08 それぞれの家
【現在のステータス】
桜 LV 4(戦士)
E : 兵士の剣/ かわのふく
【現在の場所】ブルーメンの町
学長室を出ると、桜は一度、学府本館の廊下の窓から外を眺めた。
午後のブルーメンの町、学府のある地区はいつもと変わらない。休校日だというのに学生たちが行き交い、その向こうでは商店の呼び込みが聞こえている。
けれど桜には、町の明るさがどこか遠く感じられた。
――そのなかに、楓花、カメリア、ひまわりの姿はない。
桜は受付のところで、ふと足を止めた。
――月の魔女。
学長のコンラートは、そう言っていた。
大臣から父に届いていた手紙にも、その名前があった。
桜は学長室で聞いたばかりの話と、今朝読んだ手紙の内容を頭の中で重ねていた。
――あの月の魔女と名乗る者から、王女リディア様をさらうとの予告があった。実のところ、王宮でもリディア様のお姿を確認できていない。至急、城に戻られよ。
そんな内容だった。
王女リディアは、実際にはクヴェル村にいた。大臣は王女の所在を把握していなかっただけなのかもしれない。王宮ともなれば、そんなことがあるのかどうか、桜には分からなかった。
ただ、この手紙で気になるのは、月の魔女のことだけではない。
大臣は、父ディートリヒが以前からはじまりの神殿について調べていることを知っていた。そして、そのことが月白の魔女と関係しているかもしれないと考えたからこそ、途中で立ち寄るなら学長に話を聞くよう書いていたのだ。
――もし途中に立ち寄ることがあれば、学長に話を聞かれたし。
けれど、父はここには来ていない。
では、あの男――漆黒の魔石箱を持ち込んだ男は、なぜ、はじまりの神殿について学長に訊ねたのだろう。
学長が推測したように、古代の魔法について何か探っているのか。
学長には悪いが、桜にはどうしても、そんな単純な男には思えなかった。
桜は、洞窟や地下の古代遺跡で、仮面の男に付き従うあの男と顔を合わせている。はじまりの神殿の祭壇の間でも顔を合わせた。
――どう考えても、一癖も二癖もありそうな男だった。
ふと思い出す。
学長は、あの男から「月影の魔女がここを訪ねてきても、何もしゃべるな」と脅されたと言っていた。
――結局、月の魔女は、この学府を訪ねてきたのだろうか。
父がここを訪ねたのか学長に確認したとき、ついでに聞けばよかったのだが、聞きそびれていた。
確かめるだけなら、受付で聞けばいい。
桜は受付へ戻った。
「どうしました?」
先ほどの受付の女性が顔を上げる。
「えっと……ひとつ聞きたいことがあるんですけど」
桜は少し迷ってから尋ねた。
「月の魔女って……ここに来ていましたか?」
「月の魔女? なんともロマンティックな名前ですね」
女性はそう言って、首をかしげた。
――それは当然だ、と桜は思った。
そもそも、「月の魔女」という名前を本人が名乗っているとは限らない。それに、いきなりそんなことを聞かれても、話が飛びすぎている。
なにより、聞いている桜自身が、「月の魔女」が何者なのか、まだよく分かっていないのだから。
「えっと……知らない人というか……。最近、ここに来た女の人とか、いませんでした?」
桜は、どう聞けばいいのか分からず、言葉を探した。
すると、受付の女性がふいに顔を上げた。
「ああ……でも、来ていましたね」
「……本当に?」
桜の声に、思わず安堵が混じった。
「ええ。たしか、あの……学長先生のところへ来た男の人の、次の日くらいだったかな」
女性は記憶をたどるように続けた。
「そうそう。あの男の人が来た翌日に、別の人が来たんです。でも、そのときは学長先生が王都へ行っていて留守にしておられたので、会ってはいないんです」
――あの男。
それが誰なのか、桜にはすぐ分かった。
やはり、そのあとに月の魔女が来ていたのだろうか。
「女の人だったんですか?」
「ええ、たしか……」
女性はそこで言葉を止めた。
「どんな人だったかしら」
少し考えてから、困ったように眉を寄せる。
「女性だったと思うんですけど……」
「顔は……覚えていますか?」
「それが……」
女性はしばらく黙っていた。
「あれ。変ですね。さっきまで顔が目に浮かんでいたのに……急に、どんな人だったか思い出せなくなりました」
桜は黙って受付の女性を見た。
肩のあたりでは、妖精のルフェルンも何も言わずに女性を眺めている。
「それにしても……」
受付の女性が、ふと声を落とした。
「学長先生、あの男の人が来てから、妙に様子がおかしいんです。何かあったんですか?」
「えーと……」
桜は言葉を濁した。
「……ちょっと、いろいろあったみたいで」
それ以上は答えられなかった。
桜は受付を離れ、学府本館を後にした。
大通りには荷車が行き交い、露店には昼食を求める人が集まっていた。若い人たちの姿も多く、笑い声があちこちから聞こえてくる。
桜はまず、ひまわりの家へ向かった。
四人の家は、みな同じ地区にある。学府からそれほど離れていないため、歩いて回ることができる。
大通りを外れると、住宅と小さな商店が混じる通りになった。
ひまわりの家は、一階が小さな店、二階が住居になっている。もともと東方の国を祖先にもつ家族らしく、店先にはこの町ではあまり見かけない菓子や乾物が並んでいた。
その前で、十歳くらいの少女が桜に気づいた。
「あ、サクラねえちゃん」
「あかりちゃん。こんにちは」
「あれ? お姉ちゃんを探しにきたの?」
「うん。ひまわり、帰ってきてるかな?」
「あ、そうか。カメちゃんと一緒なんだね。てっきり桜ねえちゃんとも一緒だと思った」
あかりは、何の疑いもなく笑った。
「そっか。温泉の旅に一週間くらい行きたいって言ってたもんね。ずるいなあ」
桜は少しだけ笑った。
――ひまわり、そんなことを言ってたんだ。
「子供というのは無邪気なものじゃのう。……何も知らぬというのは、幸せなことじゃ」
肩のあたりから聞こえた声に、桜はちらりとルフェルンを見た。
――あなたも子供でしょ。
そう思ったが、もちろん口には出さなかった。
母親にも聞いてみたが、ひまわりは帰っていないという。
あかりから話を聞いていたのか、母親はすっかり安心しているようだった。
少しいたたまれなくなって、桜は短く礼を言い、店を出た。
次は楓花の家だった。
歩いてほどなくすると、工具屋の看板が見えてくる。
店先には金槌や鑿、鋸などが並び、店の奥からは金属を磨く音が聞こえていた。
楓花の祖父が店番をしていた。
「ああ、サクラちゃんか。フーカなら、まだ帰っとらんぞ」
「やっぱり……」
楓花の両親は港町ハーフェンで漁師をしているため、ここでは祖父と二人で暮らしている。
「何かあったのか?」
「ううん。ちょっと聞きに来ただけ」
桜は曖昧に笑った。
詳しい事情を話すことはできない。
祖父は何か言いたそうだったが、結局それ以上は尋ねなかった。
「そうか。まあ、あの子のことだからな」
その言葉に、桜は少しだけ笑った。
――楓花なら、何かを調べているうちに帰るのを忘れているのかもしれない。
そう思おうとした。
店を出て、最後の家へ向かう。
カメリアの家だった。
桜は歩きながら、ふと思った。
――そういえば、私、カメリアの家に入ったことがない。
ひまわりも、以前そんなことを言っていた。
「カメちゃんの家って、一回も入ったことないよね」
そのときは、ただの偶然だと思っていた。
カメリアは学校の図書館にいる時間も長い。古文書や地誌だけでなく、魔導書の類や科学書、生物図書まで、ありとあらゆる分野の本を読むのが好きだった。
それでも図書館だけでは飽き足らず、時間があれば町の本屋や古本屋も覗いている。
家に遊びに行く機会がなかっただけなのだろう。
住宅街は、学府周辺よりずっと静かだった。
石畳の道の両側には低い家が並び、窓辺の鉢植えに午後の日差しが落ちている。
やがて、桜は一軒の家の前で足を止めた。
扉を叩いてみる。
返事はない。
もう一度、少し強めに叩いた。
やはり静かなままだった。
「留守かな……」
――カメリアも、まだ戻っていない。
桜が引き返そうとした、そのときだった。
「あら? カメリアのお友達じゃない?」
振り向くと、そこに見覚えのある女性が立っていた。
紫水晶を思わせる光沢を帯びた銀灰色の長い髪は、華やかに結い上げられている。
青い瞳には人を惹きつけるような明るさがあり、身につけている服も、この静かな住宅街には少し派手だった。
市場で何度か見かけたことがある。
カメリアの姉、リゼットだった。二十歳だと聞いている。
――前から思っていたのだが、姉妹の装いは、まるで正反対だった。
市場で何度か見かけたことがある。
「あ、おひさしぶりです。桜です」
「ああ、桜さんね。カメリアはまだ戻ってないよ。帰ってこないのは慣れっこだけど」
――そうなんだ。意外……。
自分たちと一緒でないときは、いつもどうしているのだろう。やはり本屋や古本屋をまわっているのだろうか。
「あれ? でも、カメリアって桜さんたちと一緒にクヴェル村へ行ったんじゃなかったの?」
桜は答えに詰まった。
その顔を見て、リゼットの表情が変わった。
さっきまでの華やかな笑顔が消え、姉としての鋭さが、その瞳に宿った。
「……カメリアの身に、何かあったんだね」
突然、鋭い視線を射こまれたようで、桜はたじろいだ。
リゼットはしばらく桜の顔を見つめていたが、やがて静かに尋ねた。
「無事なんだね?」
「うん」
――それは嘘ではない。
「なら、いいよ」
あまりにもあっさりしていて、桜は少し拍子抜けした。
「あたしと違って、あの子はしっかりしてるからね。それに、自分のことは自分でなんとかできる子なんだ」
リゼットは肩をすくめた。
「あたしに何かできることある?」
「え?」
「あ、そうだ。ちょっとうちに来る?」
「……いいの?」
「もちろん。カメリアの友達でしょ?」
リゼットはそう言って、先に扉を開けた。
桜は少し迷ってから、そのあとに続いた。
家の中に入ると、酒の匂いがした。




