6 足跡
【現在のステータス】
桜 LV 5(戦士)
E : 兵士の剣/ 風紋の胸あて/うろこの盾
楓花 LV 4(盗賊)
E : ルミナスナイフ / ぬののふく
【現在の場所】迷いの森
迷いの森――。
仮面の男と、その付き人――クロザールの二人の姿が木々の向こうへ消えてしまうまで、桜と楓花はしばらく身を隠したまま動かなかった。
やがて森に再び静けさが戻ると、桜はそっと木の陰から出て、地面に倒れている追い剥ぎの男へ目を向けた。
男は仮面の男に腕を取られ、そのまま地面へ叩き伏せられてから、まだ目を覚ましていない。
「……大丈夫かな」
桜がしゃがみ込んで顔を覗き込むと、楓花も隣から男の様子を確かめた。
「ただ、気絶しているだけです」
「そっか」
桜は少し安心したように息をついたものの、そのまま男を置いていく気にはなれなかった。
ここは人の住む場所から遠く離れた迷いの森であり、あたりには先ほどの人面樹のような魔物もいる。こんなところで気を失ったままなら、次に襲ってくるのが人間とは限らない。
「このまま寝かせておいたら、魔物とか獣に襲われるかもしれないね」
「そうですね」
「じゃあ、起こそっか」
桜は男の肩を軽く揺すった。
「ねぇ、起きて。こんなところで寝てたら危ないよ」
男はしばらく呻き声を漏らしただけだったが、やがて顔をしかめ、ゆっくりと目を開けた。
「……う……」
焦点の定まらない目で桜を見上げ、それから楓花へ視線を移す。自分がどうして地面に倒れているのかを思い出したらしく、男の顔からみるみる血の気が引いていった。
「……あ……」
桜は男の腰にある三日月刀へ一度だけ目を向けたが、すぐに視線を戻した。
「あなたが盗んだもの、返してもらえる?」
男は何も言わず、しばらく桜を見つめていたが、やがて観念したように服の内側へ手を入れた。
取り出されたのは、小さな布袋だった。
楓花がそれを受け取り、中を確かめる。
そこには、いくつかの飾りや銀貨と、そして青いサファイアのついたペンダントが入っていた。
「これですね」
「うん。たぶん間違いないね」
桜はペンダントを見つめ、それから男へ向き直った。
「じゃあ、私たちは行くね。もう、こういうことはしないでね」
男はしばらく黙っていたが、やがて俯いたまま、小さな声で答えた。
「ごめんなさい」
その声には、先ほどまでの荒々しさは残っていなかった。
桜は少しだけ目を丸くしたものの、やがて柔らかく笑った。
「うん」
それだけ言うと、桜と楓花は男をその場に残して歩き出した。
楓花が帰り道の目印として残しておいた布を頼りに、二人は来た道を戻っていく。行きとは逆に、上へ上へと曲がりくねった道を登っていった。
森は相変わらず木々が密集し、同じような景色がどこまでも続いているように見えたが、楓花が木の枝や幹に残した小さな目印が、迷いそうになる二人を正しい方向へ導いてくれた。
――しばらく歩いたところで、地面の落ち葉が大きく動いた。
「……あ」
桜が足を止める。
落ち葉の下から這い出してきたのは、赤黒い甲殻に覆われた巨大な蟻だった。すぐ後ろから、もう一匹が姿を現す。
「たしか……」
桜は一瞬、名前が出てこなかった。
「……軍隊蟻だ」
二匹の軍隊蟻は、こちらを敵と認めたらしく、大きな顎を開いて迫ってくる。
桜が剣を抜き、楓花も短剣を構えた。
二人にとっては、もはや、さきほどの人面樹ほどの脅威ではない。
まだ実戦経験は多くないが、地下の古代遺跡では石巨人さえ倒している。――あのときは、カメリアとひまわりも一緒だったが。
桜が前へ出て一匹を引きつけ、その隙に楓花がもう一匹へ回り込む。兵士の剣とルミナスナイフ、それぞれの武器をうまく使い分けながら攻撃を重ねるうちに、二人の動きには少しずつ実戦らしい連携が生まれていた。
学校でも、二人の息の合った連携はちょっとした話題になったものだ。
やがて、二匹の軍隊蟻は動かなくなり、その身体は崩れるように消えていった。
「もう大丈夫」
桜が剣を収めた、そのときだった。
肩の上から、妙に緊張した声が降ってきた。
「……桜」
「ん?」
「もう、あれはおらぬか?」
桜が肩へ目を向ける。
そこには、いつものように妖精のルフェルンが浮かんでいた。
ただし、さきほどまで得意そうに胸を張っていた姿とは違い、身体を桜の髪の陰へ隠すようにしている。
「蟻の化け物のこと?」
「うむ。もういないのじゃな?」
「うん。二匹とも倒したよ」
「そうか」
ルフェルンは安心したように姿を現した。
「別に怖かったわけではないぞ。わしは虫など恐れておらぬ」
「ふーん」
「ただ、ああいうものは見るのも嫌なのだ」
「それ、苦手っていうんじゃない?」
「違う」
即答だった。
桜が笑いながら歩き出す。
「まあ、いいと思うけど?」
「よくない。そこは納得するところではないぞ」
そんなやり取りを交わしながら、二人と一匹は再び森の中を進んでいった。
その様子を、楓花は少し不思議そうに見つめるしかなかった。もちろん、楓花には妖精のルフェルンの姿も声も見えてはいない。
ところが、それからさほど経たないうちに、今度は倒木の陰から、ぞろりと長い身体が這い出してきた。
何十本もの脚をうごめかせながら現れたのは、大百足だった。人と同じくらいの大きさがある。
これは、さすがに桜も直視できない。恐怖もあったが、それ以上に、その生理的な気持ち悪さがこたえる。平静を装っているだけで精一杯だった。
――一方、楓花はというと、意外にも冷静だった。その節足動物特有の動きを、まるで珍しいものでも見るように観察している。
「……あ」
桜が声を漏らすより早く、肩の上でルフェルンが飛び上がった。
「ひっ――!」
「……ルフェルン?」
「い、今のは違うぞ!」
「まだ何も言ってないよ」
「わしは驚いただけじゃ!」
「うんうん」
桜は笑いをこらえながら剣を構えた。こうしたやり取りが、今の桜にとっては正気を保つための支えになっている気がした。
「じゃあ、ちょっと待っててね」
「うむ! 早くしてくれ!」
今度はずいぶん素直だった。
大百足が地面を這うように迫ってくる。
桜がその動きを正面から受け止める一方、楓花は横へ回り込み、短剣を構えた。
どうやら楓花は、すでにその動きから急所を見定めていたらしい。
短剣が頭部近くの節の継ぎ目へ深く突き込まれると、大百足は身体を大きくよじらせ、そのまま地面へ崩れ落ちた。
「もう大丈夫」
桜がそう言うと、ルフェルンは恐る恐る倒れたムカデの化け物を見下ろした。
「……本当に動かぬか?」
「動かないよ」
「そうか……」
それでもしばらく桜の肩へ戻ろうとはせず、少し離れたところを飛んでいる。
「ルフェルン、そこにいたら迷子になるよ」
「……それなら仕方ない」
ようやく桜の肩へ戻ってきた。
ほどなくして、大百足は煙のように消えていった。
「まったく、こういう森というところは虫の化け物が多すぎて困るのう」
「まあ、迷いの森といわれるくらいだからね。迷うのは道だけじゃないみたい」
「それはそうじゃが……」
やがて、楓花が残していた目印の数も少なくなり、木々の間から見覚えのある小屋が見えてきた。
「あそこね」
桜の声に、楓花も頷く。
老人と娘が待っている小屋だった。
二人が近づくと、老人がこちらに気づき、娘も小屋から出てきた。
金髪の眼鏡の娘は、楓花の姿を確認すると、安堵したように表情を緩める。
「おお……!」
老人の顔にも、同じような安堵が浮かんだ。
「無事だったか」
「はい」
楓花が答えると、桜は手にしていたペンダントを取り出した。
「これ、取り戻してきたよ」
老人の目が大きく開かれた。
「おお……それは……」
震える手で差し出されたペンダントを受け取ると、老人はしばらく何も言わず、それを両手で包み込んだ。
「……妻の形見を取り戻してくれてありがとう」
小さな声だった。
「もう戻ってこないものと、半ば諦めておった」
「よかったね」
桜が微笑む。
老人は何度も頭を下げた。
「本当にありがとう。なんと礼を言えばよいか……」
「そんな、大丈夫だよ」
「いや、そういうわけにはいかん」
娘も横から頷いた。
「ほんとうに、ありがとうございました」
老人はそう言って小屋の中へ戻ると、ほどなくして小さな包みを二つ手にして戻ってきた。
「たいしたものではないが、受け取ってくだされ」
「え、でも……」
桜が戸惑うと、老人は笑った。
「命を助けてもらったうえ、大切なものまで取り戻してもらったんじゃ。これくらいは受け取ってもらわんとな」
「ありがとうございます」
楓花が包みを受け取る。
桜も少し申し訳なさそうにしながら、もう一つを受け取った。
「そんな、いいのに」
二人は老人と娘に別れを告げると、森へ戻ろうと小屋を離れた。
ところが、数歩進んだところで、桜がふと足を止めた。
「……あれ?」
隣を見る。
「楓花?」
さきほどまでそこにいたはずの楓花の姿がない。
「どこ行ったのだろ?」
返事はなかった。
桜が小屋の周囲を見回し、それから足元へ目を落とす。
柔らかな土の上に、まだ乾ききっていない新しい足跡が残っていた。
一人分ではない。
二人分の足跡が、小屋の前から森の奥へ続いている。
桜はしゃがみ込み、その跡をじっと見つめた。
「……これ」
つい先ほど、誰かがここを通ったばかりの足跡だった。
しかも、その方向は、桜たちが戻ってきた道とは異なっている。
桜が立ち上がる。
「おじいさん」
「なんじゃ?」
「さっき、ここに誰か来なかった?」
娘が答えた。
「男の人が一人、訪ねてきました」
「男?」
「はい。木彫りの像がないか、と聞かれました。生命の神ヴィータの像だそうです」
楓花の表情が変わった。
「……ヴィータの像?」
「ええ。大事にしていたものを、ここへ忘れてきたと言っていました」
娘は小屋の中を振り返った。
「それで、これのことかと思って」
指さした先にあったはずの木彫りの像は、もうそこにはない。
「あの人に渡したんです」
「渡した……?」
桜が訊き返す。
「はい。『ああ、それです』と。そう言って、すぐに持っていきました」
娘はそこで少し首を傾げた。
「大事なものだと言っていたのに、ずいぶん乱暴な扱いでしたけど……」
楓花は何も言わなかった。
あの男が誰なのかは、もう分かっている。
クロザール。
先ほど森の奥で、仮面の男とともにいた男だ。
「仮面の男は?」
楓花が尋ねる。
「もう一人、男がいませんでしたか?」
「小屋の外にいたのかもしれません。そこまでは気づきませんでした」
「わかりました。ありがとうございます」
楓花はそう言って頭を下げた。
桜が隣から尋ねる。
「楓花……?」
楓花はすぐには答えなかった。
たしか、先ほど仮面の男とクロザールが行き止まりで古びた地図を広げていた。
そのとき、何かを探すような話をしていたことは覚えている。
会話のすべてが聞こえたわけではない。けれど、その中で「ヴィータの像」という言葉だけは、なぜか楓花の耳に残っていた。
そして今、その像は二人の手に渡っている。
桜の肩の上で、黙って話を聞いていたルフェルンが、ぽつりと口を開いた。
「……あの男たちは、あそこで、そのヴィータの像を使って何かをするつもりなのじゃろう」
桜が肩越しに見る。
「やっぱり?」
「おそらくのう」
もちろん、楓花にはルフェルンの声は聞こえていない。
それでも楓花は、しばらく森の奥を見つめていた。
仮面の男たちが何をしようとしているのか。
ヴィータの像に、どんな意味があるのか。
危険かどうかを考えるより先に、そのことのほうが気になった。
やがて楓花は、森の奥へ続く二人分の足跡へ目を向ける。
「……少し、様子を見てみましょうか」
桜が目を丸くした。
「追いかけるの?」
「追跡というほどではありません」
楓花は淡々と答えた。
「少し離れて、何をするのか見てみるだけです。もし見つかったら、そのときは森の中に隠れて逃げればいい」
仮面の男への警戒が消えたわけではない。
ただ、それ以上に、あのヴィータの像が何のために必要なのかという疑問が、楓花の中で大きくなっていた。
それは、見たことのない武器や道具を前にしたときや、歯車やテコの動きを確かめようとするときに見せる、いつもの好奇心に近いものだった。
危険かもしれない。
そう分かっていても、その仕組みを確かめてみたいという気持ちのほうが、少しだけ勝っていた。
「なるほどね」
桜は森の奥へ目を向け、それから楓花を見る。
「じゃあ、ちょっとだけ見に行ってみようか」
「はい」
二人は顔を見合わせると、木々の間へ消えていった足跡を追うように、森の奥へ歩き出した。




