8 石碑と石棺
【現在のステータス】
桜 LV 6(戦士)
E : 兵士の剣/ 風紋の胸あて/うろこの盾
楓花 LV 5(盗賊)
E : ルミナスナイフ / ぬののふく
【現在の場所】地上の古代遺跡
迷いの森の、その先に遺跡があった。森に隠されていたといっていいだろう。
それは、桜たちが一昨日、地下で見た古代遺跡とよく似た造りをしていた。
おそらく同じ時代に造られたものなのだろうが、似ているというだけで、同じ年代のものだと断定することはできない。もしかすると、地下にあったと思っていた古代神殿の一部が、長い年月のあいだに森へ呑み込まれ、その一部だけが地上に姿を現しているのかもしれない。
――ただ、それがどこまでを指しているのかまでは、桜にも分からなかった。
桜と楓花、そして妖精のルフェルンは、先ほどの二人――仮面の男とクロザールが消えていった神殿の入口へ向かった。
中へ入ると、外の森とは空気が変わった。
地上にあるはずなのに、窓がない。
壁は厚く、外からの光はどこにも届いていない。その代わり、一定の間隔で取り付けられた魔法灯が淡い光を放っている。それもまた、一昨日の地下遺跡と同じだった。壁や床を覆う、白い大理石のような素材も変わらない。
「地上なのに……まるで地下ですね」
楓花が小さく呟いた。
「うん」
桜も頷いた。
肩の上には、妖精のルフェルンが浮かんでいる。
けれど、この遺跡を目にしてからというもの、ルフェルンは妙に無口だった。いつもなら何かしら口を挟むはずなのに、今は何も言わない。
桜はそのことが少し引っかかったが、あえて尋ねようとはしなかった。そもそも桜自身、いま目の前にあるものを完全には理解できていない。
地上にある建物なら、窓があってもおかしくない。教会ならステンドグラスがあるし、普通の住まいなら外の光を取り込むための窓がある。たとえ牢獄であっても、通気窓の一つくらいはあるだろう。
ところが、ここにはそれらしいものが何もない。
外から差し込む光の代わりに、魔法灯だけが、長い年月を経た今も変わらず通路を照らしている。ここも地下の古代遺跡と同じである。
それでも、地下にあった古代遺跡とは、どこか違っていた。
地下の遺跡には、長いあいだ閉ざされていた空間特有の重さがあった。地中深くに閉じ込められているような、息苦しさにも似た感覚である。
ここには、それとは別の静けさがあった。
人の気配がない。
――まあ、地下のときも、そうではあったが。
地上にありながら、祈る者も、世話をする者も、もう長いことここへ来ていないのだろう。家具も祭具もなく、石の屋根と壁と柱、そして床だけが残されている。それでも魔法灯だけは、何事もなかったかのように灯っていた。
二人は、先行しているはずの二人の男を警戒しながら、通路を進んだ。
まだ引き返すという選択肢も、二人の頭の中にはあったはずだった。けれど、いつの間にかその選択肢はどこかに置き忘れてしまったかのように、二人の足は前へ向かっていた。
途中にはいくつかの部屋があったが、どこも空だった。
壁際に石の台座だけが置かれている場所もある。だが、机や椅子といったものは痕跡さえなく、そこに何が置かれていたのかを示すものも残されていない。
この遺跡は、人が使っていた場所なのか。それとも、何かを祀っていた場所なのか。
長い年月の中で、その役目も、そこにあったものも、すべて失われてしまったのだろう。今となっては、それすら分からなかった。
やがて通路の先に、先ほどの二人の姿が見えた。
桜と楓花は歩みを止め、壁の陰へ身を隠した。
その先は、少し開けた大きな空間になっている。
中央には、一枚の大きな石碑が立っていた。
礼拝堂とは違って、長椅子もなければ、正面にあってもよさそうな女神像もない。ただ、長い年月を経たことが一目で分かる石碑だけが、広い空間の中に静かに立っている。
横に幅広く、高さは人の背丈ほどもあった。
「……なんの石碑?」
桜が小さく呟いた。
その石碑の前には、仮面の男とクロザールが立っていた。
二人の足元には、一基の石棺が置かれている。
仮面の男は、まずそれに目を向けた。
二十歳。黒い外套を身にまとい、すらりとした長身に、無駄のない引き締まった体つきをしている。白い仮面の下に隠された顔立ちは端正で、わずかに赤みを帯びた金髪が、その輪郭に沿って静かに流れていた。
立っているだけでもどこか近寄りがたい雰囲気を漂わせていたが、その佇まいには威圧するような力みはなく、ただ周囲を冷静に見据える者だけが持つ、静かな緊張感があった。
その白い仮面の奥から、鋭い視線が石棺の隅々まで走る。
大人を納めるには明らかに小さく、おそらくは子どものためのものだろう。石の表面には長い年月による風化の跡が刻まれているものの、形そのものはよく残っていた。
そして、蓋は開いている。
中には、何もない。
墓荒らしに遭ったのか。遺体が別の場所へ移されたのか。それとも、最初から遺体を納めるためのものではなかったのか。考えられる可能性はいくつもある。
だが、仮面の男が気になったのは、そのどれでもなかった。
蓋が壊されていない。
石棺そのものにも、乱暴に開けられた痕跡はない。それなのに、中だけが空になっている。
誰かが蓋を開け、そこにあったものだけを取り出した――そう考えると、不思議なほど辻褄が合った。
では、何のために。
その疑問を残したまま、仮面の男は視線を上げた。
石碑には、見慣れない文字が刻まれていた。
ひとくくりに古代文字と呼ぶことはできる。だが、彼がこれまで目にしてきたものより、さらに古い部類に属するように思えた。
何かの姿を写し取ったような記号にも見える。しかし、それすら確かなことではない。
長い年月にさらされた文字はあちこちが崩れ、線だけを残して欠けているものもあれば、刻まれていたことさえ分からなくなっている箇所もある。
これでは文章を読むというより、失われた文章の断片を拾い集めるようなものだった。
「読めるんですか?」
クロザールが尋ねた。
仮面の男はすぐには答えず、石碑の表面を目で追った。
「……読める、とは言えんな」
「へえ。さすがの旦那でも?」
「私を何だと思っている」
「この国の、どの学者たちよりも、この手のものに詳しいかと」
「ずいぶん買いかぶられたものだ」
「私がこれまでお会いした中で、旦那ほど文武に秀でたお方はおりませんから」
そう言って、クロザールは笑った。
人を食ったような笑みだった。
悪意があるというより、問いを冗談にして返し、話の主導権を渡さないつもりらしい。
仮面の男は、そんなクロザールを一瞥した。
この男は、こちらが何を探ろうとしているのかを分かっている。
ならば、急ぐこともない。
仮面の男は再び石碑へ目を戻し、風化した文字を一つずつ追っていった。
そして、ある箇所で視線が止まる。
「……ユディス」
クロザールの笑みが、ほんのわずかに止まった。
「ユディス?」
「ああ。名前らしきものが、かろうじて残っている」
仮面の男は、その部分を指で示した。
ユディス。
裁きの神の名である。
創世の女神クレアが生み出した世界に秩序をもたらした六柱の神のひとつ。戦いの神ベルム、知識の神サピア、豊穣の神フェリア、調和の神コルダ、生命の神ヴィータ――そして、裁きの神ユディス。
もっとも、この名がここで神を指しているとは限らない。同じ名を持つ人間だった可能性もある。そもそも、残された文字が本当にユディスを意味するのかさえ、完全には断定できない。
「……光のつるぎ……闇のつるぎ……」
これも断続的ではあるが、かろうじて名詞だけを読み取ることができた。
しかし、そのあとが続かない。
文字の並び、欠けた箇所、その周囲に残された線。
今は意味を持たないものでも、後になって別の文献と照らし合わせれば、何かにつながることがある。
しばらくして、仮面の男は石碑から一歩離れた。
「読み取れないが、文字の並びだけは覚えておこう」
「さすが旦那」
クロザールの声には、わずかに満足げな響きがあった。
仮面の男は、その顔を見た。
「ずいぶん嬉しそうだな」
「そう見えますか?」
「見える」
「何も分からないまま帰るより、ユディスという、ひとつでも名前が拾えたほうがいいでしょう。光のつるぎや闇のつるぎも出てきたのですから」
「それはそうだな。だが、拾えたのは、神や剣の名の部分だけだ」
仮面の男は石碑を見上げた。
「だが、そんなことより、おぬしがそれで満足しているのが、どうも引っかかる」
「いやあ、旦那は疑り深い」
クロザールは笑ったままだった。
仮面の男は、その笑みをしばらく見ていたが、やがて別の問いを口にした。
「ところで、その闇のつるぎはどこにある?」
「さあ。もう少し探してみませんと」
「先ほどの大きな石の扉も開かなかった。地下で見たものもそうだったな」
「なにしろ古い扉ですから」
「おまえは、あの先に何かあるような口ぶりだった。まるで扉が開かないことを知っていたようにも聞こえたが」
クロザールが眉を上げる。
「私が、そんなことを言いましたか?」
「言葉にはしていない」
「では、旦那の勘違いかもしれませんね」
「かもしれんな」
仮面の男は淡々と答えた。
「だが、初めから、おまえが何かを隠していることくらいは分かっていた。もともと、ここへ来た目的は闇のつるぎではないのだろう」
「おやおや」
クロザールは、困ったような顔をつくった。
「それはまた、ずいぶんと決めつけられましたね」
「だからといって、詮索するつもりもなかった。私とて、すべてを話しているわけではない。利用できるものは利用する。それでいい。お互い、その程度のことは承知しているはずだ」
「いやあ、旦那は話が早くて助かります」
認めたわけではない。
否定したわけでもない。
ただ、笑ってかわした。
「だが、ここまで来ると気になる」
「何がでしょう?」
「この遺跡を見つけることが目的だったのか。それで、私を道案内に使ったのか」
「人聞きの悪い」
「では、石碑か」
仮面の男は、足元の石棺へ目を向けた。
「それとも、あの棺か」
クロザールの視線が、ほんの一瞬だけ石棺へ移った。
仮面の男は、それを見逃さなかった。
「それだけでなく、あるいは、私が光のつるぎを抜けないと分かってから、目的を変えたのかもしれんな」
今度は、クロザールから答えが返ってくるまでに、わずかな間があった。
「……旦那は、ずいぶん面白いことを考えますね」
「否定はしないのか」
「さて。何を否定すればよいのやら」
その返しに、仮面の男は黙ってクロザールを見た。
やはり、この男は簡単には尻尾を出さない。
「まあ、いい」
「おや、もうよろしいので?」
「ここで問い詰めても、それが本当かどうか確かめる術はない。拷問など、そもそも私の性に合わん……それに、ここまでたどり着けたのは、おまえのおかげでもある。そこは素直に謝意を述べよう」
「それは助かります」
「ただし、私の邪魔をするなら、その礼もすぐに忘れる。あとは排除するのみだ」
クロザールは、いつものように笑った。
「怖いことをおっしゃる」
「冗談ではない」
低く落ちた声に、先ほどまでの軽さはなかった。
「こういう冗談は、私は好まない」
クロザールの笑みが、ほんの少しだけ薄くなる。
「……覚えておきましょう」
そう答えると、何事もなかったように、またいつもの表情へ戻った。
仮面の男は、それ以上追及しなかった。
「ひとつ、おまえの知らないことを教えておこう」
「ほう?」
「私は、ここから闇のつるぎが納められている場所へ通じる隠し通路を知っている」
クロザールの眉が、わずかに上がった。
「それはまた……」
「これに関する文献を持っているのは、おまえだけではない」
「さすがでございます、旦那」
仮面の男は、その言葉を聞き流した。
そして大広間を出る前に、もう一度だけ石棺へ目を向ける。
どうにも気になる。
子どものためと思われる小さな棺。開いた蓋。そして、そこにあるべきものだけがない。
この神殿そのものが森に忘れ去られているというのに、石碑の前には、それだけが残されている。
単なる墓なのか。それとも、この場所に置かれたこと自体に意味があるのか。答えはない。
だが、意味のないものを、仮面の男は簡単には信用しなかった。石碑の文字と同じように、この棺のことも覚えておく。いつか、別の何かと結びつくかもしれない。
そう胸の内に留めると、仮面の男は石棺から目を離した。
……仮面の男とクロザールは、大広間を後にした。
二人が向かった先は、桜たちが身を潜めている場所とは反対側だった。それは、彼女たちにとって幸いなことだった。




