05 ブルーメンの町へ
【現在のステータス】
桜 LV 3(戦士)
E : 兵士の剣/ かわのふく
【現在の場所】クヴェル村
クヴェル村の入口まで来ると、昨日と同じように、見張りの村人が立っていた。
桜の姿に気づくと、男は軽く手を上げた。
「気をつけてな。昨日は大変だったね」
「うん。ありがとう」
それだけ言葉を交わして、桜はクヴェル村を出た。
クヴェル村からブルーメンの町までは、それほど遠くない。
歩いても、朝早く出れば日が暮れるまでには十分戻ってこられる距離だった。夕方前にはブルーメンへ戻る巡礼の馬車もあるが、桜にはそれを待っている時間はない。
それに、歩いていれば道すがら三人を探すこともできる。
もし楓花たちがクヴェル村へ戻っているのなら、途中で出会えるかもしれなかった。
――昨日は、四人で巡礼の馬車に乗って、ブルーメンの町から、この村へやってきた。
あのときは、隣に楓花がいて、向かいにはカメリアとひまわりがいた。
馬車の揺れに合わせて他愛のない話をしながら、これから始まる「十五歳の儀式」のことを考えていたはずだった。
それが一晩で、すっかり変わってしまった。
桜は一度だけ後ろを振り返った。
クヴェル村の家々が木々の向こうへ隠れていく。もう一度振り返れば、三人が村のどこかからひょっこり姿を見せるような気もしたが、もちろん、そんなことは起こらなかった。
村を出ると、すぐに森があった。
クヴェル村を囲むように広がる森である。
街道はその中を抜け、しばらくすると木々が途切れた。
目の前には、なだらかな起伏が続く平原が広がっている。
その中を、土を踏み固めた一本の街道が西へ向かって伸びていた。
森を抜けたところに、小さな祠があった。
街道の脇に設けられた石造りのもので、風雨を避けるような小さな屋根の下に、一体の石像が置かれている。
生命の神ヴィータの少女の姿をかたどったものだ。
風の国ルフトでは、ヴィータの信仰がとりわけ根付いている。
「はじまりの神殿」の主祭神もヴィータだった。
長い年月、風や雨にさらされてきたらしく、石像の表面はところどころ丸くなっていた。それでも穏やかな表情だけは、今もはっきりと残っている。
旅人が無事を祈る場所なのだろう。足元には、誰かが供えた小さな花が置かれていた。
その祠の近くで、街道は二つに分かれていた。
西へ向かえばブルーメンの町。南へ向かえば、迷いの森へ続いている。
迷いの森へ入る者は、ほとんどいない。
修行僧でもなければ、わざわざ足を踏み入れるような場所ではないからだ。昔、好奇心旺盛な旅人たちが森へ入ったことがあるらしい。そして、その旅人たちは二度と戻ってこなかった。
それ以来、その森は「迷いの森」と呼ばれるようになったという。
桜の目の前では、誰にも見えない小さな妖精――ルフェルンが、ゆっくりと宙を漂っている。
「迷いの森か。ずいぶん物騒な名前をつけられたものだな」
ルフェルンが、南へ続く道を眺めながら言った。
「三人が、あそこに飛ばされていたりしないかな」
桜もそちらへ目を向けた。
「ないとは言えぬな」
「……そうだよね」
少しだけ迷う。
三人がどこへ飛ばされたのかは分からない。ならば、あの森にいる可能性だって完全には否定できない。
けれど、行き当たりばったりに探し始めれば、きりがない。
「今は、ブルーメンへ行こう」
「うむ」
桜は西へ続く街道へ向かった。
しばらく歩くと、前方から二台の馬車がやってきた。
どちらも巡礼用の馬車だった。おそらく、はじまりの神殿へ向かっているのだろう。
桜は思わず足を止めた。
――神殿へ行くの?
昨日のことを知っている桜からすれば、今はそれどころではないはずだった。乗っている人たちに声をかけて、神殿の様子を伝えたほうがいいのかもしれない。
「ちょっと……」
桜が声をかけようとしたときには、二台の馬車はもう目の前を通り過ぎていた。
「……行っちゃった」
「どうした?」
「ううん。何でもない」
桜は馬車の後ろ姿を見送ってから、再び西へ向かって歩き出した。
平原を進むにつれて、道の両側に広がる草原の景色が少しずつ変わっていく。
朝の風はまだ涼しく、草の葉を撫でるたびに、さざ波のような音が起こった。
しばらく歩いたところで、前方から人の姿が見えてきた。
男女二人連れの旅人だった。
男は大柄で、筋骨のたくましい身体をしている。腰には剣も下げていた。
女のほうも旅装束で、二人ともこの街道を歩くことに慣れているらしい。
すれ違うとき、桜は軽く頭を下げた。
「おはようございます」
「おう。気をつけてな」
男も短く声を返した。
二人の姿が遠ざかっていく。
街道とはいえ、一人で歩くのはやはり危険なのだろう。魔物が出ることもある。
旅慣れた者ほど、連れと一緒に歩くものなのかもしれない。
「私も、一人で大丈夫かな」
「何を今さら言っておる」
肩のあたりをふわふわと飛んでいたルフェルンが答えた。
「昨日も戦ったではないか」
「そうだけど」
桜は苦笑した。
昨日は四人だった。今日は自分一人。そう考えると、ほんの少しだけ心細くなる。
けれど、剣を握れば、昨日よりも自分が動けるようになっていることは分かっていた。
「まあ、なんとかなるよね」
「うむ。そういう顔をしておる」
「どんな顔?」
「さてな」
桜は小さく笑った。
それから、さらに西へ向かった。
やがて街道は、森から流れてきた小さな川に沿うように進んだ。
川幅はそれほど広くない。街道を渡る場所には、いくつかの平たい石が並べられている。
桜がそこへ差しかかったとき、川辺の茂みが、ごそごそと揺れた。
「……ん?」
桜が足を止める。
もう一度、茂みが揺れた。
「ルフェルン。あれ……」
「うむ。何かおるな」
桜は腰の剣に手をかけた。
茂みの奥から、ぬめったものがゆっくりと這い出してくる。
人の腕ほどもある、灰褐色の巨大なナメクジだった。
湿った身体をぬらぬらと光らせながら、地面を這っている。
普通の動物ではないことは、その不気味な雰囲気からも分かった。
その魔物は、ぬめりナメクジと呼ばれている。
桜の腰には、二本の剣があった。
ギュンターおじさんからもらった兵士の剣と、はじまりの神殿の地下にあった古代遺跡で手に入れた光のつるぎだ。
光のつるぎは、今の桜にとって儀礼用の剣のようなものだった。魔物を相手にするなら、使うのはこちらだ。
桜は兵士の剣を抜いた。
昨日、実際に魔物とも戦ったばかりだ。――そう、あのときは四人いっしょだった。
一人で戦うのは初めてだったが、剣を握ることに不安はなかった。
学校では、魔物に襲われた場合に備えて、剣の握り方や構え方を何度も練習している。
その練習が、昨日の実戦で少しだけ現実のものになっていた。
「もう。こんなところで出てこなくてもいいのに」
なるべく平気そうな声を出してみせる。
ルフェルンが桜を見る。
「……なに?」
「いや。何でもない」
桜は前を向き直った。
ぬめりナメクジが、ずるりと身体を伸ばした。
見た目からは想像できないほどの速さで、地面を滑るように迫ってくる。
桜は横へ跳んだ。すぐそばを、ぬめった身体が通り過ぎていく。
ぬめりナメクジが身体を大きく縮めた。
「また来るっ」
今度は動きをよく見た。昨日の戦いで覚えたことを思い出しながら、桜は相手の動きを待つ。
魔物が再び飛び込んできた。
桜は一歩踏み込み、兵士の剣を振り抜いた。
刃が灰褐色の身体を切り裂く。
ぬめりナメクジは身をよじったが、桜は間合いを取り直すと、もう一度剣を振り下ろした。
――やがて、その身体から黒いものが滲み出してきた。
煙のようでもあり、すすのようでもある。それが身体を覆い、灰褐色の身体は少しずつ崩れていく。
最後には、魔物そのものが黒いすすとなって風に散っていった。
あとには、何も残らなかった。
桜は剣を下ろした。
「……やった」
ふと、自分の手を見た。
剣の握り方も、踏み込み方も、昨日よりも自然だった。
学校での模擬練習どおりに動けている。もし教師が見ていたのなら、合格点をもらえたはずだ。
昨日は、魔物と向き合うだけで精一杯だった。自分の動きがどうだったのかさえ、考える余裕などなかった。
「昨日より、ちょっと上手になったかな」
「うむ。ずいぶん様になっておったぞ」
「見てたの?」
桜が少し口元を上げる。
「まだ、この姿ではなかったがな」
「ああ……光の玉だったもんね」
「うむ」
「じゃあ、なんで助けてくれなかったの?」
「無理じゃ。妖精だから」
「ふーん」
あまりにもあっさりと言われたので、桜は思わず笑った。
剣を鞘に収めると、桜は再び歩き始めた。
しばらく進んだところで、街道脇の草むらに何かが光った。
「……ん?」
桜は足を止めた。
朝の光を受けて、一瞬だけきらりと輝いたように見えた。
気になって、桜は街道から少し外れ、草むらへ入っていく。
「何だろう」
しゃがみ込んで探してみると、細い葉を持った草が、風に揺れていた。その葉先には小さな露のような光が集まり、かすかに輝いている。
「これ……」
桜は手を伸ばした。
風に触れるたび、葉がかすかに鳴る。
「風鳴り草だ」
学校で聞いたことがある。薬や道具の材料になる植物だったはずだ。
桜は根元を傷つけないように、そっと摘み取った。
「これ、何かに使えるのかな」
「さてな」
ルフェルンは草むらの上に浮かびながら答えた。
「ブルーメンへ行けば、詳しい者がおるかもしれぬぞ」
「そっか。じゃあ、持っていこう」
桜は風鳴り草を荷物へしまった。
街道へ戻ると、再び西へ向かって歩き出す。
やがて平原の先に、大きな城壁が見えてきた。近づくにつれて、その向こうに広がる町の大きさも少しずつ分かってくる。
風の国ルフトの交易の中心――十字路の街、ブルーメン。
東西南北から街道が集まり、商人や旅人が行き交うこの町は、クヴェル村とは比べものにならないほど大きい。
桜は遠くに見える城壁を眺めた。
ブルーメン。
昨日まで、当たり前のように暮らしていた町。
そして、楓花、カメリア、ひまわりが暮らしている町。
そこへ、桜は戻ってきた。
けれど――三人はいない。
結局、道中で出会うこともなかった。途中でばったり会えるかもしれない。そんな期待を抱いていた自分が、少し可笑しく思えてくる。
桜は小さく息を吐いた。
それでも足を止めることなく、ブルーメンの城門へ向かって歩いていった。




