09 踊り子リゼット
【現在のステータス】
桜 LV 4(戦士)
E : 兵士の剣/ かわのふく
【現在の場所】ブルーメンの町
カメリアと、そしてリゼットの姉妹が暮らす家の中に入った途端、酒の匂いが鼻をついた。
「……」
桜は、思わず足を止めた。
外から見た印象とは、ずいぶん違う。
こぢんまりした家の中はきちんと片づいているものの、居間の隅には酒瓶がいくつも並び、テーブルの上にも飲みかけの酒杯が置かれている。
どうやら、さきほどの匂いは気のせいではなかったらしい。
「そんな顔しなくてもいいじゃない」
先に入ったリゼットが振り返った。
「ここ、あたしの家でもあるんだから」
「いえ、そういうつもりじゃ……」
桜は慌てて首を振った。
リゼットは楽しそうに笑うと、酒杯を片づけるでもなく、そのまま階段へ向かった。
すると、妖精のルフェルンがふわりと桜の前へ姿を現した。
短い赤髪の、七歳ほどに見える幼い顔をしかめている。
「ずいぶん酒臭い家じゃのう。妹のカメリアも、よくまあ辛抱しておるものじゃ」
――妖精とはいえ、姿は七歳ほどだ。酒の匂いは、さすがにきついらしい。
なら、ここは出てこなければいいのに。
桜は、そう思ったものの、もちろん口には出さなかった。
「カメリアの部屋、二階だから。こっちだよ」
リゼットが階段を上り始める。
桜も後に続いた。
階段を上がる途中、壁にいくつかの写し絵が飾られているのが目に入った。
幼いころのリゼットやカメリアらしい少女が写っているものもある。
リゼットは階段を上りきると、廊下の奥にある扉の前で足を止めた。
「ここ」
「……カメリアの部屋?」
「そう」
リゼットが扉を開ける。
桜は、少しばかり緊張しながら部屋の中を覗き込んだ。
カメリアのことだから、本がぎっしり詰まった本棚や、机の上に積まれた書物を想像していた。
ところが、実際には本は数冊しかない。学校で使うテキストのほかには、分厚い辞書が一冊、机の上に置かれているだけだった。
その代わり、窓辺や棚の上には、かわいらしい動物のぬいぐるみがいくつも並んでいる。
「……あれ?」
桜が思わず声を漏らす。
「意外だった?」
リゼットが楽しそうに笑った。
「うん。カメリアって、もっと本がいっぱいあるのかと思ってた」
「そうだろうね。でも、あの子、一度読んだものは忘れないからさ。わざわざ手元に置いておく必要がないんだよ」
そう言われてみれば、納得できなくもない。
学校の図書館に行けば、カメリアはいつも本を読んでいる。古文書でも魔導書でも科学書でも、興味を持ったものなら分野を選ばない。
けれど、読み終えた本を自分の部屋へ持ち帰っているところを、桜は見たことがなかった。
「……なるほど」
「あ。そうか。カメリアの部屋に入るの、初めてだったんだね」
「うん」
「カメリアには内緒にしておいてよ」
リゼットは、悪びれる様子もなく笑っていた。
桜が部屋を見回していると、ぬいぐるみの陰から一匹の灰色の猫がひょいと姿を現した。
青みを帯びた毛並みが、窓から差し込む午後の光を受けて淡く輝いている。
猫は桜を一度見上げると、何事もなかったように部屋の奥へ歩いていった。
その後ろから、もう一匹、茶色の毛に濃い縞模様の猫が顔を出す。
「ああ。カメリアが可愛がってる子だよ」
リゼットが灰色の猫を見ながら言った。
「こっちのふてぶてしいのは、あたしのだけどね」
茶色の猫は、自分のことを言われたことなど気にも留めず、悠々と部屋を横切っていく。
「ふてぶてしい……」
桜は思わず笑った。
「そのくらいのほうが、猫らしくていいじゃない」
リゼットは肩をすくめると、部屋の隅に置かれていた古びた革製の肩掛け鞄を取り上げた。
「これ、カメリアのもの」
「鞄?」
「うん。あの子が大事にしてたものだよ」
リゼットは鞄を眺めながら、ふと思い出したように言った。
「カメリアは長い旅に出たんだろうって思ってる。本人が、前からちょっと予言めいたことを言ってたから」
「え……?」
桜は鞄に目を落とした。
「だから、これを本人に渡してほしいの」
リゼットが鞄を差し出す。
「この鞄を?」
「そう。カメリアに出会ったら渡してあげて。どうせなら、桜さんも使っていいよ」
「いいの?」
「もちろん。せっかく便利なものなんだから、使わなきゃ損でしょ」
桜は鞄を受け取った。
見た目は古びているが、革はきちんと手入れされている。
「それ、魔法の力を帯びてるんだ。見た目より、ずっといろいろ入るよ」
「そうなの?」
「それだけじゃないよ」
リゼットが鞄に手を触れる。
すると、鞄は淡い光に包まれ、ふっと姿を消した。
「……え?」
桜が目を丸くする。
「こうやって、鞄そのものを消すこともできるんだ。必要になれば、また出せるよ」
リゼットが手をかざすと、何もなかった空間に、先ほどの鞄が再び現れた。
「便利でしょ?」
「うん。すごい……」
桜が鞄を見つめていると、リゼットの視線がふと腰のあたりへ向いた。
――分厚い布に巻かれた、一見すると装飾品のような剣。
「それ、光のつるぎだろう?」
「え?」
桜が腰へ目をやる。
「そんなところにぶら下げていても、重いだけだろう。今のところ、お飾りの剣なんだろ?」
リゼットは鞄を軽く叩いた。
「そういうのは、この中に入れておくと便利だよ。意外となんでも入るんだ」
桜は思わず、腰の光のつるぎに目をやった。
「なんで、光のつるぎのことを知ってるの?」
「カメリアは話さなかったのかい?」
リゼットは笑った。
「まあ、あたしと違って、あの子は慎重なところがあるからね。きちんと調べてから話さないといけないって思ってるんだよ」
そう言うと、リゼットは少し声を低くして、カメリアの口調を真似た。
「どうせ『うん。そうかもしれない』としか言わなかったんだろう?」
くすっと笑う。
「あの子らしいけどね」
「リゼットさんは、光のつるぎのことに詳しいんですか?」
「いや。まあ、鎌をかけてみたのさ。当たるか外れるか、二分の一。当たれば儲けものだし、ちょっと物知りに見えるだろう? 外れたら、それまでさ」
リゼットは、また楽しそうに笑った。
「あたしが知ってるのは、せいぜいカメリアから聞いた話くらいさ。だから、さっぱりさ。あの子がどこまで知ってるのかも、あたしには分からないけどね」
そう言って、近くに置かれていた酒杯を手に取ると、一気に飲み干した。
「おっと、あんまり話すと、この先がつまらなくなるね」
空になった酒杯を、ことりと置く。
そのときだった。
桜の肩にいたルフェルンが、珍しく黙り込んでいた。
――桜にしか見えていないはずの妖精。
だが、いつものような笑みも消えている。
「どうしたの?」
桜が小声で尋ねる。
ルフェルンは答えず、リゼットをじっと見つめていた。
その視線に気づいたのか、リゼットが桜の肩のあたりを見る。
「で、そこの妖精さんは誰なの?」
「……」
ルフェルンの目が細くなった。
桜も、思わず驚きの表情を浮かべた。
「見えているよ。妖精さんなんだろ?」
その言葉に、ルフェルンの声に戸惑いが混じった。
「おぬしは、何者なんじゃ? 見たところ、精霊使いでもなさそうじゃが……」
どうやら、ルフェルンの声も聞こえているらしい。
幼い少女のような姿からは想像もつかない古めかしい言葉遣いが、リゼットにはどう聞こえたのだろう。
桜が見ると、リゼットは青い瞳を丸くして、それから口元をほころばせていた。
「ふふっ。ずいぶん可愛いしゃべり方をする妖精さんだね」
その華やかな顔立ちに浮かんだ笑みは、まるで小さな子供を眺めているようだった。
ルフェルンは、ますます怪訝そうな顔をした。
桜は思わずルフェルンを見る。
――妖精さんでも、知らないことがあるんだ。
いつもは余裕たっぷりのルフェルンが、困っているように見えた。
「たんなる酒場で踊り子をやってる小娘さ。それに、さっき桜に話しただろう?」
リゼットは平然と酒杯を傾けた。
「『あんまり話すと、この先がつまらなくなるね』って」
それから、ふと思い出したようにルフェルンを見る。
「そういえば、妖精さんはカメリアとは会ったのかい?」
「え?」
「だって、あたしに見えるくらいなんだ。カメリアにも見えていたんだろう?」
桜は少し考えてから、首を横に振った。
「ううん。カメリアがいたときは、まだ妖精の姿じゃなかったの」
「へえ?」
「そのときは、光の玉みたいな姿だったから」
桜は、はじまりの神殿でのことを思い返した。
ルフェルンが今の姿になったのは、祭壇の間で王の継承の儀式が行われていたときだった。
カメリアや楓花、ひまわりたちが、危険を避けるための結界によって姿を消したあと、ようやくルフェルンは妖精としての姿を現した。
つまり、カメリアがこの姿のルフェルンを見る機会はなかったのだ。
「ああ、そういうことか」
リゼットは納得したように頷いた。
「じゃあ、カメリアはまだ妖精さんのことを知らないんだね」
「うん」
「そっか」
リゼットは楽しそうに笑った。
「じゃあ、今度会ったら喜ぶと思うよ。あの子、こういう可愛いの好きだからね」
そう言って、ルフェルンをしげしげと眺める。
「まあ、あたしと違って、カメリアは気持ちを顔に出すのが苦手だけど。どんな顔をするのか、ちょっと楽しみだね」
それは、カメリアが無事であることを確信している姉の宣言でもあった。
桜には、そんなふうに感じられた。
そして――ここまで話して、ふと気づいた。
もう、すでに祭壇の間での出来事を、カメリアの家族に話してしまっている。
学長のコンラートが、「学校としても慎重に動かざるを得ない。学生や家族に知らせれば、相手が何をするか分からないからね」と警告していたにもかかわらずだ。
――下手に騒ぎ立てれば、あの男が学府のどこかに隠したという漆黒の魔石箱を、本当に爆発させるかもしれない。
もっとも、それがあの男のはったりでしかないことを、コンラートはまだ知らない。
けれど、こういうことは、そういう理屈だけで判断するものではない。
はったりだと思っていたものが、いつの間にか本当になってしまうことだってある。だからこそ、慎重に事を進めなければならない。学府だけでなく、そこに通う学生や、その家族にも迷惑がかかる。
それでも、リゼットだけには話しても問題ないような気がした。
そもそも、この人に隠し通せるとも思えなかった。
「じゃあ、気をつけてね」
リゼットが、軽く笑った。
「うん。ありがとう」
桜が頷く。
「妖精さんも、気をつけてね」
ルフェルンは一瞬だけリゼットを見つめ、それから無言で頷いた。
「じゃあね。カメリアによろしくね」
リゼットは玄関まで桜を見送り、ひらりと手を振った。




