01 妖精――
【現在のステータス】
桜 LV 3(戦士)
E : 兵士の剣/ かわのふく
【現在の場所】はじまりの神殿
――クヴェル村の「はじまりの神殿」。
その崩れかけた祭壇の間には、不思議な静けさが残っていた。
さきほどまで儀式のために灯されていた蝋燭の明かりも、神官たちの声も消えている。天井の一部は大きく沈み、床には木材や石片が散らばっていたが、それでも祭壇だけは奇妙なほど無事だった。
その向こうに立つ生命の神ヴィータの女神像は、何事もなかったかのように穏やかな微笑みをたたえている。
その前に、二人の少女がいた。
いや、二人の少女しか残っていなかった。
ひとりは桜、十五歳。
肩まで届く黒髪は、先ほどの騒ぎで少し乱れているものの、ところどころに残った光を受けて艶やかに揺れている。
黒い瞳には、普段なら人懐っこい明るさがあり、相手の様子を見ながら、少しだけいたずらっぽく笑うような表情がよく似合う少女だった。
しかし今は、その瞳に隠しきれない不安が浮かんでいる。
もうひとりは、風の国ルフトの王女リディア。
七歳の幼女には、あまりにも大きな出来事だった。
赤い髪は肩のあたりで揺れ、幼い顔にはまだあどけなさが残っている。
大きな瞳は普段なら好奇心で輝いているのだろうが、今は何が起きたのか理解できず、驚きと不安が入り混じっていた。
リディアは桜の服をつかんだ。
「どうなったの? 何がどうなったの?」
「心配しなくていいよ」
桜はそう答えた。
何が心配しなくていいのか、自分でも分からない。
仲間たちは突然消えてしまい、神殿は崩れ、あの黒い煙が何だったのかも分からない。
それでも、目の前の小さな少女まで不安にさせるわけにはいかなかった。
「ほんと?」
「うん。……たぶん」
「たぶん?」
「そこは聞かなかったことにしようか」
桜が笑ってみせると、リディアは少しだけ口を尖らせた。
「リディア、きいた」
「やっぱり?」
そんなやり取りをしているうちに、リディアの身体から少しずつ力が抜けていった。
桜が気づいて顔を覗き込むと、少女はいつの間にか目を閉じている。胸が静かに上下し、かすかな寝息が聞こえてきた。
「……寝ちゃったんだ」
桜はほっと息をついた。
眠っているだけだ。それが分かっただけで、胸の奥に張りつめていたものが少し緩んだ。
桜はリディアを抱えたまま、改めて周囲を見回した。
楓花も、カメリアも、ひまわりもいない。
十字路の街と呼ばれる大陸街道の要衝――自分たちが暮らすブレーメンの町から、いっしょに「十五歳の巡礼」として、このはじまりの神殿を訪れていた親友たちだ。
そういえば、王女の家庭教師兼付き人といっていたイリスもいない。桜たちと同年代の少女だった。
ここで祈りを捧げていた神官たちもいない。
魔法の装置で、この祭壇の間を破壊した男も、いつの間にか姿を消している。
「楓花ー! カメリア! ひまわり!」
声を張り上げた。
けれど、崩れた神殿の中に声が響くだけで、返事はなかった。
桜はしばらく、その場に立ち尽くした。
妙な感覚だった。周囲の音が遠のき、時間そのものが止まってしまったように感じられる。
さっきまで確かにここには幾人かの人間がいたはずなのに、今は自分と腕の中のリディアしかいない。
その静けさの中で、桜の目の前に、淡い光が浮かんだ。
いつもの光だった。
洞窟で桜を導き、地下の古代遺跡でも姿を現し、そして、この祭壇の間へも誘った、桜にしか見えない不思議な光。
これまでは小さな光の粒として現れるだけだったが、今度は消えることなく、桜の目の前でゆっくりと揺れている。
やがて、いくつもの光の粒が集まり始めた。
桜は目を凝らした。
光は次第に人の形を取り、小さな身体と細い手足、そして背中に生えた透き通るような羽を形作っていく。
やがてそこに現れたのは、手のひらに乗るほどの小さな幼女だった。
年は、七歳のリディアと同じくらいに見える。
そう思って見ると、どこかリディアと面影が似ているようにも思えたが、似ているのは赤い髪という共通点のせいなのかもしれない。
そして、なによりも――妖精、と呼ぶほかない大きさと姿だった。
妖精は桜の目の前で、ふわりと宙に浮かんでいる。
桜の顔を見上げると、どこか懐かしそうに微笑んだ。
「やっと話せたな」
「……え?」
桜は思わず瞬きをした。
「そんな顔をするでない」
妖精は楽しそうに笑った。
その声には不思議な親しみやすさがあったが、幼い姿には似つかわしくない、妙に年季の入った響きがあった。
「そなたとは、少し前から会っておったではないか」
「会ってた?」
「うむ。洞窟でも、その地下の遺跡でもな」
桜は、これまで自分の前に現れてきた光を思い出した。
「あの光……あなたなの?」
「そうじゃ」
妖精は嬉しそうに頷いた。
「ようやく、こうして言葉を交わすことができたのう」
桜は目の前の小さな妖精を見つめた。
可愛らしい姿をしているのに、その話し方には、まるで自分よりはるかに長い時間を生きてきた者のような落ち着きがある。
「あなた、何者なの?」
「それは、あとで話そう」
妖精はそう答えると、桜の顔をじっと見つめた。
「まずは、そなたの不安を解いておこう」
「不安?」
「仲間たちのことじゃ」
その言葉を聞いた途端、桜の表情が変わった。
「みんな、無事なの?」
「うむ。無事じゃ」
妖精は迷うことなく答えた。
「この祭壇の間の床には、防御の仕掛けが施されておる。身に危険が迫ったとき――先ほどの黒い煙のようなものが命を奪おうとしたときには、死地から遠ざけるための仕掛けが働くのじゃ」
「では、みんなは?」
「その仕掛けによって、ここから遠ざけられた。ゆえに、無事じゃよ」
「……よかった」
桜はようやく息を吐いた。
しかし、すぐに顔を上げる。
「近くにいるの?」
「それは分からぬ」
妖精は少し困ったように笑った。
「どこへ移されるかは、その者によって違うからの。近くへ飛ばされた者もおれば、ずいぶん遠くへ飛ばされた者もおるじゃろう」
桜は少し考えたあと、腕の中で眠っているリディアを見た。
みんなが無事だと分かった。それだけで、胸の奥に残っていた不安が少し軽くなった。
「ありがとう」
「礼を言うのは、まだ早いぞ」
妖精が言った。
「儀式そのものは、失敗じゃからな」
「失敗?」
桜が顔を上げる。
妖精はほんの少しだけ目を伏せた。
「うむ。じゃが、こうして姿としては取り戻すことができた」
そう言って、妖精は自分の小さな身体を見下ろした。
――そのとき、祭壇の間の入口付近から、かすかな物音が聞こえてきた。
桜が振り返ると、倒れていた二人の兵士がゆっくりと身を起こしているところだった。
二人ともまだ何が起きたのか理解できない様子で、崩れた天井や散乱した瓦礫を見回している。
どうやら二人は祭壇の間の入口近く、先ほどの騒ぎの中心から離れた場所に倒れていたらしい。そのおかげで、幸運にも難を逃れたようだった。
「いったい、何が……」
やがて、一人の兵士がはっとしたように祭壇へ目を向けた。
「王女様は?」
もうひとりの兵士もその視線を追い、桜の腕の中にいる赤い髪の幼女を見つけた。
「ご無事のようです」
その言葉に、二人の兵士の顔へ安堵が浮かぶ。
桜もほっとした。
だが――。
兵士たちは、桜のすぐそばに浮かんでいる妖精には、まったく目を向けていなかった。
「……?」
桜は妖精を見る。
妖精は何も言わず、ただ静かに微笑んでいた。
その様子を見て、桜はようやく気づいた。
――やはり、妖精は自分にしか見えないのだ。
そのとき、外から複数の足音が聞こえてきた。
異変を知った神官たちが、救出のために祭壇の間へ入ってきたのである。しかし、目の前に広がる光景を見た途端、誰もが足を止めた。
つい先ほどまで儀式が行われていたはずの場所が、見る影もなく崩れている。
天井は沈み、壁には大きな亀裂が走り、床には瓦礫が散らばっていた。
「これは……」
神官のひとりが、ようやく声を漏らした。
そして、桜の腕の中にいるリディアへ目を向ける。
「王女様?」
「ご無事です」
兵士が答えた。
神官たちの表情に安堵が浮かぶ。しかし、その安堵も長くは続かなかった。
祭壇の周囲を見回した神官のひとりが、ふと眉をひそめる。
「……神官長は?」
誰も答えなかった。
もう一度、祭壇の間を見回す。
神官長はいない。儀式を手伝っていた二人の神官もいない。
「ほかの二人も……」
兵士たちも顔を見合わせた。
「イリスもいない……」
その言葉を聞いて、桜ももう一度、崩れた祭壇の間を見回した。
やはり、誰もいない。
楓花も、カメリアも、ひまわりも――。
ただ、生命の神ヴィータの女神像だけが、何事もなかったかのように穏やかな微笑みをたたえていた。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
四人の少女たちの冒険を「応援したい」「続きが気になる」と思ってくださったら、ぜひ画面下にある【ブックマークに追加】や、評価の【★】を押していただけると、執筆の大きな励みになります。




