12 夕暮れの詰所
【現在のステータス】
桜 LV 4(戦士)
E : 兵士の剣/ かわのふく/うろこの盾
【現在の場所】ブルーメンの町
大時計塔から少し離れた大通り沿いに、ブルーメンの町を巡回する衛兵たちの詰所がある。
四つの門に置かれた詰所と同じくらいの規模を持つ、町の警備を担う拠点のひとつだ。
桜がそこへ向かうころには、日はかなり傾いていた。
通りを行き交う人々の数も、昼間に比べれば少しずつ減っている。それでも交易都市らしく、荷車を引く商人や旅装束の者たちはまだ多く、詰所の前にも何人かの人影があった。
桜は建物の前で足を止めた。
「ここだね」
肩のあたりに浮かぶ妖精のルフェルンに目配せをする。
手のひらほどの大きさの赤髪の女の子は、「うむ」と頷いた。
なぜか、少し得意げな顔をしている。
城壁に囲まれた大きなブルーメンの町には、見張りだけを任された二、三人ほどの小さな詰所もあれば、こうした二階建ての立派な建物の詰所もある。
楓花に似た女の子を見た――という話を聞いた男がいる。
そして、その男がそのことを話していたという。
それだけの、なんとも曖昧な情報だった。
それでも、いまの桜にとっては十分すぎるほどの手がかりだった。
なにしろ、ここまで探してきた――といっても、実際にはどう探せばいいのか分からず、あちこちを右往左往していただけだ。それでも、楓花、カメリア、ひまわりの三人がどこにいるのか、これまでまったく情報を得られなかったのだから。
そのわずかな情報を頼りに、桜は建物を一度だけ見上げると、入り口へ向かって歩き出した。
ここへ来るのは、ずいぶん久しぶりだった。
幼いころ、父ディートリヒに連れられて、何度かここへ来たことがある。もちろん、そのころの桜は父の後ろをついて歩いていただけで、ここで何が行われているのかなど、ほとんど気にしていなかった。
ただ、父から聞いた話では、この建物がどういう構造になっているのか、いつ建てられたのか――そんなことを、桜は珍しそうに眺めていたらしい。
そう思うと、昔からこういう建物や歴史が好きだったんだな、と桜は思う。そこだけは、今も変わっていないらしい。
今では、父がここで働いていたころを知る兵士も、それほど多くはないだろう。
桜は小さく息をついてから、扉を開けた。
詰所の中へ入ると、広い部屋の奥にいくつかの机が並び、数人の衛兵が仕事をしていた。
壁際には武器が掛けられ、町の地図らしい大きな紙も貼られている。門の詰所と同じように、町のあちこちから寄せられる報告や届け出を扱っているらしい。
桜の肩のあたりには、もちろんルフェルンも浮かんでいる。
けれど、この妖精の姿を見ている者は誰もいない。桜以外には、見えていないのだから。
「ずいぶんとむさくるしい場所だな」
ルフェルンが小声で言った。
「失礼だよ。町の治安を守っている方々なんだから」
桜が小さく笑う。
「ワシは正直な感想を言っただけじゃ」
「はいはい」
桜は受付らしい机の前まで歩いていった。
「すみません」
声をかけると、若い衛兵が顔を上げた。
「どうした?」
「ヴォルターさんという方に、少しお聞きしたいことがあって……」
「ヴォルター?」
若い衛兵は一瞬考え、それから奥へ目を向けた。
「ああ、いるぞ。ちょっと待ってな」
そう言って、衛兵が立ち上がる。
その様子を見ながら、桜は詰所の中を改めて見回した。
以前、父に連れられて来たときとは、やはり少し違って見える。
「サクラちゃん?」
不意に、少し年配の白髪の衛兵が声をかけてきた。
桜が振り向く。
「……はい?」
「もしかして、ディートリヒさんの娘さんか?」
「はい。桜です」
「ああ、やっぱりか。面影があるな」
白髪の男は、懐かしそうに笑った。
「昔、何度かここへ来ていただろう。ずいぶん大きくなったな」
「私のことを覚えているんですか?」
「まあな。あのころのことを知ってる奴は、もうそんなに多くないけどな」
男はそう言ってから、少しだけ桜の顔を見た。
「ディートリヒも、今じゃすっかり忙しくなったみたいだな。クヴェル村と王宮を行ったり来たりで、なかなか家にも戻らないって聞いてるぞ」
「そうですね。最近は、あまり家に戻ってきません」
桜が答えると、男は苦笑した。
「そうか。まあ、あいつも忙しいんだろうな。ずいぶんと出世したと聞いている。それはそれで、いいことなんだろうけど……」
それから、少し気遣うように言った。
「寂しいだろうが、あまり無理するなよ。一人暮らしも大変だろう。何かあったら、いつでも詰所に来ればいい。俺もディートリヒにはずいぶん世話になった口だからな」
「……はい。ありがとうございます」
桜が答えたところで、奥から別の衛兵が声を上げた。
「ヴォルター、ちょっと来てくれ!」
「今行く」
返事が聞こえた。
やがて、三十代後半くらいの男がこちらへ歩いてきた。
衛兵らしい体つきで、髪は短く刈っている。特に目立つところのない、ごく普通の男だった。
ヴォルターは桜の姿を見ると、ほんの一瞬だけ足を止めた。
そして、あまり嬉しくなさそうな顔をした。
桜は、それに気づいて首をかしげる。
「ヴォルターさんですか?」
「ああ……そうだけど」
男は桜を見た。
もちろん、桜もヴォルターの顔に見覚えはない。
けれど、ヴォルターのほうは違った。
楓花がいつも一緒に歩いている少女。それが桜だということくらいは知っている。
だからこそ、突然その桜が自分を訪ねてきたことが、少々気まずかった。
――まさか、ばれたのか。
楓花を遠目から見ていたことが、知られているのではないか。
そんな考えが、ヴォルターの頭をよぎる。
とはいえ、本人としては遠くから見ていただけである。声をかけたわけでも、あとをつけたわけでもない。だから、まさか桜に気づかれているとは思っていなかった。
「何か……?」
ヴォルターが少し警戒したように尋ねた。
桜はそんな彼の内心など知るはずもなく、慎重に言葉を選んだ。
「クヴェル村から来た方が、私の友達に似た女の子を見たという話を聞いたんです」
「……ああ」
ヴォルターの表情が少し変わった。
「その話か」
「はい。詳しいことを聞きたくて」
「なんでも、今日の朝の話なんだがな」
ヴォルターは、ようやく少し肩の力を抜いて、話し始めた。
どこからその話を聞いたのか、と聞き返されなかったのは、桜にとって幸いだった。情報を教えてくれた衛兵からは、口止めされていたからである。
ヴォルターは、記憶をたどるように話を続けた。
「クヴェル村のはじまりの神殿へ馬車で向かっていた老夫婦がいたんだ。ところが、神殿に行ってみたら、何かあって巡礼が中断されていると聞いたそうでな。そのまま予定を変更して、引き返してきたんだ」
桜は黙って聞いていた。
巡礼が中断された理由なら、桜は知っている。
だから、そこについて尋ねるつもりはなかった。
「なんでも、その途中で、眼鏡をかけた黒い髪の女の人を見たらしい」
「……楓花」
桜が小さく呟いた。
「いやー」
横で話を聞いていた若い衛兵が、首をかしげて話に割り込んできた。
「でも、それだけじゃ楓花さんだって分からないだろう。眼鏡をかけた女の人なんて、いくらでもいるぜ。おまえさんが勝手に楓花さんだと思い込んでるだけじゃないのか?」
「……」
ヴォルターは一瞬黙った。
言われてみれば、その通りである。
けれど、それには答えず、話を先へ進めるように口を開いた。
「なんでも、道の途中で、その女性は迷いの森の方向へ向かっていったらしい」
「迷いの森?」
「ほら、あんなところ、修行僧とか冒険家くらいしか行かないだろう? それも女性が一人で向かっていたっていうんで、老夫婦も気に留めたらしい」
ヴォルターは肩をすくめた。
「それで、この近くを通ったから、念のため詰所に知らせてきたってわけさ」
「そう……」
桜は考え込んだ。
迷いの森。
眼鏡をかけた黒い髪の女の人。
そして、今日の朝。
どれも確かな証拠とは言えない。それでも、今まで何の手がかりもなかった桜にとっては、初めてつかんだ具体的な情報だった。
「その老夫婦は、どこにいますか?」
「うーん……」
ヴォルターは少し考えた。
「たしか、王都のほうへ馬車で向かったんじゃないかな。巡礼の予定を変更して、王都へ行くって言っていたな」
「そうですか……」
桜は小さく息をついた。
そのとき、ヴォルターがふと桜の顔を見た。
「……でも」
「はい?」
「なんでサクラさんが、フーカさんの行方を聞いてるんだ?」
「え?」
「いや……その」
ヴォルターは言葉を濁した。
そして、ちらりと桜を見る。
「やっぱり……」
「?」
桜は本当に分からないという顔をしている。
ヴォルターは、さらに気まずそうに目を逸らした。
「……いや、なんでもない」
横で聞いていた兵士が不思議そうな顔をしたが、ヴォルターはそれ以上何も言わなかった。
桜も、深くは考えなかった。
今はそれより、迷いの森のほうが気になる。
そのとき、別の衛兵がヴォルターに声をかけた。
「ヴォルター、ちょっとこっちを手伝ってくれ」
「ああ、分かった」
ヴォルターはそう言って、いったん桜のそばを離れた。
「その老夫婦から、もう少し詳しい話を聞けたらよかったんですけど……」
桜は肩のあたりへ顔を寄せ、小さな声でつぶやいた。
すると、すぐそばに浮かんでいたルフェルンが答える。
「どうする? 王都まで行って、老夫婦に確かめてみるか?」
桜は少し考えた。
「今から王都へ向かっても、すぐには追いつけないよ。それに……」
桜は窓の外へ目をやった。
日は、もうかなり傾いている。
「これから迷いの森へ向かうのも無理だね」
「うむ」
ルフェルンも素直に頷いた。
「迷いの森など、暗くなってから入ったら、本当に迷ってしまいそうじゃな」
ルフェルンは、うまいことを言ったつもりなのか、少し得意げな顔をした。
桜は思わず笑ったが、特に何も返さなかった。
「それに、楓花だと決まったわけでもないからね」
桜は静かに言った。
不確かな情報だけを頼りに、夜の森へ入るのは危険だ。
まして、一人で旅をする準備をしている最中なのだ。急ぐことと、無謀なことは同じではない。
ルフェルンが口を開いた。
「明日の朝、迷いの森へ行ってみるか?」
桜は少しだけ考えてから、頷いた。
「うん。行ってみよう」
今まで、どこへ向かえばいいのかさえ分からなかった。
けれど、ようやく一つだけ、進むべき方向が見えた。
そのとき、ヴォルターが戻ってきた。
もちろん、桜とルフェルンが話していたことを、彼が知るはずもない。
「用件は、それだけかな?」
ヴォルターは、少しだけ早口になって尋ねた。
「うん。ありがとう」
桜はヴォルターに頭を下げた。
「こちらこそ……」
ヴォルターは、なぜか少しほっとしたような顔をした。
「いや、まあ……気をつけてな」
桜が詰所を出ようとすると、先ほどの年配の白髪の兵士がまた声をかけた。
「サクラちゃん」
「はい?」
男は少し迷うようにしてから、静かに口を開いた。
「余計なことかもしれんが……気をつけてな。お父さんも勇敢な男だったが、無茶をするような人じゃなかった。危ないと思ったら、ちゃんと引き返す。それも大事なことだぞ」
「……分かりました」
桜は笑った。
「じゃあ、失礼します」
扉を開ける。
外へ出ると、夕暮れの商店街には、昼間とは少し違った賑わいが広がっていた。
桜は一度だけ振り返った。
幼いころ、父の後ろから眺めていた詰所を、今度は一人で出ていく。
そして、明日は――迷いの森へ向かう。
肩のあたりで、ルフェルンが小さく笑った。
「さて、明日は忙しくなりそうじゃな」
いかにも長年連れ添った相棒のような口ぶりだった。
もっとも、桜とルフェルンが出会ったのは、まだ昨日のことである。
「うん」
桜も笑った。




