13 新たな旅路
【現在のステータス】
桜 LV 4(戦士)
E : 兵士の剣/ かわのふく/うろこの盾
【現在の場所】ブルーメンの町
ブルーメンの町は、夜になっても人の往来が絶えなかった。
昼間ほどではないものの、通りにはまだ商人や旅人の姿があり、店先からは明かりが漏れている。食事を終えて宿へ戻る者、これから酒場へ向かう者、夜になってから荷を運ぶ商人――さまざまな人々が行き交っていた。
桜は、そんな通りを歩きながら、先ほどの衛兵の詰所を後にした。
その肩に、今は妖精ルフェルンの姿はない。
気まぐれなのだろうか。自分の好奇心に合わせて、ふいに現れてくるようだ。また、どこかで顔を出すのだろう。
――いったい、どんなタイミングで出てくるんだろう。今度、本人に聞いてみようかな。
桜は、そんなことを少し可笑しく思いながら歩いていた。
向かった先は、昼間にも訪れた錬金工房だった。
そう。
昼にこの錬金工房へ、風鳴り草と銀砂、そして若葉のよろいを預けたところだ。
「ほら、できたよ」
工房の職人が、作業台の上に置かれた胸あてを手に取った。
「風紋の胸あてだ。元のよろいに、銀砂を織り交ぜることで、錆びにくい鉄に変化しているから、見た目以上に丈夫だ。それでいて、余分な重さを落としてある。鉄のよろいほど重くはないし、皮のよろいよりはしっかりしている」
職人は胸あての表面を指でなぞった。
「それから、この紋様だ」
風が流れるような細かな模様が、胸あての表面に刻まれている。
「風鳴り草の性質を引き出して、鉄に定着させたんだ。単なる飾りじゃない。素材同士の反応を安定させるための術式でもあるのさ。まあ、見た目にも悪くないだろう?」
「これが、風紋の胸あて?」
「ああ」
桜が受け取って、じっくりと眺める。
若葉のよろいを元に作り直されたそれは、以前の装備よりも軽く、身体に馴染みやすそうだった。
表面には、風が流れるような細かな紋様が刻まれている。
鉄のよろいほどの防御力はない。
けれど、この職人が言っているように、普通の皮のよろいよりは丈夫で、旅の途中で身を守るには十分な作りになっている。
「これなら、旅をするのにも邪魔にならないだろう」
「うん。軽いね」
桜は胸あてを持ち上げてみた。
「これなら動きやすそう」
「そのための胸あてだからね。重たい鎧を着て歩き回るより、サクラちゃんにはこっちのほうが向いてるだろうさ」
桜は風紋の胸あてを身につけると、身体を軽く動かしてみた。
肩を回しても、腕を伸ばしても、動きを邪魔する感じはない。
「うん。これ、気に入った」
「そいつはよかった」
職人は満足そうに笑った。
「楓花にもよろしくね」
その声に、桜は返答に窮したが、職人はべつに気に留めなかった。
風紋の胸あてを受け取った桜は、そのまま自分の家へ戻った。
自分の家の中は、静かだった。
もちろん、いつものように父の姿はない。
父は、桜がクヴェル村にいたときには、すでに王宮のある王都ルフトブルクへ向かっていた。このブルーメンの町へは、いつ戻ってくるのかも、桜には分からなかった。
「ただいま」
誰もいない家に、桜は小さく声をかけた。
返事が返ってくるわけではない。
それでも、いつもの癖でそう言ってしまう。
昨日は突然クヴェル村で夜を明かすことになった。自分の家の布団で眠るのは、一日ぶりになる。
たった一日しか離れていないのに、なぜか、ずいぶんと久しぶりのような気がした。
「……変なの」
桜は苦笑する。
四人でクヴェル村のはじまりの神殿へ向かったのも、まだ昨日のことなのだ。
それなのに、その間に起きたことを思い返せば、まるでずっと長い時間を過ごしてきたような気がする。
これまでずっと一緒にいた三人の友達が、行方知れずになった。
――そして、新たな小さな相棒が加わった。
「まあ……いろいろあったからね」
桜は小さく呟くと、布団に入った。
肩のあたりでは、妖精のルフェルンがふわふわと浮かんでいた。
――やっぱり現れたか。
なんとなく、そろそろ「おやすみ」の時間だと思ったころに現れるような気がしていたのだ。
「ルフェルンは、寝ないの?」
「ワシか? まあ、少し休むくらいはするぞ」
「そっか」
桜は目を閉じた。
「じゃあ、おやすみ。ルフェルン」
「うむ。おやすみじゃ、桜」
静かな夜だった。
不安は、まだ桜の胸の中に残っていた。
それでも、昨日からの疲れには抗えなかった。
桜は、そのままゆっくりと眠りへ落ちていった。
桜の朝は早かった。
空がようやく白みはじめたころ、桜は布団の上で目を覚ました。
「おはよう、ルフェルン」
「うむ。おはようじゃ、桜」
肩のあたりでは、手のひらに乗りそうなほど小さな赤髪の妖精が、ふわりと浮かんでいる。
――いつから起きていたんだろう。
桜は、そんなことを考えながらルフェルンを眺めた。
桜にしか見えない、不思議な妖精。
もっとも、妖精というものは、そもそも普通の人には見えないものらしい。昨日はカメリアの姉のリゼットには姿が見えていたから、どうやら誰にでも見えない、というわけでもないようだ。
――では、どんな人なら見えるのか。
そのあたりまでは、学校の授業でも教わっていない。
それにしても、この小さな妖精は、見た目に似合わず、ずいぶん古めかしい言葉を使う。そこもまた、桜には不思議で、そして少し可愛らしく思えた。
桜は身支度を整え、まだ眠っている町へ向かって家を出た。
肩には、リゼットから預かったカメリアの古びた革製の鞄。その中には、地下の古代遺跡で手に入れた光のつるぎが収まっている。
旅に必要なものも詰め込んであるが、魔法の力によるものなのか、リゼットが言っていたとおり、この鞄には不思議なくらい何でも入った。
腰には、ギュンターおじさんからもらった兵士の剣。
背中には、昨日買ったうろこの盾。
そして身体には、錬金工房で仕上げてもらった風紋の胸あて。
十五歳の少女としては、なかなか立派な戦士の装いである。
もっとも、装いが立派だからといって、それに見合う実力まで備わっているかどうかは、また別の話だった。
向かうのは、迷いの森。
そのために、まずはブルーメンの東門へ向かう。
交易都市ブルーメンの東門は、町の大きさにふさわしい立派なものだった。昨日、クヴェル村から徒歩で戻ってきたときも、桜はこの門をくぐっている。
そして、東門を出れば、その先にはクヴェル村へ続く街道がある。桜にとっては、昔から何度も通ってきた道だ。幼いころは、父に連れられて。
一昨日は、四人で馬車に揺られてクヴェル村へ向かい、昨日は一人で歩いてブルーメンへ戻ってきた。
その街道の途中に、小さな祠がある。
そこから一本の道が分かれ、森のほうへ伸びている。
――迷いの森へ続く道だ。
けれど、桜はその先へ行ったことがない。行く用事がなかった、というのもある。
そもそも、普通の旅人が迷いの森へ向かうこと自体、ほとんどないのだ。
だから桜にとっても、そこはいつも横目に見ながら通り過ぎるだけの場所だった。
さすがの交易都市ブルーメンも、朝のこの時間ともなれば、昼間のような賑わいはない。
それでも、町は少しずつ動き始めていた。
朝市の準備をする商人たちが荷を運び、店先を整えている。桜と同じように、早朝から町を出ようとする旅人の姿もあった。
静かな朝の中にも、これから一日が始まろうとする気配がある。
桜は東門へ向かって歩いていった。
桜が軒を並べる広い街路を歩いていると、朝の薄明かりの向こうに、町を囲む城壁が見えてきた。
まだ太陽は低く、城壁の上には朝の光が淡く差し込んでいる。
東門へ近づくにつれて、少しずつ人の姿も増えてきた。
門の前には、すでに数台の馬車が止まっている。
早朝から町を出ようとする旅人や商人、それにクヴェル村のはじまりの神殿へ向かう巡礼者を乗せるため、御者たちは客を待っているらしい。
――巡礼は、もう再開したのだろうか。
桜はふと思った。
神殿で破壊されたのは祭壇の間の一室だけだった。もしかすると、ほかの場所では、すでに巡礼を受け入れられるようになっているのかもしれない。
けれど、今の桜にとって、それを確かめることは目的ではない。
桜は視線を戻した。
その中の一台を見て、足を止める。
東へ向かう馬車――クヴェル村へと続く街道を走る巡礼馬車だった。
「おや。たしか、サクラさんでしたか」
声をかけてきたのは、一昨日の朝、四人をクヴェル村まで乗せてくれた御者の男だった。浅黒い肌をした、五十代ほどの男である。
桜もすぐに思い出した。
「あ、この前の……」
「そうです。今日はおひとりですか?」
桜がうなずくと、御者はふと思い出したような顔をした。
「てっきり、あのときは、その日のうちにクヴェル村から戻ってこられるものだと思っていたんですがね……」
そう言ってから、何かを思い出したように手を打った。
「そうそう。ブルーメンの学府の人から、もし桜さんが馬車を利用するところを見かけたら、乗せてあげてほしいと言われてましたね」
「え?」
「代金は学府のほうで払ってくれるそうでね。まあ、ほかに客がいなければ、という条件つきですが」
「そうなんですか」
桜は少し驚いた。
おそらく、学長のコンラートの計らいなのだろう。
表立って三人の捜索に動くことはできなくても、せめて自分にできることだけでも――そう考えてくれたのかもしれない。
だったら、ここは素直に甘えたほうがいい。
徒歩で向かうつもりだったが、馬車ならその分だけ早く進める。この際、少しでも時間を稼いだほうがいい。
「さっそく乗りますか。クヴェル村まで」
「お願いします。でも、途中で降ろしてもらってもいいですか?」
「ああ、途中か……」
御者は少し考えてから、苦笑した。
「それは構わないが、どこで降りんですか?」
「迷いの森へ向かう分かれ道まで」
桜は、降りる場所を告げた。
「迷いの森ですが……。まさか、お一人で、あそこへ行かれるのですか」
「うん」
「わかりました」
御者は心配そうな顔をしたが、とくに理由を訊ねることはなかった。
そのまま桜を馬車へ案内すると、自分も御者台へ腰を下ろす。
手綱を取り、馬に軽く声をかける。
すると、馬がゆっくりと歩き出した。
蹄の音が石畳に響き、車輪が朝の街路を滑るように進んでいく。
やがて馬車は東門を抜け、ブルーメンの城壁の外へ出た。
桜は振り返らなかった。
その先に待っているのが何なのか、まだ分からない。
ただ、三人の友達――楓花、カメリア、ひまわりを探すために、今は進むしかない。
肩のあたりでは、ルフェルンがふわりと浮かんでいる。
四人で始まった旅は、いつの間にか一人の旅になっていた。
けれど、桜はもう一人ではない。
小さな妖精を伴い、少女はクヴェル村へ続く街道を馬車に揺られて進んでいく。
その先には、楓花に似た女性がいるかもしれない――そんな、頼りない情報にすぎない。
それでも、今の桜には、そのわずかな手がかりを頼るしかなかった。
――新たな冒険が、静かに始まろうとしていた。




