第64狂・アサガオ___悲哀の決意
【警告】
描写にはないのですが、性的暴行の言葉にに触れております。
また性的暴行被害の描写がありますので、閲覧にはご注意下さいませ。
「最近の純架ちゃん、
何処か浮かない表情を浮かべていいて、いつも上の空なのよ」
「………………そう」
あれからというもの、
魂が抜き取られた様に、彼女は
呆然自失としている事が多くなったという。
此方をから話しかけても上の空であるし、治療も拒むらしい。
透架改め、純架は、
自動販売機に売っていた珈琲を流し込んだ。
その些細な行動に智慧は微かに驚いていた。
「___透架って、珈琲飲めたんだ?」
20年間、必死に守ってきた心臓。
身体に障る、何かがあってからは遅いと
厳重にストイックに体調管理を施しては鞭を打ってきた。
けれども、今は。
(なんだか、どうでも良くなってきた…………)
燃え尽き症候群だろうか。
“全てが終わりつつある今”、心は惰性で日常を流している。
口の中に広がる苦さは
20年前のあの日を思い出しそうな気がして、
今までの自身は身勝手な夢現の様な気がした。
全ては双子の姉に、果たす贖罪の為。
双子の妹を一途に想い生きる善人なふりの偽善者。
それが、自身が演じてきた御影透架なのだろう。
そう思う心意気は現在も変わらない。
自身で、きっと自暴自棄なんだと、双子の妹は思う。
けれども、今になって透架と呼ばれても何処か疎ましい。
理由は云う前でもなく、
双子の姉が全ての黒幕であり
首謀者で、裏で糸を引いていた事も。
あの秘密を胸に抱えながら、
腹の底では、迷える者をずっと嘲笑っていた事も。
(___邪魔な大人達を葬って、それが成功して、
ずっと微笑んでいた。そうだよね? ………透架)
ドナーバンクからは御影純架、
改め、御影透架のドナー適合者は、自身になっている。
邪魔者の大人達は、皆、消した筈なのに、
肝心な双子の妹が、遠退いてしまった。
理解して欲しいと思う度に、純架との距離は離れていく。
(桜も、消すべきだったわ)
玲伽を喪ってしまえば、
人形と化すと思っていた女は戦慄の狂喜と化した。
それが唯一、彼女の計算外だったのだ。
「こりもしないで、また来たの? 呆れるわ」
「だって…………」
あの威勢は何処へ行ったのか、桜は罰の悪い面持ち。
心無しか目元へ赤く腫れている気がしたが
どうでもいい。
純架、もとい、御影透架は片手で頬杖を付き、
鋭い眼光を桜に浴びせて、やがて、ふっと鼻で笑う。
「それか、怖いの___?」
そう呟くと桜は肩を震わせて、萎縮し始めた。
挑発的な態度や悪態を付いても、其処に今までの威勢はない。
あの日、桜も絶望した一人だ。
有頂天に立っていた。
義姉は失えど、その鬱憤を娘達にぶつける事で
復讐しているのだと錯覚さえしていたのに。
それが実は
愛しい義姉を取り戻す為にこの娘に吹聴され、操られていた。
己が手を下す前から、それからも、今も。
(私には弱味がある。またそれを利用する。
透架には躊躇いなんてない筈よ)
今は素直に、透架が怖い。
純架が舞台から去った今、彼女の留め金役はいない。
「私が閉ざしていた秘密を暴露したら、貴女は終わりだものね」
「……………やめて!!」
_____透架改め、純架の自室。
(そっくりだわ。母と………)
自身に手を上げ続けた女。
盗聴器の録画映像を確認しながら、純架は思う。
良くも悪くもあれから、人間観察の如く
双子の姉の事を監視するようになってしまった。
画面越しに姉が見せる激情は、玲伽を見ている様だ。
虚空の双眸で、“愛しかった”双子の姉の姿は、
思い出せない母に似ていた。
透架もまた別の意味で、自暴自棄になっている。
悲劇を起こしてまで共に居たかった双子の妹。
そんな引き裂かれた生き別れの、
双子の妹に再会出来ても彼女には心から拒絶された。
終いは、彼女の心臓移植が移植された末に消える、と
聞いた時の絶望感。
(_____本当に、純架が、いなくなっちゃう)
双子の妹を糧に、辛い治療も耐えてきた。
彼女と再会出来るならば、と他の事は上の空でも、
彼女の存在を心の中でも、現実での鳥籠に閉じ込めて、
仕舞ってきたのに。
彼女は鳥籠から羽ばたいていくだろう。
そうなると二度と会えない。
(貴女が居るから、私は頑張れたの。
でも、私、これから)
_____純架のいない世界で、
どうやって生きていけばいいの?
黄昏の夕焼けを、茫然自失的に見詰めていた。
周りには誰もいないせいか、自身だけが世界に
取り残されている、という錯覚に陥る。
茜色の街並みは、とても綺麗な景色だが
欠落した心と視覚野はモノクロームしか映せないでいる。
「………此処でしたか」
それを引きずる様に、現実に取り戻したのは、兄だった。
彼は同じ様に柵の上に腕をを持たせかけ、純架を見ている。
「あんなに辛辣になるとは、予想外だった。
貴女は“透架の為だけに生きてきた”のではないですか」
「……それは、もう過去の事です」
その表情は悲哀に満ち何処か物悲しい。
けれど何処かで憑き物が落ちた様な鮮やかさに襲われた。
___惨劇を招いた双子の妹に、情すら沸かない。
それを表明する顔はやはりお人好しだと思う。
(……………あの執着心は何処へ行ったのか)
「10代の頃、
貴女は子宮外妊娠の末に、それに気付かず、
卵巣破裂し入院していた時期が有りましたよね。
自殺願望に駆られながも、
それでも生き人としている事を選んだ」
「……………そうです」
頭を落としながら、純架は俯いた。
背に流れる髪が、彼女の表情を隠す。
夕焼けに反射して黒髪が反射していた。
その後ろ姿がやけに哀愁じみている。
「…………何故、知ってるのです?」
「…………貴女の里子に出された先は知っていたし、
入院していた病院は、あの会堂病院の系列の病院でした。
だから、話は筒抜けでしたよ」
其処で漸く意味を知る。
あの日、搬送された会堂病院での主治医は兄で
兄は御影家の__例えば、脳幹の地位に居る事を。
「……………あの時は焦燥感しか、ありませんでした」
純架は呟き、顔を上げた。
14歳の時、精神的に依存されていた
宏霧から何度か性的暴行を受けた事があった。
常に不安は付きまとっていたものの、
澁谷家を追い出されてしまえば、医術を学ぶ機会は喪われる。
それは、双子の姉を救えない、という事を意味している事を
純架は分かっていた。
____追い出されては、何もならない。
だから。
引き換えに耐えるものだと思っていた、そんな矢先。
薫の前で、倒れた。
後の事は智慧から聞いた事だ。
なんせ彼女の実家の病院に運ばれ、彼女の母が執刀医だった。
卵巣に子宮外妊娠していた事も、
それが要因で卵巣破裂した事も、初めて知った。
瀕死の重体ながら、
智慧の母自ら執刀した緊急オペは壮絶だったという。
終わってからも心はずっと不安だった。
治療期間にはかなり要した。
翌年の学年末の月に退院し、復学してから
ずっと机にかじりついていた。
「留年したらどうしようとか、
勉強が遅れてしまったらとかしか思っていませんでした」
薄幸な微笑みを浮かべる。
それは、どことなく哀しげで自傷的に。
幸いなのか、運ばれた先は
彼女の実家の病院であり、彼女の母が執刀医だった。
同じ道を志望していた親友は
毎日、お見舞いに訪れては、学校の課題や宿題、
そして塾のノートまで見せてくれて、留年は免れた。
彼女には感謝している。
あの頃は、
ぼんやりと生きている様で
自身は欲深かったと自負し、純架は悟る。
がむしゃらに生きて、医術の事と双子の姉の事しか頭になかった。
誰かに危害を加えられても、何処か傍観者の様で
自身に降り掛かったもの、当事者でありながら、
他人事の様に感じていたのだ。
だから、大事になるまで気付け無かった。
『透架ちゃん、助かって良かったね。もしかしたら………』
意識を取り戻した時、涙ぐむ看護師に言われたのは
手遅れの一歩手前だったという事だ。
純架の話を聞いて、
あの噂の少女が妹だった事に玲緒は驚きを隠せない。
それに……。
(そんな事実があったなら、御影家は許す筈がない)
「それは知らなかった。
御影家にも通じていなかった筈だった話………」
口許に手を当てて、困惑する玲緒に、
純架は悟りを開いた眼差しで目線を落とし、話を続ける。
「あの時だけです。最初で最期。
薫さんに土下座までされて、懇願されたのは。
宏霧さんの将来を潰さないでと。
顔に泥を塗ってしまったら今後に響くから
無かった事にしてくれって。
宏霧さんは認めていたけれど………私は私で
追い出されたらおしまいだと思って、その条件を呑んだ。
利害関係が一致した…………それだけです」
けれど、どことなく自身を軽蔑するかの如く嘲笑う。
「………今思えば
誰かの命を犠牲にして、生きている罰だったのかも。
かも、じゃない。そうです。が正解か」
親の因果が子に報い。
現に桜の嘘、玲伽の狂気的な暴走により、
少女は命を落としたのだから。
きっとそうだ。
ただ、何かに縋っていたかった。
純架の場合は、“双子の姉を救えるのは自身だけなのだ”と
思い続けたように。
自虐的に嗤う彼女は
薄幸で儚くも、何処か脆く危うい美しさを秘めていた。
「もう一度だけ聞く。
____透架の傍にいようって、思えない?」
「……………どうして?」
玲緒は驚く。純架の声音は怜悧だ。
「玲伽はもういない。桜も憔悴してる。
今なら穏やかに過ごせると思う。やり直せるよ。
透架を止められるのは、君だけだと思う。
空白だった時間を埋めれば………」
「無理よ」
断罪するかの様に、純架は告げる。
「あの子を暴走させてしまったのは、私がいたから。
私のせいで罪人にしてしまった。苦しめた。
どんな顔をして会えば、過ごせば、というの?
例え、それが透架の幸せだとしても、
私には…………生き地獄でしかない」
「透架………には」
「二度と会いません。私は後腐れなく消えたい。
唯一無二の救いは、あの子が出生の秘密や
両親の元の関係を知らないこと。
それだけが分からないし知らない事です」
立ち去ろうとした瞬間、腕を摑まれた。
「透架の事は交えて、聞いただけだ。
まだ話は終わってない。貴女が、ドナーになるという事は」
純架は振り返る。青年が涙声という事に今更気付いた。
だから、言ってしまう事にした。
「数ヶ月の、あの事故の時、脳腫瘍が判明してる。
ただ私は放置し続けた。
腫瘍が血管を巻き込んで、
いつ破裂するか………今でも頭が痛い。でも、私は待つ。
もう末期で、後には戻れないから」
頬に伝った光りは、嘘じゃない。
現実問題、こうしているのもやっとだ。
最近は耐えられない頭痛や目眩から、
退職願を提示し、医師の職も降りている。
(____説得しても無理そうだ)
彼女は、呪縛から解放された。
双子の姉の手の駒から降りたのだ。
“御影透架じゃない”。彼女は今、“御影純架”に戻っている。
それまではどことなく張り詰めた厳しい面持ちだったのに
今は憑き物が落ちたかの様な、優しい表情に変わっていた。
毎度の事ながら
ご気分を悪くされた方々、この場をお借りして
お詫び申し上げます。大変申し訳御座いません。
そして、予定としましては、
本日で完結予定となっております。




