10 アルベルト王とグレゴール老
【現在のステータス】
桜 LV 7(戦士)
E : 兵士の剣/ 風紋の胸あて/うろこの盾
楓花 LV 6(盗賊)
E : ルミナスナイフ / 旅人の服
ハンナ LV 10(神官)
E : 鉄のメイス / 神官のローブ
【現在の場所】ルフトブルクの王城
ルフトブルクの王城のテラスを後にすると、先ほどの風が厚い石壁の向こうへ遠ざかっていった。
王女リディアの少し後ろを、桜、楓花、ハンナの三人が続く。リディアは名残惜しそうに、ときおり振り返ってはテラスのほうを見ていた。
「そろそろ戻りましょうか」
ハンナが、そんなリディアの様子を見ながら声をかける。長く歩き回らせるのも、と気を遣ったのだろう。
「まだ見せたいところがあるんだけど……」
「うん。でも、周りの兵士さんたちも、ずいぶん気を張っているみたいだよ」
桜が廊下の先へ目を向けると、テラスの出入口には二人の兵士が立ち、リディアの様子を気にしているようだった。見慣れない三人を連れて歩く王女を護衛する側も、落ち着いてはいられないのだろう。
「そうですね。王女様に何かあれば、この方々の責任になりますから」
楓花も淡々と頷く。
「……それもそうだね」
リディアは素直に頷いた。
「じゃあ、一緒にディートリヒさんのところ行く。そこで、ヨハンさんのこと話す」
「そのほうが話も早そうですね」
ハンナが微笑む。
リディアが歩き出すと、桜もその隣に並んだ。
「ねえ、リディア様。お父さん……じゃなくて、ディートリヒとは仲がいいの?」
「うん。兵士長さんだから、あまり会う機会はないけど、とても気さくな人だよ。兵士さんの中では、一番好きかも」
「それは、お父さんも喜ぶね」
桜が笑うと、楓花が横から淡々と口を挟んだ。
「桜も、この調子なら将来は兵士長になれますね」
「えっ、私が?」
「お父さんの跡を継げばいいでしょう」
「じゃあ、そうなったら楓花を部下にして、いっぱい働いてもらおうかな」
桜が笑うと、楓花はわずかに眉を寄せた。
「……それは、お断りします」
「ふーん。本当に?」
「本当です」
「まあ、そう言うと思った」
桜がくすりと笑う。楓花は小さく息を吐いた。
そのやり取りを聞いたリディアが、二人を見上げる。
「そうそう。リディアって呼んでほしい。友達でしょ。『様』つけは、友達にはつかわない」
「うん」
桜が頷く。
「ありがたいのですが、私は遠慮しておきます」
年長者らしく一歩引いたハンナに、楓花がちらりと目を向けた。
「さすがは神官」
その言葉に、リディアが声を上げて笑った。
ハンナも微笑み、静かな王城の廊下を歩いていった。
やがて、二階にある兵士長の部屋の前へ戻ってくる。
扉の前にいた兵士は、リディアの姿に気づくと、すぐに背筋を伸ばして一礼した。
桜が尋ねると、兵士は顔を上げて答える。
「申し訳ありません。ディートリヒ殿は、まだお戻りになっておりません」
「そっか」
桜は少し残念そうに扉へ目を向けた。
何か急用があって呼び出されたようだが――いったい何の用だったのだろう。
「じゃあ、リディアのお部屋に戻ろう。そこで待ってればいい」
リディアが、少し背伸びをするように言った。
三人は顔を見合わせ、頷くしかなかった。
リディアに続いて階段を上り、三階――王族の居住区へ向かう。
部屋へ戻る途中だった。
廊下の向こうから、二人の老人が歩いてくるのが見えた。
「お父様!」
リディアが嬉しそうな声を上げる。
その声に、桜たちは足を止めた。
「……国王陛下です」
ハンナが小さく呟く。
桜も楓花も、すぐに姿勢を正した。
目の前にいるのは、ルフト王国の国王、アルベルト・ヴァルデン三世だった。
桜は幼い頃、父に連れられて王城へ来たことがある。けれど、国王本人と顔を合わせるのは初めてだった。父から聞いていた若い頃のアルベルト王は、背が高く、鍛えられた身体を持つ、いかにも力強い人物だったという。
けれど、実際に目の前にいるアルベルト王は、桜が想像していたよりもずっと痩せていた。
灰色の髪に、短く整えられた白髪交じりの髭。背は高いものの、肩は落ち、背中もわずかに曲がっている。かつては力強い身体を誇っていたという面影は、今の姿からはほとんど感じ取れなかった。
――たしか、六十歳だっただろうか。
父から聞いていた人物像との違いに、桜は少し戸惑った。
そして、ふとリディアへ目を向ける。
まだ七歳の小さな王女と、その父親である国王。二人の姿を並べて見ると、どうしても親子というより、祖父と孫ほどの年齢差に見えてしまう。
そういえば、アルベルト王に子供が生まれたのは、かなり後のことだったはずだ。
――リディアちゃんのお父さんって、こんなに年上だったんだ。
桜はそんなことを思いながら、隣に立つもう一人の老人へ目を移した。
こちらも国王と同じくらいの年齢に見える。長い白い髭に、深い皺の刻まれた顔。その目には、歳月を重ねた者だけが持つような、静かな知性が宿っていた。
――そうか。
桜は、その老人を見ながら思った。
この人が、あの大賢者グレゴール・ヴァレンティスさん。
かつて世界を恐怖に陥れた、北天嶺の魔王を討った四人の一人であり、今ではルフト王国で国王を支える最も近しい側近の一人でもある。古くからのアルベルト王の親友であり、よき理解者でもある――そんな話を、桜も父から聞いていた。
もっとずっと年上の人物を勝手に想像していたのだが、こうして二人並んでいると、むしろ納得できる。
二人とも同じように歳月を重ね、その長い年月を共に歩んできたのだろう。
言葉を交わさずとも、そこには幼い頃から続く友人同士にしかない、静かな親しさが感じられた。
「どうした、リディア?」
アルベルト王が、近づいてきた娘へ穏やかに声をかけた。
リディアは嬉しそうに父を見上げる。
「お父様、お願いがあるの」
「お願い?」
「うん。ヨハンさんを、出してあげてほしいの」
アルベルト王の表情が、わずかに変わった。
「ヨハン?」
「うん。ディートリヒさんに聞いたの。まだ疑いが晴れてないから、出せないんだって」
「ああ……そのことか」
アルベルト王はすぐに思い出したようだったが、なぜリディアがその話を持ち出したのかまでは分からないらしい。わずかに首を傾け、娘の顔を見つめる。
「私も最初に報告を受けたときは、宝物庫へ入り込んだ者ならば、重い罪に問うべきだと思った。宝物庫への侵入は、それだけのことだからな」
声には、国王としての厳しさがあった。
「だが、ディートリヒ――いや、兵士長から詳しく話を聞いた。どうも単純な侵入者とは考えにくいという。それで、疑いが晴れるまでは城内で軟禁することにしたのだ」
「そうだったんですね」
リディアは素直に頷いた。
七歳のリディアには、少し難しい話だった。すべてを理解しているわけではないだろう。
それでも、父のアルベルト王が自分の問いにきちんと向き合い、真剣に話してくれていることは伝わっているようだった。
リディアはどこか嬉しそうに、父の顔を見上げている。
そして桜には、アルベルト王がリディアに説明すると同時に、隣にいるグレゴール老にも事情を伝えているように見えた。
アルベルト王は、そんな娘をしばらく見つめていた。
その目には、確かに娘を案じる父親の優しさがあった。
リディアは、ずいぶん自然に「お父様」と呼んでいる。アルベルト王も、それを当然のこととして受け止めている。
けれど、二人の間には、長い年月を一緒に過ごしてきた親子とは少し違う、どこか慎重な間があるようにも見えた。
桜は、そんな二人をしばらく見つめていた。
「ヨハンというのは、軟禁されている神官のことですか?」
隣で、グレゴール老が口を挟んだ。
「ああ」
アルベルト王はグレゴール老へ顔を向けた。
「宝物庫に突然現れた神官だ。二人いた」
「二人、ですか」
グレゴール老が、わずかに眉を上げる。
「なんでも、はじまりの神殿の者で、何やら魔法で飛ばされたという話ではあるが、なんとも信じがたい話でな。そもそも、身元を確認できる者がいない。だから、その神官長から確認が取れるまでは、一人にはそのことを伝える役をしてもらっている――たしか、マティアスという神官だったかな。そして、もう一人のヨハンを、確認が取れるまで城内の一室で軟禁している」
「なるほど」
グレゴール老は静かに頷いた。
「ディートリヒが、そう判断したのですね」
「私も、その判断を認めた」
アルベルト王が答える。
「疑いが晴れれば、それでよい。だが、確かな証明がない以上、勝手に解放するわけにもいかん」
そこでグレゴール老は、ふとリディアへ目を向けた。
「それで、リディア様はその神官を知っている様子ですが?」
「うん」
リディアは迷うことなく頷いた。
「ヨハンさんもマティアスさんも、神殿の神官さんだよ。はじまりの神殿にいたよ。そうだよね。ここにいる桜さんも楓花もいたよ」
知っていることを一生懸命に思い出しながら、伝えようとしているのが分かる。
「……そうですか。つまり、あの儀式にいた人たちということですね」
リディアが大きく頷く。
それを見たグレゴール老は、しばらく黙り込んだ。
長い白い髭に手を添え、何かを考えるように視線を落とす。やがて、何かに思い当たったようにアルベルト王へ顔を寄せた。
「ひょっとして……」
そこから先の言葉は、桜たちには聞こえなかった。
アルベルト王も声を落とし、二人だけで短く言葉を交わしている。
何を話しているのか、桜には分からない。ただ、グレゴール老が何度かリディアへ視線を向け、それからアルベルト王へ戻したことだけは分かった。
やがてアルベルト王が小さく頷き、今度はグレゴール老に何かを説明し始める。
グレゴール老は、初めて聞かされた話だったらしく、一瞬だけ目を見開いた。けれど、桜たちの視線に気づくと、すぐにいつもの穏やかな表情へ戻った。
二人の間で、何か一つの可能性が浮かび上がったらしい。
クヴェル村のはじまりの神殿で発動したという、危険回避の結界。古代の結界らしい。
もし、その結界によってヨハンやマティアスが飛ばされたのだとすれば、なぜ彼らがルフトの宝物庫に現れたのかも説明がつく。
そして、そこからさらに考えれば――イリスのことも気になる。
あのとき、イリスも「国王継承の儀」に付き添って、自分たちと同じように祭壇の間にいた。けれど、結界が発動したあと、まだどこにも見つかっていないらしい。
王城でも、イリスの行方を探す動きは始まっているはずだ。さすがに、このまま見捨てるようなことはしないだろう。
もしヨハンやマティアスが本当に結界によって飛ばされたのだとすれば、二人がどうして宝物庫に現れたのかを知ることが、イリスの行方を探す手がかりになるかもしれない。
とくにヨハンは、あの儀式に立ち会っていた神官の一人だ。本人から、あのとき何が起きたのかを聞くことができれば――。
グレゴール老は、そんな可能性に思い至ったのかもしれない。
もちろん、まだ確かなことではない。
「お父様?」
リディアが、アルベルト王を見上げた。
「ヨハンさん、出してあげられる?」
アルベルト王は娘の顔をしばらく見つめた。
その表情には、困ったような、それでいてどこか嬉しそうな色が浮かんでいる。
「そうだな。そうしよう。ただ、ヨハンにはきちんと話を聞いてからだな」
それからアルベルト王は、桜と楓花へ目を向けた。
「それと、そこにいるサクラさんとフーカさん……と言いましたかね。後で、あなた方からも同じように話を聞いてよいかな?」
桜と楓花は、そろって頷いた。
「ありがとう!」
リディアは嬉しそうに声を上げた。
自分のお願いが聞き入れられたことが、素直に嬉しいのだろう。まるで、自分も何かの役に立てたことを喜んでいるような笑顔だった。
その様子を見ながら、桜はふと父のことを思った。
ディートリヒがこの場にいたなら、きっと少し困った顔をしながら、それでも最後にはリディアの頼みを聞くために動くのだろう。
そんな父の姿が、なぜか目に浮かんだ。
「ところで、そなたがサクラさんか」
突然グレゴール老から声をかけられ、桜は少し驚いて顔を上げた。
「え……。はい」
「もしかして、と思ってな。前にディートリヒが話しておったので。まさか、この城に来ていたとは」
グレゴール老はそう言うと、白い髭に手を添え、どこか楽しそうに目を細めた。
「それにしても、ディートリヒにも、こんな立派なお嬢ちゃんがいたとは」
わざとらしく一度咳払いをする。
その言葉に、桜は一瞬、どう返していいのか分からなくなった。
十五歳の少女に、こういうときの気の利いた返しなどできるはずもない。
結局、桜は少し困ったように笑うしかなかった。




