由もないが、桜と楓花は学校で何度も二人で模擬戦を重ねてきた。旅に出てからは、魔物を相手に戦うことも増え、その積み重ねが、互いの動きを自然と噛み合わせていた。
「おい、あの二人……最初から合わせてるのか?」
「合わせてるというより、互いに分かってるんじゃないか?」
その言葉どおり、二人は声を掛け合うこともなく、少しずつ兵士たちの間合いを崩していった。
十合ほどの応酬――といっても、まだ兵士たちのほうが優勢に見える。桜も楓花も、攻撃をかわしながら押されているように見えた。
ところが、気づけば長身の兵士は、桜と楓花の二人の間を行き来させられていた。
「……しまった!」
逃げようとした先には桜がいる。反対へ回れば楓花がいる。
逃げ道を失った兵士の木剣を、楓花の短剣が鋭く払った。
乾いた音とともに木剣が手から飛び、石床の上を跳ねて止まる。
「おおっ!」
意外な結果に、周囲から声が上がった。
桜と楓花が一瞬だけ顔を見合わせる。
「よし」
学校の二対二なら、相手の一人が武器を落とした時点で勝敗が決まる。だから、二人が勝ったと思ったのも無理はなかった。
――だが、ここは学校ではない。
その隙を、もう一人の兵士は見逃さなかった。
木剣が横から鋭く薙ぎ払われ、楓花の手から短剣が弾き飛ばされる。
「……え?」
桜が振り向く。
そこには、さきほどまで桜と戦っていた屈強な兵士が立っていた。
「楓花」
「油断した」
楓花は床へ転がった短剣を一度見ただけで、すぐに相手へ視線を戻した。
「なんだ、まだ終わってないぞ」
兵士が木剣を前に構える。その口調からは、先ほどまでの余裕が消えていた。
桜は苦笑しながら、木剣を握り直した。
「楓花の分まで頑張るかあ」
余裕があるわけではない。それでも桜は、こういうときほどいつもの調子で声を出した。
楓花はその場から離れ、申し訳なさそうに桜を見る。
「気を付けて」
「うん」
桜は小さく頷いた。
模擬戦が再開され、一対一の戦いが始まった。
兵士は力を惜しむことなく木剣を振る。
桜は真正面から受けず、受け流しては距離を取り、踏み込まれれば身体をかわす。
何度も木剣が交わるのに、なかなか決着がつかない。
「おい、ハインツ!」
見物していた兵士の一人が声を張り上げた。
「何やってるんだよ!」
「相手は女の子だぞ!」
そんな野次が飛ぶ一方で、別の兵士は桜を見ながら感心したように呟いた。
「さすがはディードリヒの娘さんだ。筋がいい」
「力で受けずに、ちゃんと流してるな」
ハインツは一瞬だけ観客を睨んだが、すぐに桜へ視線を戻した。
相手は少女。それなのに、いくら攻めても木剣が届かない。
大きく振り下ろした一撃を、桜は身を沈めてかわした。そのまま脇をすり抜け、背後へ回る。ハインツが慌てて振り返ったところへ、さらに横へ抜けた。
「おお……」
観客の声が、いつの間にか感嘆へ変わっていた。
相手の剣を見てから避けているのではない。肩や足の動きから次の攻撃を読み、その一歩先へ身体を置いている。
何度も魔物と向き合ってきた経験が、桜の身体には知らないうちに刻まれていた。
「……さすがに、筋がいいだけじゃないな」
誰かが呟く。
桜が一歩踏み込んだ。
ハインツが剣を返す。
その軌道を桜が外し、次の瞬間、木剣がハインツの手元を強く打った。
乾いた音が響く。
「っ……!」
ハインツは思わず片手を押さえ、木剣を握ったまま俯いた。手に強いしびれが走ったのだろう。しばらくは剣を振るどころか、握り直すこともできそうにない。
――これで勝負あった。
観客の誰もが、そう思った。
まさか、ディードリヒの娘が、このハインツを相手に勝つとは。
桜も、ひとまず終わったと思って木剣を少し下げた。
「……?」
けれど、何かがおかしい。
ハインツの肩が、かすかに震えていた。
最初は、手の痛みに耐えているだけにも見えた。ところが、その震えは次第に大きくなり、やがて全身へ広がっていく。
「ハインツ?」
誰かが声を掛ける。
返事はない。
ガチ、ガチ、と歯の噛み合う音がした。
訓練場にいた兵士たちが、一斉に口を閉ざす。
ハインツは俯いたまま激しく身体を震わせ、その顔をみるみる赤く染めていった。握りしめた拳に力が込められ、喉の奥から低い唸り声が漏れる。
「……どうした?」
誰かが近づこうとした、その瞬間だった。
ハインツが顔を上げる。
その目つきは、先ほどまでとはまるで違っていた。
人が怒っているというより、怒りそのものに身体を乗っ取られたような異様さだった。
桜は無意識に木剣を握り直した。
「……なんか、おかしい」
ハインツの喉から、獣のような咆哮が響く。
「――グアアアアッ!」
「おい!」
「ハインツ、やめろ!」
兵士たちが一斉に声を上げる。
だが、ハインツは木剣を握り直すと、そのまま桜へ向かって突進した。
「えっ……!」
桜はとっさに横へ跳ぶ。
振り下ろされた木剣が、さっきまで立っていた石床を激しく打った。
「大丈夫!? 桜」
楓花の声が飛ぶ。
「うん」
桜は答えながら、ハインツから目を離さなかった。
異変に気づいたハンナも、すぐにリディアの前へ出た。
「リディア様。私の後ろにいてください」
「ハンナ……」
「大丈夫です。私がついていますから」
赤い髪を揺らしたリディアを庇うように、ハンナはしっかりと前へ立った。
一方、訓練場では兵士たちが騒然となっていた。
普段なら多少の揉め事にも慣れている兵士たちでさえ、目の前の異様な光景には、すぐに近づくことができなかった。
「何が起きてるんだ!」
「誰か止めろ!」
その声をかき消すように、ハインツが再び木剣を振り下ろす。
桜は身をかわしたが、受け流したはずの一撃に腕を弾かれた。
「くっ……!」
重い。さっきまでとは比べものにならない衝撃が、腕に響いた。
ハインツは何かが乗り移ったかのように木剣を振り上げては、渾身の力で叩きつける。
桜が逃げれば、身体ごと押し込むように踏み込んでくる。
荒々しい攻撃をかわし、力を受け流すことはできても、その狂気じみた勢いまで完全に殺すことはできない。あまりにも、一撃一撃が重かった。
桜は少しずつ後ろへ下がっていった。
気がつけば、訓練場の端まで追い詰められていた。
背後には、もうほとんど逃げる余地がない。
ハインツが咆哮し、木剣を振り上げる。
――その瞬間、桜の身体がすっと沈んだ。
木剣が頭上を通り過ぎる。
桜はそのまま懐を抜け、背後へ回った。振り返りざまの一撃をかわして横へ抜けると、ハインツが向きを変えようとした、その一瞬の隙へ入り込む。
「……?」
ハインツの視線が桜の姿を追う。
だが、そこにはもう誰もいない。
一瞬、どこへ消えたのか分からず、ハインツの動きが止まった。
その腕が大きく開いた瞬間、桜は内側へ踏み込んだ。
木剣を払う。
乾いた音とともに、ハインツの手から木剣が飛んだ。
「終わった……?」
誰かが息を吐く。
だが、ハインツは止まらない。
武器を失ったことさえ意に介さず、なお桜へ向かってくる。
「誰か早く止めろ!」
その声に反応して、近くにいた三人の兵士が一斉に飛び込んだ。一人が背後から腕を抱え、もう一人が身体を押さえ、三人目が足を取る。それでもハインツは激しく身をよじり、なお桜へ向かおうとした。
「押さえろ!」
「離すな!」
やがて、ハインツの力が少しずつ弱まった。
訓練場に、ようやく静けさが戻る。
年長の兵士が桜のところへ歩み寄り、深く頭を下げた。
「見苦しいところをお見せした。すまなかった」
その周囲にも兵士たちが集まってくる。
「大丈夫か?」
「怪我はないか?」
桜は少し驚いたように彼らを見回し、それから柔らかく笑った。
「大丈夫です」
そして、隣の楓花を見る。
「楓花も、大丈夫やね?」
「私は問題ありません」
「そっか」
桜が小さく息を吐く。
それを見て、ハンナもようやくリディアの前から離れた。
リディアはまだ心配そうだったが、桜が笑っているのを見て、少しだけ表情を緩める。
誰も、ハインツに何が起きたのか分からなかった。
ただ一つ、確かなことがある。
あれは、もう模擬戦と呼べるものではなかった。
そして、訓練場から少し離れた回廊の陰では、一人の老人がその一部始終を静かに見届けていた。
長い白髭を蓄えた大賢者グレゴールである。
彼は騒ぎに驚くこともなく、ただ桜の姿を見つめていた。
やがて、その口元にごくわずかな笑みが浮かぶ。
袖口から、赤黒い小さな光が一瞬だけ漏れた。炎のようにも見える奇妙な光は、誰の目にも触れることなく、すぐに消える。
グレゴールは何も言わず、桜たちに背を向けた。
――グレゴール老の後ろ姿を見た者がいたとすれば、それはハンナだけだった。
桜やリディアの後ろ越しに、ハンナは確かに、その姿を捉えていた。




