02 マルタおばさん
【現在のステータス】
桜 LV 1 (戦士)
E : なまくらのつるぎ / かわのふく
楓花 LV 1 (盗賊)
E : くだものナイフ / ぬののふく
カメリア Lv 1 (魔法使い)
E : カメリアのステッキ / ぬののローブ
ひまわり LV 1 (魔法使い)
E : かしのつえ / ぬののローブ
【現在の場所】クヴェルの村
馬車は、クヴェル村の入り口近くで静かに止まった。
御者は手綱をゆるめると、桜、楓花、カメリア、ひまわり――四人の少女へ振り返る。
「帰りも巡礼馬車をご利用でしたら、出発の時間までに、こちらへお戻りください」
桜は小さく頷いた。
肩まで伸びた黒髪がさらりと揺れる。
自然に分かれた前髪からのぞく黒い瞳は、夜空を思わせる静かな輝きを宿していた。
「分かりました」
その横で、ひまわりが残念そうに肩を落とした。
茶色のポニーテールが、その仕草に合わせて軽やかに揺れる。黄色みがかった黒い瞳は感情を隠すことが苦手なのか、その残念そうな表情も隠そうとはしなかった。
「ええー。せっかく来たんやし、ゆっくり見て回りたいのになぁ」
「巡礼が終わったら帰る」
楓花が短く答えた。
三人の中では一番小柄だが、時間や約束事には誰よりもきっちりしている。
髪は低い位置で団子にまとめ、スクエア型の眼鏡を掛けていた。その奥の琥珀色の瞳は、物事を細部まで見逃さない理知的な光を宿していた。
「またそんな堅いこと言う」
ひまわりは笑いながら荷物を肩へ掛けた。
桜は思わず笑みを浮かべる。
カメリアは、腰まで届く銀色の長い髪を風になびかせ、静かにそのやりとりを見守っていた。
馬車はゆっくりと走り去る。
固められた土の上を叩く車輪の音は、やがて村の外れへ吸い込まれるように遠ざかっていった。
四人は改めて村を見回した。
クヴェル村は、深い森に囲まれ、その奥に「はじまりの神殿」を抱く小さな村である。
赤茶色の屋根を載せた木造の家々が石畳の道沿いに並び、その軒先には色とりどりの花が植えられていた。
春を迎えようとしている花壇には、小さな芽が顔をのぞかせている。
パンを焼く香ばしい匂いが風に乗り、どこからか子どもたちの笑い声も聞こえてきた。
はじまりの神殿を訪れる巡礼者を迎える村らしく、小さいながらも旅人の姿は絶えない。宿屋や雑貨屋の前では人々が足を止め、村全体に穏やかな活気が流れていた。
その坂道の先に、はじまりの神殿があった。
桜は思わず身を起こした。
幼い頃、父に連れられて何度か訪れた場所である。
けれど、久しぶりに目にした神殿は、記憶の中にあるよりもずっと大きく、細部までよく造り込まれていた。
「神殿」と呼ばれてはいるが、その姿は木造の大きな教会である。
小さな村には不釣り合いなほど大きな建物で、木組みの尖塔は青空へ向かって真っすぐ伸び、魚の鱗を思わせる屋根が春の陽を受けて静かに輝いている。
長い歳月を重ねた柱や梁は深い飴色に変わり、幾度となく修繕されてきたのだろう。
それでも、建物の姿には、建てられた当時の面影が今も色濃く残っている。
桜は目を細めた。
幼い頃から何度も見てきた神殿である。けれど、あの頃とは違う。
どんな木材を使っているのだろう。柱や梁は、どのように組まれているのだろう。あの尖塔を、どうやってあれほど高く支えているのだろう。
幼い頃にも、そんなことを考えながら眺めていた。そのときの好奇心が、長いあいだに見てきた建物や、学校で学んだ知識と結びつき、今はさらに多くの疑問を生んでいる。
同じ神殿なのに、見えるものが違っていた。
神の奇跡よりも、桜が気になるのは、やはりそちらだった。
神殿へ続く石段は、中央だけがわずかに擦り減っている。何百年ものあいだ、ここを歩いてきた巡礼者たちの足跡が、そのまま石に刻まれているようだった。
尖塔の頂では風見鳥が春の風を受けてゆっくりと向きを変え、その下には色鮮やかなステンドグラスがはめ込まれている。
差し込んだ陽光が赤や青の色を帯び、石段のあたりへ淡い影を落としていた。
石段では、巡礼を終えた老夫婦が静かに祈りを捧げている。幼い子どもの手を引き、神殿へ向かう家族の姿もあった。
村には人々の話し声や子どもたちの笑い声が響いているのに、この神殿の前だけは、不思議と誰もが声をひそめて歩いていた。
豪華さを誇る建物ではない。それでも、その佇まいには、どんな王宮にもない静かな威厳が宿っていた。
「やっぱり大きいね」
桜が小さくつぶやいた。
「村より神殿のほうが目立っとるもんな」
ひまわりは笑いながら答えたものの、その視線は神殿よりも広場のほうへ向いている。
どうやら、幼い頃に食べた焼き菓子の店を探しているらしい。
「この神殿は、この村ができるよりずっと前からあったんだよ」
カメリアが神殿を見上げた。銀色の長い髪が風を受けて、さらりと揺れる。
「千年前どころではないと伝えられているから」
「そんなに前から……」
桜は思わず言葉を漏らした。
神殿が古い建物であることは知っていた。けれど、千年前どころではない――その言葉だけは、なぜか妙に心に引っかかった。
問い返そうとしたが、不意に別のことを思い出す。
「そうだ。せっかくだし、少し寄り道をしてもいい?」
楓花は桜の言葉の意味を察したのか、このときは何も言わなかった。
カメリアも、ひまわりも頷く。
四人は神殿へ続く坂とは反対の道へ歩き始めた。
道を少し進むと、蔦の絡まる古い木造の家が見えてくる。
小さな庭には薬草や季節の花が植えられ、窓辺には洗濯物が気持ちよさそうに揺れていた。
桜は懐かしそうに扉を叩いた。
「ただいま」
「はーい」
中から聞こえてきた明るい声とともに、扉が開く。
「あら、サクラちゃん!」
丸みを帯びた体つきの女性が、嬉しそうに目を細めた。
「久しぶりだねぇ。すっかり大きくなって」
「こんにちは、マルタおばさん」
「巡礼だったねぇ。いやぁ、本当におめでとう」
そう言って笑ったあと、マルタは少しだけ表情を曇らせた。
「せっかく来てくれたっていうのにねぇ……」
桜は、その続きを聞く前に何となく察してしまった。
「父さん?」
「今朝早く、王宮から急な呼び出しがあってね。夜明け前には出て行っちまったよ」
一瞬だけ、胸の奥が小さく沈んだ。
とくに日を約束していたわけではない。
それでも、せっかくクヴェル村まで来たのだから、もしかしたら父に会えるかもしれない――そんな期待を、桜はほんの少しだけ抱いていた。
父のディートリヒは、風の国ルフトの王宮に仕える戦士である。
もっとも、王宮に詰めているわけではない。ブルーメンの町の治安を任され、桜とともにこの街で暮らしていた。
桜が物心をつく前に母を亡くしてからも、それは変わらなかった。
ただ、父が王宮へ呼び出されることも多く、桜がひとりで留守番をするのも珍しいことではなかった。学校へ通うようになる頃には、それもすっかり日常になっていた。
父は王命を受け、定期的にクヴェル村へも派遣されていた。村のマルタや人々とも昔から付き合いがあり、桜も幼い頃から何度となくこの村を訪れている。
けれど、父がそこで何をしているのかを、桜は詳しく知らない。
任務の内容を、父が話したことは一度もなかったし、桜も尋ねなかった。
王宮に仕える戦士なら、娘にも話せない仕事があるのだろう。
桜は、そんなふうに思っていた。
「……そっか」
それでも桜は、すぐに笑った。
「まあ、いつものことだから」
「本当に、あの人は仕事となると家のことなんて後回しだからねぇ」
マルタは苦笑しながら肩をすくめた。
マルタは十年ほど前から、この村で暮らしている。
クヴェル村へ派遣されることの多いディートリヒに部屋を貸し、身の回りの世話もしてきた。
そのため、桜も幼い頃から父に連れられてこの家を訪れ、マルタとは何度も顔を合わせている。
桜にとっては、もう父の世話役というより、親戚のおばさんに近い存在だった。
「そうそう、お友達だね」
マルタの視線が三人へ移る。
「こんにちは」
楓花が軽く頭を下げる。
ひまわりも元気よく会釈した。
そして最後にカメリアを見ると、マルタは思わず目を丸くした。
「あらまぁ……」
思わず言葉を失う。
腰まで届く銀色の長い髪。澄んだ青い瞳。白く透き通るような肌。
静かに立っているだけで、どこか神秘的な雰囲気をまとっていた。
「なんてきれいな銀色の髪なんだろう」
カメリアは少しだけ照れたように微笑んだ。
もっとも、そのかすかな変化にマルタが気づいたかどうかは分からない。
「こんな髪の子を見るのは初めてだよ」
マルタは感心したように何度も頷く。
その様子に、桜たちは思わず顔を見合わせ、小さく笑った。
ひとしきり話したあと、マルタは何か思い出したように手を打つ。
「そうだ、サクラちゃん」
「うん?」
「悪いんだけど、このワインを武器屋のギュンターさんに届けてもらえるかい?」
「ギュンターおじさんに?」
「そうそう。ディートリヒから預かってたんだけど、渡しそびれちゃってねぇ。せっかくだし、挨拶も兼ねて届けてくれるかい?」
そう言うと、マルタは家の奥を指差した。
「地下室に置いてあるから、取ってきてくれるかい」
「分かった」
桜は頷き、地下へ続く木の扉へ手を掛けた。
ワインを置いてある場所は覚えている。
地下室へ続く木の階段は、長い年月を経て艶やかに磨かれていた。
ひんやりとした空気が足元から流れ上がってくる。
壁際には保存食の樽や木箱が整然と積まれ、棚には瓶詰めや干し肉が並んでいる。
桜は一番奥の棚から一本のワイン瓶を取り出した。
深い緑色の瓶には、古びた革の札が結ばれている。
桜は両手で大切そうに抱えた。
「重そうやね」
ひまわりが瓶を覗き込みながら言う。
「いい葡萄酒だからね」
桜自身は、その味を知らない。
ただ、父もギュンターも、このワインを大事そうに飲んでいたことだけは覚えていた。
「父もギュンターおじさんも、ワイン好きだからね」
桜はどこか懐かしそうにつぶやいた。
そして地下室を上がると、マルタに一礼し、四人は家をあとにした。
「また来るんだよ」
背中へ飛んできたマルタの声に、桜は振り返らず片手だけを軽く上げる。
「うん」
その短い返事だけを残し、四人は石畳の道を歩き始めた。




