07 学長コンラート
【現在のステータス】
桜 LV 4(戦士)
E : 兵士の剣/ かわのふく
【現在の場所】ブルーメンの町
学長室は、思っていたよりも質素だった。
壁際には古い書物が並び、窓際の大きな机には書類と分厚い本が積まれている。
その机の向こうから、白髪の混じった髪に細い眼鏡をかけた男が立ち上がった。
六十歳前後だろうか。穏やかな顔立ちだが、その目には長年学問に携わってきた者らしい静かな鋭さがあった。
ブルーメン学府の学長、コンラートである。
「きみがサクラ君かね。……ほかの人はいないね」
「はい」
なぜか警戒されている気がしたが、その返事を聞くと、コンラートはわずかに表情を緩めた。
「たしか、カメリア君の友達だったね」
桜は少し驚いた。カメリアは学府きっての優等生だ。学長が名前を知っていても、まあ不思議ではない。
「よく四人で一緒にいたね。たしか……」
コンラートは少し考えるように眉を寄せた。
「フーカ君と、ヒマワリ君だったかな」
「あ、はい」
桜は思わず笑いそうになった。
私のことも、ついでに覚えていたんだ。
その肩のあたりでは、妖精のルフェルンが興味深そうに学長を眺めていた。もちろん、コンラートにはその姿も見えていない。
「それで、私に直接何か用かね。はじまりの神殿のことを聞きたいそうだが」
桜は椅子に腰を下ろし、昨日からの出来事を順を追って話した。
ただし、すべてではない。
祭壇の間で何が起きたのか。
楓花、カメリア、ひまわりが、それぞれ床からの光の中に消えたこと。そして、神官長と神官、そのほか二人の人物も、やはり光の中に消えたこと。
しかし、王女リディアの名は出さなかった。国王の継承の儀式についても、「重要な儀式」とだけぼかした。
それは、王女の家庭教師兼付き人だというイリスとの約束だった。
――王女がなぜクヴェル村を訪れ、なぜ神殿にいたのか。それを誰にも話してはいけない。
学長のコンラートが信用できない人物だと思ったわけではない。むしろ、ここまで話を聞いてくれたことを考えれば、信頼してもいいのかもしれない。
ただ、王族が関わるとなれば話は別だった。
どれほど信用できる相手でも、簡単に口にしていいことではない。そう桜は考えていた。
ルフェルンについても同じだった。
「ここに妖精がいる」と言っても、簡単には信じてもらえないだろう。
それに、ルフェルン自身も、自分の存在についてはあまり人に話してほしくないようだった。
だから桜は、言えることだけを選んで話した。
「うむ。それは大変なことに巻き込まれたね」
コンラートは話を聞き終えると、ゆっくり息を吐いた。
穏やかだった表情に、わずかな緊張が浮かんでいる。
自分の学府の生徒たちが、思いもよらない事件に巻き込まれている。その重さを、学長として受け止めているようだった。
「――それで、はじまりの神殿……その祭壇の間の床にある結界か。たしかに知っている」
「知ってるんですか?」
「ああ。あの神殿については、若いころから調べてきたからね。それにしても、よくそこまで答えにたどりついたものだ」
その結界は、危険回避の結界と呼ばれていた。ルフェルンから聞いた話だったが、彼女から教わったことを、そのまま口にするのはためらわれた。
「なんとなく……です」
桜はそう答えたものの、うまく説明できる言葉が思いつかなかった。
「そうか」
コンラートは、それ以上尋ねなかった。
「あの結界は、ずいぶん古いものだよ」
「古い……?」
桜の頭に、カメリアの言葉が浮かんだ。
――千年前どころではないと伝えられているから。
「カメリアが、神殿があったのは千年前どころではないって言ってたけど……」
「ほう。カメリア君は、そこまで知っていたのか」
コンラートは感心したように頷いた。
「ほかに何か、聞いていることはないかね?」
いつの間にか、話を聞きに来た桜のほうが質問される立場になっている。
ルフェルンが肩のあたりで、くすくす笑った。
「おやおや。訊かれる立場になっておるの」
桜は小さく息を吐いた。たしかに、その通りだった。
それから、知っていることをいくつか、言葉を選びながら話した。
大人を相手に、どこまで話していいのかを考えながら話すのは、十五歳の桜にとって決して楽なことではない。
――やがてコンラートは、椅子の背にもたれた。
「あの結界が張られた床は、今から百年ほど前、祭壇の間の床を改修したときに見つかったものだそうだ」
「見つかった?」
「正確には、床を剥がしたところ、その下から古い床が現れたんだ。当時の神官たちは、神殿に収められていた古い文献を頼りに調べたらしい」
コンラートは、記憶をたどるように続けた。
「すると、それは今の神殿が建てられる以前から、そこに存在していたものだと分かった。正確な年代は分からないが、数百年前とも、それ以上ともいわれている」
「今の神殿より前……」
「かつて魔法使いたちが祈りを捧げる場所だったらしい――ああ。たぶんカメリア君も、その話を調べているんだね。さすがだ」
コンラートは、そのまま話を続けた。
「そして、その場所に、敵や魔物の急襲に備えて、古代の技法による防御結界が張られていた」
「結界?」
「魔力を持つ者がその上に立つと反応し、その者を遠くへ飛ばす。魔力が強い者ほど、より遠くへ飛ばされる。そういう仕組みだったと考えられている」
「より高位の魔法使いを、より遠くへ逃がすため……」
「おそらくね。床そのものに力があるわけではない。効果を生み出しているのは、そこに張られた結界だよ」
そこで、コンラートは少し間を置いた。
「そして――実際に作動した記録も残っている」
桜は身を乗り出した。
「二百年ほど前、その場所には十人の高位の魔法使いがいた。そこへ大きな脅威が襲来した。記録では、魔王と呼ばれている」
「魔王……?」
「何という名だったかは、この際どうでもいいだろう」
コンラートは淡々と続けた。
「十人のうち二人は攻撃にあい、瞬時に命を落とした。しかし、残りの八人には結界が作動した。そして、その八人は全員、無事だった」
「全員?」
「全員だ。それも、ただ遠くへ飛ばされたのではない。安全な場所へ転送された、と記録にはある」
「どこへ?」
「それが分からない。誰が行き先を決めたのか、どうやって安全な場所を判断したのか――その点については、何も残されていない」
桜は、昨日の祭壇の間を思い出した。
床に浮かび上がった、あの光。
「ということは……あそこにいた人たちは?」
「そうだ。祭壇の間で消えたのであれば、安全な場所へ転送された可能性が高い。だから、その点については心配しなくていい」
胸の奥が、ほんの少し軽くなった。
楓花、カメリア、ひまわりは、少なくとも命を落としたわけではない。
そして、自分がルフェルンから聞いた話も、コンラートの説明によって裏付けられた。
けれど、結局のところ、どこへ行ったのかは分からない。
それでも、桜にとっては大きな前進だった。
――ふと桜は、話題を変えた。
この学長は、地下の古代遺跡についても何か知っているのだろうか。
「……はじまりの神殿の地下のことを、知っていますか?」
「地下?」
コンラートは首をかしげた。
「地下の物置部屋のことか?」
「……物置?」
桜は思わず聞き返した。
コンラートの顔には、何かを隠している様子はない。
もちろん桜は十五歳だ。相手の機微をすべて読み取れるわけではない。それでも、このときばかりは分かった。
この人は、本当に知らない。
「こういうことは、隠しておいたほうがよい」
ルフェルンが耳元で囁いた。
「学長が、そんな大事なことを学生に教えられて、はじめて知ったなんてことになったら……ちょっと立つ瀬がないじゃろ?」
桜は少しだけ笑った。
そういえば、カメリアも言っていた。――分からないことを一つずつ紐解いていくのが楽しい、と。
「……何か言ったかね?」
「え……まあ、ひとりごとです」
コンラートは不思議そうな顔をしたが、それ以上は追及しなかった。
「問題は、これからだ」
学長の声が少し重くなる。
「われわれも、本来であれば、カメリア君たちの行方を探さなければならない。ただ、少し厄介なのは、このことを家族にどう知らせるかだな」
「家族に?」
「ああ。あまり大げさな話にしたくはないのだよ」
そこでコンラートは声を落とした。
「このことは、ここだけの話にしてくれるか」
桜が返事をするより先に、学長は続けた。
「実は先日、いかがわしい男が私を訪ねてきた。はじまりの神殿について聞きたい、と言ってね。王宮からの使者だと名乗ったが、どうも胡散臭かった」
コンラートの顔が険しくなる。
「後で分かったことだが、使者だというのは偽りだった。――その男は、魔法の小箱――漆黒の魔石箱を持っていたんだ」
桜は息をのんだ。
「漆黒の魔石箱……?」
「ああ。古文書にその名が残っている。私も実物を見るのは初めてだった」
それなら、あの祭壇の間にいた男と同じだ。
コンラートの話す男の様子が、桜の記憶に残っている姿と重なった。どこか人を食ったような態度を崩さず、こちらを値踏みするように見ていた男。
その男は仮面の男に付き従い、祭壇の間では一人で、あの漆黒の魔石箱を持ち込んだ。
――間違いない。
あの男は、この学府に来ていた。それも、学長室に。
桜は何も言わず、続きを待った。
「男は箱を目の前に置き、はじまりの神殿について知っていることを話せ、と脅した。さらに――同じものをもう一つ、この学府のどこかに隠した、と」
「この学府に……?」
「ああ。私が話さなければ、いつでも作動させる、と脅された」
桜の胸の奥が冷たくなる。
学府のどこかに、あの箱がある。
「しかし、私にはその男が求めているような情報はない。私は神学を専門とする学者だ。古い文献を調べることはできても、はじまりの神殿について、それ以上のことまで知っているわけではないからね」
男はあきらめたのか、最後にこう言ったという。
「『月の魔女がここを訪ねてきても、何もしゃべるな』と」
「月の魔女……」
その名前に、桜は反応した。
たしか、父ディートリヒに宛てた大臣の手紙にも、その名があった。
「もちろん、ほかの者にもだ。余計なことを話せば、学府に隠した箱を作動させる。そう言って、男は立ち去った」
コンラートは深く息を吐いた。
「だから、学校としても慎重に動かざるを得ない。学生や家族に知らせれば、相手が何をするか分からないからね」
桜は念のため、結界によって姿を消した「そのほか二人」のうち、あの男も含まれていることを重ねて伝えた。
けれど、コンラートの考えは変わらなかった。
これは学府にとって一大事なのだ。あの男がどこにいるのか分からない以上、今すべきことは変わらない――そういうことだった。
「そうですか……」
桜が考え込んでいると、コンラートがふと顔を上げた。
「桜君と話していて、少し気になったのだが――その男は、古代の結界について何か知りたかったのではないだろうか」
「あの結界を?」
「ああ。君たちが遭遇したものは、現在の魔法とはかなり異なる。それに、男が持っていた漆黒の魔石箱も、今の魔法具とは違うものだという。それを二つも持っていたとなれば、古代の魔法について何か探っているのかもしれない」
コンラートは、そこまで言って首をかしげた。
「まあ、私の推測にすぎないがね」
桜は頷きかけた。
そのとき、肩のあたりから小さな声が聞こえた。
「それは、ちと違うのう」
桜は反応しそうになって、慌ててコンラートから視線を外さなかった。
ルフェルンは、いつものように楽しそうな顔をしている。
「漆黒の魔石箱は、一つしかない」
桜は目だけを動かした。
――一つしかない?
「あの祭壇の間にあったものが本物じゃ。つまり、その男は、はったりをかましておるのじゃ」
ルフェルンは、くすりと笑った。
「まあ、はったり一つで学府の動きを封じるのだから、なかなか見上げたものじゃ」
桜は学長を見た。
コンラートは何も知らず、難しい顔で考え込んでいる。
ルフェルンの言うことが本当だとしても、証明する方法はない。ここで話せば、かえって余計な疑いを生むだけだろう。
だから、桜は何も言わなかった。
ただ、ひとつ気になった。
――どうしてこの妖精は、そんなことを知っているのだろう。カメリアのように、古文書を読み漁っているのだろうか。
桜はちらりとルフェルンを見た。
妖精は何も答えず、ただ楽しそうに笑っていた。
そして、最後にひとつだけ、コンラートに確認した。
「そういえば……父は、ここへ学長を訪ねてきましたか?」
「いや。何か、私に尋ねる予定でもあったのかね?」
「ううん。なんとなく聞いただけです」
桜はそう答えた。




