3 追い剥ぎ
【現在のステータス】
楓花 LV 3(盗賊)
E : ルミナスナイフ / ぬののふく
【現在の場所】????
――気がついたとき、楓花は見知らぬ場所にいた。
背中に伝わるのは、冷たく湿った石の感触だった。目を開けても周囲は暗く、鼻をつくのは土と古い木の匂いである。
「……ここ、どこ?」
声に出してみても、返事はない。
楓花は懐から、使い慣れたフエゴ製のランタンを取り出した。
火を灯すと、ぼんやりとした明かりが周囲を照らし出し、狭い石造りの地下室が浮かび上がる。
壁際には古びた棚があり、床にはいくつかの木箱が残されていた。中身は空になっているものが多く、棚の隅には古い布や壊れた籠まで置かれている。
楓花は眼鏡を指で押し上げ、ランタンを少し高く掲げた。
明かりの届く範囲を一つずつ確かめるように、琥珀色の瞳が室内を追っていく。
「桜? カメリア? ひまわり?」
呼びかけても、返事はない。
自分以外は誰もいなかった。
楓花はランタンを片手に持ったまま、少しのあいだ考えた。
――そうだ。
自分は、クヴェル村のはじまりの神殿にいたはずだ。
王女リディアの国王継承の儀が行われている最中、祭壇の間へ、洞窟で出会った仮面の男と行動をともにしていた男が一人現れた。男は小さな箱を取り出したかと思うと、それが爆発した。その後、楓花はその箱に、まだ何かあることに気づいて近づいた。そこまでは、はっきり覚えている。
そのあとだった。
床一面に古びた紋様が浮かび上がり、淡い光が足元から広がっていった。その前後の順序までは見届けたわけではないが、ひまわりも、カメリアも、イリスも、神官たちも、その光に包まれるようにして次々と姿を消していった。
――桜は?
そう思ったとき、自分の身体にも光が触れた。
だが、楓花の場合だけ、そこで一度、光が止まった。
ほんのわずかな時間だった。身体を包みかけた光が、まるで何かをためらうように、その動きを止めたのである。
あれが何だったのか、楓花には分からない。
分からないまま、次の瞬間には自分も光の中へ消えていた。
そして、ここにいる。
楓花はランタンを少し高く掲げ、もう一度、周囲を見回した。
少なくとも、ここがはじまりの神殿ではない。それだけは間違いない。
――瞬間移動?
そう考えてみたものの、確信はなかった。
魔法について、それほど深い知識を持っているわけではない。それでも、瞬間移動が高度な魔法に属することくらいは知っている。だが、それが分かったところで、今の楓花には何の手掛かりにもならない。
それよりも気になるのは、この場所だった。
窓はなく、外からの光も入ってこない。冷えた石壁にはわずかに湿気があり、土の匂いもする。どうやら地下に造られた部屋らしい。
しかし、古代の秘密施設や、何かを封じるための場所という感じではなかった。壁にも床にも特別な紋様はなく、置かれているのも古びた生活用品ばかりである。
おそらく、使われなくなった物置だろう。
街道沿いには、旅人が雨を避けたり、荷物を置いたりするための小さな祠や休憩所が設けられることがある。ここも、以前はその類いの場所だったのかもしれない。
楓花はランタンを掲げて壁を照らし、部屋の隅に立てかけられた梯子を見つけた。
低い位置でまとめた黒髪が、その動きに合わせて背中で揺れる。
「出口か」
自分を落ち着かせるように呟いてから、楓花は梯子へ向かった。
梯子を上り、頭上を覆っている木の蓋を押し上げる。
外から差し込んできた光に目を細めながら、楓花は地上へ出た。
――そこは、小さな祠だった。
一人が立てば、それだけでほとんどいっぱいになってしまうような、簡素な石造りの祠である。中央には、生命の神ヴィータをかたどった石像が置かれていた。
その先には、平原を通る街道が見える。街道は、すぐ向こうにある深い森へと延びていた。
日も、やや傾きかけている。
楓花には、この場所に見覚えがあった。
何度か通ったことがある。しかも今日の朝――あまりに多くのことが起こり、場所まで変わってしまったせいで、今日のことなのかどうかさえ少し自信がないのだが――この街道を通って、四人で馬車に乗り、ブルーメンの町からクヴェル村へ向かったはずだった。
――そのときだった。
「金目のものを出せ」
不意に、少し離れたところから男の声が聞こえた。
楓花が振り向くと、街道の脇で一人の男が二人の旅人を脅していた。眼鏡をかけた金髪の女性と、その父親らしい老人である。
「な、なにもありません」
女性は怯えた声で答えた。
「嘘をつけ。なにも持っていないわけないだろう」
男は吐き捨てるように言った。
手には見慣れない形の剣を握っている。刃は大きく湾曲した片刃で、三日月刀と呼ばれる種類のものだった。
いつもの楓花なら、その形状や構造に興味を覚えただろう。だが、今はそんな場合ではない。
やがて、男の視線が老人の胸元で止まった。
首から下げられた青い石のペンダントが、傾きかけた陽の光を受けている。
「あるじゃないか。よこせ」
男は老人の胸元から、乱暴にペンダントを引きちぎった。
「やめてください!」
女性が父親を庇おうとしたが、男に突き飛ばされ、地面へ倒れた。
そこでようやく、男は楓花の存在に気づいた。
「……! どこから来た?」
誰もいないと思っていた場所から、突然、小柄な少女が現れたのだから、驚くのも無理はない。
しかし、それも一瞬だった。
相手が十五歳ほどの少女だと分かると、男は警戒を解いたようだった。
そのとき、街道の向こうから馬車の近づいてくる音が聞こえた。
男は振り返る。
このまま街道を逃げれば、乗客や御者に姿を見られる。兵士が乗っている可能性もある。
男は迷うことなく、南へ続く道へ走り出した。
――迷いの森の方向だ。
「妻の形見を返せ……」
老人の声が聞こえた。
あまりに弱々しく、男の耳には届かなかっただろう。
楓花は倒れている女性へ近づき、手を貸して起こした。
それから老人を見ると、ペンダントの消えた胸元を押さえている。
金額の問題ではないらしい。
妻の形見。
それだけで、楓花には十分だった。
「あれって、大事なものですよね」
老人が顔を上げる。
「……ああ」
「分かりました。取り返してきます」
楓花はそう言って、男が逃げた森へ向かった。
そのとき、一台の馬車が街道を通り過ぎていった。楓花が知る由もないが、乗っていた老夫婦は、街道から森へ入っていく楓花の姿を不思議そうに眺めていた。
しばらく歩くと、森へ入る手前に、小さな小川が現れた。その上には、古びた木の橋が一本架かっている。
――この先が、修行者立入地。
迷いの森とも呼ばれる場所だった。
子供のころ、楓花は父親に連れられて一度だけ、この森へ入ったことがある。まだ父が漁師になる前のことだった。父は昔からいろいろな仕事を試していて、そのころは木こりをしていた。
仕事を覚えるためだったのか、単に本人がやってみたかっただけなのか、今となってはよく分からない。ただ、森の中を歩いたことだけは覚えている。
何年も前のことだから、道筋まではっきりしていない。それでも、ところどころに残る景色には見覚えがあった。それを頼りにすれば、少なくとも大きく道を外れることはないだろう。
けれど、木々は当時よりも大きくなり、道もずいぶん複雑になっているように感じた。
追い剥ぎの男は、ここをどう進んでいったのだろう。どこかに身を潜めているのか、それとも、奥へ奥へと逃げたのか。
そんなことを考えながら歩いていると、背後から女性の声がした。
「待ってください!」
振り返ると、先ほどの女性が老人を連れて追ってきていた。
「そんなのは悪い。わたしたちも、いけるところまでいく」
楓花は二人を見た。
「……そちらのお父さんもですか」
老人は息を切らしながら答えた。
「妻の形見なんだ」
それだけだった。
楓花は老人の足元へ目をやった。歩くことが楽ではないのは明らかだったが、それでも戻るつもりはなさそうだった。
無理に残していっても、この老人は納得しないだろう。
「では、無理はしないでください」
そう言って、楓花は歩く速度を少し落とした。
「迷いの森」というだけあって、その森は深かった。木々が生い茂り、その間を曲がりくねった狭い道が続いている。斜面を下ったかと思えば、しばらくしてまた登りになる場所もあり、老人の足にはかなり堪えるだろう。
楓花は歩きながら、ときどき後ろを振り返った。
女性は父親を支えながら、それでも懸命についてきている。
魔物や獣に出会わなかったのは、幸運だったのかもしれない。
そうして三人は、森の奥へ、奥へと進んでいった。
やがて日が傾く。
男の姿は、まだ見つからない。
このまま暗くなれば、老人を連れて森を戻るほうが危険だった。追い剥ぎを探すどころか、自分たちまで道を失いかねない。
そんなとき、森の奥に小さな小屋が見えてきた。
修行者が一夜を過ごすための小屋らしい。
楓花も、子供のころに父と一緒に、ここで雨宿りをしたことがある。
記憶は曖昧だったが、小屋を見れば思い出せる程度には残っていた。
古びた木造の小屋で、決して立派とはいえない。それでも雨露をしのぎ、横になって休むには十分だった。
入口には小さな水場があり、小屋の中には簡素な寝床や机が置かれている。
そして、その一角に木彫りの像があった。
手で持てるほどの大きさだった。けれど、粗末な置物という感じではない。年月を経た木の色や表面の艶からも、長く大切にされてきたことがうかがえた。
生命の神ヴィータの像だった。
両目には、黒真珠のように輝く石が埋め込まれている。素朴な木彫りの像には不思議なほどよく映え、それが妙に印象に残った。
楓花は、しばらくそれを眺めた。
「そういえば、ヴィータ。はじまりの神殿も、さきほどの小さな祠でも祀っていた」
風の国ルフトでは、もともとヴィータの信仰が厚い。ここにヴィータ像があること自体は、少しも不思議ではない。修行僧もこの像に祈りを捧げたのだろう。
ふと、地下の古代神殿にあった礼拝堂を思い出した。
あそこに置かれていたのは、創世の女神クレアの像だった。
クレアを祀る神殿もまた珍しくない。それだけで特別な意味があるとは限らない。
それなのに――。
「……なんだろう」
何かが引っかかる。
楓花はもう一度、ヴィータの像を見た。
だが、今はその理由を考えている場合ではなかった。
夜になり、老人はとうとう歩けなくなった。これ以上進めば森の中で迷う可能性が高く、この暗さでは追い剥ぎを探すどころではない。
そう判断して、三人はその小屋で一夜を明かした。
――そして翌朝。
老人には昨日の疲れがまだ残っていた。立ち上がることはできても、森の中を歩き続けるのは難しそうだった。
「ここで休んでいたほうがいいと思います。私が一人で探してきます」
楓花がそう言うと、女性は首を横に振った。
「これ以上、あなたに迷惑をかけるわけにはいきません。私たちはここから戻ります。あなたも一緒に戻りましょう。これ以上は危険ですから」
老人も黙って娘の言葉を聞いていた。
楓花は二人を見た。
老人は明らかに疲れている。それでも、妻の形見であるペンダントを取り戻すことを諦めた様子はなかった。娘も、そんな父親を置いてはいけないのだろう。
ならば、自分が行けばいい。
「大丈夫、心配ないですよ」
そう言って、楓花は親子を残し、一人で小屋をあとにした。
逃げた追い剥ぎの男を追って――。
森の奥には、まだ朝の薄暗さが残っていた。




