5 女性神官ハンナ
【現在のステータス】
桜 LV 7(戦士)
E : 兵士の剣/ 風紋の胸あて/うろこの盾
楓花 LV 6(盗賊)
E : ルミナスナイフ / 旅人の服
ハンナ LV 10(神官)
E : 鉄のメイス / 神官のローブ
【現在の場所】客の少ない宿屋
屍食鬼の一件が片づいたころには、外はすっかり暗くなっていた。
宿屋の主人は、何度もハンナたちに礼を言い、今夜は部屋代を取らないと申し出たが、ハンナは困ったように笑って、それを丁寧に断った。
浄化をしたからといって宿代まで免除される理由にはならないし、主人にしてみれば、長いあいだ宿に住みついていたものがいなくなったとはいえ、これから後片づけやら何やらで忙しくなるに違いない。
「それより、今夜はゆっくり休んでください。ずっと気を張っていたでしょうから」
そう言われて、桜はようやく、自分たちも思っていた以上に疲れていることに気づいた。
食事の後、宿の大浴場を使わせてもらえることになり、桜たちは旅と戦いでたまった疲れを落とすことにした。
この宿屋の浴場は、外観から想像するよりも意外に広く、湯気の向こうには石造りの壁と太い木の梁が見えている。
地下から湧き出る温泉ではなく、薪を使って大量の湯を沸かしているのだという。それでも、何人かの旅人が一度に身体を休めるには十分な広さがあり、湯はほどよい温かさに保たれていた。
昼間まで街道を歩き、さらに屍食鬼まで現れたせいか、温かな湯に身を沈めると、それだけで身体の奥に残っていた疲れが、ゆっくりとほどけていくようだった。
桜も楓花も、そしてハンナも、湯に身を委ねながら、旅の疲れを癒していた。
「はあ……。やっぱり、お風呂はいい」
桜が湯船の中で肩を伸ばす。
「旅の途中でこんな大きなお風呂に入れるとは思わなかった」
楓花も、いつもより少しだけ表情を緩めていた。
「そうやね。こういう宿があるなら、旅も悪くないかな」
そのころ、ルフェルンは桜の近くにはいなかった。
そういえば、この宿屋に来てからというもの、ずっと姿を隠したままだった。
屍食鬼が浄化されても、なかなか戻ってこない。
「……ルフェルン、まだ隠れてるんかな」
桜が小さくつぶやいた。
「何か?」
楓花が振り向く。
「ううん。なんでもない」
桜は笑ってごまかした。
風呂から上がり、着替えて食堂へ向かうころになって、ようやく桜の肩に小さな気配が戻ってきた。
もちろん、妖精に本当の重みがあるはずはない。
それでも桜には、肩にちょこんと乗った小さな存在が、妙に重たく感じられた。
「お待たせじゃ」
耳元で声がする。
桜は振り向かずに、くすっと笑った。
「遅かったね」
「……さてな」
「怖かったん?」
「な、何のことじゃ」
ルフェルンの返事が、ほんの少しだけ早い。
幼い女の子の姿をしているのに、そんな古風な言葉遣いをする。そのちぐはぐさが、かえって妙な愛嬌になっていた。
桜はますます笑った。
「ふーん」
「……ああいうものは苦手なのじゃ」
「やっぱり?」
「幽霊やら屍やら、わざわざ近寄りたいと思う者がおるのか?」
「でも、ルフェルンも妖精なんだよね?」
「そんなものと一緒にしてくれるな」
少しむっとしたような声だった。
桜は声を出して笑いそうになったが、ハンナたちに聞こえないよう、口元を手で隠した。
別に隠す必要もないのだが、ルフェルンと話しているところを見られて、「一人で何を話しているんだろう」と思われるのも、少し恥ずかしい。
「そっか。じゃあ、まあ、まだまだ幽霊でもいるかもしれないから、隠れておく?」
「うむ。それがよい」
返事だけは妙に素直だった。
入浴を終えた三人は、食堂に隣接した談話室で、しばらくのんびりと過ごしていた。
談話室には木製の長椅子と小さな丸机が並び、暖炉では薪が静かに燃えている。壁に掛けられたランプが、木の床や太い梁を柔らかく照らしていた。
春とはいえ、夜になるとこのあたりは肌寒い。暖炉の火が、冷え始めた部屋をゆっくりと温めていた。
桜と楓花とハンナは同じテーブルを囲み、杯を手にしながら、今日一日の出来事を話していた。
ふと、桜は向かいに座るハンナへ目を向けた。
黒に近い青紫色の髪をきちんと整え、穏やかな表情を浮かべている。いかにも真面目で几帳面な印象だった。
けれど、今日一日を一緒に過ごしてみると、見た目の印象だけでは分からない一面も見えてきた。
「そういえば、ハンナさんって、どうして神官になったの?」
桜の問いに、ハンナは手にしていた杯を置き、少し考えるように目を伏せた。
「どうして……ですか」
「うん。今日見ていて思ったの。ハンナさんって、困っている人がいたら、すぐ助けに行くでしょう?」
「たしかに、そうですね」
楓花も頷いた。
「昔から、そうだったんですか?」
「昔から、というわけではありませんよ」
ハンナは小さく笑った。
「私が神官になろうと思ったきっかけは、子どものころに出会った、一人の神官でした」
「神官に助けてもらったんですか?」
楓花が尋ねる。
「はい」
ハンナは、遠い記憶を思い出すように目を細めた。
「まだ私が小さかったころです。私は、砦の城下町グレンツで暮らしていました。あるとき体調を崩してしまって……どうしていいのか分からなくなっていたところを、その方に助けてもらったんです」
「その人って?」
桜が興味深そうに尋ねる。
「マティアスさんです」
「マティアスさんが?」
桜は、思わず目を丸くした。
クヴェル村のはじまりの神殿で、桜たちの前にいた神官の男の姿が頭に浮かぶ。
あの危険回避の結界によって、王都ルフトブルクの宝物庫へ飛ばされ、侵入者と間違えられた神官。そのあと、もう一人の仲間の神官を人質に取られ、はじまりの神殿へ戻ってきた男である。
桜から見れば、四十代くらいに見える。落ち着いた物腰も、その年齢を思わせた。
そんなマティアスにも、ハンナがまだ幼かったころ、旅をしていた若い神官の時代があったのだ。
「はい。今では、神殿でもそれなりのお立場にありますけど……あのころは、まだ若い神官でした。旅をしながら、各地の神殿や村を訪ねていたんです」
ハンナは、懐かしそうに杯へ視線を落とした。
「私は、そのとき、とても不安だったんです。家も裕福ではありませんでしたし、薬を買う余裕もありませんでした。でも、マティアスさんは何も求めずに、私のそばにいてくれました」
桜は黙ってハンナの話を聞いていた。
「何度も様子を見に来てくれて、それから、ヴィータ様に祈りを捧げてくれたんです。今思えば、まだ若かったこともあって、回復の祈りも、それほど上手ではなかったのでしょうね」
ハンナは、少しだけ笑った。
「それでも……一生懸命に祈ってくれていることは、子どもの私にも分かりました」
「それが、今のハンナさんにつながってるんやね」
桜が柔らかく言う。
「そうなのかもしれません」
ハンナは静かに頷いた。
「そのとき、マティアスさんが教えてくれたんです。ヴィータ様は、ただ病気や傷を治すためだけの神様ではない、と」
桜と楓花が、そろってハンナを見る。
「誰かが困っているとき、その人のそばにいて、命を大切にすること。それもまた、ヴィータ様の教えなのだそうです」
暖炉の薪が、小さく音を立てた。
「私は、その言葉がずっと心に残っていました。だから、いつか自分も、あの人のようになれたらと思って……神官を目指すようになったんです」
「なるほど」
楓花が静かに頷いた。
「では、マティアスさんは、神官としてかなり優秀だったんですね。ハンナさんよりも、魔法が得意だったんですか?」
「そうですね……」
ハンナは少し考えてから、控えめに笑った。
「マティアスさんは、神官としてとても優秀な方だと思います。いずれは、神官長になられるのではないでしょうか」
「へぇ……」
桜が感心したように声を漏らす。
「それじゃあ、魔法もすごく上手なんだ?」
「……それが、そうとも限らないんです」
ハンナは、少し困ったような顔をした。
「私も、神官になってから魔法の修練を続けてきましたから。いつの間にか、回復や浄化といった神官の術については、私のほうが上かな」
「マティアスは魔法は苦手?」
「そういうわけではないですが」
ハンナは苦笑しながら頷いた。
「人を導くことや、神殿での務めについては、私などまだまだ及びません。でも、魔法は魔力だけで決まるものではなくて、技術や術の扱い方も関係しますから……たぶん、魔法については私のほうが得意ですね」
「まあ、誰にでも得意不得意はあるもの」
楓花が淡々と告げた。
その口元には、ほんの少しだけ意地の悪い笑みが浮かんでいた。
「楓花、そこは言わなくてもいいんじゃない?」
桜が笑う。
「事実ですから」
「ふーん。本当に?」
「本当です」
三人の間に、小さな笑いがこぼれた。
暖炉の火が静かに揺れる談話室には、先ほどまでの屍食鬼騒ぎが嘘のように、穏やかな時間が流れていた。
「それで、そのとき……マティアスさんから、神様のお話も聞かせてもらいました」
「神様の?」
「はい。私たちが暮らしているこの世界を創られたのは、創世の女神クレア様なのだと」
ハンナの声は穏やかだった。
「クレア様は、この世界をお創りになったあと、その管理を六柱の神々に託されたのだそうです」
楓花は、わずかに眼鏡を押し上げた。
こういう説法めいた話には、普段なら関心を示さない。けれど、ハンナが自分の記憶を語っているのだと思えば、話は別だった。
「六柱の神々、ですか」
「裁きの神ユディス様。戦いの神ベルム様。知識の神サピア様。豊穣の神フェリア様。調和の神コルダ様。そして、生命の神ヴィータ様です」
ハンナは、あえて一柱ずつ名前を挙げていった。
「今さらなんですが……六柱は、同じ立場なんですか?」
楓花が尋ねる。
こうしたことは、学校の授業でも教わっているはずだった。けれど、楓花にとって関心の薄い事柄は、必要な知識として覚えていても、いつの間にか記憶の奥へ追いやられてしまうらしい。
「はい。どの神が上ということではありません。それぞれが違うものを司り、この世界を支えているのだと、マティアスさんは教えてくださいました」
「ヴィータ様は、生命を司る神ですよね」
桜が自然に言葉を挟んだ。
「このルフトでは、信仰の厚い神ですし」
桜も、六柱の神々については、子どものころから自然と耳にしていた。
父ディートリヒと出かけた先で教会や神殿を見かければ、つい足を止めてしまう。重厚な壁や高い天井、色鮮やかなステンドグラスを眺めているうちに、神々の名前や、それぞれが司るものも覚えていった。
もっとも、それはあくまで知識として知っているだけで、信仰に深く関わっているわけではない。
「そうですね。命と癒し、そして慈愛の神もあります。ルフトの王家との縁も深い神ですよ」
ハンナは、胸元にそっと手を添えた。
「マティアスさんが教えてくださった、ヴィータ様の教えが……あのころの私には、とても身近に感じられたんです」
「どうして?」
桜が尋ねる。
「命を救うことだけではありません。誰かが困っているとき、その人のそばにいてあげることも、命を慈しむことなのだと」
桜は、しばらく黙ってハンナを見つめていた。
暖炉の薪が、ぱちりと小さな音を立てる。
やがて桜は、柔らかく笑った。
「だから、ハンナさんは困っている人を放っておけないんだね」
「……そうかもしれません」
ハンナは、少し照れたように笑った。
桜と楓花にとって大切な友人であるカメリアとひまわりも、危険回避の結界によって遠くへ飛ばされ、いまだに行方が分からない。
マティアスが戻ってきて、まだ王都には囚われの身ではあるものの、もう一人の神官ヨハンも見つかった。一方で、神官長様や、王女付きの少女イリス、そしてカメリアとひまわりは、まだ見つかってはいなかった。
二人も不安を抱えているはずだ。それでも、桜と楓花は沈むことなく、こうして前を向いている。
そんな二人を見ていると、ハンナも自然と勇気づけられているような気がした。
――翌朝。
身支度を整えた桜たちは、宿屋の主人に見送られながら、宿をあとにした。
「本当にありがとうございました」
主人は、最後まで深々と頭を下げている。
「こちらこそ、お世話になりました」
ハンナが微笑み、三人は朝の街道へと歩き出した。
そのとき、桜の肩のあたりで、小さな影がふわりと浮かび上がった。
ルフェルンだった。
いつもと変わらない、少し生意気そうな顔をしている。
桜は横目でそれを見て、ほんの少しだけ笑った。
姿も声も、楓花とハンナには見えない。
けれど二人とも、桜がそんな顔をした理由くらいは、もう分かっていた。
どうやら、隠れていた妖精も、ようやく旅の仲間に戻る気になったらしい。




