4 人の姿をした魔物
【現在のステータス】
桜 LV 6(戦士)
E : 兵士の剣/ 風紋の胸あて/うろこの盾
楓花 LV 5(盗賊)
E : ルミナスナイフ / 旅人の服
ハンナ LV 10(神官)
E : 鉄のメイス / 神官のローブ
【現在の場所】客の少ない宿屋
桜、楓花、ハンナは、「客の少ない宿屋」へと足早に向かった。
街道からすでに離れているため、周囲にほかの建物はない。
平原の中にできた、わずかな窪地。その一角に、目的の宿屋は建っていた。
建物そのものも、少し古びている。歴史を感じさせるような古さではない。ただ、長いあいだ十分な手入れがされていないことが、そのまま建物の傷みとして残っているような古さだった。
窓から漏れる明かりも少ない。
夕暮れだというのに宿屋らしい明るさがないのは、それだけ泊まる客が少ないということなのだろう。
桜は宿屋を見上げた。
「ここが客の少ない宿屋か。うん……たしかに、そんな感じやね」
いかにも桜らしい、少し困ったような笑みが浮かぶ。
楓花も宿屋を見た。
これといって特徴のない建物だった。旅人を呼び込もうという気持ちも、外観からはあまり感じられない。
三人は宿屋の扉を開けた。
中へ入ると、受付にいた主人の男が顔を上げた。
金髪で、長身。年齢は三十代半ばほどだろうか。体格は悪くないのだが、どこかやつれている。客の少ない宿屋を一人で切り盛りしているせいかもしれない。
「いらっしゃい。泊まりかい?」
気さくな声だった。
けれど、その声音の奥には、客が来ないことにもすっかり慣れてしまったような、半ば諦めにも似たものが滲んでいた。
「フェルトハイムからあふれたお客さんかね? あそこはいっぱいだからね」
主人は三人を見た。
学生くらいの年齢の少女が二人に、二十代の女性が一人。この組み合わせは珍しかったのだろう。物好きな冒険者でもなければ、わざわざ街道から外れた、こんな宿を選ぶ理由はない。
「はい。三人ですが、部屋は空いていますか?」
ハンナが尋ねる。
「ああ。空いてるよ」
主人はすぐに答えた。
「よかった」
桜が、ほっとしたように息をつく。
ところが、主人はハンナの服装に目を向けると、ふと表情を変えた。
「神官様ですか?」
神官のローブをそのまま身につけているわけではない。旅をするために動きやすく仕立て直してあり、一般の旅装にも見える。
それでも、神官としての面影までは隠しきれなかったらしい。
「はい」
「そうですか……」
主人は言葉を止め、少し迷うようにハンナを見つめた。
「何か?」
ハンナが尋ねる。
「いや……実は、お願いがあるんです」
主人は困ったように頭をかいた。
「この宿、どうして客が少ないと思います?」
桜が首をかしげる。
「街道から離れてるから?」
「それもあります。でも、それだけじゃない。夜になると、魔物が出るんですよ」
宿屋の主人の答えに、桜の表情が変わった。
「魔物?」
「ええ。昔からネズミのような魔物が出ることはあったんですが、最近は、それだけじゃなくて……」
主人は食堂のほうへ目を向けた。
「人の姿をした、恐ろしい魔物まで出るという話まで出てきた」
「それで、お客さんが来なくなったんですね」
楓花が淡々と言う。どうも「魔物」という言葉にも、すっかり耐性ができたらしい。
「人の姿をした魔物というのは……死者のような姿をしたものですか? それとも、幽霊のようなものなのでしょうか?」
ハンナが、神官らしい神妙な面持ちで尋ねた。
「実は、人の姿をした魔物というのが、どういうものなのかはっきりしないんです。私自身は見たことがないんですが、何人もの宿泊客がそう言っていた。そこで霊媒師を呼んで追い払ってもらったんですが、まるで効果がない。夜になると、また人の姿をした魔物やネズミの魔物が現れるんです」
主人は小さく息を吐いた。
「さすがに、それじゃ泊まってくれる人もいなくなりまして」
「その霊媒師って、本物ですか?」
楓花が横から尋ねた。
主人は一瞬だけ楓花を見る。
だが、そこには答えず、ハンナへ向き直った。
「神官様。お願いできませんでしょうか」
主人の声に、今度は冗談めいたところがなかった。
「どうか、あの魔物を退治していただけないでしょうか」
ハンナは少し考えた。
そして、静かにうなずく。
「分かりました。放っておくわけにもいきませんから」
「ありがとうございます」
主人の顔に、ようやく安堵が浮かんだ。
少し間を置いてから、ためらうように口を開く。
「たぶん、今夜に出てくると思います。なんといいますか、うまく言えませんが……前触れのようなものを感じるんです」
―――その夜。
桜たちは食堂で夕食を取っていた。
歩き続けたあとの食事は、思っていた以上にありがたいものだった。桜は温かなスープを口に運みながら、ようやく一息ついていた。
食堂には、三人以外の客はいない。
「ほかに宿泊客はいないんだね」
「魔物が出るらしいからね」
楓花が答える。
これまでの経験から、たいていの魔物には慣れているつもりだった。少々のことなら対応できるはずだ。
もっとも、こうした経験を積み始めてから、まだ一週間も経っていない。
「油断はしないでくださいね」
ハンナが注意する。
その声に恐れはなかった。神官として、こうした事態に備える心構えはできているのだろう。
そのときだった。
料理を運んできた宿屋の主人が、三人のテーブルの横を通り過ぎた。
その瞬間、主人がハンナへ目配せする。
おそらく主人は、これまで何度も同じ夜を迎え、魔物が現れる気配や時間をある程度覚えていたのだろう。
すると、背後から何かが床を走る音がした。
「……ん?」
桜が振り返る。
だが、そのときにはもう遅かった。
主人の背後から、凶鼠が飛び出した。
その出現そのものは予想できても、どこから現れるのかまでは分からなかったらしい。
大きな身体。
ネズミに似ているとはいえ、普通のネズミとは比べものにならない。その顔も、どこか異形のものだった。
「うっ!」
主人がよろめく。
鋭い爪が腕を裂き、赤い血が流れた。
「危ない!」
桜が立ち上がる。
凶鼠は主人から離れると、食堂の中を素早く駆け回った。
その直後、厨房の奥からもう一匹が飛び出してくる。
「二匹……」
楓花が身構えた。
そして、そのさらに奥。
暗がりの中から、ゆっくりと人影が立ち上がった。
青白い肌に、生気のない目。
人の姿をしているのに、そこにあるのは人間のものとは思えない気配だった。
ボロボロに引き裂かれた服をまとい、前傾姿勢で長い腕をだらりと垂らしている。伸びた爪を持つ両手を前へ突き出し、口を大きく開いて、むき出しの歯と長い舌を覗かせていた。
不気味に笑っているようにも、飢えに苦しんでいるようにも見える表情で、魔物は桜たちを凝視している。
「これが言っていた、人の姿をした魔物ですね」
楓花が静かに言った。
「こういうのは、苦手だな」
桜は若干声をこわばらせながら、兵士の剣を構えた。左手にはうろこの盾。
まずは間合いを確保し、相手の出方をうかがう。
死体が動いている。
そう思わせるだけで、見る者をぞっとさせる姿だった。
人の姿をした魔物という前情報はあった。それでも、実際に目の前にすると、人間に似ているからこその気味の悪さがある。
姿形が近いぶんだけ、かえって異質さが際立っていた。
「……」
魔物が、おぞましく低い唸り声を上げた。
二匹の凶鼠も、左右から桜たちを囲むように動き始める。
連携が取れている。
一度や二度、人を襲っただけでは身につかない動きだった。
――こうやって、何度も人を脅かしてきたのだろうか。
桜は、ふと引っかかりを覚えた。
「ハンナさん、主人をお願いします!」
「分かりました」
ハンナは負傷した主人のそばへ駆け寄った。
「動かないでください。すぐに終わらせます」
「私の怪我はたいしたことありません。それよりも、神官様。魔物が……」
主人は、初めて目にする「人の姿をした魔物」に動転していた。
これまで宿泊客から聞かされていた恐怖。その正体が、いま目の前にいるのだ。
「大丈夫です」
ハンナは穏やかに答えた。
そして、傷ついた主人の腕へ手をかざした。
「――回復の呪文」
淡い光が傷口を包み込んだ。
裂けた皮膚がゆっくりと塞がり、流れていた血も止まっていく。主人は驚いたように自分の腕を見つめた。
その様子を、桜が一瞬だけ振り返る。
「……このネズミは、痛めつけるだけでいい?」
ハンナは桜の意図を察した。
「それでいいです。あとは何とかします」
「じゃあ、楓花。お願い」
「え……それは難しいです」
楓花は一瞬、何を求められているのか理解できなかったようだ。
そのとき、凶鼠が一匹、楓花へ向かって飛びかかった。
楓花は身を引く。
そして、すれ違いざまにルミナスナイフの柄を叩きつけた。
力任せではない。
狙いを定め、相手の勢いを利用して打ち返す。楓花には、こうした器用な戦い方も身についてきていた。
凶鼠が床へ叩きつけられる。
もう一匹は、桜の剣の腹で横から打ち払われていた。
「そこっ!」
魔物の身体が床を転がり、そのまま動かなくなる。
二匹の凶鼠が、ほぼ同時に戦闘不能となった。
桜と楓花の視線が、残った魔物へ向く。
屍食鬼は、一瞬だけ戸惑ったようだった。
だが、すぐにその身体を低くすると、桜へ襲いかかる。
伸びた右手が、桜へ迫った。
桜は剣で受け流す。
刃越しに、嫌な感触が伝わってきた。
まるで生きた人間の身体ではない。
ぞっとするような感触だったが、気にしていても仕方がない。
「……あとは任せてください」
治療を終えたハンナが、ゆっくりと立ち上がる。
一歩。
そして、もう一歩。
屍食鬼へ向かって進んでいく。
右手には鉄のメイス。
神官が持つには珍しく見える武器だったが、魔物と向き合う神官にとっては、決して珍しいものではないのだろう。
――屍食鬼が、たじろいだ。
鉄のメイスを恐れたわけではない。
目の前にいる女性が、神官であることに気づいたのだ。
ハンナは、そんな屍食鬼をまっすぐに見つめた。
「あなたがいるべき場所は、ここではありません」
静かな声だった。
ハンナが両手を胸の前で組む。
「――浄化の呪文」
しばしの間。
やがて、ハンナの身体から淡い光が広がっていく。
それは床を這うように、壁を伝うようにして、食堂いっぱいへと静かに広がっていった。
光に包まれた屍食鬼が、苦しそうに身体をよじる。
低い呻き声を上げながら、長い腕を振り回す。けれど、その動きにはもう力がない。
青白かった身体が、光の中で少しずつ透けていく。
まるで長いあいだ閉じ込められていた何かが、ようやく解放されていくようだった。
やがて、その身体そのものが光の中へ溶け込んでいく。
その一瞬、屍食鬼の表情が、ほんのわずかに変わった。
苦しみから解放されたようにも見えた。
あるいは、慈悲を受けたことへの感謝にも見えた。
それが本当だったのかどうか、桜には分からない。
ただ、そう見えた。
光はさらに広がった。
倒れていた二匹の凶鼠にも届く。
やがて、屍食鬼の姿は完全に消えた。
二匹の凶鼠がいた場所には、床へ落ちた小さな灰だけが残されている。
その灰も、しばらくすると跡形もなく消えていった。
食堂に、静けさが戻った。
「……終わりました」
ハンナが小さく息をつく。
「すごい」
桜が呟いた。
「これが神官の魔法……はじめて見た」
「神官だから使える、というものでもありませんけどね」
ハンナはそう言って、主人のほうを向き直った。
「サクラさんは、途中で気づいたかもしれませんけど……。この屍食鬼は、ただ人を脅かそうとしていただけで、人を殺そうとまでは思っていなかったようです」
主人は、まだ理解が追いつかない様子だった。
「どういう理由で、この宿屋に住み着いたのかは分かりません。ただ、人を脅かすことで、自分の存在を示していたのでしょう。まあ、凶鼠のほうも、いつの間にか、この屍食鬼に同調したということなのかもしれません」
「住み着かれたほうは、迷惑だね」
楓花が主人の気持ちを代弁する。
主人は苦笑するしかなかった。
「どこで気づいた?」
楓花が桜に尋ねた。
「最初から……と言いたいところだけど」
桜は少し考えてから答えた。
「もし、あんな化け物が本気で人を襲うなら、それこそ死人が出ていたはず」
ハンナも静かにうなずいた。
「そうですね。ただ、主人に怪我を負わせた以上、いつまでも同じではいられなかったでしょう」
ハンナは屍食鬼が消えた場所へ目を向けた。
「こうした魔物は、いずれは人と相容れなくなります。今日ここで浄化できたことは、よかったのだと思います」
――屍食鬼が今日ここで姿を現したのも、神官である自分が訪れたからなのかもしれない。
ハンナは、ふとそんなことを思った。
「ありがとうございます」
主人は深々と頭を下げた。




